ひさびさ

前年、4歳になった男の子が昨日我が家に遊びに来た。

(たびたび、登場するので、今さら、説明は不要だろう)

玄関口で、顔を見ると満面の笑顔でイスにかけている

小生のところまで走り寄って来た。

「おいちゃん、おみやげ(土産)あるよ」とうれしい言葉。

母親のところまで戻り、手に提(さ)げて返ってきた。

「ありがとう」にっこりと微笑み返す。見ていた家内が

「おばちゃんには? 」と聞くと、素知らぬ顔で即座に

「これ、おいちゃんと一緒に食べて・・・」と、

家内に視線を送りふたたび、にっこりと微笑む。その後

テレビ棚のすみに何やら見つけた様子で、寄ってしゃがみこんで

つかみとって、小生まで寄ってきて、拾った小さなホルダー

のようなものを、親指と人差し指ではさみつかんで

小生の目の前でぶらぶらと揺らせながら、こう言い放った。

「おいちゃん」と呼びかけ、ためて、ためて、

ゆっくりと、はっきりと、目をみつめながら

「これ、だいじ(大事)な、もん・じゃ・ない・のーー」

彼は得意げに、なかば、あざけるようにニタニタしていた。


以前から所属するある団体に、久方ぶりに見かけた女性との

会話。「お久しぶりですね」「ですね」

「お元気そうで何よりです」「ありがとうございます」「おかげ

さまで」両手をひざに、お互いおじきしながら笑顔で応える。

その女性はひと言で申せば、さしずめ《ザ・美人》と言えるかな

目鼻立ちの整った、人がらもさばけた足の長い40代二児の母親

スカーレット・オハラほどのしなやかな強さ。

オードリー・ヘップバーンに勝るとも劣らない品の良さ。

マザー・テレサばりの慈悲深さ。

一緒にいるだけで安心感といやしに包まれ

ほっこりさせていただけるほどの幸福感。

彼女を見かけるだけで、心にさわやかな風が吹き抜ける。

うれしくて思わず声をかけずに居られない。楽しませてあげたい

彼女に目線を送り呼び止め、

「ケチでバカな男の話し」「しましょうか?」「聞きたい? 」

「はい・・・」語尾が上がり、何だかけげんそうにしている。


「昔のころの江戸での話し、ひとりのケチでバカな男が居た。」

「はい、それで? 」「その男が、長屋のご隠居さんに呼び止め

られて」「てめえ、みっともねえたらありゃしない」

「おい、いい年して、鼻くらい《かめ》ってんだよ」

「ですけどねえ、紙がもったいねえでしょう? 」

「もったいねえだと、」「じゃ、良い事、教えてやろう」

「へい、何でしょう」「あのな、一回鼻かむだろう」

「鼻かむだろう」「その紙、すぐに、捨てるんじゃねえんだよ」

「へい、どうするんで? 」「ここから大事だからよく聞けよ」

「へい、」「鼻をかんだ紙を、よく洗って、乾(ほ)すんだよ」

「へい」「よくかわかした、その紙で・・・」

「へい、よくかわかした、その紙で・・・」

「よくかわいたその紙で・・・」

「そう、その紙で、おしりふくんだよ」「へい」

「1枚の紙で、2回使うから節約にもなるってすんぽうよ」

「な、どうだい? 」「いいですね」「そうだろうそうだろう」

いいことを聞いたと思った男はさっそく、行動に移すことに・・

それからしばらく後のこと。通りで出くわした男にご隠居さん

が問うた。

「てめえ、まだ鼻たらして、みっともねえやつだな、ほんとに」

「紙がもったいねんで」「何、もったいねえだと」

「前に教えてやったことすりゃいいだよ」

「へい、あっしも、やろうとしたんですけれどね・・・」

「お、やろうとしたけど、どうしたんって? 」

「それがねえ、(順番)じゅんばん、まちがえちゃってねえ」

「それから、一週間も、(臭)においがとれねえたら」「とれね

えたら」「困ったもんでして、弱った、よわっちゃったよ」

「てめえわ、ほんとのバカだなあ」

「あきれたご隠居さんが言ったそうな。」


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


彼女は何とも言えない、不快そうでもあり、おもしろくもあると

言った、表現の難しい表情で、でもニタニタしながら、

小生から離れ、仕事に戻った。


 

