「life」カテゴリーアーカイブ

私の命

最近、気が付いたこと。大切な事は戦い続けることなのだ。と

そこで、とりあえず、パソコン整理しようと、修理に出す前に、パソコンのアーカイブに残っていた、データ見返して見つけた。

プロローグだけ載せますね。よかったら読んでみて・・・


その年の春は冬の寒さが長引き、桜の開花も例年に比べると遅く

4月になってもまだ肌寒い冷たい風がたまに吹く季節でした。

その春、柴崎靖子は晴れて高校生になりました。

そこの高校は地元では文武両道で有名な進学校でした。ですから

近隣の町からも多数の新入生が入学してきました。


そして、この春に新しくあつらえた、黒に近い紺色の制服を羽織

ると、色白の丸い顔の彼女には非常によく似合ったのでした。し

かも、その姿は清楚で凛とした風情を漂わせており、けがれた所

は一切感じさせませんでした。時折、勝気そうに、ツンツンとし

て切れ長の目をした顔つきで、少し腰を振って髪の毛をふわふわ

と、漂わせながら歩く姿はすごく魅力的でした。

その小さくて可愛い女の子は、しかし当時、裕福な家庭の女の子

にありがちな、少し栄養過多で運動不足であろう、白い太い足の

少し肥えたぽっちゃり型の女の子でした。そして几帳面な性格で

両親の躾がしっかりしていたのでしょう。脱いだ靴をきちんと揃

えて玄関の左の靴箱に収めました。

彼も靴を脱ぎ、彼女の勧めたスリッパに履き替え、彼女の後を付

いて家の中を歩きました。彼女は自分専用の名前の書かれたカラ

フルなスリッパに履き替え、自分の部屋に進み小走りで歩きだし

ました。それと同時に振り返り、彼を見上げ微笑みながら「こっ

ち、こっち」と手招きして、小洒落た部屋の扉を開けて彼を通し

ました。

初めて女性の友人の家にやって来て、戸惑いつつも彼の心は少し

わくわく踊っていました。

部屋の明かりが点くと、部屋の左脇に小さい勉強机がふたつ並び

彼女は左側に座り、彼は残った右側に席をとりました。

机の前には小さな窓があり、庭先の背の低い松の枝が彼の気持ち

と連動して風に揺れていました。

彼女は「ちょっと、待って」と言うと、カバンを置いて部屋を出

て行きました。

数分後に彼女は戻って来ました。制服からラフな部屋着と思われ

る緩めのジーンズを履き、少し肌寒いのか薄手のカーディガンを

上半身にまとっていました。

「家に帰ったら制服脱がないと、直ぐしわになるの」、

「女の子は大変だね」

一章

大都市から遠く離れたその村は郵便局すら無く、幹線主要国道が

一本通っていただけでした。そこでは色とりどりなネオンが輝く

わけでもなく、華やかさとは全く無縁な場所でした。ただ陽光と

雨露だけが、贅沢さの象徴とされる田園の広がる小さな田舎村で

した。

そんな場所には似つかわしい貧しい杉村家の次男坊として康平は

生を受けました。同級生の中では最も歳が若いため、小さくて背

丈が低いのでした。

彼は中学生になっても成長期がやって来ず、身体が仕上がらず、

小さくて力も弱かったのでした。その上に顔の表情もまだ子供の

ような顔つきのままでありました。しかしそこがまた高校生にし

ては可愛らしかったのでした。

しかも、身体の大きさが中学生時代からそれほど成長していなか

ったため、中学当時の制服を高校のボタンに付け替えたまま、着

続けていました。制服がそのままで3年間使い続けたため、生地

が少し傷みかけており通常より薄くなっていました。

しかし、活発で動くことが大好きなため、いつもお腹を空かして

いました。

その日は、入学式から初めての登校日にあたり、同じクラスの同

級生との初めての顔合わせでした。

その日は春にも関わらず朝からすごく寒くて、風が吹いていまし

た。

康平は白いワイシャツ一枚に薄手の上着をまとっただけで、見た

目にも寒そうでした。時々くしゃみが出ました。「ハクション」

他の生徒たちは、学校指定の紺色のコートをまとって寒さをしの

いでいました。

初めての登校日なので時間の都合がよくわからないため、康平は

余裕をみて定刻の30分前に自転車で家を出ました。最も近道と

思われる道を父親に買ってもらった腕時計を見ながら走り、10

分程前には学校に到着しました。一人で教室を探し出し教室に入

りました。自分達のクラスだけが、なぜか他のクラスの教室とは

別棟の教室でした。

教室に入ると、中学校当時の知り合いが多く少し安心しました。

指示された席について少しの後、左隣の席の女の子がやって来ま

した。女の子は彼女のほっぺと同じ色をした赤くて真新しいマフ

ラーを掛け、品のよさそうな、憧れのお金持ちの生活をしてなさ

るような質の良いコートを羽織っていました。

その子はコートとマフラーを脱ぐと買ったばかりなのか、くっ付

いたごみをこまめに取り除き、丁寧に折りたたんで大きな持参し

