ある昼下がり

三時のおやつの後、網戸からの涼風が心地よい。突如、「ブル

ブル、ブル」「ブルーン」と閑静な村に轟音(ごうおん)が

響き渡り同席していた誰もが、不快そうな顔つきで見つめ合う。


驚きとともに元凶を見届けたいとの興味から、一同表へ出る。

目の前の道を大型バイクが、こともなげに通り過ぎる。

田植え前の水を張った一面に対岸の山々、家々がさかさまに

写しだされて、視界が大きく倍に広がり想定外の万華鏡に

脳みそがちょっとしたずれを整えようと躍起になる。

速攻で、まばたきを連続させて視界を大きく変える。

家周りに雑草がうっそうと、はばを効かそうと攻めたてる。

変に気が効く義兄がしゃしゃり出る。「ちょっと、抜くね」

「頭使うのはやるから、身体使うのはまかすわ、」と小生は

中にひっこみ、扇風機に向かって「あーあー」とひまつぶし。

「偉そうに!!」と見下された。「カラスの勝手でしょう」と

返すと、ギョッとにらまれた。めげることなく、くだらない活動

を黙々と続ける。先祖とつながる、終わりのない現実が妙に心安

らぐ。突っ込みどころ満載の、ただの老いぼれと愛想つかされな

いように、手短かなところの片づけから手を付ける。「もう、帰

るよ」の待ちわびていた号令に「はいっ」と威勢よく、満を持し

て応じ、こらえきれずに席を立つ。これでも、そこそこ肩身が狭い


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


歴史を振り返っても、ここだけの話が、絶対、ここだけで済まさ

れないように、ムダ話しやムダなことが、決してムダのままで

は終わらない、のです。


 

童話

昨日、「幸せの王子」の童話が頭にもたげ、あらすじを

思い出しながら、書いていた手が思わず止まった。「えーと、

結末は? 」思い出せなかったので、何とかごまかして結んだ。


仮に、自分だったら、どんな形で終わらせるだろうと熟考(じゅ

っこう)したが、悲しい結末しか思い浮かばない。いっこうに、

物語が広がらず難儀した。しかたないので、《禁じ手》をあおぐ

ことにした。ググったのです。作家さんごめんなさい。時代なの

です。図書館に行くことも無く、本を手にせずとも、卑怯なやか

らだ! 続きはこうだ・・ツバメくんは寒い季節になっても、

温かい南の国に渡らず、王子の目と耳、手と足となるために、

心優しい王子のもとを離れなかった。でもそのため、凍え死ぬ。

なんとも可哀そう。しかもそれだけで終わらなかった。みすぼら

しい姿になってしまった王子の像ともども、ツバメくんが焼かれ

てしまうのです。でも、ふたつに割れた王子の鉛の心臓は焼き尽

くせなかった。その頃、神様の《最も美しいモノを持ってこい》

との指令のもと、天使が神のもとへ持ち帰ったのは、ツバメと

王子の心臓だった。神様は深く深く納得し、王子とツバメは天国

でいまでも、しあわせに暮らしています。子供にも分かりやすい

ハッピーエンドかな? 微妙・・・ でも、これで留飲が下がっ

た。


作家が、英国出身のオスカー・ワイルドだった。名前しか知らな

い。晩年は投獄されて、すべての財産を没収され、放浪の末に

若くして性病で没した、という。本人は「幸せの王子」どころじ

ゃなかったのか? 波乱万丈の人生だったようです。


この世に、ムダに死んでいい《命》なんてひとつもないはず。

確かに、人生とは誰にもいつも前途多難で、障害はあるものだ。

しかし人は、暗い階段であっても、光に向かって歩き続けないと

ね。ここで、オスカー・ワイルドの名言をひとつ。

「善人はこの世で多くの害をなす。彼らの最大の害は、人々を善

人と、悪人とに分けてしまうことだ」などがあります。

自分には絶対、考えつかない発想だな。凡人には天才が理解不能


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


毎週土曜日の午後は、義父の7日ごとの法要の日です。

子供たちが集まって、お経を読み、だんご食べて、おしゃべり。

あらゆる意味で、姉妹たちが、父親似であることが判明。

何事も、冗談交じりに本音を言い合う。


 