死生観

一流、立派な人には必ず「死生観」があるという。テレビで視た

一流になればなるほど、立派であればあるほど次のどれかを

経験しているという。《戦争》《大病》《投獄》のどれかか、

ふたつ以上を経験しているという。


「死生観」と聞いて思い出すのは、故スティーブ・ジョブズ氏、

言わずと知れた「アップル社」創業者である天才起業家、

実業家。

彼のスタンフォード大学での有名な演説。そこで彼は生死を

さまよう《大病》を経験し、九死に一生を乗り越え日常生活に

復帰してから、毎朝起きて洗面所で自分の顔を見るたびに自分

にこう問いかけていたと・・・

「今日で自分の人生が終わるとしたら、」

「今日、自分のしようとしていることは・・・」

「本当にこれでいいのだろうか? 」と。


これの意味するところとは、

仮に、あなたが何かの重い病気にかかり、それがかなり深刻な

状況におちいったとして、精密検査の結果、医者からこう

告げられました。

「申し上げるのは、大変心苦しいのですが残念ながら、

あなたの症状はもはや手遅れです、もう手の施しようが

ありません」それを聞いた患者はショックのあまり言葉を

失ってしまった。しかしどうしても聞いておきたいことを

うかがった。「先生、ひとつだけ教えて下さい。」

「わたしはあとどれくらい生きれますか? 」

「えーとー、せいぜいあとひと月ですね」

「そうですか、へへへへ」

もはや患者は笑うしかないはずだ。

あと30日ほどで終わりか・・・


しかしながら、それから患者は自分の人生を心から真剣に考える。

次の日から自分の本当にしたいこと、すべきことを選びに選んで

一生懸命、本気で生きようと心がけるのだ。

もし、医者から

「大丈夫です、心配はありませんよ、まだまだ生きられますよ」

「そうですね、短く見積もっても、まだ30年は生きられます」

そう言われたとしたら、医者から言われる前と言われた後とでは

彼の自分の人生に対する取り組みはまったく変わらないはずだ。

残り30日と30年の人生とでは、その違いの大きさは明白だ。


生死をさまようような経験をしたモノは、一日いちにちとの

向き合い方が大きく異なり、時間、いや人生の密度がおどろく

ほど濃密に濃くなるのだと・・ と言うことは、どういうことか

物事に対する考えが鋭く、深く、真剣度が異なるとのこと。

結果、いままで使わずムダにしていた脳みそをさらに2割、

3割増しに使うようになる。時間もだろう、そうだろう。

すると、いままで自分の中でくすぶって、眠っていた能力が

とつじょ開花する可能性があり、大業を成すことにつながるはずだ。

強い《使命感》を持って物事に取り組めるはずだ。文字通り、

なにしろ、《使命》とは「《命》を使う」こと

なのだから・・・


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


 

