思い出

寒い冬のとある前日のこと。夕食がすんで家族そろってテレビを

視聴していた時、小学2年生の末っ子のぼうずが

「かあちゃん、あした、知っとる? 」母親はテレビを見ながら

みかんをひとふさむいては口にほうばっている。

(ここ愛媛は全国きっての言わずと知れた有数のみかん

産地だ) なおもぼうずが「知っとる? 」

「ねえっ、知っとる? かあちゃん」母親はうっとしそうに、

聞こえないふりをしているのか、聞いていないのか、なおも今も

みかんに手を伸ばし、くちゃくちゃと口を動かし、

子供の話をさえぎるように

「**ちゃん、あんたも食べんかい、」「おいしいよ」と、

かたわらのダンボール箱(当時、生産過多から知り合いの農家

から闇で超格安(市場の半値以下)で手に入れていたのだ)から

さらに2個取り出しその一個を愛息子に差し出した。

受け取った少年はみかんをこたつの

上に置き、「かあちゃん、 知っとる」

「クリスマス、って知っとる」「あした、クリスマス」

(母)「え、え」(子)「クリスマスー」

(母)「え、クリスマスー」

(子)「そう、クリスマス、聞いたことある? 」

(母)「うん、聞いたことあるよ、クリスマスやろ」

ようやく、みかんから手を離し、耳を傾けようと

母親は子供に目を向けた。機嫌が悪ければ、いちもにもなく、

はねつけられるところではあるが、食欲が満たされていたのか。


それから後、親子は互いに言い合った、末っ子のおねだりを

母親はしぶしぶ、一部認めた。

「ケーキ、作ってあげるよ」

「ほんと」「ケーキなんか作れるん?」

「作っていらんけん、買うて、買うて」

「買うたら高いんやし、作ったほうが美味しんよ」

「ケーキくらい、かあちゃんでも作れるんよ」

「ほんとかいな・・・・」

「めちゃめちゃ美味しいの作ってあげるよ。」

自信ありげな母親の言葉に同意せざる得ない少年は

何か不安ながらも、初めて見るであろう母親手作りの

ケーキにいくぶん期待を寄せていた。


現代のように欲するものがわずかなお金で手軽に手に入る

時代とは違う《当時》・・ 食べることが何よりも《しあわせ》

そんな時代、ハイカラでシャレた《ケーキ》なんて裕福な友人の

家でごしょうばんにあずかることでしか口にできない

あこがれのお菓子を、

あの昭和ひとけたの、いなかの土のにおいしかしない、

あの《どけち子》の女性が・・・ ほんとにできるんかな?

《どけち》と料理のうまいへたは何の関係もないところだが・・


当日の夕刻、日がすでに暮れかかっている。いつもの食事時間

まで、もういくばくもない。しかも、それらしいブツは今もって

一ミリも目にできない。待ちきれない小僧がおそるおそる

問うた。

「ケーキ、いつできるん? 」「もうすぐ」

「いま、作ってる? 」「まだ・・・」

「もう時間ないよ、みんな帰って来るよ」

「ごはんのおかずが先やろ」子供が居間でテレビを見ながら

母親に問いかけながらせっつく。母親は我関せず、土間で

ドタバタと食事の準備にてんやわんやで大わらわ。


しばらくして、土間の東となりの風呂場の火入りを祖母が

いつものルーティーンでおこなったのか、すりガラスの

戸のすきまからあかあかと暖かな明かりがもれていた。それが

発端に家族がぞろぞろと集まり始めた。姉、兄がテレビの

チャンネル争いで騒がしい、兄が力ずくでテレビの画面の

前いっぱいにしゃがみこみなめるように見ている。

「**ちゃん、 そんな近くで見たら、目悪なるよ」

母のこごとが耳ざわりだが、兄には効いたのかテレビから

距離をとった。「****」「ごはんできたけん」

「テーブル出して、ふかんかね」と、姉に手伝うように

少しきつく催促する。姉はうつぶつ何やら言いながら

むっつりとした表情でいやいや従う。

「***も手伝って」「お皿出して」

「うん」仕方なく、ぼうずも手伝う。「**ちゃん」

「皿こっちへ持ってきて」母の言葉に命じられるまま

鍋から皿へおかずをよそおい渡されると文句を言う。

「また、さかな・・・他には ?」「ない」と、ぴしゃり。

「ケーキは? 」「ごはんのあとで作る」

「デザートは最後やろ」 (奇妙なことに、なぜだか、

こんなところは知っているのが、不思議な母なのだ。)