つばめ

ヒューとつばめが頭上を横切り、我が家の二階のベランダに

入っていった。数日ぶりに、朝の日差しがまぶしい光景だ。

我が家には、ツバメの巣が一か所にとどまらず、数か所に及ぶ。


視線をさらに広げると商業ビルの中の一角にも止まっている。

フン被害の苦情がないことを祈る。むかしから、ツバメは

神さまがつかわした、幸福の使者だと聞く。


こどもの頃の童話を思い出す。「幸せの王子」だったかな。

ある街の高台に、華美な王子の像があり、街の困った人たちの

出来事に涙を流す、となりで聞いていた友人のツバメが

手となり足となり、王子の目の宝石や身体をおおった金箔

などを、貧困にあえぐ人々に届ける役目をになう。優し過ぎる

王子は行き過ぎた献身の結果、美しい像は、見るも無残な

貧相なまでに・・・ 現在のコロナ禍で長わずらいしている

深刻な資金ぐりの経営者と国の支援の遅れがちな対応とが

重なって、世をはかなむ。何もかもがままならない。

どっかに、《金のなる木》はないかなあ・・・

金か、命か? どっちか選べと言われたら、究極の選択・・・

性格の悪い美人か、性格の良いブスか? うんこ味のカレーか、

カレー味のうんこ? 判断能力は別の大切な何かに使おう!

タモリさんが言っていた言葉が、我が家で大いに受けた。

「のぞみ(望み)はありませんが、ひかり(光)はあります。」

新幹線の乗車口で聞いたとか・・・

たとえ、生きる《希望》はなくても、神様や仏さまのしめす先に

は《光》がある、と。そこに向かって、たゆまず、続けろ。

オプティミスト(楽観主義者)の自分は、《解決しない問題

はない》と信じている。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


六月になると、梅雨に突入するらしい。世の中がどのように

移ろうとも、摂理のままに移り変わる気候。じめじめした不快に

耐えきれず。最近、我が家のブームは、ドライブスルーでキャッ

シュレス。注文はマクドのソフトツイスト、きっかり100円で

いたって経済的。あと期間限定の変わりダネ、マックシェイク。

ついでに何気に買ったら、アタリだった。一度、お試しあれ!!


そういや、JRに「つばめ」っていう列車があったな。まだあ

る?


 

私の命(第3部)

康平は気をしっかり持ち直して言葉に力を込めてこう聞きまし

た。「柴崎さん、ちょっと古い話だけど」「小学校1,2年生の

時***小学校じゃなかった?」

「うん、もう昔の事なので、よくは覚えてないけど、たぶんそう

やと思う。」「杉村君の事も少しは覚えているよ」「同じクラス

だったよね」「お父さんが転勤で東京に行ったの。でもまた中学

校の時こっちに戻って来て、今年の春からこの家に住んでいる」

「ふーん」康平はやっぱりあの子だったのかと分かって嬉しかっ

た。あの時の気持ちを話すべきかどうか考えたが、その時は切り

出せませんでした。

「私、英語はさ、小学生の時からずっと習っていたのよ、だから

、得意だけど、数学は昔から好きじゃないの、だから、不

得意でさ。本当は***市の****高校に行きたかったのよ。

でも数学がさ、どうしても成績伸びなくて今の高校に、入ったの

よ」

少し東京の言葉が入って話す彼女が康平には「さすが都会育ち」

って思っていました。しかし小学校の頃に想い抱いていた、憧れ

のイメージと現在の靖子のイメージにかなりギャップを感じ「去

る者は日々に疎とし。」なんだという想いを強くした康平でした

懐かしさと好感を持つ者同士だったので、親近感を持ち始め、そ

の後も二人の会話は続きました。


「私高校生にもなって自転車乗れないの。一度も乗ったことない

の。」「小学4年生の頃病気で入院して、それから外でほとんど

遊んだことないの。だから運動もとっても苦手」

「それからコーラもコーヒーも飲んだことないの。」「なんで」

「お医者さんに止められているの」

「ふーん。そうなのだ。」康平は掛ける言葉が見つからず靖子を

見て、うなずくしかできませんでした。「お金があって裕福でも

みんないろいろ辛い事もあるものだな。」と康平は思いました。

靖子の事がうらやましいよりは、むしろなんだか可哀想になって

きました。そんなことを思いながら康平がぼんやりと窓の外を眺

めていると靖子が言いました。

「そろそろ、勉強する?」「うん。」

「数学教えてあげるよ」康平が答えました。

靖子がカバンから教科書とノートを取り出しました。康平は間違

っている箇所を見て靖子に丁寧に説明し始めました。

「えーと、ここは」と康平は靖子の顔の近くまで自分の顔を無意

識に近づけていました。靖子の髪の毛からシャンプーの良い匂い

がプーンとして来ました。その時に康平は少し恥ずかしくなりま

した。そして靖子の顔から意識的に少し距離をとり説明すること

にしました。靖子が「え」、「分かりにくい」と聴き直す事が

多くなり、その後はただ教えることに専念することにしました。

しかし、ときたま、彼女と視線が合い、お互いが思わず、顔を

赤くさせ意識的に視線を落とし、そらします。「はずう♡」

その結果、靖子の近くで彼女をより近くに感じることが出来て康

平は普段感じたことの無い幸福感をその時すごく感じることがで

きました。何とけなげで、綺麗な真っすぐな目をしているんだ。

その日はお互い得意の勉強を教え合い2時間程で別れました。

帰り道、康平は嬉しさのあまり鼻歌を歌いながら、靖子の事を真

剣に考えながら自然と顔がほころび自転車を走らせていました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