時そば

めいっこの結婚祝いとのことで久方ぶりに家族で食事会。

支払い時、若い女店員がおさつをいちまい一枚手にとっては

テーブルに置いて数えていた時、家内が口をはさみいれた。

「今、なんどきで? 」女店員は何やらけげんそうに

こちらを見あげて「えっ」ってだけで、言葉を失ったようだ。

見かねた小生が「最近の、若者にはわからんて」

「何ですか? 」女店員が不機嫌そうに眉間を寄せたので、

「時そば」「時そば・・・」

「有名な落語のネタ」「落語のはなし、なんです。」

「あっ、あっ」と、たとえ知らぬとも知ったそうに相うった。


ユーモアに富んだ貧乏な男が、サギまがいにたったの一文を

だましてソバ一杯を食するお話しだ。店主が支払いの金銭を

こまかく声に出して数える最中に、横から《時間》を問うと

いったツッコミをいれ、一瞬、あわてた店主が一文数え間違い

男がまんまと一杯のそばの支払いを無事になすのだ。


凍てつく冬の夜、雲間にわずかに月が浮かんでいる。

灯りがなくてもなんとか足元が見きわめられる。

時は元禄、悪名高い五代将軍綱吉の治世、わいろを当たり前と

した田沼が首席老中を務め、農業生産発展を基盤に都市町人の

産業が発展し経済活動の活発化を受けて、

社会全体が(特に上方を中心に文化、学問、芸術)隆盛をきわめ

華やかで豊かな時代。

商品作物が市場に流通し、まちには夜でも屋台が通りを

にぎわせて庶民にも容易に夜ふけでも食事ができるよう

になった。関西では「時うどん」関東では「時そば」で有名。


江戸市中のほんの外れ、農村のおもかげが色濃く残る街、

大通りにつらなる問屋は、とっくに灯りは落とし

しんーと静けさと闇におおわれているが、通りのつきあたり右に

曲がると子育て稲荷の境内で、その左端は深い木立に接した

はなれのような場所に屋台は構えていた。

しがないふたりの職人がしけた面して通りを歩いてた。

「ひえますねえ」「そうだな」

「こんな時には熱いのをキューとひっかけたいなあ」「ですね」

「で、おめえ、いくらある? 」「ほとんどおけらでやんす」

「いくらってきいてんだよ」「あっしはちょうど9文で」

「おれはもっとしけてらい」「あにっい、あそこにソバ屋がでて

ますね」「よーし、今夜はそばでがまんするか? 」

「えっ、あるんですか? 」「てめえのとらのこ、こっち

によこせやーい」「お前が9もんで、俺が6もんか?

二人合わせても15もんか? これでも足りねえか? 」

折しも、近くの寺で、時を知らせるカネの音がする。

「ボーン、・・・」ちょうど、ここのつ、のようだ。

年配の職人が思いを決めたのか「よし、行くぞ」

ふたりはのれんをくぐる「やあ、おやじ、一杯かけてくれ」

「おふたりさんにですか? 」

「いや、ただのいっぱいだ、いっぱいだけでいいんだ」

「わてらは、なんでもふたりでひとつなんでえ。」

「へい、わかりやした。」


当時ソバ一杯は、《にハチじゅうろく》の16文。諸説あれど、

にハチそばのソバの配分の、ごろ合わせから、

ソバの値段が決められたといわれている。


「おやじ、」「いいちょうちんだねえ、

矢がまとに当たってやがらあ、気持ちがいいねえ」

「へい、当たりや、っていうんです、ごひきにねがいます」

「よし、わかったぜ 」「見かけたら、またよせてもらうよ」

「へい、おまち・・・」男はどんぶりを引き寄せ割りばしを

さいて、どんぶりのふちに口をもっていく。「いただくぜ」

「じゅるじゅるじゅる」「うめえ、おやじ、いいだし出てるよ」

「ズズー、ズッ、ズッ、ズズー」「めんも、のどごしが気持ち

いいねえ」「ズズー、ズズー、じゅるじゅるじゅる」

「あー、満足したぜ」「おい、てめえも食え」

連れのさんぴんの男に残りわずかのどんぶりを渡し、そいつが

不満そうに食いたいらげる。「ごちそうさん」

「おやじ、いくらで?」「へい、16文です」

「悪いが、こまかいのしかないから」「手出してくれー」

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、

やっつ・・」

男が一文いちもん店主の手のひらへ、ぜにを呼び落としていく。

手にはふたり合わせても、15文しか持ってない。

ここで、男が店主に問う。「おやじ、今、なんどきで? 」

店主は視線を上げ、思い出し応える「へい、ここのつ、で」

そしらぬ顔して男は続ける。「とー、じゅういち、じゅうに、

じゅうさん、じゅうし、じゅうごー・・・(最後の一枚を・・・

隠せない笑みが自然と口元にあらわれる)じゅうろく」

「へい、おありがとうごぜえました」「また、くるよ」

ふたつの影が闇の中へ消えていく。

おおまかには、こう言ったはなしです。本当の落語では、

つかみの笑いがあって結構おもしろい。最後のオチはしたっぱの

さんぴんがアニキのマネをして、一文ごまかそうとするのだが

バカで慣れてないさんぴんは、ツッコミどころを間違えるのだ。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、

