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天体

ほぼほぼ、日差しのない梅雨中の、日曜日。これまでは、早朝、

玄関を開けると、不快なまでにさんさんと照り付ける

朝日が今では恋しい。それでも、太陽は何らかの意志を持って

東の空から徐々に回り南の空へ昇りつめ、異様なあかね色に

染まりながら、西の空へと落ちていく。


本日は、天文学では夏至(げし)で日食で、しかも父の日だ。

記録をさかのぼれば、徳川家光の時代以来らしい。

ただただ、刺激なく怠惰に退屈な日々を過ごす我々のような

一般人ならば、シンプルに《太陽が地球の周りを回っている》

と天動説を考えるはずだ。世界に目を向ければ、その時代、

ヨーロッパにおいては、地動説を唱える渦中の人物が弾劾裁判

の真っただ中、判決は死刑が妥当であったが、出来合いの

レースのごとく、筋書のあるセリフを読み上げ、死刑は免れる、

しかし、男はつぶやいた。《それでも地球は回っている・・・》と。

その真の科学者がガリレオ・ガリレイその人であった。中世の

時代、天文学はもはや、穀物や作物の種まきや収穫の時期を知る

ためのツールとはほど遠い対象となっていた。彼いわく、

《天体観測の目的の、一番重要なことは、神の意志を知ること》


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


昨日は義父の、ひちひち49、日の法要で無事におかげ様で

納骨を済ませることができた。その後、身内数人で饗宴にて

昼日中から、がっつりビールをあおり、程なくして夢の世界へ。

その前日のこと。墓地のとうばに、こぶし大のスズメバチの巣の

退治で、獅子奮迅のごとく汗だくに大わらわ、てんてこ舞い。

どんな障害や壁が立ちはだかろうが、めげることなく、立ち向か

う、たくましい女性。生きる力は雑草以上。夏にも関わらず

厚手の生地のコートに、マスクにフェイスガードに手袋を

身にまとい、肌をいっさい出さずに、ビクビクしながらも

抜き足、差し足、忍び足、ポリエチレン袋でとうばごと、捕獲。

ことごとく生け捕りに成功。無情にも、そのまま焼却炉に直行。

ハチのむさしは死んだのさ! やったな、千恵子、

お前の勝ちだ!!! グッチョブ。 ゴー ツー ヘブン!!!


メスに食べられるカマキリのオスとは逆に、月に食われる太陽の

日食。そんな縁起の悪い現象、絶対、目にしたくないから見ないで


今日もいただきました。

ほんもの

♪むぎわらの・・帽子の君が♪揺れたマリーゴールドに似てる♪

テレビのビールのコマーシャルに使われ、流れ始めたのをきっか

けに、何気に口ずさむようになった歌曲。今や、人気、実力とも

誰もが認めるようになった、若手女性ミュージシャンの売れっ子

一見すると、街で見かけても、ただの田舎娘と勘違いするほど、

じみ、案外地味、写真に写ったお顔はほんと、なんだかショボイ

ごめんくさい、「あいみょん」でも、ユーチューブのライブ映像

で歌う彼女は、ギター抱えて、髪を振り乱して歌うそれは大御所、

レジェンド感がハンパない。生まれついての**って、こういう

人のことを言うのですね。普段はだらしないのに、ここぞって

時は、人が変わったように120%の力を発揮できる人っていま

すよね。あるときは突き放したい感覚、でも、あるときは引き

付けられる感覚。その場に溶け込むタレントのすごみに感嘆しき

り。存在感が郡を抜いてる。それは人をとりこにする浮世の極楽

人が何かに引き付けられる要素って《親しみやすさ》《不思議》

《安全》《心地よさ》などなど、挙げると切りがないが・・・

《あいみょん》ならではのキャラクターのなせるワザ。人間性

とも言えるのか・・もともと、人をもてなしたり、楽しませる

のが得意なのだ。そこにいるだけなら、ただの人、舞台に立った

ら、最高のエンターテイナー。《ほんもの》ってほとんどこれ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