アーカイブに、様々なかつての記録を見つけ読み返して

みると、われながら、あきれるほど、こんなにも多く

奇怪なはなし、書いてたものだと感心した。


 

私の命(第2部)

昼食の時間になり、各自弁当を広げて食べ始めました。康平は家

が裕福ではないため、おかずの品数も少なく見た目にも豪華では

ありませんでした。一方靖子の弁当は裕福で母親も几帳面なの

か、カラフルで豪華で遠足の時のようなよそゆきの弁当でした。

康平が、がつがつとむさぼるように食べていると靖子が話しかけ

てきました。「杉村君」「これ食べて」「私あんまり好きじゃな

いから」とあらかじめ弁当箱の蓋によそおっておいた、おかずを

康平に寄せて、お箸で採ってと促してきました。「ありがとう」

と、康平はお箸で取り上げて自分の弁当箱に収めました。お母さ

んの手作りなのか、初めて食べる肉料理でとっても美味しかった

のでした。「美味し!」「お母さん、料理上手!」と反応すると

靖子は嬉しそうに笑っていました。


午後からの授業も終わり帰宅時間になりました。

靖子が話しかけてきました。

「杉村君、自転車?」、「うん、自転車」、「もう帰る?」、

「うん」、「どこ?」、「***」、「はーん」康平がカバンを

抱えて「さようなら」と声をかけ、教室を出て行きました。康平

はトイレに立ち寄り駐輪場を出て、自転車を手で押して裏門まで

出ていると、後ろから声がしました。「杉村君!」後ろを振り返

ると靖子が手を振ってきました。

「ちょっと、待って」靖子は近づくと「一緒に帰ろう!」、「ど

こ?」「**、すぐ近く」

康平は彼女の徒歩の速度に合わせて自転車に乗り、彼女の後を付

いて行きました。

10分程して彼女の家の近くになると「杉村君、家に寄って帰っ

て。数学教えて、代わりに英語教えるから」と振り返り真剣な眼

差しを向けてきました。康平は素直に嬉しかったのでした。そし

て、靖子が小学校当時の初恋相手かどうかを、確かめたかったの

でした。そのため彼女にかなり興味があったので「かまへんの、

本当に」「うん、ぜひ、寄っていって。」「うん、わかった、

じゃ、一緒に勉強しよか」康平は靖子の家に立ち寄ることにしま

した。


二人は靖子の家に着きました。「この家が私の家」

彼女の家は康平の家より若干小さめではありましたが、門構えの

しっかりとした、庭も大きな手入れの行き届いた、まだ建てたば

かりなのか、新しい綺麗な家でした。

「絶対金持ちなんや、ええな。」と康平は思いました。彼にとっ

ては門がある家も初めてなら、ドアノブでドアを開けて家の中に

入ることも初めての体験だったのでした。

女の子はカバンから鍵を取り出して、ドアを開けて康平を招き入

れました。康平には鍵で開けて、自分の家に入るという行為は、

何か奇妙に感じました。

何か異国に来たようで、異質な何かを感じましたが全然不快では

ありませんでした。

家の中は綺麗に明るく装飾され、見慣れない物や花がいっぱいあ

りました。靖子の部屋に通されました。

部屋の中は窓から春の陽光が射して明るかったのでした。しかし

、彼女は部屋の明かりを点けました。

「目が悪くなるから、必ず部屋の明かりは点けるの。変かな?」

「そんなことないよ」部屋には小さな勉強机がふたつ並んでいま

した。

「私小学生の頃、病気で長い間入院していたの」「たぶんその病

気が原因で、私、身長伸びなくて、小学校からの机今でも使って

いるの。隣はお兄ちゃんの昔の机」「杉村君こっちに座って」

「うん」康平は靖子の兄の椅子に腰掛けました。

康平は女の子の部屋の中に入るのは初めてなのでした。何か気恥

ずかしい気持ちがありましたが、その一方で、靖子が初恋相手で

間違いないであろうと分かっていましたから、なおさら靖子にす

ごく興味がありました。

「どのような生活をしているのだろう」、「いったいどんな女の

子なのだろう」と康平は椅子に座って考えながら、窓からの春の

夕焼けの日差しがまぶしくて部屋の中をきょろきょろと見回して

いました。

しばらくして、靖子が普段着に着替え直して椅子に座りました。

「杉村君、何か飲む」「うん、ありがとう、何でもええよ。」

「うん分かった、ジュース持ってくるね。」と言って靖子は、お

盆にオレンジジュースが入ったコップをふたつ持って、戻って来

ました。

「ありがとう」と康平は応えました。ひとつ取り上げて、一口、

ジュースを飲むと康平は気分が落ち着きました。そして康平は意

を決しました。靖子に聴きたいことを聞こうと決めました。

康平は机の上にコップを置き、靖子のほうを向き返しました。今

度は康平が真剣な眼差しで靖子を見ました。

「柴崎さん、ちょっとかまん」「何?」


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


数年前であろう、改めて読み返して、

極めてふつう、ありきたり、つまらん、退屈。


 