9人もの家族が丸いテーブルを囲んで座ると白米をちゃわんに

いつものように祖母がすくい各自に手渡す、その間、次男と自分

のために酒を温めている。(おじと祖母の何よりのたのしみ)


小さなおかずひとすくいに対して大きな白米2、3口とは貧乏人

の常識であろう。お腹が満たされつつあるころ、土間のわきでは

ぐつぐつと大きなやかんが音を立ててにたっている。それを

合図に母がようやく、ケーキ作りの準備に取りかかったようだ。


姉と祖母も手伝いに加わった。祖母が洗った皿を丁寧にふきんで

拭いている。母がひろげた材料の包み紙を両手でまるめて土間に

隠し捨てた。その後、母と姉が白いクリームをマーガリン用

のコテで薄く伸ばしているようだ。ゴソゴソしているとじきに

何だかできあがったようで、皿に盛りつけていた。


「何飲む? 」「コーヒー」「お茶」生まれて初めてコーヒーを

作ってもらうと祖母が眉間にしわを寄せて

「子供に、コーヒーなんか飲ませられん」と母にきつくどなる。

むっとした表情で一瞬祖母をにらんだが、言葉をのみ込んだ

ようでいらいらしていた。(とついで以来、母と祖母は

よくいがみあっていたようだが、父は知らんぷりを決め込んで

いたようで、母はいつもひとり陰で泣いていたそうだ)

そんなことはつゆも知らない子供たちは、おのおの身勝手に、

振る舞っていたため、ここでも、子供たちは熱くて

飲みかねるコーヒーをスプーンですくって

ちょびちょび飲んでいた。


待ちに待った・・・いよいよ、やっとこさ実食だ。

兄とぼうずはひと目見てこうべをたれ、言葉を失った。

母の主張する《ケーキ》のその実態とは、

母の好物の「ミルクブレッド」という市販のパンで、

薄くて小さい子供の手のひらサイズの食パンに

白クリームが両面に塗られて、横に横にと重ねられた

だけの味付けパンで、安価でボリュームのある、

お買い得のパンなのだ、

そのパンを半分ほど5センチほど上に重ねて皿にのせて、

一番上のパンの上に、

なんとこともあろうことか、

マヨネーズで、小さく遠慮ぎみに、

《ケーキ》とかかれたものなのだ。(ただ、《ケーキ》とかき

こんだだけでまさに名札を付けたごとくの、

自称する《ケーキ》だけのものなのだ)味はともかく。

その横には、ご愛嬌にありふれたみかんの

ひとふさがふたつほど

大きな顔してちんざしているではないか。

でも最悪のことに、マヨネーズのちょっぴりの塩気で、

クリームの甘さが台無しで、

とんと食べられたもんじゃなかった。

兄とぼうずは土間にまるめて捨てられた

見慣れた袋包みを見逃さなかった。

ふたりは顔を見合わせて軽くうなずくだけであった。

ぼうずは母親を見た。

母は、「おいしかろ? 」とぬけぬけとほざきやがった。

返事するのもアホくさく、黙ってとにかく口に押し込んだ。

母親はさもありなんのごとく、ごくごく普通の面持ちで

コテや皿に残ったクリームを

誰気がねなく集めてなめて、(ほんにずぶとい)

コーヒーで流し込んでいた。

《けちくさい》にも程があるもんだと、ぼうずは

行き場のない《いきどおり》をいつものように

腹の中に押し込み、くちびるをかみしめ、涙をこらえ

自分の貧しい身の上をあらためて思い知らされたのだった。


でも、こんな母親でもなぜだか決して憎めない

嫌いになれない、本音で笑って見つめられる顔が

忘れられないのだ、

妙にいとおしいのだ。これが血縁というものか ?


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また逢う日まで。


両親のこの手の《子供だまし》には度肝を抜かれたもんだ。

母が夕食に《お子様ランチ》を作ると豪語したのだが、

父が夕食前に、長いつまようじに紙をまきつけ、日の丸の旗を

描き、ワンプレートで、おちゃわん型の白米に刺し付けただけ

だったのだが。これは当時、子供だましで広まった《手》

だったとうわさでよく耳にした。


今この話を母にしても、素知らぬ顔で、

「そんなことあった? 」とちっとも取り合ってくれない。

けたはずれのずぶとさは、今もって健在だ。


そんなハハのおかげなのか、いまだに、

なんでもおいしくたべられる、しあわせものだ。


 

サンタクロース(許されざる真実)

紅葉の景色が、まだまだまぶたに焼き付いて

身体に残っているような気でいたのに。

寒い、寒いというより冷える、冷え込む。

まるで強く厳しい冷気に抱かれてるようだ。

冬の寒さが身に染みるようなると、一年

一年、死ぬ日が近づいているような思い

がじわじわ、じわっとひどく感じる。

いくらあがいても、行く着く先は

決まったようなものなのかな?

