時そば

めいっこの結婚祝いとのことで久方ぶりに家族で食事会。

支払い時、若い女店員がおさつをいちまい一枚手にとっては

テーブルに置いて数えていた時、家内が口をはさみいれた。

「今、なんどきで? 」女店員は何やらけげんそうに

こちらを見あげて「えっ」ってだけで、言葉を失ったようだ。

見かねた小生が「最近の、若者にはわからんて」

「何ですか? 」女店員が不機嫌そうに眉間を寄せたので、

「時そば」「時そば・・・」

「有名な落語のネタ」「落語のはなし、なんです。」

「あっ、あっ」と、たとえ知らぬとも知ったそうに相うった。


ユーモアに富んだ貧乏な男が、サギまがいにたったの一文を

だましてソバ一杯を食するお話しだ。店主が支払いの金銭を

こまかく声に出して数える最中に、横から《時間》を問うと

いったツッコミをいれ、一瞬、あわてた店主が一文数え間違い

男がまんまと一杯のそばの支払いを無事になすのだ。


凍てつく冬の夜、雲間にわずかに月が浮かんでいる。

灯りがなくてもなんとか足元が見きわめられる。

時は元禄、悪名高い五代将軍綱吉の治世、わいろを当たり前と

した田沼が首席老中を務め、農業生産発展を基盤に都市町人の

産業が発展し経済活動の活発化を受けて、

社会全体が(特に上方を中心に文化、学問、芸術)隆盛をきわめ

華やかで豊かな時代。

商品作物が市場に流通し、まちには夜でも屋台が通りを

にぎわせて庶民にも容易に夜ふけでも食事ができるよう

になった。関西では「時うどん」関東では「時そば」で有名。


江戸市中のほんの外れ、農村のおもかげが色濃く残る街、

大通りにつらなる問屋は、とっくに灯りは落とし

しんーと静けさと闇におおわれているが、通りのつきあたり右に

曲がると子育て稲荷の境内で、その左端は深い木立に接した

はなれのような場所に屋台は構えていた。

しがないふたりの職人がしけた面して通りを歩いてた。

「ひえますねえ」「そうだな」

「こんな時には熱いのをキューとひっかけたいなあ」「ですね」

「で、おめえ、いくらある? 」「ほとんどおけらでやんす」

「いくらってきいてんだよ」「あっしはちょうど9文で」

「おれはもっとしけてらい」「あにっい、あそこにソバ屋がでて

ますね」「よーし、今夜はそばでがまんするか? 」

「えっ、あるんですか? 」「てめえのとらのこ、こっち

によこせやーい」「お前が9もんで、俺が6もんか?

二人合わせても15もんか? これでも足りねえか? 」

折しも、近くの寺で、時を知らせるカネの音がする。

「ボーン、・・・」ちょうど、ここのつ、のようだ。

年配の職人が思いを決めたのか「よし、行くぞ」

ふたりはのれんをくぐる「やあ、おやじ、一杯かけてくれ」

「おふたりさんにですか? 」

「いや、ただのいっぱいだ、いっぱいだけでいいんだ」

「わてらは、なんでもふたりでひとつなんでえ。」

「へい、わかりやした。」


当時ソバ一杯は、《にハチじゅうろく》の16文。諸説あれど、

にハチそばのソバの配分の、ごろ合わせから、

ソバの値段が決められたといわれている。


「おやじ、」「いいちょうちんだねえ、

矢がまとに当たってやがらあ、気持ちがいいねえ」

「へい、当たりや、っていうんです、ごひきにねがいます」

「よし、わかったぜ 」「見かけたら、またよせてもらうよ」

「へい、おまち・・・」男はどんぶりを引き寄せ割りばしを

さいて、どんぶりのふちに口をもっていく。「いただくぜ」

「じゅるじゅるじゅる」「うめえ、おやじ、いいだし出てるよ」

「ズズー、ズッ、ズッ、ズズー」「めんも、のどごしが気持ち

いいねえ」「ズズー、ズズー、じゅるじゅるじゅる」

「あー、満足したぜ」「おい、てめえも食え」

連れのさんぴんの男に残りわずかのどんぶりを渡し、そいつが

不満そうに食いたいらげる。「ごちそうさん」

「おやじ、いくらで?」「へい、16文です」

「悪いが、こまかいのしかないから」「手出してくれー」

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、

やっつ・・」

男が一文いちもん店主の手のひらへ、ぜにを呼び落としていく。

手にはふたり合わせても、15文しか持ってない。

ここで、男が店主に問う。「おやじ、今、なんどきで? 」

店主は視線を上げ、思い出し応える「へい、ここのつ、で」

そしらぬ顔して男は続ける。「とー、じゅういち、じゅうに、

じゅうさん、じゅうし、じゅうごー・・・(最後の一枚を・・・

隠せない笑みが自然と口元にあらわれる)じゅうろく」

「へい、おありがとうごぜえました」「また、くるよ」

ふたつの影が闇の中へ消えていく。

おおまかには、こう言ったはなしです。本当の落語では、

つかみの笑いがあって結構おもしろい。最後のオチはしたっぱの

さんぴんがアニキのマネをして、一文ごまかそうとするのだが

バカで慣れてないさんぴんは、ツッコミどころを間違えるのだ。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、

やっつ、ここのつ、とー」ここでつっこんで

「今、なんどきで? 」店主が「ここのつ、で」と応える。

続けて男が、

「とー、じゅういち、じゅうにー、じゅうさん、・・・」で、

「おあとがよろしいようで」「♪テテテンテン♪」おはやしの音


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


江戸時代、時間の考え方は聖徳太子の時代から大陸(中国)の

やりかたをほぼそのまま踏まえて使われていた。

時間の間隔は、季節によっても地域によっても異なる。

それぞれの人間の勝手な受け取り方で、「日の出」「日の入り」

を取り決めその太陽の「日の出」と「日の入り」を基本にした。

すなわち、冬の昼の時間の長さは夏の昼の時間のほぼ半分、

その分、夜の長さは冬の時間は長く夏のそれはほぼ半分短くなる。

明け六つ(午前6時頃)と暮れ六つ(午後6時頃)を定め、

昼と夜をそれぞれ6等分し、合わせて一日を12等分した。そこに

十二支をふり当てて別称としていた。また時間のもっとも若い

時間を「ここのつ」として、それから数字をだんだん減らして

呼んでいた。「ここのつ」「やっつ」「ななつ」「むっつ」

「いつつ」「よっつ」というぐあいだ。

ちなみに、一刻(いっとき)は今でいうとだいたい2時間、

はんときが約一時間ほどだ。まとめるとこうなる。


午前、0時はよる九つ(子の刻)、1時は九つ半。

2時はよる八つ(うしの刻)、3時は八つ半。

4時はあかつき七つ(トラの刻)、5時は七つ半。

6時は明け六つ(うの刻)ー日の出の30分前、7時は六つ半。

8時は朝五つ(たつの刻)、9時は五つ半。

10時はひる四つ(みの刻)、11時は四ツ半。


午後は、12時は九つ(うまの刻)、1時は九つ半。

2時はひる八つ(ひつじの刻)、3時は八つ半。

4時は七つ(さるの刻)、5時は七つ半。

6時はくれ六つ(とりの刻)ー日没の30分前、7時は六つ半。

8時はよい五つ(いぬの刻)、9時は五つ半。

10時はよる四つ(いの刻)、11時は四ツ半。