今朝、庭で、花をながめていたら、思わず、《かまきり》と

目が合ってギョッとした。彼らは複眼なんで360度見渡せるし

にらみつけても、こちらが目線をそらせないと、むこうも、決し

てそらさないのよね。食うか食われるかの、野生の習性ってすご

い。いたずら心にかられて、一度、離れ、再度こっそり近寄り、

《コンパチ》(デコピン)で弾いてやった。ちょっと、罪悪感に

襲われ、居所、生存を確認して、ホッとして、木の枝に乗せて

元の場所に戻してやった。 色即是空 空即是色。


今日もおごちそうさまでした。


 

意味

今朝は晴れた。特に何もすることがなければ、ここに来る。

朝日を浴びると本当に、気持ちが良い、気が晴れる、

ほんとに、気がまぎれる。風を聞き、光を見る。

天気の変化を、季節のうつろいなど

自然のありように感覚を研ぎ澄ますと、今日の予定とか

明日の何とかとか、すべてが消えてしまう、そういう状態に

入りやすい。見方を変えれば、世界が変わる。


新型コロナの影響で、いやおかげで、否が応にも、夜の仕事を

失って早起きになった。日がな一日、ほとんど何かしら遊んでい

る。経済活動だけに目を向ければ、役に立たない者やモノは、

存在しちゃいけない、って気になってしまう。ほんとに、自分

って中身が何にも無いと、つくづく思い知らされる。今、

ここに存在するのは、正解じゃないのか? いや、絶えず、

正解に近づいているはず、いや、近づいている、と思いたい。

誰もが似たようなはず・・・ 年をとると、人は、男は、

誠に、わびしい、あれこれ考えすぎる、ということです。


社会が大きく複雑になると、生活も大きく、複雑になっていく。

人間社会は面倒なことばかり。生きることは悩むこと。

自然に触れたり、映画を見たりして、流れに流されて、頭を真っ

白にして、日々を生き抜くヒントを発見しよう、としている。


相手に受け入れる余地がなければ何事も伝わらないし通じない。

生きている「世界」すべてに《意味》を見出す必要はないはず。

自然に生きて居ると、社会的に、いわば、強制されている

《意味》が、実は、自分の都合で、作っていることがよく解る。

社会が非常時だからと何だかんだと自分を、ごまかしている。

「世界はそういうものだ」てとこから始めないと・・・

《この状態が当たり前だ》から始めないと・・・

邪魔で迷惑なら周りが治してくれるはず・・・

それがダメだといって・・・・   最後に、


「バカの壁」の著者である、養老たけし氏は、自身の著書の中

で、

すべてのものに意味がある。大多数の人がそう思うのはしごく

当然のことである。なぜなら、意味のあるものしか周りに置かな

いからである。しかもそれを日がな一日見続けているのだからで

ある。すると、世界は意味のあるものだけで満たされてしまう。

それに慣れ切った人たちはやがて、意味のない存在を許さない、

といった暗黙の思いが生じてくる。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


急ぐべからず、怒りは敵と思え。どんな時にも、

社会正義をつらぬくべき、社会秩序を守りぬくべき。何事も、

一生懸命になり過ぎないこと。ほどほどに、中庸(ちゅうよう)

こそが、もっとも美しい。


道端に転がっている小さい石ころ、誰にも見られることのない

チョウチョやみつばちににも見向かれない、ほんに小さい花、

などなど、何の役にも立たない、一銭の値打ちもないもの。

毎朝目にするが、そこに《意味》など求める必要などない。

ときに、自分の存在と重ね合わせて、気が重くなるのです。


僕の最大の幸福は、今、恵まれた環境に身を置いていられること


 

コロナ

現在、抗(あらが)うことのできない現実が、私たちの生活を

二分(にぶん)するほどに翻弄(ほんろう)しています。誰かの

陰謀なのか、我々を震撼させている、まさに無差別殺人の連鎖。

同時に経済活動の停止。もう二度と、取り戻すことができない

かもしれない、以前の然るべきまっとうな生活。 願わずとも、


開店休業中のため、エネルギー消費を極力抑えようと、感染防止

にて、ヘタに動くこともなく、ナマケモノのように、家の中で

テレビを見て、食べて、出して、寝て、新聞見て、テレビ見て

食べて、出して、寝ての、落ちぶれたような自堕落な日常。

何ひとつ生み出すことのない、何ひとつ価値のない、

誰も助けることなどできない行為なのでしょう。所詮、


人間なんて、99パーセントはムダでできているのです。

と言った意味においては、人間はタチが良いのです、

いずれ、消えちゃうから・・・ 運命のままに・・・

流されます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。いつか、会おうぞ。


活動にとどまらず、思考までもがほぼ停止状態に。

対策(リーダー)

