フェイスブックの誕生日お祝いメッセージに疑問?

「フェイスブックの誕生日のお祝いメッセージの自動通知」

って要(い)らなくない?

SNSの代表で、最も利用者の多いであろうアプリ

のひとつにフェイスブックがあります。

僕自身もよく利用します。一日に数回は開きます。

様々な機能があってとても便利です。

気になる友人の近々の動向を調べるには、格好のツールです。

それは、人間の承認欲求や自己顕示欲求、共感したい欲求。

それと、

人に好かれたい、仲間と一緒にいたい、自分の話を聞いてもらいたい、共感されたい、 などの

欲求を満たしてくれるのです。

そのため投稿件数が想像以上に多い。


またそのフェイスブックの機能のひとつに、

友達登録者の

誕生日の告知があります。

そしておせっかいにも

「誕生日にお祝いメッセージをしましょう」

ってお知らせしてくれます。

絶対送らなければいけないのかな?

といった疑問以前に、

絶対本日中に、送らねばと言う

「脅迫観念」に駆(か)られます。


《その人にとっての友人として、

自分の重要度のメジャー(ものさし)になっているから?》なのでしょう。

そのメッセージの「優秀さ」でもって友人に、

自分がどれくらい、

どれほど大切に思われているのか?

を知ること、

知らせることが出来るのでしょう。

そして「他の人と比較してしまうのです」

それで一喜一憂するのです。

《バカみたい》


最近ではメッセージを忘れて、送り損なってる時には、

親切にも《ほんとにおせっかい》、

「遅ればせながら「*+*」様に誕生日メッセージを送りましょう」

と通知が送られてきます。《正直うっとうしい》

《実際本日通知がきました。》

《面倒くさい》《無理して書く内容が無い。》

結果送らなかったのです。

仮に友人登録が100人《僕はたったの50人弱ほどかな》居たとすれば、3日に一回はメッセージを送る必要になります。

《ほんと、いたって面倒じゃないですか?》


しかも厄介なことに、登録友人には当然、

「親交の深さ」が異なっています。

全員が同じレベルの親密度ではないはずです。

そこには重要度に「隔(へだ)たり」が存在するでしょう。

《こいつは大事な友人だが、あいつは別にどうでもいいかなって》

《だったら無理して友人にならなくても?》

《彼には送ってないと絶対まずいよな。

でも彼女は許してくれるやろ》とっかて、

好むと好まないとに関わらず、

自然と格差が生(しょう)じてくるはずでしょう。

そしていざ送る時、どんな内容書こうかなって正直悩みます。

ありきたり過ぎるのもどうかな?

《実際はどうでも良いのでしょうが》

あの人と同じでもいいかな? 少し変えようか?

《去年と同じじゃないか》と思われるのも嫌だな。

語彙力(ごいりょく)貧困だな。

馬鹿じゃないの。なんて思われたくないでしょう。


みんなどのような事送っているのかな?

実際に最近の様々の人達のメッセージを読んで気づいたこと。

「ふむふむ」、「うんうん」、「え」、

「こんなので良いの?」、

「まるで年賀あいさつみたい」

ほぼどれも違いが分からない。

誰もが見えてる場所で、

特定の友人にだけ、

格差付けたメッセージなんか、

送れる訳ないですもんね。

だからどれもほとんど同じ内容になりますよね。きっと

って言うか、誕生日メッセージに、

そんなにバリエーションって無いでしょう。

みんなも、もう分かっているから、

受け取る側もそれほど期待してないですよね。たぶん

《文章考えるの面倒な人》用に様々な画像が存在します。

でもたぶん皆さん、その内容にはほとんど

興味持って無いでしょう。

ほとんど他人が作った画像だから。

その人のため、だけじゃ無いから。相違無いのです。

おそらく文章も流して読んでるのでしょう。

《絶対、内容などひとりひとり覚えてないでしょう》


そこで、結論、フェイスブックで誕生日メッセージ

だったら無理に送らなくても良いのじゃないの。

って思っているのは、

僕だけではないでしょう。

実際僕は今年のある時期から、誰にも送っていません。

相手にどう思われても良いから、やっていません。

この場を借りて伝えておきます。

僕は「SNSで誕生日メッセージは送りません。」ので悪(あ)しからず。だから僕にも送らないで結構です。


しかしきっと、それは大きく違うと、

強く反論する人居るでしょうね?

