ホームシック

誰にでも忘れえぬ思い出があろう。

それが良かろうが悪かろうが、ときに想い出し

自分の人生をいろどってくれていることを実感する。

若い頃、ことに学生じぶんまでは辛くて悲しいことがほとんどだが

年をとるにつれてうれしい良い思い出が増えたようだ。

あの時もっとこうしてれば・・・ てことも多々あれど。


二階の書棚で若かりしころの写真が目に入った。まだ頭皮が

黒々としてた20代後半のだ。それは新聞記事のモノクロ写真。

思わず座り込み、しばし手に取り、なつかしがった。アメリカ

のいなかの小学校で授業をしていた時の取材記事だった。

着ながしのジンーンズ姿ながら小ざっぱりとした身なりで

往年のすっきりとしたやさ男のおもかげがにじんでいた。

今にいたっては、みにくく小太りに、ほんのりあぶらの浮いた

てかった顔貌が陰残のかげりを宿している。その写真では、

夢や希望にあふれ毎日がバラ色だった、人生で最も華美な時だ。

東海岸のフロンティア精神に富んだニューイングランド地方。

まさにこれぞ古き良きアメリカ、って良さが満ちみちていた。


5月の週末、家から2キロほど東へ、バスを乗り継ぎ市内の

繁華街まで。思いのほかけっこうな人混みだ。注意してないと

誰かにぶつかるか、人混みに流されそうだ。そこかしこに

「マザーズ・デイ」の貼り紙とともにディスカント中だ。

ふと何かを思いつきカードショップに入り、話しやすそうな

女店員をつかまえてたずねた。「マザーズ・デイ」はいつ?

「今週末、明日よ」はき捨てるように、そっけなく言われた。

これだから英米人は嫌いだ、と少し頭にきたのでその店は出た。

ほんのちょっと離れた場所の別のカードショップに立ち寄り、

こんどは親切そうな女店員をつかまえた。「日本からホームステ

イでここにきて、ひと月ほどになるんですが、ホストマザーに

《マザーズ・デイ》に何かしてあげたくて・・・どうすれば?

にこやかに微笑んで彼女はたずねかえした。

「彼女のこと、教えて? 」

「何でもいいよ、年齢、好みとか、趣味とか、知ってる限り」

面倒だなと思いながら、自分から話しかけたよしゆえに、

深く深く考え、たどたどしい英語で、ぽつぽつと

臆面もなく力強く応えた。彼女は忍耐強く聞き取ってくれて

メモ用紙に、アドバイスまでくれた。ありがたい。

こんなときはアメリカ人がとっても好きになる。彼女の指示通り


その後、あと三軒ほど店を回り所望する品を検討品定めをし

二軒目の店に戻り購入して清涼飲料水を飲みながらひとり

通りに設置されたベンチに腰かけて休んでいると、呼ぶ声が

「こーじー、こうじー」と声のする方角に目をやると見覚えの

ある女性の姿が・ ベンチの真向いの通りから手を大きく振って

ふたたび「こーじー」応えて同様に手を振り返す。

彼女は同僚の学校の音楽の女性教師で初めて授業見学に

おうかがいした際に、子供たちと一緒に歓迎のしるしに

「美女と野獣」の歌を送ってくれた。感激した。


車が走っている中、自らの手で車をさえぎりながら注意深く、

通りを横切ってこちらに来られた。久しぶりなので恥ずかし

げもなく横に腰かけ、小さくハグして《チークキス》までしてくれた。

少し頬を紅潮させて、目のやりばに困ったが、ほんのり香り立つ

バラの香水に包まれて、とっても幸せな気分にひたっていた。

そのバラの香りは生涯忘れられない何とも妖艶な

かぐわしい香りだった。こんなことを体験するとアメリカって

ほんとにいいところ、大好きって実感する。今はやりの

ドルチェアンドガッバーナってどんな香りなんだろう?