テレビを見ると、コロナの話題、B級ドラマの再放送ばっかり。

時事番組やバラエティーでは、大きく距離を空けて位置するか

遠隔放送に様変わりしています。マスクの品薄と医療現場での

マスク不足を反映してのことでしょう。理解に苦しむことは、


どんなに隔離、締め出しを行っても、決して毎日新規感染者が

ゼロにならない不思議な現状。本当のところはわかりませんが、

都心から県外への外出を控えないやからが、いまだあとを

絶たないとか。


本当に強いリーダーならきっと、つばきを飛ばしながら、

こう言うかな? ねじりハチマキ姿をSNSに載せる。

「政治家も官僚も、夜を徹してコロナ対策をやっている。」

「だから国民の皆さんも、家から出るんじゃない!!!」

「国民は、何があっても、わしが守る。」

「守ると言ったら守るんだ。」

「守ると言っているんだから、国民も言う事を聞け!!」

「補償? 全部してやる。」

「でも、必ず返せよ。孫の代までかかってもいいから。」

「事態は深刻だ、試練だ。国民の心をひとつにしないと

乗り切れない。」「ひとつになれないやつ、ならないやつは

この国から出ていってくれ!!!」

「セルフ・ロックダウン」


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


現金支給はいったい、いつなんだ? 早くしてくれ!!!


 