昨晩より段どった暖房機器の温風に手をかざし

暖をとりながら、そんなことを考えていた。

ふと気付くと、街はだんだんクリスマスに色づいてきた。


などと心細いことを考えてしまうのは

最近何かと気の滅入ることが多いためか?

来年春にはよわい60を数え世間でいうところの

還暦、ひと回りしてもとに戻ってしまう《年寄り》

というカタゴリーに入ったこの身が何ともいとおしい。


子供の頃のこと。あれは、そうだ小学一年生の年の瀬、終業時、

左となりの席の当時としては珍しい、ほんのり肥えたおかっぱ

頭の色白のおとなしい女の子が「いっしょに帰ろ」と言うので

断わる理由もないから、校舎の北がわの通りに面した裏門から

東に向けてテクテクとふたつの小さな木枯らしは家路に向かう。

女の子の家の近くになると、「いっしょに宿題しよう」

「え、石川さんの家で? 」とふたりは家の中へ消えた。


入って、いっときは過ぎただろうか。すでに、夕闇が濃い。

ひとくぎりついた女の子が奥の引き出しからクリスマス色の

包装のチョコレートのひとかけらをひそかに口にほおりこんだ。

「ムシャ、ムシャ」さらに、ひとかけら砕くと

すっと男の子に向けて、

「ふん、こうじくん、食べんかい」「ありがとう」

(ありがたい、うんめえ)「おいしいね」

「うん、わたしチョコレート一番好きなんよ、

こうじくんも・・・(好きよ)」

(小さな声ではっきり聞き取れなかったが)

(そう聞こえたと僕はいまでも思っている)もうすでに天国に

旅だった彼女から真相は聞き出せないのが残念ではあるが・・・

彼女はひとつ上の兄とのふたり兄妹で、転勤族で、財閥企業の

住友関係か、電力会社に勤める父と働き者で家におじゃますると

必ず紅茶とイチゴケーキをかまってくれた心優しい母、(でも

バカのひとつおぼえみたいに、

「こうじくんは家どこ? 」って聞いて決まって「あーあっ、」

「しずとし(父の名前)、さんとこの」ってうなずきながら

応えていたのだが、子供ごころに大人のあいそって

始末に悪いもんだなと思ってた)との

4人家族で、当時としては核家族のはしりであったろう。


それが証拠に・・・お互い照れ臭くて目を合わさない様に、

ただただ部屋のどこぞに目をやっていた。

しばらくして、「そのチョコレート、お母さん、

買ってくれたん? 、ええねえ」と男の子がたずねた。

瞬時に目つきが変わった女の子は

「ううん、違うよ」女の子は、

向きを変えて男の子の目をみつめ、

はっきりとした口調、きりりとした表情でこう答えた。

「サンタクロースさんが、プレゼントでくれたんよ」


再び思い出した。

そんなこともあって、人の優しさがことに身にしみる、

涙がちょちょぎれる。つい先日のこと、

知り合いのお母さんから、どう見ても23,4の独身、

ふっくりした顔立ち、からだつきで、人がらもさばけた。

男気のない女性だけの中学、高校を過ごしたためか、

他校の学生と当時から恋におぼれて若くしてみおもになり

就職と同時に認知を受けられぬとも男子を出産、親元を離れて

シングルマザーの苦労人なのだが、それだけに、ほっとけない。

「このままでは、」「義理がたちませんから」と

さんざん子供のめんどうをみた我々を気づかって、

夕食の席を設けてくれた。当然、その席には、

少し気の早いサンタクロースから

プレゼントを受け取った男の子の姿も。

大人の手のひらサイズの大きさが評判の《チキン南蛮》の

有名店「鳥シン」席について料理を待っているその間のこと。

「もう4歳になったから」「そろそろ現実を知るのも」

「いいころかも・・・」言下に、言うか言わないかで

母親の顔つきが瞬時にこわばり眼光鋭く(えッ、信じられない)