た紙袋に入れて机の横のフックに掛けました。

「おはよう」と少し鼻にかかった声で女の子は、康平を見て声を

掛けました。康平も「おはよう」と彼女を見て恥ずかしそうに答

えました。

康平には、中学校時代より密かに思いを寄せていた別の女の子が

いました。しかしその女の子とは一度も話したこともなく、ただ

眺めているだけで幸せを感じていました。見かけるだけでいつも

ドキドキしていました。そしてその子も同じ高校に入学していま

した。

康平は隣の女の子を一瞬見た時「あれ」と思いました。中学校時

代は見かけたことはなかったから、他の中学校からであることは

察しがつきましたが、どこかで見かけたことのある顔つきだった

のでした。でも思いだせませんでした。

チャイムが鳴り終わり少し後、担任が入ってきました。担任は男

性で背丈が高く180cm程ありましたが、威圧感が無く優しそ

うな顔つきをしており、康平はほっとしました。

担任の挨拶が終わり、今度は生徒一人ひとりが出席番号順に自己

紹介していきました。「杉村康平です。」隣の女の子はこちらを

見てにっこりと微笑みました。

男子の自己紹介が終わり女子に移りました。康平は一人ひとりの

名前と顔をしっかり確認していきました。康平は人を覚えるのが

得意で、一度名前を聞くとほとんど忘れることはなかったのでし

た。

隣の女の子が「柴崎靖子です。」

康平は聞き覚えのある名前でした。その名前は小学校当時康平が

密かに思いを寄せていた女の子の名前でした。康平は靖子をよく

見ましたが、当時の面影が感じられませんでした。当時の彼女は

髪の毛が少し天然パーマで癖のある髪質でした。しかし現在の彼

女は髪質の太い黒髪の直毛で肩近くまで伸びていました。「まっ

たくの別人なのかな」とも思いましたが、同い年でしかも同姓同

名でした。隣の女の子がいつもちらちらと康平を見るのを康平は

気が付いていました。隣の女の子も康平に見覚えがあるようでし

た。「きっとあの子に間違いないだろう。」と康平は確証が持て

ないままその時は自分に納得させました。

彼女のことが気にはなっていましたが、話しかけるきっかけをつ

かめず下校時間になりました。その日は係や委員を決めてすんな

りと帰宅しました。

「さようなら」康平は靖子に声掛けしました。

「あ、さようなら」靖子が康平を見て軽く会釈しました。康平も

学生帽を取り軽く会釈しました。

二章

次の日から本格的に授業が始まりました。数学が最初の授業でし

た。康平は数学が好きだったので教科書を配布された時から自分

ひとりですでに30ページほど予習をして、問題を何度も自分で

解いて理解してマスターしていました。ですから余裕で授業を受

けることが出来ていました。

先生の説明が終わり練習問題を各自で解かされました。康平は朝

飯前とすらすらと鉛筆を走らせます。靖子は数学が不得意なの

か、なかなか鉛筆が進みません。何度も書いては消しゴムで消す

という作業を繰り返していました。靖子は康平の進み具合を横目

でちらちら見ていました。答え合わせになり靖子は先生に当てら

れるのを恐れてちょっと不安そうにきょろきょろ辺りを伺いなが

ら赤鉛筆で丁寧に修正していました。そして康平の全問正解のノ

ートをのぞき込みため息をつきました。「あー!あー!」

「いっぱい間違えた!」「杉村君、かしこー」。康平は少しはに

かんで靖子に微笑み掛けました。

次の授業は英語でした。先生が康平の前に来て康平に英語で質問

しました。唐突に英語で質問を受けて康平は戸惑い答えることは

できませんでした。その後靖子が質問を受けました。彼女はてき

ぱきと英語で答えていました。靖子は康平を見て得意そうに微笑

みました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


全61ページのまだ、完結できてない未完のはなし。

少し自叙伝的小説です。毎回すこしずつ載せていきます。


 

再生

5時過ぎに、スッキリ感でお目覚め。外の空気が美味しい。

ここ数日、何かに追い詰められているような精神状態で、

心が気分がどんよりして、何かがもたげている感覚に襲われて

スッキリしないでふさぎ込んでいた。なぜか、力が出ない。


「あなた、戦闘能力は一万にも満たないんじゃないですか。」

「あなた、もう消えておしまいなさい。」「助けてください、

フリーザさま・・・」「頼む、ごくうーー」「悪い、

ちょっくら、遅れちまったようだな!」「せんず、食べな」

もぐもぐもぐ。「ふ、生き返った!!もう、死ぬかと思ったぜ」

「まいったな、いつも、ギリギリだな」「あんがとな、助かった


ぜ!!」 まさにそんなところかな。昨晩、久方ぶりに贅沢な

食事がとれた。家焼肉とビール。健康に欠かせない生活とは?