食べることが好き、音楽が好き、本が好き、スポーツが好き、

花が好き、緑が好き、夏の日差しが好き、言葉が数学が好き、

面白いことが好き、楽しいことが好き、明るいことが好き。

美しい人が好き、可愛らしい物が好き。何かをすることが好き。

《愛》が大好き。人が何かを好き、誰かを好き、って心情は、

もっともハードルの低い純粋で容易な喜び、単純でほとんど理屈

のない、動機付けの薄い行為でしょうか。だからこそ、素直に

言葉にするのが、妙に気恥ずかしいのです。なぜなら、そこには

自分の心の裸を、のぞかれているように感じるからでしょうか。


ただならぬ状況の中、これが近々で最後だぞ、ってことで訪問。

3月31日で、親の都合で引っ越しをした3歳の幼児に週末会いに

行きました。夕刻、保育園までお向かいに出向きました。


保育園の脇口付近で、抱っこをせがんでいるのか、なかなか

歩き出そうとしない様子です。一瞬、こちらに顔を向けて遠方の

助手席の僕の姿を捉(とら)えたのか、満面の笑みを浮かべなが

ら小さく手を振り、視線を投げかけてくれました。視線が合った

と同時にこちらに小走りで駆け出しました。小躍りしながら

何か含み笑いを浮かべながら、嬉しさが隠しきれない様子です。

じきに車窓の付近まで近寄ると「おいちゃーーん」と

大声で叫び挙げました。 マスクを装着してドアを開け広げ


わずかに外へ立ち上がり、幼児を抱きしめました。「***」

「うれしーー」「会いたかった」。思わず力が入りました。

「痛いーー」。「おいちゃん、痛い。やめてーー」

はっとさせられ、我に返り 「ごめん」 笑いかけると彼もまた

顔を向けて目を細め、にっこりと笑みを浮かべてくれました。

次の瞬間、彼が僕の股間を軽くつかみ「おいちゃんの****

つかまえた」。彼がニターと微笑みます。「***の****

つかまえた」。すると、彼はひらりと身をひるがえし笑い返す。


親子でも恋人の対象でも、血がちっとも交じってないのに、

なぜか、懐かしい、親近感が半端じゃない、どう考えても

他人とは思えない《存在》なのです。そんな存在なんて、

そうそう居ません。初めて会った時から、何があっても

どんな嫌なことがあっても、決して嫌いになれない、いっそう、

離れるのが寂しい、忘れることのできない《存在》。

そこにあるのは絶対《愛》以外、に考えられません。その後、


せめて最善を尽くそうと、外食は控え、食料を買い込み

マンションの一室で体面にならないように腰かけ、食事。

何か特別なことをするわけではなく、ただただ同じ空間に

居る、目につく場所に居るだけで嬉しい幸せなのです。


「こんにちわ」には「こんにちわ」で返してくれます。

「あそぼう」にも「あそぼう」で返してくれます。

「ありがとう」には「どういたた・・ました」と

口ごもりながら、目をパチクリさせて頭をかきます。

こちらの言葉を覚えようと、《おおむ返し》で応えよう

と頑張ります。上手くできない時でも、こちらも面白がって

伝えます。八の字お菓子を手渡します。「これ何?」との質問に

指折りながら「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、

マーブルチョコレート」て、手のひらを向けました。

首を無言で縦に振りながら最後に「・・・・チョコレート」

「え、できん」「無理、無理」と抱き着いてきます。


愛する人に一番、して欲しいことは、愛を返してもらうこと、

同様に、いやそれ以上に、愛し返して欲しいだけなのです。でも

これは純粋な《愛》とは言えないでしょう。真実の《愛》とは

決して尽きることのない、絶えることなき、見返りを求めない

行為の源泉こそが本物の《愛》なのです。その代表は、母の愛。

最も尊くて素晴らしい《愛》は、無償で無条件の見返りを

求めない愛なのですが、それは誰もが持ってはいません。

疑う余地のない誰もが持つであろうそれは、

親の子に対する愛だけです。それはまさに無償の愛

一方通行、ときに、うっとうしく、しがらみが強く、重たく

感じるほどですが、自分が親にならないと、そのありがたみは

生涯、理解できないかもわかりませんね。

我々が帰ろうと、車に乗り込むと、「おいちゃん(ち)家に行

く、行きたい」と駄々をこねて、大声で叫ぶので母親に抱かれ

付近をドライブ。いつもなら、自分が去り行く立場なので

寂しさを感じにくい状況だったのですが、人が目の前から

立ち去っていくと、残される側は《祭りのあと》のような

虚無感と脱力感とともに、防ぎようのない寂しさがつのる

のです。今後の長い人生で、自分で乗り越えないといけない

感情なので、無情にも降ろしましたがその後、車が見えなくなる

まで車道や歩道のある、ぎりぎりまで見送ってくれてたようで

お母さん、ほんとにお疲れさん、ほんとに、ありがとう。


《愛》は人間にとって、最も尊く素晴らしいモノ。どうぞ、

みなさんも、惜しみなく《愛》を、降り注いでください。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


参考までに、漢字辞書によると、「愛」という漢字は、

人が立ち去ろうとする時に、後ろ髪を引かれるように

振り返る姿に、心臓の位置付近に「心」の字を付け出した

モノで、その時の感情が「愛(いと)おしい」という気持ち

と定義されています。社会を癒していきましょう。


 

用意

かつて中学生のテストで、珍回答を目にしました。

用意□□の□に入る文字は?

ド ン 。思わず口元が緩むと同時にあきれてしまいましたが。


もちろん正答は、周 到 です。うなると同時にいたたまれなく

なりました。自分の指導の未熟さと生徒の将来の不安で身につま

せれました。そこで、さらに強く頭の中に刻み込もうと、

集中させて、テンポ良く、一分間で、一日50問の熟語の練習に

取り組むことにしました。


感染防止の拡大対策でシンプルな「国民一律10万円」に変更

された現金給付案です。スピード重視と言いながら、そうとは思

えなかった政府です。ただただ迅速な支給の実現を望む今です。


何事においても、先手とスピードが大事なのは、歴史の攻防から

思い知るところです。すべての日常生活を、改めて、

《用 意 ド ン》 です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

変化(数字)