「よしてくださいよ」おどろきの表情からいささか怒りの表情に

変わっていくのを僕は見逃さなかった。「まだまだ、夢は夢の

ままにしておきたいので・・・」と、言い終えた彼女のいらだち

とその焦りが手に取るようによくよくわかったため、となりの

子供を引き、頭をなでよせた。微笑みかけると返してくれた。

なおも引き下がらないで、

「ところで」「プレゼントはどこに」

「で、プレゼントは枕元に? 」「置くんですか? 」

「いいえ、ツリーのそばに・・・・」言い終わらないうちに

口もとを手で抑え「あっ、」(あぶない、あぶない、

聞いてたかな? )「もう、やめてくださいよ」

「誘導尋問じょうずですね」「ほんと、もう」

「こわい、こわい」「わかってますかね? 」

「大丈夫でしょう」「わかってないでしょう」

「まだ、むじゃきに笑ってるから」男のコはこうべをたれて

ただただまわりにひきつられて、愛想笑いでほほえんでいた。

「ごめんなさいね」「いえいえ、」「私のほうこそ、」

「場をしらけさせないようにと、思って」

母は頭をかきながらベロを引き出しして

笑いながらこたえてくれました。こちらも

申し訳なさが心にきわまってはじけながら

頭をさげた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。皆さん、良いクリスマスを・・・


子供のころから、厳しい現実を肌身に感じていたため、

クリスマスの甘ずっぱい夢はいっさい感じられずに少年期を

過ごしてきた。いちどでいいから、サンタクロースにあいたい。


その後僕はあきれて石川さんにこう言った。

「サンタクロースなんか、」

「いるわけないやろ」

「全部、お父さんか、お母さんが」

「買いよんよ」「石川さん」

「ほんとうに子どもやねえ」

「僕は保育園のときから」

「知っとるよ、」

「サンタクロースなんかいないと」

僕はしたり顔で言ってしまった。子供のしたこと

にしても、ほんと罪なことをしたもんだと、今は思う。

そんなこんなで、その後彼女の僕への態度は冷たくなった。

で、若くして、サンタクロースにつれていかれたのかな・・・


もう、決して、あやまることさえ許されない。

なんだかひどくつらい、切ない・・・・

冬の蚊

「あっ、蚊ー? 」「これ、かあかー? 」

「うそー、もう冬よ」「えっ、ちがうんかなーー」

片手でにぎりつぶそうとしたが、指の間をすり抜けられた。

季節はずれの小さな、目をこらさないと認識できないほどの

むし(蚊のような)成虫になってまだ間もないのか、

おぼろなげに、おぼつかない足どりでゆらゆらと空中を

ふらついている、今にも力尽きそうに(まるで今の自分のよう)