適度な運動、美味しくて栄養価の高い食事と良質の睡眠。やはり

これに尽きる。昨日、日中、リハビリ所で軽い運動。牛肉をニン

ニクいっぱいで腹いっぱいパクつく。至福のひととき。あと入浴

《健全な精神は、健全な肉体にやどる。》は真実だなあ。


突如、チャイムが鳴った。まだ朝の7時過ぎだ、誰だ、何用だ?

近所の《いかずごけ》だった。とりとめもない話し、なにも、

今じゃなくても・・・ とは言っても、ひととは勝手なもの、

自由気ままなものだ。ほんと迷惑だ。でも、正面切って、文句も

言えない。人とは穏やかに接しないとね。人生で学んだしきたり

だからな・・・ 気を取り直そう、再度、思考を巡らせ直そう


ネット情報によれば、本日は、寅(とら)の日プラス新月。

ダブル開運日。パワフルな日、だそうで何かを始めるには

最良の日。《金運アップ》、って言葉に惹かれた・・・


今、朝ドラが急転直下の展開。僕自身も何かを感じる・・・

そろそろ時節到来? と言っても、ことはそんなに単純じゃない

んだよな。何より、なんだか何も手につかなくて・・・

受け身の生活でブラブラ・・・ どうかしてるぜ、俺。

理念と正義感を尊ぶ自分としたら、やるせない、切ないもんだ。

そろそろ、区切りつけるとき。もう、不良で取り乱すのも限界ね

もうそろそろ、したくの鐘を鳴らさないと・・・


世の中がどんなに進化しても、答えはきっとシンプルで単純だ。

人の行動はいつまで経っても、起きて、食べて、うんこして寝る

を繰り返しているのだ。あくまで、シンプルなことを情熱的に

やる。それは単純な法則なのだ。正攻法が一番。再生、いや

再再生かな? と、言っても、何か路線変更が必要かな?

とにかく、これまでの自分の色の糸を織(お)ろう。時に

他人の色の糸も織り込んでと。そうすれば、誰かの役に立つ

タペストリー(装飾用織物)が織りあがる。


片田舎生まれ、どろんこ育ちの、テレビっ子。特別な何かを持た

ない。誠に残念なことに、これから先の人生は、送った人生より

短いような気が。気になった時が初め時。駒さえそろえば、

詰め手順も見えてくるはず。何だか、外で風の音が聞こえてくる

人生の変わり目にはおそらく風が起こると聞く。一陣の風。

コロナになんか押しつぶされてたまるか!!

人は変わっていくようで変わっていない。変わってないようで

変わっていく。再生を繰り返している。でも情報不足は否めない

学んで動く。すると、点と点がつながって線になる。より深い

理解につながる。そうこうしていると、脳みそが一気に活性化

してくるはず。きっと何かが変わって良くなる。

イッツ、ゲッティング、ベター、オール ザ タアーアイマイ

ベター、ベター、べーター。Getting better,

♪ Getting  so much better all the time  ♪ なのだ、きっと。

音楽って、テンションが上がる。背中を押してくれる。


美味しい食事と豊かな自然。ゆったりと静かに流れる時間の中、

朝日のよく当たる我が家と子供の頃過ごしたふるさとの思い出が

うまく調和する。ここ西条は、四国の連邦、そびらに置いて、

瀬戸内の海に向かって位置する城下街。

そろそろ季節が春から夏へと本格的に巡って行く。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


人生が終わってしまう前に、理想を追い過ぎず、適度に、現実的

なところで折り合いをつけて、っと。でも、ひと言で言うと、

よく、わかんねえ・・・ 《再生》もそんなに甘くないからねえ


 

日常

毎朝、東の空に顔を向けて、まだ柔らかい日差しを身体全体に

浴びて、太古の昔にタイムスリップしたかの感覚にとらわれる。

それは、日がな半日、ただ自然の中に身を委ね、自分も自然の

1部になったように陽だまりに揺られて過ごしているのである。

朝の8時じゃ、人目があるし、世間はうるさいし、社会には

ルールがある。どこかへ朝食に行くには、我が家の家計を燃やし

ているだけのこの身にとっては、ちょっと気が引けるし、日差し

の清々しさが好きだから、晴れ渡った朝空の下、今朝も懲りずに

うろうろ、ウロウロと玄関辺りをうろついています。


今後の自分にどのように反映していくのか、様々な日常の断片。

もっとマクロに視界を広げるべきだろうが、所詮、文明の仮面を

はがせば、我々はただのケダモノ。社会人としてクズかな?