経済活動の回復を願って、金持神社(岡山県)まで参拝に

夫婦ふたりで日帰りにてドライブしました。健全な実践者なれば

「人事を尽くして、天命を待つ。」のでしょうが、まだまだ

未熟者たる我々は「人事の前に、天命にすがる。」とは

なんたる不心得者。しかし、近年の経営者の、多かれ少なかれは

五十歩百歩ではなかろうか。往復路の時間、学びを得ようと、


今一番、影響力があって、最も講演のみで稼いでいるであろう

熱い男、ミスターKのユーチューブを閲覧、楽しみました。

《つるっぱげ》で、松岡修造をも凌駕する程の日本で最高温度

更新中であろう男の言葉は、いたく私の心に響き、その論理性

に脱帽することばかり、その上、タダで経済を勉強できるとは、

時代の先端を走る男の熱情、に圧倒され、抜け目(毛)のない、

筋の通った未来予測に深く納得し、頭をハンマーで殴られる程、

驚愕させられました。詰まる所、変わらなければならない現在を

生きる社会人の、経済の未来予見の重要性、必要性を改めて痛感

変化の激しい現代に、生き残るための「テーマ」は《変化》であ

るとのこと。もはや変わることのできない愚者、野獣は、死すべ

し、です。 さらに少し進めます。さてここで、


《6.3パーセント》。総務省が発表している紛れもない数字。

むこう10年間で、今存在している全会社のうち、なんと

10年後においても、存在している会社の割合なのです。

言い換えれば、今ある会社のうち、93.7パーセントの会社は

なくなるといった現実、衝撃に直面するであろう、との話し。

いつまでも会社が存在して、仕事があることは、決して

《当たり前》ではなく、会社がつぶれないのは《奇跡》なのだ

そうです。実際、ほとんどの経営者は会社が、いつ、つぶれても

《当たり前》との考えのもと、常に経営に、当たっているそう。


会社の生き残りは、「ダーウインの進化論」と同じ理屈です。

生き残る生物とは、どのような生物なのか? 身体の大きい生物

なのか? 否、では、力の強大な生物なのか? 否。答えそれは

《変化》に強い生物なのだそうです。どれだけ大きく、強大で

あろうが、群れをなそうが、《変化》に弱い生物は滅亡して

しまい、逆に、どんなに小さかろうが、貧弱であろうが、弱小で

あっても、《変化》に強く、対応できる生物、種のみが、生き

抜いて生き続けていけるのです。生物を《会社》に置き換えれば


数字その二、《65パーセント》世界の有識者の会合で発表。

今から生まれる子供達が将来、就くであろう職業の全部のうち、

現在どこにも存在しない、いまだ名前のない、考えられていない

職業の占めるであろう割合なのです。ほんと衝撃の予測です。

言い換えるなら、今ある職業の中で、我々が知っている職業

はその35パーセントしか残らないのです。65パーセントは、

人間からAIないしは、ロボットが、人間に取って代わるのか、

まったく必要なくなって、消滅してしまう職業なのです。

もしかしたら、今現在あなたのしている職業が、それかも?