私の命

最近、気が付いたこと。大切な事は戦い続けることなのだ。と

そこで、とりあえず、パソコン整理しようと、修理に出す前に、パソコンのアーカイブに残っていた、データ見返して見つけた。

プロローグだけ載せますね。よかったら読んでみて・・・


その年の春は冬の寒さが長引き、桜の開花も例年に比べると遅く

4月になってもまだ肌寒い冷たい風がたまに吹く季節でした。

その春、柴崎靖子は晴れて高校生になりました。

そこの高校は地元では文武両道で有名な進学校でした。ですから

近隣の町からも多数の新入生が入学してきました。


そして、この春に新しくあつらえた、黒に近い紺色の制服を羽織

ると、色白の丸い顔の彼女には非常によく似合ったのでした。し

かも、その姿は清楚で凛とした風情を漂わせており、けがれた所

は一切感じさせませんでした。時折、勝気そうに、ツンツンとし

て切れ長の目をした顔つきで、少し腰を振って髪の毛をふわふわ

と、漂わせながら歩く姿はすごく魅力的でした。

その小さくて可愛い女の子は、しかし当時、裕福な家庭の女の子

にありがちな、少し栄養過多で運動不足であろう、白い太い足の

少し肥えたぽっちゃり型の女の子でした。そして几帳面な性格で

両親の躾がしっかりしていたのでしょう。脱いだ靴をきちんと揃

えて玄関の左の靴箱に収めました。

彼も靴を脱ぎ、彼女の勧めたスリッパに履き替え、彼女の後を付

いて家の中を歩きました。彼女は自分専用の名前の書かれたカラ

フルなスリッパに履き替え、自分の部屋に進み小走りで歩きだし

ました。それと同時に振り返り、彼を見上げ微笑みながら「こっ

ち、こっち」と手招きして、小洒落た部屋の扉を開けて彼を通し

ました。

初めて女性の友人の家にやって来て、戸惑いつつも彼の心は少し

わくわく踊っていました。

部屋の明かりが点くと、部屋の左脇に小さい勉強机がふたつ並び

彼女は左側に座り、彼は残った右側に席をとりました。

机の前には小さな窓があり、庭先の背の低い松の枝が彼の気持ち

と連動して風に揺れていました。

彼女は「ちょっと、待って」と言うと、カバンを置いて部屋を出

て行きました。

数分後に彼女は戻って来ました。制服からラフな部屋着と思われ

る緩めのジーンズを履き、少し肌寒いのか薄手のカーディガンを

上半身にまとっていました。

「家に帰ったら制服脱がないと、直ぐしわになるの」、

「女の子は大変だね」

一章

大都市から遠く離れたその村は郵便局すら無く、幹線主要国道が

一本通っていただけでした。そこでは色とりどりなネオンが輝く

わけでもなく、華やかさとは全く無縁な場所でした。ただ陽光と

雨露だけが、贅沢さの象徴とされる田園の広がる小さな田舎村で

した。

そんな場所には似つかわしい貧しい杉村家の次男坊として康平は

生を受けました。同級生の中では最も歳が若いため、小さくて背

丈が低いのでした。

彼は中学生になっても成長期がやって来ず、身体が仕上がらず、

小さくて力も弱かったのでした。その上に顔の表情もまだ子供の

ような顔つきのままでありました。しかしそこがまた高校生にし

ては可愛らしかったのでした。

しかも、身体の大きさが中学生時代からそれほど成長していなか

ったため、中学当時の制服を高校のボタンに付け替えたまま、着

続けていました。制服がそのままで3年間使い続けたため、生地

が少し傷みかけており通常より薄くなっていました。

しかし、活発で動くことが大好きなため、いつもお腹を空かして

いました。

その日は、入学式から初めての登校日にあたり、同じクラスの同

級生との初めての顔合わせでした。

その日は春にも関わらず朝からすごく寒くて、風が吹いていまし

た。

康平は白いワイシャツ一枚に薄手の上着をまとっただけで、見た

目にも寒そうでした。時々くしゃみが出ました。「ハクション」

他の生徒たちは、学校指定の紺色のコートをまとって寒さをしの

いでいました。

初めての登校日なので時間の都合がよくわからないため、康平は

余裕をみて定刻の30分前に自転車で家を出ました。最も近道と

思われる道を父親に買ってもらった腕時計を見ながら走り、10

分程前には学校に到着しました。一人で教室を探し出し教室に入

りました。自分達のクラスだけが、なぜか他のクラスの教室とは

別棟の教室でした。

教室に入ると、中学校当時の知り合いが多く少し安心しました。