良いか悪いかは抜きにして突っ走るのもいいかと。今日も完璧な

朝の風景。人生の喜び、小鳥たちのさえずり、整然としたつばめ

の一群。高く低くリズミカルに響く車両の通過音。 日中は、


毎日、テレビやユーチューブを見たり、ラジオを聞いたりすると

おびただしい情報のたれ流しにも関わらず、視覚、聴覚の両輪で

脳みそが刺激され、屁(へ)の突っ張りにもならないような取る

に足らない無駄な知識が不思議と記憶に残る。


世界最高峰のエベレストの頂上は二畳ほどの広さしかありません

その地を目前に冒険家の植村直己さんは先輩に「先に行ってくだ

さい」と先頭を譲ろうとしました。最後は、「一緒に行こう」と

並んで頂上に立ちました。酸素が薄い標高8848メートルの

極限状態でも互いに思いやる気持ちに心を打たれます。50年前

ふたりは日本人初のエベレスト登頂に成功しました。


「春雨」は《はるさめ》と読みます。「秋雨」は《あきさめ》と

読みます。「夏雨」は《かう》と読みます。音読みの方が雨脚が

太く豪快な感じがするからと。「時に夏雨、城を攻めるを得ず」

突然の豪雨が城攻めを中断させた様子を伝えています。「冬雨」

は《とうう》と読みます。


部屋の片隅にひとりの男が座っています。どこかうつろ気。最初

は見過ごせても、なぜか気になる。最近の我が家、パソコン、

テレビ、食物、人間の排泄。手触りとして記憶されていくひと

夏の風景。くつろいで、お茶でも飲みながら、静かにブログを

楽しんでます。人間はモラルを捨てれば、稼ぐ方法はいくらでも

ある、ことに、美人はと言います。おそらく、答えは無意識の

中に潜んでいます。勝手に身体が動くままに。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


今はまだ、腹の出た、ただのしがない中年男。《かわいそう》

でも、歴史を見ても、人生最悪の負け戦から天下をとった人

もいてます。兵力、知力とも当時、戦国最強軍団、大将、

武田信玄との三方ヶ原において、命からがら、這(ほ)う這うの

体で逃げ帰った徳川家康、その人です。今はただ自然の成り行き

のままに・・・


 

母の日

本日、花屋さんを通りかかって、たまたま知ったことが

あります。今年「母の日」は「母の月」へ。こんな

ポスターが貼り出されていました。カーネーションなど

花のプレゼントを分散化するため、業界団体が五月を

まるまるお母さんに感謝する月に、しようと呼びかけたもの

です。むろん、コロナ対策でしょう。店の混雑や配送業の負荷を

和らげるためでしょう。小生にも高齢の母がひとりいます。


《花よりダンゴ》の母は「食べれるもんがええ」と花屋には

目もくれず、スーパーの食品売り場へと一直線。値札に目が

当たるほどに近づけ、時にため息をついたり、「これ、安ー」

と微笑み、ひとつひとつ買い物かごに嬉しそうに入れていく

、食べられる許容範囲をはるかに超えているにも関わらず

今もって、貧乏性が抜けきらない。「ほんとに、食べる?」

表情を変え、返答に困窮しながら「もう、ええ」と足を止める。

「お金持って来た?」「忘れた」手を引き連れ返す。今日は

何年ぶりかのダラダラと貧乏人の《暇つぶし》は終了しました。

帰りに「今日は何? 」と何ひとつ知らない、でも子供たちは

しっかり覚えているものです。まさに今、学齢期の子を持つお母

さんたちは大変です。勉強や運動不足の心配をしたり、朝昼晩と

食事を用意したり、食品売り場でケーキの粉や乳製品が品薄に

なっているそうです。家族だけで居る時間が長くなり、おやつの

共作にも手取り足取りで、奮闘するらしい。今ここで、「苺

(いちご)」の漢字を思い出します。「くさかんむり」に

「母」と書いて「イチゴ」と読みます。新聞の歌壇に

こんな歌がありました。《へたをとり 苺に牛乳をかけるとき 

ひとつひとつが 母として 浮かぶ》まだ学校の再開されない

地域は多い。せっかくなので、お母さんへの感謝の思い出が

たくさん残る「母の月」になるといいな・・・ 願わずには。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


母親の悲しい性(さが)として、どんな子供を見ても

我が子と比べてしまうそうです。そして、決まって、ひと言

「やっぱり、うちの子が・・・」しかし、元来、自己アピール

の乏しい小生の昭和ひとけたの母は「あそこの***

君は、・・・」と今に至っても、我が子のことは後回し。

そんな背中を見て育った私は、どんな風に育ったのでしょうか?


