冬の蚊

「あっ、蚊ー? 」「これ、かあかー? 」

「うそー、もう冬よ」「えっ、ちがうんかなーー」

片手でにぎりつぶそうとしたが、指の間をすり抜けられた。

季節はずれの小さな、目をこらさないと認識できないほどの

むし(蚊のような)成虫になってまだ間もないのか、

おぼろなげに、おぼつかない足どりでゆらゆらと空中を

ふらついている、今にも力尽きそうに(まるで今の自分のよう)

いつの間にか黒くて暗い車内にまぎれて見失ってしまった。

車は車道に向け駐車場を出ると左手に曲がり踏切を抜けると

そのまま直進、いくつかの信号を通過して北へ一キロ転がす。

車道の両脇の木立は短い秋の間にほとんどの葉っぱを

落とし果てたのか、異様にかぼそい小枝が冷たい風にあおられて

ざわざわと小刻みに震えている。店舗のガラス壁が

淡い冬の陽の光に照らされてわずかにまぶしい。

冬の心地よい晴れ渡る陽気の下、車中は静かでおだやか。

さらには、大きなバイパス通りを左折すると車両の数も

雑踏をきわめて運転も慎重にならざる得ないところではあるが


「ブルブル、リンリン」バックの脇に手を差し入れ

前方にも注意を向けながらもスピーカーモードで応える

「はい、」後部座席から、

早朝から、はじけんばかりの笑顔の男の子が変貌した、

いきなり

「おいおいおいー」「おいおいおいおいー」

「なにしてんだよーー? 」怒り口調で、しかし、

なかば冗談まじりに、「おいおいおいおい」

「何してんだ」「お前、けいたい」

「さわってんじゃねえよ」「しっかりーーー」

「運転してろー」「、って」「言ってんだよー」

「おいおいおい、おまえーー」

とつじょの空気の変わり様に一瞬、車中は凍てつく。


ややして、思わぬ注意喚起に自分を取り戻し思い起こして、

けいたいを慌てて切る。と同時に、振り返り様子をうかがう。

「**ちゃん」「今の何? 」「どうしたん? 」

「どこでそんな言葉、おぼえたん? 」負けじとこちらも

「おいおいおいおい」「何か言うた? 」「おいおいおいおい」

「もういっぺん、言ってみて」。おかしな言葉に

こちらの調子もくずされる。「ハハハッ」「ハハハッ」

笑いかけると、「ハハハッ」目じりを細めて笑い返してくれる。


そうこうしていると、じきに車は左折して目的地に到着した。

「中に入る?」「車で食べる?」笑顔で問いかけると、

「入る」と満面の笑顔で応える。車道沿いの店の横に止めて

一同、店に入る。


店内はコロナのせいか、比較的すいていたのだろう、

客はわずかに点在するだけだ、おおかたの席が空いている。

陽当たりにいいお気に入りの席に腰かけるとさっそく

フレンチ・フライをほおばりながら、おまけのおもちゃを

開け広げ何やら熱心にいじっている、ほんにうれしそうだ

楽しそうだ、上機嫌だ。こちらも気分がいい。席について

まもなくして、左に人の気配を感じ、人影が視界に入った。

「おはようございます」見上げると町内の若造とその娘だ。

人がいいのだけが取り柄で人なつっこいのだが、いささか、

頭が弱い青年は30手前でおめでた婚で所帯持つと同時に父親に

なり、まだまだ元気な祖父母と両親と同居暮らしである。

祖父母は町内でも一番の古株で、家の正面で「修理工場」を

始め、景気の波に乗りかなり大きくした。

一人息子は高齢とともに商売から退いた、うちの兄貴と同級の

さらにその息子は「手打ちうどん」の修行の末、店を

始め、祖母の強い発言力のおかげでけっこう繁盛していたのだが

持病のぜんそくを悪化させ店を閉じ、親の遺産でほぼパラサイト

依存して暮らしているとのうわさだ。

「あっ、おはよう」と応えると

「よく、来られるんですか? 」「いいや、たまにやけれど」

「今日は休みやし」「お客さんが来たから」

「朝の教会の礼拝休んだんよ」

若造は娘から手を離し、しゃがみこんでけげんそうに顔を近づけ

「えっ、えっ、」「何です? 」

「今日、日曜日やろ」

「普通なら教会に行かんとね」

「えっ、」「キリスト教」「信仰されてるんですか? 」

近づけた顔をさらに近づけ、きょとんとした表情で問うた。

「冗談、冗談」「うそやで」笑いながら返事した。

「ですよね」「びっくりした」言下に、言うや言わないうちに

「びっくりついでに、もうひとつ」

「この子」「知っとる」

「いいえ、知りません」「初めてです」

「誰です? 」「どこの子? 」我々に子供が居ないのを

知っている青年が問うた。すかさずに、僕は、

「ひろってきたんよ」て応えると、青年は笑いながら

「加茂川ですか」

「そうそう」「去年の祭りで迷子になってたんで」

「ハハハッツ」「よく、今まで生きてましたね」って、

娘に目をやりながら声に出して笑って答えた。

「ひろったというよりも、」「さらったっていう方がええかな」

「そうですね」あきれた調子で別れを切り出した。

「親元に、早く返した方がいいですよ」

「そうやね、」「そうするわ」

「それじゃ、」「では、また」「さようなら」

その場を離れた。


帰りの車中で、窓を通して景色をながめていた男の子が

「あっ、ムシー、」とつじょ、大きな声で叫んだ。

ぎょっとして振り返り問うた。「どこ? 」

「そこ」「窓の上のほう」「あそこ」

「蚊やね、たぶん」「手でたたいて、殺さんかい」

「うん」「しんちょうにせんかいよ」「いっぱつで」

「わかった」冬の寒さで弱りきったむしは幼児の

気配すら気取れずに、

「ぱしーーん」との音とともに

「やったよ」男の子は勝ち誇った表情だった。

そのかわいい白くちいさな手のひらは、

赤く染まっていた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。会えるまでお元気で。


自分の考えや、もうそうがうまく言葉にならず

いらだって、自己嫌悪におちいり、自暴自棄になりかけて

いたのです。暇にまかせて多読をしていると、なぜか心が

もやもやっとして胸がうずくので、再度筆をとったしだいです。


店内で食事中、家内のバーガーのパンの切れはしが

こぼれ落ち、胸元の服の上にのっていた。男の子が

すかさず、「落ちたよ」「**ちゃんが取ってあげる」

家内に近づき、おもむろに小さな手が家内の胸元にのびた。

「おっぱい」「さわってやったーー」と、

おおはしゃぎでわめいた。店内が騒然としていたため

幸運にも、まわりの客は誰も気付いてそうにない。

よかった。蛇足ながら、男の子は《巳年》なのだ。


またよろしく願いますね。


 

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