指示された席について少しの後、左隣の席の女の子がやって来ま

した。女の子は彼女のほっぺと同じ色をした赤くて真新しいマフ

ラーを掛け、品のよさそうな、憧れのお金持ちの生活をしてなさ

るような質の良いコートを羽織っていました。

その子はコートとマフラーを脱ぐと買ったばかりなのか、くっ付

いたごみをこまめに取り除き、丁寧に折りたたんで大きな持参し

た紙袋に入れて机の横のフックに掛けました。

「おはよう」と少し鼻にかかった声で女の子は、康平を見て声を

掛けました。康平も「おはよう」と彼女を見て恥ずかしそうに答

えました。

康平には、中学校時代より密かに思いを寄せていた別の女の子が

いました。しかしその女の子とは一度も話したこともなく、ただ

眺めているだけで幸せを感じていました。見かけるだけでいつも

ドキドキしていました。そしてその子も同じ高校に入学していま

した。

康平は隣の女の子を一瞬見た時「あれ」と思いました。中学校時

代は見かけたことはなかったから、他の中学校からであることは

察しがつきましたが、どこかで見かけたことのある顔つきだった

のでした。でも思いだせませんでした。

チャイムが鳴り終わり少し後、担任が入ってきました。担任は男

性で背丈が高く180cm程ありましたが、威圧感が無く優しそ

うな顔つきをしており、康平はほっとしました。

担任の挨拶が終わり、今度は生徒一人ひとりが出席番号順に自己

紹介していきました。「杉村康平です。」隣の女の子はこちらを

見てにっこりと微笑みました。

男子の自己紹介が終わり女子に移りました。康平は一人ひとりの

名前と顔をしっかり確認していきました。康平は人を覚えるのが

得意で、一度名前を聞くとほとんど忘れることはなかったのでし

た。

隣の女の子が「柴崎靖子です。」

康平は聞き覚えのある名前でした。その名前は小学校当時康平が

密かに思いを寄せていた女の子の名前でした。康平は靖子をよく

見ましたが、当時の面影が感じられませんでした。当時の彼女は

髪の毛が少し天然パーマで癖のある髪質でした。しかし現在の彼

女は髪質の太い黒髪の直毛で肩近くまで伸びていました。「まっ

たくの別人なのかな」とも思いましたが、同い年でしかも同姓同

名でした。隣の女の子がいつもちらちらと康平を見るのを康平は

気が付いていました。隣の女の子も康平に見覚えがあるようでし

た。「きっとあの子に間違いないだろう。」と康平は確証が持て

ないままその時は自分に納得させました。

彼女のことが気にはなっていましたが、話しかけるきっかけをつ

かめず下校時間になりました。その日は係や委員を決めてすんな

りと帰宅しました。

「さようなら」康平は靖子に声掛けしました。

「あ、さようなら」靖子が康平を見て軽く会釈しました。康平も

学生帽を取り軽く会釈しました。

二章

次の日から本格的に授業が始まりました。数学が最初の授業でし

た。康平は数学が好きだったので教科書を配布された時から自分

ひとりですでに30ページほど予習をして、問題を何度も自分で

解いて理解してマスターしていました。ですから余裕で授業を受

けることが出来ていました。

先生の説明が終わり練習問題を各自で解かされました。康平は朝

飯前とすらすらと鉛筆を走らせます。靖子は数学が不得意なの

か、なかなか鉛筆が進みません。何度も書いては消しゴムで消す

という作業を繰り返していました。靖子は康平の進み具合を横目

でちらちら見ていました。答え合わせになり靖子は先生に当てら

れるのを恐れてちょっと不安そうにきょろきょろ辺りを伺いなが

ら赤鉛筆で丁寧に修正していました。そして康平の全問正解のノ

ートをのぞき込みため息をつきました。「あー!あー!」

「いっぱい間違えた!」「杉村君、かしこー」。康平は少しはに

かんで靖子に微笑み掛けました。

次の授業は英語でした。先生が康平の前に来て康平に英語で質問

しました。唐突に英語で質問を受けて康平は戸惑い答えることは

できませんでした。その後靖子が質問を受けました。彼女はてき

ぱきと英語で答えていました。靖子は康平を見て得意そうに微笑

みました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


全61ページのまだ、完結できてない未完のはなし。

少し自叙伝的小説です。毎回すこしずつ載せていきます。


 