数日前に義父が天国に還っていきました。そんな悲しみの中、

義母に付き合ってくれている妻、千恵子に感謝いっぱいです。

拝。


 

いま時分の季節では、藤棚を通りかかる人が多いでしょう。

江戸川柳に《春夏を ふらふらまたぐ 藤の花》とあります。

暦の上ではすでに、立夏(今月5日)を迎え夏に至りました。


陽射しがにわかに強まり、春のような夏のような、そんな体感

の中、藤は季節をまたぐように咲きます。華やいで、強くて

たくましい、しかも、しなやかで夏の到来を予感させる、

古(いにしえ)の時代から憧れの花、あまたの歌に詠まれ

平城京の花と言われる、藤の花。先日、時間の隙間をぬって

訪れました、市内の藤棚の名勝地。


薄紫の花がふらふらと風にそよぐ景色が、特定公園や近所でも

鑑賞できる機会が増えてきました。少し前のこと、福岡県八女市

の神社に樹齢600年に達し、国の天然記念物に指定される

「黒木の大藤」。地元のシンボルとなる藤棚で一輪と残さず、

花を刈り取る作業が行われました。新型コロナウイルスの

感染拡大を受けた措置だそうです。見頃を迎えた藤棚に連日

見物客が押し寄せ、密集を防ぐために苦渋の決断がされたと

先だって、新聞が伝えていました。目下、刈られた花以上に

痛々しいのが、私たちの暮らしでしょう。仕事を失い支払いが

滞(とどこお)る、無情に移ろうばかりの季節の中、ウイルスと

の消耗戦はまだまだ終わりそうにないとの報を聞きます。本当に

がんばりきれるかどうか悲嘆を外に押しやってつぶやいてみる。

藤は下がりながらも、咲くじゃないかと。政府が提唱する机上の


一億二千の規範になるような新しい生活様式は、往々にして、

ときに厳しく、冷たいものになりがちです。四月から緊急事態

宣言、五月もずっと来て、ゴールデンウイークもガラパゴス

諸島(日本)が軒並み支配下に出口が見えないため多くの国民は

ゼエゼエとさすがに息切れ状態、同時に何もかもやる気を

なくしてしまいます。あとは、ボーとして暮らすか、はうように

家にひきこもって、テレビを見る、ラジオを聴くくらい。


何気に風に運ばれ、不意に甘く何ともかぐわしい花弁の香り。

一瞬、桃源郷に誘(いざな)われた錯覚に陥ります。まさに

藤の花が一服の清涼剤になりました。これで、どうにか、

この連休が上出来の《あがり》になりました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


簡単に人に会っておしゃべりもできないといった、嫌でうっと

おしい状況が続く中、美しいものに触れると心が洗われます、

救われます、励まされます。


 

非常事態

ほんとに人気(ひとけ)、がない、閑散としている。人が出歩か

ない奇妙な世の中になったものです。人間のひそかな楽しみの

ひとつに人間を見ることがあります。程良い人混みをノソノソ


と歩くのです。そんな時に、人の行き交いざまに、ちらっと他人

を見るのです。《楽しみ》は表情、素振り、空気を感じるので

す。楽しそうに闊歩する子供を見るとこちらも気持ちがはずむ、

ということ。そんな気持ちなのです。嬉しく、楽しく、心穏やか

になれるのです。平時には気づかないささやかな《楽しみ》

です。毎朝、集団登校で小学生がおしゃべりしながらはしゃぐ

姿が、玄関口から見かけない、若くて可愛い声が聞こえません。


感染しない感染させないために人と接触しない、マスクをつける

。知り合いにあっても、マスクをつけてないと話せないのです。

目の前の人は誰もがコロナに感染しているという前提ですべての

行動がコントロールされているのです。ある意味、人を見たら

コロナ《泥棒》と思え、状態なのです。目の前の人間よりも

マスクに重きを置いて、人よりマスクを信じているのです。


目に見えないモノに恐れるあまり、人間不信の人間社会に陥り

そうな状況です。それ以上に寂しいことは、

見ず知らずの人から安らぎをもらえるコミュニュケーション

が以前からあったと思うのです。それが今はほぼ、ありません。


高校数学に「等差数列」というのがあります。平たく言えば、

《ねずみ講》です。聞くだけで、嫌悪感を持つ人が多いですが、

ある数学者が一枚の紙を持って、人を驚かせる真実があります。

「紙を2回折ると、4倍の厚さになります。もし、50回折る

と、どれほどの厚さになると思いますか?」。一人が答える。

「数十センチかな」。もうひとりが答える。「ビル並みかな」。

どちらもはるかに違いました。「太陽まで近づきます。50回

折ることができればの話しですが・・・ 」紙を折る作業を人と

人との接触に置き替えれば、今我々が直面している危機の大きさ

がうかがえます。等比数列が導くシナリオを逆から見た「接触8

割減」理論に違いはないでしょう。全国に非常事態宣言が出され

ました。そもそも、紙を折る事さえしなければ、息のできる地表

に踏み留めるということでしょう。「8割減」を実行すれば、

感染が収束するという試算は、信頼しうる。ウイルスに勝つ

唯一の方法と言われますが、残された時間があるようでありませ

ん。あと、3週大事に過ごせるかどうか? なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

神秘

謎の同居昆虫、チョウチョのボチボチ生態日記。

彼(蝶々)の黒い便の原因。考察するに、(ほんに暇よね)