「お前は間違っている。思い違いをしている。」って。

きっとこう言うのでしょう。

「メッセージは内容では無くて、

送ることに意味があって、

そこが重要なのです」とかなんとか。

まるで「参加することに意義がある」

という《例の文言》みたいなこと。


しかし伝えたい意味合いには大差はなくとも、

人それぞれ表現方法や

考える言葉は違うはずです。

そしてそれがその人だけが持つ個性(オリジナリティー)のはずです。

すなわちその人の《良さ、長所》みたいなものじゃないかなと、僕は思ったりするのですが。

だから結果的には、

メッセージの内容もその表現も多岐(たき)にわたってるはずです。

しかし現実はそうではない。

SNSの弱点が露呈(ろてい)する格好になっている。

《たしかに伝えたい時に、

ピッタリに伝えられます》と言う長所もある。

郵便では多少の誤差が生じる不安がある。

すなわち投稿スピードは速いが、一方では賞味期限が短すぎる。

《フェイスブックは1日か2日くらい》

《ブログは長くて約一週間てところ》

また要約された内容だけで良い。だから味気ない。

だからお決まりの文言のオンパレードになって、

しかも2日後にはもうネット上から抹消。

カードや手紙なら《ベッドに飾って時々鑑賞出来る。》


お金掛けてまで、郵送で送りたくありません。

でもSNSなら手軽で済んで便利だから。なのでしょう。

そして友人には格差を付けたりしません。て人はお好きに。

でも《それを他人には決して求めないでくださいね。》

《僕誰にも良い顔する人大嫌い!》

《だから友人少ないのかも》

《僕基本的に誰とでも、

友人になろうとは思わない人なのです》


ただし「リマインダー」としての機能は便利だとは思います。

今時(いまどき)、知り合いに電話かける時、

番号見ながらプッシュする人ほとんど居ませんよね。

ボタン一発で発信です。

他人(ひと)の誕生日も同じようなものなのかな?

でも本当に大切な人は、どこかに記録するか、覚えてません?

「バックアップ」のように、

万一の時のために(Just in case)。


実際本当に大切な友人なら、

《本人だけが勝手に思っているだけで、

相手はそう思ってなかったとしても》

《片思いってやつです。》


隠れて、誰にも内緒で、

プレゼントと一緒に、きっと、

少し凝(こ)ったバースデイカードなんか送りません?。

《ほんとに大切な人(恋人だったり)なら、絶対そうするでしょう》


近年年賀はがきを送る人の数が下げ止まらないとか。

SNSで「あけおめ」のお決まりの文言と

干支の画像の添付。で終わり。

味も素っ気もあったものじゃない。

時代の流れでSNS利用は止めようもないが、

心のこもった「手紙」や「葉書」の良さを

鑑賞出来る「余裕」も持ち続けたい

と思った一日でした。

実際僕は

今でも「年賀状」は毎年送ります。

たまに「クリスマスカード」も。

ほんとにいっぱい時間盗られます。

でも、《それがその人への愛情の深さの証拠》


なぜだか、

今日は我を忘れた。

あっと言う間に、もうこんな時間、

気付かなかった。

おっと、おまけを忘れるとこだった。

グリコのおまけが目的でキャラメル買ったものです。


洋楽紹介して終わります。ほんと疲れた。

ではまた。近藤浩二でした。


ビートルズでミッシェルです。

1965年リリース。オリジナルアルバム6作目「ラバーソウル」のA面7曲目。ポールの作品。ビートルズ時代のポールの代表曲。とても美しい楽曲。コード進行もバラエティーに富んで割と複雑。フランス語の歌詞も入ってる。フランス人に言わせると酷い発音らしい。しかしあまりにも美しいメロディーなのでフランスの高貴な人達の間で頻繁に好んで演奏された楽曲。

グラミー受賞曲。何か突然不意に終わってしまう感じです。

まだ完成されてないような、

未完の曲の印象はぬぎいきれない。でも名曲。


ポコでクレージーラブです。

1979年リリース。13枚目のアルバム「伝説」からシングルカット。大してヒットはしなかった。でもグループで最も有名な曲。

今もって至る所で演奏される愛されている楽曲。

日本のフォークソングに似た曲。

ギターの美しい和音とハーモニーの美しさが印象的。

メンバーのラスティーヤングの作品。S&Gの楽曲かと勘違いしそうだ。

多くの有名シンガーを輩出した今もって活動している伝説のグループ。


ハートでジーズドリームです。

1986年リリース。8枚目のアルバム「ハート」から3枚目のシングルカット。グループ2枚目の全米NO.1ヒット。

幻想的なバラード曲。聞き応えあり。

アンとナンシーの美人姉妹がボーカルをとる、割とハードなロックグループ。レッド・ツェッペリンに強く影響を受けている。

1992年アメリカでホッドドッグ屋の移動車のラジオから流れてきて好きになった。思い出の楽曲。けっこう好きな曲。