好き嫌い

「***さんは、どうですか?」「・・・ もう、ええ」

微笑んで、近づき、声をかけると、相手はなぜか、怪訝(けげ

ん)そうに、眉間を寄せた。あからさまに嫌われ、そでにされた。

僕は、何がなんだか、さっぱりわからなくて、困惑して、席を

立ってその場を離れた。気分を害して心がざわついたので、落ち

着こうとお手洗いに向かった。「お前が嫌いなら、俺の方こそ、

お前なんか、大嫌いだ!!」あいつはいったい、何を考えている

のだろう? 自分の接し方に何か問題があったのだろうか?

相手は何か攻撃されそうに思ったのか? ただ、僕を嫌いな

だけなのか? 世の中にはほんと信じられない様々な人が

いる。 もっと、平和的に愛情を持って付き合えられないもの

だろうか? 「いい年して、まったく、いけ好かないやろう

だ。」「いいだろう、まぬけやろう」「もう二度と、お前なんか

かまってやらないぞ」「長い人生で、てめえは、いったい、何を

教わった?」何だか、人間嫌いになりそうだ。ほんと、むなくそ悪い。


僕も、けっこう、人見知りで、初めての場所や初めてのひとたち

の中では、不安がのしかかって、引っ込み思案で、思うように

振る舞えず、充分、力を発揮できない子供だったのですが・・

ある時点から、人が変わった様に、ときに、社交的になったり、

孤独を愛したりと、変貌自在に豹変します。周囲の人は戸惑うば

かり。ですが、子供の時分から、誰とでも、友達になれて、仲良

くなれたものです。学校の通信簿にも「誰とでも、仲良くでき

る」って、評価されたものです。でも当然、こんな僕でも苦手で

関わりたくないって人も存在します。少数ですが・・・


のっけの彼は、僕とはそりが合わないと感じたのでしょうか?

「好意を持ってくれてる」なと感じると、親近感がわいて、当然

その人間が好きになってしまうものが人間というものでしょうに

相手に「きらいーーー」と感じると、こちらも鏡のように跳ね返

って「俺も、お前、きらいーー、いや、大嫌いーー」とこうなる。

良い意味でも悪い意味でも、たとえ言葉にせずとも、心は通じて

しまうものだ。《した方は忘れても、された方は忘れない》って


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


有り難いことに、学生の頃の同級生は見かけると、近づいて「元

気か?」や「近藤くん、わかる?」「こうじ、どうや?」「ビー

バー、ひさしぶり」(中学生の時の愛称)とか声を掛けてもらえる

内心はどう思っているかわからないが・・・ しかし、基本的に

は、ほとんどの人は、親しみを持って、いさかいを起こさない

よう平和的に振る舞う。

《人をゴキゲンにするもフキゲンにするも付きあう人しだい》

じゃないでしょうか? こう見えて、くじけそうになりそう

なので、努めて明るく、振る舞っています。


今日もおごちそうさまでした。