お日様のある広い大空に、おもいっきり羽ばたきたい欲求に

反して、人間ごときの、ちっぽけな部屋なんかに閉じ込められた

ストレスによる精神的抑圧。食料となる花のミツの種類の少なさ

による栄養分のかたより、栄養不足などと推量できる。人間に

とっては、たかがハチミツなんてどれも似たり寄ったりですが、

チョウチョにとっては極めて深刻な問題で、優美に飛び回ったり

異性を惹きつけるために、魅力的なスタイルの維持、魅惑的な羽

の鱗粉(りんぷん)の量と質の健全性の保持の観点から必要です

自然に咲いた多種多様な、しなやかで強い健康な花々から様々な

種類のハチミツの摂取が必要なのです。異なる花によって微妙な

栄養成分の違いは、われわれチョウチョにとっては、とっても

大きな違い、問題なのです。以上はあくまで私見であります。


現在彼はここ数日間、居間兼台所内を自由に、我々の存在など

気にも留めないで、お構えなしに、飛び回っています。ほんと

癒される。我が子が、目の前で、元気にはしゃいでるようです

心穏やかに、悠々と、ゆったりとした時間の流れを感ぜざる

を得られません。ときおりお腹を空かすのか、小さな花に

止まって、何も気にせずに天敵が居ないことに、安心しきって

いる様子です。まだまだ甘いよ。人間という史上最強、最恐の

俗物の存在を忘却している様子です。捕まえて売り飛ばされる

ともつゆ知らずに。かわいそうに。自分を大切にしてね。

よく分かりませんが、彼は生まれて、このかた未だ太陽を見た

わけでも、自然の壮大さも感じた事などないにもかかわらず、

いつも必ず部屋の東側の、陽の良く当たる窓際、太陽の見えそう

な場所に好んで止まってるのです。《生物の本能》なのでしょう

まさに「今を生きている」といった生物の《神秘》の片りんを

まざまざと見せつけられて目頭が熱くなって感動せざるをえませ

ん。あんなに小さくてか弱い生き物であっても、毎日を精一杯、

精力的に、100パーセントの自分を出し切っているのです。

ひるがえって考えて、自分はどうなのか? 考えさせられました


今日もここまで。近藤浩二でした。

ではまた。またお会いしましょう。


あくまでも私個人の独断と偏見による憶測ですのであしからず。


 

 