残念ながら、彼女は二人の子持ちの既婚者だった。

「今日は何しに来たの? 」「ただ何となく、暇つぶし」

「あっ、それと・・・」「えーと・・・」「あの・・・」

「ジェーン(ホストの名前)に贈り物をと・・・」

「いいんじゃない、ナイスね」「こうじってやさしいね」

「だから、みんな、こうじのこと大好きよ」

「アメリカに来てくれてほんとありがとうね」彼女は

微笑みながら話してくれた。小生は言葉につまり

かける言葉が見つからず、ただサンキューとだけ

繰り返していた。自分のごいのなさにあきれた。


日が高く陽射しがきついのでほんのり汗ばんできた。

ひとつ目のバスを下車後、残り1キロほどをホットドッグを

かみしめながら、てくてくと景色を楽しみながら歩いて帰った。

帰って、荷物が見つからないように隠して2階の自分の部屋へ

途中「はーい、こうじ、どこに行ってた? 」との声に

「ウースター(街の名前)まで、気晴らしに」と応えただけで

吸い込まれるように部屋に入った。まもなく、ノックされて

一瞬、ドキッとしたが、ドア越しに「お腹すいてない?」

「ない、食べた」と簡単なやりとり。(入って来られてプレゼン

トを見られなくてほっとした。)サプライズで手渡すつもりで。

小一時間ほど、ラジオをつけたままで、鼻歌まじりにカードを

作った。プレゼントは店でラッピングしてもらっているので

あとは渡すタイミングだけだ・・・・ 考えると、

何だかワクワクしてきて、ひとり悦に入っていた。

誰かに何かしてもうのも嬉しいものだが、してあげるのも

同様に、むしろそれ以上にしあわせなものだ。


次の日、日が暮れてきた、まもなく夕食だ。

外でなわとびをして家の付近を駆けていると

「こうじー、こーじー、ごはんよ」との声が

家に入り、プレゼントをチェックしてテーブルについた。

食事を終え、デザートのアイスの準備をしている最中に

プレゼントをとりに階上へ、となりの空いた椅子に

プレゼントを置いてデザートを食した、途中食べながら注文した。

「紅茶が飲みたい」

彼女が席を立って紅茶の準備をしてる間に彼女の

席に近づき、彼女の椅子の上にカードを置いた。

ティーポットを手に持ち小生専用のカップに注いでくれた。

ティーポットをテーブルに置き、座ろうとした

いすの上のカードに気付いたようだ。カードを開け、目を通すと

こちらに顔を向けてきた、そこですかさず、プレゼントを渡した。

包装をていねいにほどき、中を取り出し見て、(以前一度亭主に

彼女が好んで古民家の収集をしていることをうかがったのだ)

しばし呆然と立ち尽くしていた。両目がうるんでるようだ。

力が抜けたように、となりの空いた椅子にでんと腰かけ、

目をみつめ、涙声でサンキューと言ってくれた。

そして、「こうじーー」とうめくようにつぶやき、

しばらくの間、ただただ抱きしめてくれた。


そんなこんなで、小生は今までの人生で、寂しいと感じたことは

しょうみただの一度もない、ホームシックになったことはない。

出会う人にめぐまれてきたのだろう。それ以上に、

今もって、誰かに何かをしてあげることがうれしくてやめられない。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また笑ってよろしくです。


ちなみに、新聞記事によると、「近藤浩二

アメリカで家を(ホーム)見つける」、との表題で

ホストは思いがけぬことで、驚いたとともに

感激とともにうれしくて感動したとある。

(SHE WAS TOUCHED AND MOVED。)


彼女への感謝の気持ちを余すことなく素直につづった「サンキュー・カード」と

彼女が収集していた「ミニチュアの古民家」を贈った。

カードは、辞書をひきひき、何度も下書きをしたもんだ。

もしかしたら、人生で一番時間かけたかも、そりゃ、苦労したもんだ。

気持ちを届けたいとの強い想いが彼女に伝わったんだ。


そのことを彼女が友人にしゃべって記者が来て、小さな地方紙の

片すみに掲載された。そのご、ケーブルテレビにも強制出演させられた。

通りや街で見かけられると、「有名人、有名人」って

陽気なアメリカ人によくからかわれたり冷やかされて困ったもんだ。