再生

5時過ぎに、スッキリ感でお目覚め。外の空気が美味しい。

ここ数日、何かに追い詰められているような精神状態で、

心が気分がどんよりして、何かがもたげている感覚に襲われて

スッキリしないでふさぎ込んでいた。なぜか、力が出ない。


「あなた、戦闘能力は一万にも満たないんじゃないですか。」

「あなた、もう消えておしまいなさい。」「助けてください、

フリーザさま・・・」「頼む、ごくうーー」「悪い、

ちょっくら、遅れちまったようだな!」「せんず、食べな」

もぐもぐもぐ。「ふ、生き返った!!もう、死ぬかと思ったぜ」

「まいったな、いつも、ギリギリだな」「あんがとな、助かった


ぜ!!」 まさにそんなところかな。昨晩、久方ぶりに贅沢な

食事がとれた。家焼肉とビール。健康に欠かせない生活とは?

適度な運動、美味しくて栄養価の高い食事と良質の睡眠。やはり

これに尽きる。昨日、日中、リハビリ所で軽い運動。牛肉をニン

ニクいっぱいで腹いっぱいパクつく。至福のひととき。あと入浴

《健全な精神は、健全な肉体にやどる。》は真実だなあ。


突如、チャイムが鳴った。まだ朝の7時過ぎだ、誰だ、何用だ?

近所の《いかずごけ》だった。とりとめもない話し、なにも、

今じゃなくても・・・ とは言っても、ひととは勝手なもの、

自由気ままなものだ。ほんと迷惑だ。でも、正面切って、文句も

言えない。人とは穏やかに接しないとね。人生で学んだしきたり

だからな・・・ 気を取り直そう、再度、思考を巡らせ直そう


ネット情報によれば、本日は、寅(とら)の日プラス新月。

ダブル開運日。パワフルな日、だそうで何かを始めるには

最良の日。《金運アップ》、って言葉に惹かれた・・・


今、朝ドラが急転直下の展開。僕自身も何かを感じる・・・

そろそろ時節到来? と言っても、ことはそんなに単純じゃない

んだよな。何より、なんだか何も手につかなくて・・・

受け身の生活でブラブラ・・・ どうかしてるぜ、俺。

理念と正義感を尊ぶ自分としたら、やるせない、切ないもんだ。

そろそろ、区切りつけるとき。もう、不良で取り乱すのも限界ね

もうそろそろ、したくの鐘を鳴らさないと・・・


世の中がどんなに進化しても、答えはきっとシンプルで単純だ。

人の行動はいつまで経っても、起きて、食べて、うんこして寝る

を繰り返しているのだ。あくまで、シンプルなことを情熱的に

やる。それは単純な法則なのだ。正攻法が一番。再生、いや

再再生かな? と、言っても、何か路線変更が必要かな?

とにかく、これまでの自分の色の糸を織(お)ろう。時に

他人の色の糸も織り込んでと。そうすれば、誰かの役に立つ

タペストリー(装飾用織物)が織りあがる。


片田舎生まれ、どろんこ育ちの、テレビっ子。特別な何かを持た

ない。誠に残念なことに、これから先の人生は、送った人生より

短いような気が。気になった時が初め時。駒さえそろえば、

詰め手順も見えてくるはず。何だか、外で風の音が聞こえてくる

人生の変わり目にはおそらく風が起こると聞く。一陣の風。

コロナになんか押しつぶされてたまるか!!

