意味

今朝は晴れた。特に何もすることがなければ、ここに来る。

朝日を浴びると本当に、気持ちが良い、気が晴れる、

ほんとに、気がまぎれる。風を聞き、光を見る。

天気の変化を、季節のうつろいなど

自然のありように感覚を研ぎ澄ますと、今日の予定とか

明日の何とかとか、すべてが消えてしまう、そういう状態に

入りやすい。見方を変えれば、世界が変わる。


新型コロナの影響で、いやおかげで、否が応にも、夜の仕事を

失って早起きになった。日がな一日、ほとんど何かしら遊んでい

る。経済活動だけに目を向ければ、役に立たない者やモノは、

存在しちゃいけない、って気になってしまう。ほんとに、自分

って中身が何にも無いと、つくづく思い知らされる。今、

ここに存在するのは、正解じゃないのか? いや、絶えず、

正解に近づいているはず、いや、近づいている、と思いたい。

誰もが似たようなはず・・・ 年をとると、人は、男は、

誠に、わびしい、あれこれ考えすぎる、ということです。


社会が大きく複雑になると、生活も大きく、複雑になっていく。

人間社会は面倒なことばかり。生きることは悩むこと。

自然に触れたり、映画を見たりして、流れに流されて、頭を真っ

白にして、日々を生き抜くヒントを発見しよう、としている。


相手に受け入れる余地がなければ何事も伝わらないし通じない。

生きている「世界」すべてに《意味》を見出す必要はないはず。

自然に生きて居ると、社会的に、いわば、強制されている

《意味》が、実は、自分の都合で、作っていることがよく解る。

社会が非常時だからと何だかんだと自分を、ごまかしている。

「世界はそういうものだ」てとこから始めないと・・・

《この状態が当たり前だ》から始めないと・・・

邪魔で迷惑なら周りが治してくれるはず・・・

それがダメだといって・・・・   最後に、


「バカの壁」の著者である、養老たけし氏は、自身の著書の中

で、

すべてのものに意味がある。大多数の人がそう思うのはしごく

当然のことである。なぜなら、意味のあるものしか周りに置かな

いからである。しかもそれを日がな一日見続けているのだからで

ある。すると、世界は意味のあるものだけで満たされてしまう。

それに慣れ切った人たちはやがて、意味のない存在を許さない、

といった暗黙の思いが生じてくる。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


急ぐべからず、怒りは敵と思え。どんな時にも、

社会正義をつらぬくべき、社会秩序を守りぬくべき。何事も、

一生懸命になり過ぎないこと。ほどほどに、中庸(ちゅうよう)

こそが、もっとも美しい。


道端に転がっている小さい石ころ、誰にも見られることのない

チョウチョやみつばちににも見向かれない、ほんに小さい花、

などなど、何の役にも立たない、一銭の値打ちもないもの。

毎朝目にするが、そこに《意味》など求める必要などない。

ときに、自分の存在と重ね合わせて、気が重くなるのです。


僕の最大の幸福は、今、恵まれた環境に身を置いていられること


 

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