自由

バタフライ(蝶々)のその後。

投稿以来、注目を集め、多数の人の目にさらされたことも含め

ほんの数日で、狭い駕籠内に嫌気がさしたのでしょう。

知らぬ間に、彼は小さな駕籠穴を通して、逃走に成功、部屋のど

こかで・・・ 生きているのかどうかさえも、生死不明でしたが


週末の金曜日、気晴らしをして、気が晴れたのか、食料を求めて

再び舞い下りて、換気扇の排気穴か、神棚のさかき、お神酒辺り

付近? 状況証拠から推察するに最高温場所が一番心地良かった

のです。かれの心の内に分け入って見よう・・・


ここ(駕籠)ちょっと狭すぎ、ここから出たいよ出して、お願い

今の内に栄養補給を、「チュチュ、チュチュ、チュルチュル」

あー美味しい、お腹も満たされたし、もう少し準備運動しとこ

なんか軽快な波動を感じるじゃないか。「バタバタ、バタバタ」

やっぱりここ狭すぎる。あれあそこから、ちょっと出れそうや

ないか? 試してみるかな? よっこらしょ、あれ、意外と簡単

出てしもたぞ。もう戻られへんぞ、こうじさん、ちえこさん、

堪忍な、ほんとに堪忍やで、怒らんとってや、わては旅に出ます

ここはどこや、お日様が感じられへんのやけど、教えて神様、

お天道さま。あっ、ここらへん、温かいやないかいな。こっちに

お日様があるのかな? だんだん温かくなってくるやないかいな

水も緑の葉っぱもあそにある。ここでちょっと休んどこ。楽やな

楽ちん、楽ちん。ふー。緊張が切れた。ふー、ふー。ふー。

眠むくなってきよった、寝たろうか? 寝たろう。眠る。

今日はもう寝るよ、おやすみなさい。ずー、ずー、ずー。

あー良く寝た。今までで一番気持ちよく寝たよ。明るく

なってきたぞ、もう朝か、あ、人影が、こうじさんおはよう、

あれ、まだ寒いぞ、あー寒いよ、今日は遊びに行くの止めよ

今日一日中、ここで過ごそう。僕の家系はインドア派なんよ。

今日は朝からずっと気持ち良いくらい、温かいな、ひょいと

こうじさんひとりで、何かしてる、ちえこさんがいてへんな。

どないしはったんやろ? 「ばん、@「」:;。・、¥」あっ、

大きな物音が、ちえこさんがいてるぞ。この二日ほど何も

食べてないぞ。お腹もすいたし、二人に僕の姿、見せに行こう

忘れられない内に、温かくて気持ち良い空間だね。ごきげんよう

お久しぶり、僕まだまだ元気ですよ。どこかに食べ物はないかな

この部屋も、まだ狭いやんか。どないなってんね、食べれへん

かったら、僕、死んでしまうやないけ。ちえこさんが、僕を

追いかけてきよるやんけ。捕まえるもんなら、捕まえてみいや。

えっ、あれ、これ何、ちっとも動かれしまへんやんか、これ

どないなってんね。何してくれるねん、このボケが、しわくぞ。

何してくれるねん、おんどれが、ケツかち割ったろか、

頭かち割って、チュウチュウ吸うたろうか?ここ知ってるとこや

あっ、食べ物があるぞ。あー、美味しい、満たされた、満足。

何かまた、音楽が聞こえてきた、遊びたなった。「バタバタ」

あれ、今度はどこにも出れそうな穴ないなー。どないしょ?

あっ、また広くなった、飛んだろ、あーやっぱり広いと

気持ち良いな。「バタバタ」今度はいつもよりたくさん

飛んだろ。「バタバタ、バタバタ。」 バタバタ飛ぶ(フライ)

するから僕バタフライやねん、呼ばれとんねん。知っとったか。

冗談やで、本気にするか、こんなベタな話し・・・・

あれ、また捕まえられた。疲れたさかいもう休むで、


今日はここまで、近藤浩二でした。

ではまた、また会えるその時まで、お元気で。


蝶々を、ググッって見て知ったこと、本当かどうかは本人の

責任において、チョウチョ知識その一。

寿命は約二週間程、いつから二週間かは分かりませんが

さなぎから脱皮して、チョウチョになったのが、正味正月の4日

暦で18日の土曜日頃に尽きてしまう、はかない命。その二。

視力は約0.2程とか・・・


あと、現場の状況から、フンは黒い点ほどです。黒い便とは

彼は栄養不良です。偏った食生活だろうから。彼の寿命は、

標準より短いかも。長生きしてほしいな、愛着わいて来てんで

す。不思議です、人の心は。子供の頃、アマガエル捕まえて

口にバクチクくわえさせて、バラバラに破壊して面白がっていた

自分を現在猛省しています。今では、チョウチョ一匹の命に心配

いっぱい、あと、駕籠の中では普段そんなに飛ばないのに、音楽

(洋楽)流したら不思議と飛ぶのです、バタバタと。音楽止めた

ら飛ばない。聴覚器官はないと思いますが、何か波動(波)を感

じてるとしか考えられない。しかも学習能力もあるようで・・・

ほんに命、生き物たちって、不思議、《神秘》です。


 