人は変わっていくようで変わっていない。変わってないようで

変わっていく。再生を繰り返している。でも情報不足は否めない

学んで動く。すると、点と点がつながって線になる。より深い

理解につながる。そうこうしていると、脳みそが一気に活性化

してくるはず。きっと何かが変わって良くなる。

イッツ、ゲッティング、ベター、オール ザ タアーアイマイ

ベター、ベター、べーター。Getting better,

♪ Getting  so much better all the time  ♪ なのだ、きっと。

音楽って、テンションが上がる。背中を押してくれる。


美味しい食事と豊かな自然。ゆったりと静かに流れる時間の中、

朝日のよく当たる我が家と子供の頃過ごしたふるさとの思い出が

うまく調和する。ここ西条は、四国の連邦、そびらに置いて、

瀬戸内の海に向かって位置する城下街。

そろそろ季節が春から夏へと本格的に巡って行く。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


人生が終わってしまう前に、理想を追い過ぎず、適度に、現実的

なところで折り合いをつけて、っと。でも、ひと言で言うと、

よく、わかんねえ・・・ 《再生》もそんなに甘くないからねえ


 

意味

今朝は晴れた。特に何もすることがなければ、ここに来る。

朝日を浴びると本当に、気持ちが良い、気が晴れる、

ほんとに、気がまぎれる。風を聞き、光を見る。

天気の変化を、季節のうつろいなど

自然のありように感覚を研ぎ澄ますと、今日の予定とか

明日の何とかとか、すべてが消えてしまう、そういう状態に

入りやすい。見方を変えれば、世界が変わる。


新型コロナの影響で、いやおかげで、否が応にも、夜の仕事を

失って早起きになった。日がな一日、ほとんど何かしら遊んでい

る。経済活動だけに目を向ければ、役に立たない者やモノは、

存在しちゃいけない、って気になってしまう。ほんとに、自分

って中身が何にも無いと、つくづく思い知らされる。今、

ここに存在するのは、正解じゃないのか? いや、絶えず、

正解に近づいているはず、いや、近づいている、と思いたい。

誰もが似たようなはず・・・ 年をとると、人は、男は、

誠に、わびしい、あれこれ考えすぎる、ということです。


社会が大きく複雑になると、生活も大きく、複雑になっていく。

人間社会は面倒なことばかり。生きることは悩むこと。

自然に触れたり、映画を見たりして、流れに流されて、頭を真っ

白にして、日々を生き抜くヒントを発見しよう、としている。


相手に受け入れる余地がなければ何事も伝わらないし通じない。

生きている「世界」すべてに《意味》を見出す必要はないはず。

自然に生きて居ると、社会的に、いわば、強制されている

《意味》が、実は、自分の都合で、作っていることがよく解る。

社会が非常時だからと何だかんだと自分を、ごまかしている。

「世界はそういうものだ」てとこから始めないと・・・

《この状態が当たり前だ》から始めないと・・・

邪魔で迷惑なら周りが治してくれるはず・・・

それがダメだといって・・・・   最後に、


「バカの壁」の著者である、養老たけし氏は、自身の著書の中

で、

すべてのものに意味がある。大多数の人がそう思うのはしごく

当然のことである。なぜなら、意味のあるものしか周りに置かな

いからである。しかもそれを日がな一日見続けているのだからで

ある。すると、世界は意味のあるものだけで満たされてしまう。

それに慣れ切った人たちはやがて、意味のない存在を許さない、

といった暗黙の思いが生じてくる。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


急ぐべからず、怒りは敵と思え。どんな時にも、

社会正義をつらぬくべき、社会秩序を守りぬくべき。何事も、

一生懸命になり過ぎないこと。ほどほどに、中庸(ちゅうよう)

こそが、もっとも美しい。


道端に転がっている小さい石ころ、誰にも見られることのない

チョウチョやみつばちににも見向かれない、ほんに小さい花、

などなど、何の役にも立たない、一銭の値打ちもないもの。

毎朝目にするが、そこに《意味》など求める必要などない。

ときに、自分の存在と重ね合わせて、気が重くなるのです。


僕の最大の幸福は、今、恵まれた環境に身を置いていられること


 

日常

毎朝、東の空に顔を向けて、まだ柔らかい日差しを身体全体に

浴びて、太古の昔にタイムスリップしたかの感覚にとらわれる。

それは、日がな半日、ただ自然の中に身を委ね、自分も自然の

1部になったように陽だまりに揺られて過ごしているのである。

朝の8時じゃ、人目があるし、世間はうるさいし、社会には

ルールがある。どこかへ朝食に行くには、我が家の家計を燃やし

ているだけのこの身にとっては、ちょっと気が引けるし、日差し

の清々しさが好きだから、晴れ渡った朝空の下、今朝も懲りずに

うろうろ、ウロウロと玄関辺りをうろついています。


今後の自分にどのように反映していくのか、様々な日常の断片。

もっとマクロに視界を広げるべきだろうが、所詮、文明の仮面を

はがせば、我々はただのケダモノ。社会人としてクズかな?