恐ろしい時代です。裏を返せば、誰にもチャンスがやってきてい

る時代でもあるのです。なにせ、今の世界の経済地図の65

パーセントは、新たに塗り替えられるわけですから・・・


生き残るには、常に勉強を怠らず、いつでも《変わる》柔軟性が

必要充分条件なのです。学ばず、変わらないモノはただのバカ。

時代に合わせて《変化》が要求されている、現在、これからも。

社会の変化のスピードはますます速くなっていきます。その社会

の変化に取り残されるようでは、恐竜のように絶滅の末路が・・


そのためには、謙虚で素直な心を持ち、すぐに変わる勇気が必要

昔の成功体験など、何の役に立たない、むしろただの足かせです


今や世界に冠たる、天下の超優良企業のトヨタ自動車。その

前身は機織り企業。終戦後数年でモータリーゼーションがやって

来て、今後ますます発展しそうな車社会を予見。アメリカ全盛を

憂いて、自国車を製造したい、走らせたいとの夢を実現しようと

社長の英断の元、技術も工場も無い中、ほとんど孤軍奮闘、

多くの逆境を乗り越え、現在のトヨタ自動車を創業。その後

の成功は万人の知るところ。《変化》に恐れることなく

時代の未来を正確に読み切った社長(経営者)の知見の

鋭さ、勇気ある決断。に尽きるのでしょう。ただ《変化》

することは誰にとっても怖くて、不安なこと。それを《不安》

から《確信》に変えるには、学び(勉強)するしかないのです。

なぜなら、いつの時代であっても、未来を正確に予見すること

など誰ひとり、決して不可能なのですから、神以外に・・・


現在、金持ち日本一のソフトバンクの孫正義さんは、今、儲けの

大部分を「自動運転」に投資しているらしいとか、参考までに。


余談ですが、会社が5年後、生き残っている割合が、

《14,5》パーセント強、であって、20年後に至っては、

《0.4》パーセント。ほぼ残っていません。最近入社した人

は、今働いている会社が退職するまでほぼ、存在していないこと

になりそうですね。悲しいことに。だから常に、自社の社長

(経営者)の動向に目を皿のようにして、注視して観察を。


現場で社員と一緒に仕事するような社長では、人間的には信用で

きても、経営者としての重要な任務を怠っている愚か者です。

常に外に出て社会の動きを観察、勉強するような社長でなくては


会社を信じて自分の将来を会社に託すのも良し、勉強を重ねて、

自分自身を信じて、会社を飛び出し、未来を自分で掴むも良し。

しかしどちらであっても、《変化》することを、常にいとわない

柔軟性とその変化に飛び込む《勇気》と《大胆》さが求められる


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。お会いできる時まで。

お読み頂き誠にありがとう存じます。


あくまで、動画拝聴して、僕がその要約してみたのです。

インプットしたものを記憶にとどめ置くために

アウトプットしたに過ぎません。

信じるも信じないも個人の責任において・・・


ミスターkの動画の内容はご自由にとのご配慮により。

勝手に文章に落とし込みました。自分の後学のためのみに。


 

後悔

「後悔」とは、何て悲しい言葉でしょう?

何て寂しい言葉でしょう? 失って初めて気が付く

「当たり前のあり難さ」や「勇気の価値」。


いつだって本当に大切な事は、後から気付くものです。

大切なものを見失うなう時、人はたいてい自分の事ばかり

考えてしまいます。人は長く生きれば生きる程、人生において

「後悔」を何度も経験してしまう弱い生き物です。誰もが一度

は、「あっ、しまった!」って思ったことはあるでしょうに。

ここで「後悔」には二種類あります。ひとつは、取り返しのつく

「後悔」、そしてもうひとつは取り返しのつかない「後悔」

です。言い換えるなれば、それは、やり直しが出来るもの

なのか、やり直しが出来ないものなのか、という事です。唐突に


今ここで「貴方にとって、大切な人を思い浮かべて下さい」

 

両親、兄弟姉妹、子供等、肉親でしょうか? それとも、妻、夫

恋人、友人、知人でしょうか? どちらにしても貴方にとって

きっと近しい人であるでしょう。現実的ではありませんが、仮に

もし、その大切な人が「一時間後に居なくなってしまう」と

したら、どうでしょう?   《貴方はどうしますか?》

《何を想い、何をしますか?》《ただ一時的に何処かに行ってし

まう》だけなのか、それても《死んでしまうのか》といった

ふたつの大きく異なる状況が想像できますが、最悪

死んでしまって、二度と会えなくなってしまうとしたら、たとえ

一時的な別れであっても、次に会える可能性が低いとしたなら

しかもその人と喧嘩別れしていたとしたら、どうでしょう?