奇跡

人間ってなんて傲慢なのだろう。いやいや自分って、どうにも

傲慢だったのだろう。との、いましめを感じる年末年初。


ともすれば、私たち人間は、悲しい、残酷なことに、

自分の目に見える範囲の人間、しかも自分にとって《益》を

もたらす人間にだけしか、興味、関心事を向けていない《悲哀》

に気付かされました。しかしながら、現実には、いたるところで

自分の見えていない、家のかたすみ、街の片隅、村の片隅、森の

片隅など、ありとあらゆる、いたるところで、時は、歴史は

命はつながり、流れ続けているのでした。


生物は大別すると、二種類に分けられます。ひとつは植物。

もうひとつは動物です。基準は、《動く》か《動かない》か

です。言い換えれば、動かなくても生きていけるモノと、動かな

ければ生きられないモノです。さらには、自分で栄養を作られる

か、作られないモノです。もっと言い換えれば、他の命を食べ

て自分の命を生きながらえる、維持していく、なんとも身勝手な

ケダモノたちです。我々人類は、悲しいかな、このカタゴリーに

帰属します。話を戻します。


昨年末、ある知り合いの方から、食料となる植物を頂きました。

誰にとっても、とっても馴染みのある野菜です。しかしなので

す。ひと昔前ならいざ知らず。令和のこの時代に・・・。

僕の子供の頃には、自前の畑なら、日常茶飯事の《事件》が

まさに青天の霹靂(へきれき)、寝耳に水、の変事が起こった

のです。

そこには、ある奇妙な物体が、現代の女性ならきっと、発狂する

ほどの、気絶しかねない、現象が勃発していたのです。それって

・・・ 《ウジ》とか《ゲジゲジ》と呼ばれても、当たらずとも

遠からず・・・小さくて、青くて、気味の悪い、ニョキニョキ

動くバグ、虫なのでした。見なれた、この僕でもいっぺんで

食欲を失(な)くさせる存在、成長したら、あんなに優雅に

可憐に、我々の目を楽しませてくれるのに・・癒してくれるのに

・・・その名は《青虫》でした。


神様のなさることは、いたって摩訶不思議で、理解不能です。

幼い時には、あんな形で、我々の食料の上をはえずり周り、

身の毛もよだつお姿なのに、成長すれば、なんとも華麗に

舞い踊るようになるとは、誰ひとり予想もできはしまい。

我々人類への戒めでもあるのでしょうね、きっと。


ともあれ、彼(青虫)を、我妻、千恵子はたまごパックの透明

容器に、野菜の切れ端ともども、隔離させ、呼吸穴を開けて、

台所の隅っこで、飼育を始めたのです。年末差し迫ったころ、

彼は、室内の程良い温度を感じてか、今がころあいと悟って

たまごパック容器の最も高い位置まで登りつめ、ピタリとも

動かなくなりました。日が経つこと、数日後の正月二日の事

彼は薄くて、柔らかい衣を脱ぎ捨て、いやいや、破り捨て

バタフライ(蝶々)へと成長していたのです。その後


千恵子は100均にて、かごやら、網やら、植物やら

わたなどを買い込み、昨日、ただの一頭(とう)の彼の

ために、新居を作ってあげたのです。彼はきっと、喜んで、

今では、うれしそうに、楽しそうに、優美に舞い踊っています。

それにしても、僕の中では、決して見ることのできない

であろうと思っていた、連続していく命の《営み》を

目の当たりにできた《奇跡》なのでした。後は、

たまごから、殻を突き破って出てくる、ひよこかな。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた、お目にかかれる時まで。


こんな真冬に、現実に、蝶々を見える喜び、いやされる。

みなさんにもぜひお見せ差し上げたいです。

残念ではございますが、文面より想像致して下され。

動画を私のフェイスブックに7日に投稿しましたので、

どなたでも、検索なさって、ご随意に。


蛇足ではございますが、昆虫は数を数える時は、

学術的には、一匹、二匹、・・・とは言わず

一頭、二頭、・・・と数えるのだそうです。

諸説ありますが、ある学者の英米人が、

ワン ヘッド(head)、ツー ヘッズ(heads)と

数えたことよるのだとか。参考までに。


 

冗談

久しぶりに、ご無沙汰の居酒屋に、フラッっとお邪魔しました。

飲み物の注文の際「消費税アップの関係で、

値段変更になりました」と店主が申し訳なさそうに、

切り出しました。続けて「ソフトドリンクは据え置きで

8パーセントです」「心苦しいですが、ビールはあおりを受け

て、10パーセントです」さらに、にやけながら「オレンジジュ

ースは・・・・・

100パーセントです。」

 

「え!!」一瞬、目が点になりました。

 

「じょうだん、冗談」  「でも多分、間違いじゃあり

ませんよね」 「ええ、うちは品質には、自信持っています

から」 「今日は娘手伝いに入っていますので」店主が


「客商売慣れてないので、失礼があっても、許してやってね」

程なくして、三か所のテーブルが埋まりました。私たちは

「さんまの塩焼き。」右隣の家族連れは「アユの塩焼き」

左となりの夫婦は「ブタのしょうが焼き」しばらくして

ほぼ同時に三つの料理が出来上がりました。手伝いの娘さんが

配膳の手伝いします。少し頭が弱いのか、確信が持てないのか

確認しながら、こう叫びました。

「さんまのかたーー?」 周りが注目する中、私たちが手を

挙げました。 目が合って、プレートを手渡されました。

「あゆのかたーー?」 右となりのお父さんが手を挙げました。

無駄に元気よく「はいー」テーブルまで置き渡します。 最後に

・・・・・

・・・・「ぶ た の か たーー?」

みんなが注目する中、左となりの腹の出た

《肥えた》おばさんが、

いきよいよく手を挙げて返事しました。

アホな娘が、さらに余計なことを「たしかに、肥えてますけど

・・・」周りが凍りつきました。「冗談、じょうだんですよ」

「少し頭の弱い、アホな子なので、すいません」店主が

客に頭を下げています。 以上は、ウソみたいな実話です。


勉強大嫌いな、我が塾の小学4年生の男の子。国語の漢字の小

テスト。今回はがんばって、満点取る、と公言しました。

久しぶりに、精一杯努力の成果を見せてもらえました。でも、

やはり、どこか抜けています。やらかしてくれました。

テスト問題の漢字は、すべて正確に丁寧に書けています。

しかしです。満点じゃなく、《はなまる》もらえていません。

「どうして《満点》じゃないの?」尋ねました。

彼は、残念がって、恥ずかしそうに、肩を落としてこうつぶやき

ました。「名前見て」彼は自分の名前の漢字を間違いていたの

でした。さらに「ひらがなで書いたら良かったねえ」って

でも不思議と憎めない、愛すべき子供なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S.I LOVE YOU.


「出来の悪い子ほどかわいい。」ってほんとですね。

小学生の子供の仕事は《遊び》だと、僕は確信しています。

塾講師失格とも思いますが、少しアホで、元気で明るい子供が

世の中を変えるような人間になれる、と本気で信じています。

《活動的なアホ》が一番怖い。確か、偉人の誰かが言っていたよう

な・・・