いつの間にか黒くて暗い車内にまぎれて見失ってしまった。

車は車道に向け駐車場を出ると左手に曲がり踏切を抜けると

そのまま直進、いくつかの信号を通過して北へ一キロ転がす。

車道の両脇の木立は短い秋の間にほとんどの葉っぱを

落とし果てたのか、異様にかぼそい小枝が冷たい風にあおられて

ざわざわと小刻みに震えている。店舗のガラス壁が

淡い冬の陽の光に照らされてわずかにまぶしい。

冬の心地よい晴れ渡る陽気の下、車中は静かでおだやか。

さらには、大きなバイパス通りを左折すると車両の数も

雑踏をきわめて運転も慎重にならざる得ないところではあるが


「ブルブル、リンリン」バックの脇に手を差し入れ

前方にも注意を向けながらもスピーカーモードで応える

「はい、」後部座席から、

早朝から、はじけんばかりの笑顔の男の子が変貌した、

いきなり

「おいおいおいー」「おいおいおいおいー」

「なにしてんだよーー? 」怒り口調で、しかし、

なかば冗談まじりに、「おいおいおいおい」

「何してんだ」「お前、けいたい」

「さわってんじゃねえよ」「しっかりーーー」

「運転してろー」「、って」「言ってんだよー」

「おいおいおい、おまえーー」

とつじょの空気の変わり様に一瞬、車中は凍てつく。


ややして、思わぬ注意喚起に自分を取り戻し思い起こして、

けいたいを慌てて切る。と同時に、振り返り様子をうかがう。

「**ちゃん」「今の何? 」「どうしたん? 」

「どこでそんな言葉、おぼえたん? 」負けじとこちらも

「おいおいおいおい」「何か言うた? 」「おいおいおいおい」

「もういっぺん、言ってみて」。おかしな言葉に

こちらの調子もくずされる。「ハハハッ」「ハハハッ」

笑いかけると、「ハハハッ」目じりを細めて笑い返してくれる。


そうこうしていると、じきに車は左折して目的地に到着した。

「中に入る?」「車で食べる?」笑顔で問いかけると、

「入る」と満面の笑顔で応える。車道沿いの店の横に止めて

一同、店に入る。


店内はコロナのせいか、比較的すいていたのだろう、

客はわずかに点在するだけだ、おおかたの席が空いている。

陽当たりにいいお気に入りの席に腰かけるとさっそく

フレンチ・フライをほおばりながら、おまけのおもちゃを

開け広げ何やら熱心にいじっている、ほんにうれしそうだ

楽しそうだ、上機嫌だ。こちらも気分がいい。席について

まもなくして、左に人の気配を感じ、人影が視界に入った。

「おはようございます」見上げると町内の若造とその娘だ。

人がいいのだけが取り柄で人なつっこいのだが、いささか、

頭が弱い青年は30手前でおめでた婚で所帯持つと同時に父親に

なり、まだまだ元気な祖父母と両親と同居暮らしである。

祖父母は町内でも一番の古株で、家の正面で「修理工場」を

始め、景気の波に乗りかなり大きくした。

一人息子は高齢とともに商売から退いた、うちの兄貴と同級の

さらにその息子は「手打ちうどん」の修行の末、店を

始め、祖母の強い発言力のおかげでけっこう繁盛していたのだが

持病のぜんそくを悪化させ店を閉じ、親の遺産でほぼパラサイト

依存して暮らしているとのうわさだ。

「あっ、おはよう」と応えると

「よく、来られるんですか? 」「いいや、たまにやけれど」

「今日は休みやし」「お客さんが来たから」

「朝の教会の礼拝休んだんよ」

若造は娘から手を離し、しゃがみこんでけげんそうに顔を近づけ

「えっ、えっ、」「何です? 」

「今日、日曜日やろ」

「普通なら教会に行かんとね」

「えっ、」「キリスト教」「信仰されてるんですか? 」

近づけた顔をさらに近づけ、きょとんとした表情で問うた。

「冗談、冗談」「うそやで」笑いながら返事した。

「ですよね」「びっくりした」言下に、言うや言わないうちに

「びっくりついでに、もうひとつ」

「この子」「知っとる」

「いいえ、知りません」「初めてです」

「誰です? 」「どこの子? 」我々に子供が居ないのを

知っている青年が問うた。すかさずに、僕は、

「ひろってきたんよ」て応えると、青年は笑いながら

「加茂川ですか」

「そうそう」「去年の祭りで迷子になってたんで」

「ハハハッツ」「よく、今まで生きてましたね」って、

娘に目をやりながら声に出して笑って答えた。

「ひろったというよりも、」「さらったっていう方がええかな」

「そうですね」あきれた調子で別れを切り出した。

「親元に、早く返した方がいいですよ」

「そうやね、」「そうするわ」

「それじゃ、」「では、また」「さようなら」

その場を離れた。


帰りの車中で、窓を通して景色をながめていた男の子が

「あっ、ムシー、」とつじょ、大きな声で叫んだ。

ぎょっとして振り返り問うた。「どこ? 」

「そこ」「窓の上のほう」「あそこ」

「蚊やね、たぶん」「手でたたいて、殺さんかい」

「うん」「しんちょうにせんかいよ」「いっぱつで」

「わかった」冬の寒さで弱りきったむしは幼児の

気配すら気取れずに、

「ぱしーーん」との音とともに

「やったよ」男の子は勝ち誇った表情だった。

そのかわいい白くちいさな手のひらは、

赤く染まっていた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。会えるまでお元気で。


自分の考えや、もうそうがうまく言葉にならず

いらだって、自己嫌悪におちいり、自暴自棄になりかけて

いたのです。暇にまかせて多読をしていると、なぜか心が

もやもやっとして胸がうずくので、再度筆をとったしだいです。


店内で食事中、家内のバーガーのパンの切れはしが

こぼれ落ち、胸元の服の上にのっていた。男の子が

すかさず、「落ちたよ」「**ちゃんが取ってあげる」

家内に近づき、おもむろに小さな手が家内の胸元にのびた。

「おっぱい」「さわってやったーー」と、

おおはしゃぎでわめいた。店内が騒然としていたため

幸運にも、まわりの客は誰も気付いてそうにない。

よかった。蛇足ながら、男の子は《巳年》なのだ。


またよろしく願いますね。