悪い状況を考えれば、切りがありませんが、しかし

人間なんて最悪の状況でも考えない限り、真剣に誰かの事なんて

考えようなんてしないでしょうから。


もう二度とその大切な人と一時間後に会えなくなってしまう

としたなら、

「もう二度と、会えなくてもいいや。」って思って、

別れたとしたら、尚のこそ、深い後悔になるのでは

ないでしょうか。    究極のところ、


おそらく、ぎゅっと抱き寄せて、優しい言葉をかけてあげるので

はないでしょうか。それだけで十分なのではないでしょうか。

人間とは複雑に見えますが、実はとても、ちっぽけな単純な

存在です。何気ない心無い仕打ちや、ちょっとした一言で、

人は簡単に落ち込み、傷ついてしまいます。逆に、ほんの

ちょっとした、心ある仕草や何気ない優しい、一言であったと

しても、なぜか人は、心が軽くなって、救われるものなのです。

人に会えない時間というものは、むしろ会っている時間よりも、

人を強く想っているものです。たとえどんなに遠く離れていよう

が、誰かが誰かを想っている、誰一人も、ひとりじゃない。

誰もが繋がっているのです。人間は決して一人では生きられな

い社会性を持った、とっても弱い寂しがり屋です。

孔雀は恋をすると、翼を広げます。ウサギは、寂し過ぎると、

死んでしまいます。人は恋をしても、幸福になる保証は

決してありません。逆に傷ついたり、深く悩み苦しみます。

人は誰かと出会い交わると不運にも、事あるごとに誤解を

重ねてしまい、進べき道に迷い、解決の手立てすら見失い、

最後には、自分の心に牢獄を築いてしまいます。しかしながら、


時間が流れても、いくつの季節が変わっても、優しい思い出が

あれば、いつでもあの時に戻れます。未練とか執着じゃありま

せん。かけがいのない大切な存在。今しか、出来ない事を

考え行動しましょう。そして大切な人を大切にしましょう。

貴方が毎回踏み出すその一歩に、どれだけの人が、どれだけの

想いで支えてくれたのかを、忘れてしまっては、分かりません。

だからこそ、必要なものを、足りないものを、そうだ、そのまま

に感じる事なのです。そして生きていることにもっと感動して、

素直で純粋に感謝を忘れずに、生きていきたいものです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。 P.S. I LOVE YOU.


願わくば、人間の単純さを笑い、人生の複雑さをも笑いま

しょう。


 

サービス業のジレンマ

塾という、もう斜陽産業に携わって10年以上、つくづく感じる

《サービス》を提供して利潤を追求する業種のあつれき。

豊かで人間らしい生活のためには、売り上げアップが必要です。

売り上げアップのためには、客であるカスタマーの増加が急務。

カスタマーの増加は、同時に仕事量の増加も意味します。毎日遅

くまで生徒に関わって、自分の時間を割いて準備を行い、簡単な

食事を摂って寝る、といった日常です。常識では、収入は増えて

も豊かな生活とは、縁遠い人生と言わざる得ません。貯金をして


老後のためにと、考えても、老後が来るかどうかも分かりま

せん。元気な人でも、余命がわかっている人も、年老いた人も

若い人でも、明日生きられるかどうかなんて分かりません。

今日を大切に、精力的に生き切る以外にありません。その上で

豊かに楽しく暮らすためには、《飯の種》の仕事だけに埋没

しないように、注意すべきなのでしょうか? 考えるに


そのジレンマの解決には、客あたりの単価を上げる必要が

ひとつ。 カスタマーが増えても、仕事量が増加しないような

システム作りがふたつ。最も重要な事柄は、仕事そのものに

《生きがい》や《自己実現》の達成感を実感できれば問題は

より軽くなるのでしょう。一般に、サービス業の頂点は


《医師業》でしょう。命を救う、と言った行為は、人間にとって

達成感の高い聖なる行動です。その行為は最高の称賛や高い報酬

を受け、しかも社会的地位も約束され、世間の景気の浮き沈み

にも影響を受けにくいとくれば、人生の絶頂感を味わうこと

が出来るでしょう。しかし、普通の仕事に従事しているならば


誰にもそのような《充足感》を味わうことは困難です。そこで

毎日少しでも、読書をするように気を配っています。

新しいことを勉強すれば、少しは将来を恐れることは少なく

なるかもと考えて、その時間を作ろうと留意しています。

何もしないで、じっとしていると、不安が不安を呼び込んで

怖くなってくるのです。だけど、このジレンマからはなかなか

逃れられない毎日なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


10分程のうたた寝の時に、何気に考えた事項でした。