良いか悪いかは抜きにして突っ走るのもいいかと。今日も完璧な

朝の風景。人生の喜び、小鳥たちのさえずり、整然としたつばめ

の一群。高く低くリズミカルに響く車両の通過音。 日中は、


毎日、テレビやユーチューブを見たり、ラジオを聞いたりすると

おびただしい情報のたれ流しにも関わらず、視覚、聴覚の両輪で

脳みそが刺激され、屁(へ)の突っ張りにもならないような取る

に足らない無駄な知識が不思議と記憶に残る。


世界最高峰のエベレストの頂上は二畳ほどの広さしかありません

その地を目前に冒険家の植村直己さんは先輩に「先に行ってくだ

さい」と先頭を譲ろうとしました。最後は、「一緒に行こう」と

並んで頂上に立ちました。酸素が薄い標高8848メートルの

極限状態でも互いに思いやる気持ちに心を打たれます。50年前

ふたりは日本人初のエベレスト登頂に成功しました。


「春雨」は《はるさめ》と読みます。「秋雨」は《あきさめ》と

読みます。「夏雨」は《かう》と読みます。音読みの方が雨脚が

太く豪快な感じがするからと。「時に夏雨、城を攻めるを得ず」

突然の豪雨が城攻めを中断させた様子を伝えています。「冬雨」

は《とうう》と読みます。


部屋の片隅にひとりの男が座っています。どこかうつろ気。最初

は見過ごせても、なぜか気になる。最近の我が家、パソコン、

テレビ、食物、人間の排泄。手触りとして記憶されていくひと

夏の風景。くつろいで、お茶でも飲みながら、静かにブログを

楽しんでます。人間はモラルを捨てれば、稼ぐ方法はいくらでも

ある、ことに、美人はと言います。おそらく、答えは無意識の

中に潜んでいます。勝手に身体が動くままに。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


今はまだ、腹の出た、ただのしがない中年男。《かわいそう》

でも、歴史を見ても、人生最悪の負け戦から天下をとった人

もいてます。兵力、知力とも当時、戦国最強軍団、大将、

武田信玄との三方ヶ原において、命からがら、這(ほ)う這うの

体で逃げ帰った徳川家康、その人です。今はただ自然の成り行き

のままに・・・


 

母の日

本日、花屋さんを通りかかって、たまたま知ったことが

あります。今年「母の日」は「母の月」へ。こんな

ポスターが貼り出されていました。カーネーションなど

花のプレゼントを分散化するため、業界団体が五月を

まるまるお母さんに感謝する月に、しようと呼びかけたもの

です。むろん、コロナ対策でしょう。店の混雑や配送業の負荷を

和らげるためでしょう。小生にも高齢の母がひとりいます。


《花よりダンゴ》の母は「食べれるもんがええ」と花屋には

目もくれず、スーパーの食品売り場へと一直線。値札に目が

当たるほどに近づけ、時にため息をついたり、「これ、安ー」

と微笑み、ひとつひとつ買い物かごに嬉しそうに入れていく

、食べられる許容範囲をはるかに超えているにも関わらず

今もって、貧乏性が抜けきらない。「ほんとに、食べる?」

表情を変え、返答に困窮しながら「もう、ええ」と足を止める。

「お金持って来た?」「忘れた」手を引き連れ返す。今日は

何年ぶりかのダラダラと貧乏人の《暇つぶし》は終了しました。

帰りに「今日は何? 」と何ひとつ知らない、でも子供たちは

しっかり覚えているものです。まさに今、学齢期の子を持つお母

さんたちは大変です。勉強や運動不足の心配をしたり、朝昼晩と

食事を用意したり、食品売り場でケーキの粉や乳製品が品薄に

なっているそうです。家族だけで居る時間が長くなり、おやつの

共作にも手取り足取りで、奮闘するらしい。今ここで、「苺

(いちご)」の漢字を思い出します。「くさかんむり」に

「母」と書いて「イチゴ」と読みます。新聞の歌壇に

こんな歌がありました。《へたをとり 苺に牛乳をかけるとき 

ひとつひとつが 母として 浮かぶ》まだ学校の再開されない

地域は多い。せっかくなので、お母さんへの感謝の思い出が

たくさん残る「母の月」になるといいな・・・ 願わずには。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


母親の悲しい性(さが)として、どんな子供を見ても

我が子と比べてしまうそうです。そして、決まって、ひと言

「やっぱり、うちの子が・・・」しかし、元来、自己アピール

の乏しい小生の昭和ひとけたの母は「あそこの***

君は、・・・」と今に至っても、我が子のことは後回し。

そんな背中を見て育った私は、どんな風に育ったのでしょうか?


数日前に義父が天国に還っていきました。そんな悲しみの中、

義母に付き合ってくれている妻、千恵子に感謝いっぱいです。

拝。