やっつ、ここのつ、とー」ここでつっこんで

「今、なんどきで? 」店主が「ここのつ、で」と応える。

続けて男が、

「とー、じゅういち、じゅうにー、じゅうさん、・・・」で、

「おあとがよろしいようで」「♪テテテンテン♪」おはやしの音


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


江戸時代、時間の考え方は聖徳太子の時代から大陸(中国)の

やりかたをほぼそのまま踏まえて使われていた。

時間の間隔は、季節によっても地域によっても異なる。

それぞれの人間の勝手な受け取り方で、「日の出」「日の入り」

を取り決めその太陽の「日の出」と「日の入り」を基本にした。

すなわち、冬の昼の時間の長さは夏の昼の時間のほぼ半分、

その分、夜の長さは冬の時間は長く夏のそれはほぼ半分短くなる。

明け六つ(午前6時頃)と暮れ六つ(午後6時頃)を定め、

昼と夜をそれぞれ6等分し、合わせて一日を12等分した。そこに

十二支をふり当てて別称としていた。また時間のもっとも若い

時間を「ここのつ」として、それから数字をだんだん減らして

呼んでいた。「ここのつ」「やっつ」「ななつ」「むっつ」

「いつつ」「よっつ」というぐあいだ。

ちなみに、一刻(いっとき)は今でいうとだいたい2時間、

はんときが約一時間ほどだ。まとめるとこうなる。


午前、0時はよる九つ(子の刻)、1時は九つ半。

2時はよる八つ(うしの刻)、3時は八つ半。

4時はあかつき七つ(トラの刻)、5時は七つ半。

6時は明け六つ(うの刻)ー日の出の30分前、7時は六つ半。

8時は朝五つ(たつの刻)、9時は五つ半。

10時はひる四つ(みの刻)、11時は四ツ半。


午後は、12時は九つ(うまの刻)、1時は九つ半。

2時はひる八つ(ひつじの刻)、3時は八つ半。

4時は七つ(さるの刻)、5時は七つ半。

6時はくれ六つ(とりの刻)ー日没の30分前、7時は六つ半。

8時はよい五つ(いぬの刻)、9時は五つ半。

10時はよる四つ(いの刻)、11時は四ツ半。


 

ホームシック

誰にでも忘れえぬ思い出があろう。

それが良かろうが悪かろうが、ときに想い出し

自分の人生をいろどってくれていることを実感する。

若い頃、ことに学生じぶんまでは辛くて悲しいことがほとんどだが

年をとるにつれてうれしい良い思い出が増えたようだ。

あの時もっとこうしてれば・・・ てことも多々あれど。


二階の書棚で若かりしころの写真が目に入った。まだ頭皮が

黒々としてた20代後半のだ。それは新聞記事のモノクロ写真。

思わず座り込み、しばし手に取り、なつかしがった。アメリカ

のいなかの小学校で授業をしていた時の取材記事だった。

着ながしのジンーンズ姿ながら小ざっぱりとした身なりで

往年のすっきりとしたやさ男のおもかげがにじんでいた。

今にいたっては、みにくく小太りに、ほんのりあぶらの浮いた

てかった顔貌が陰残のかげりを宿している。その写真では、

夢や希望にあふれ毎日がバラ色だった、人生で最も華美な時だ。

東海岸のフロンティア精神に富んだニューイングランド地方。

まさにこれぞ古き良きアメリカ、って良さが満ちみちていた。


5月の週末、家から2キロほど東へ、バスを乗り継ぎ市内の

繁華街まで。思いのほかけっこうな人混みだ。注意してないと

誰かにぶつかるか、人混みに流されそうだ。そこかしこに

「マザーズ・デイ」の貼り紙とともにディスカント中だ。

ふと何かを思いつきカードショップに入り、話しやすそうな

女店員をつかまえてたずねた。「マザーズ・デイ」はいつ?

「今週末、明日よ」はき捨てるように、そっけなく言われた。

これだから英米人は嫌いだ、と少し頭にきたのでその店は出た。

ほんのちょっと離れた場所の別のカードショップに立ち寄り、

こんどは親切そうな女店員をつかまえた。「日本からホームステ

イでここにきて、ひと月ほどになるんですが、ホストマザーに

《マザーズ・デイ》に何かしてあげたくて・・・どうすれば?

にこやかに微笑んで彼女はたずねかえした。

「彼女のこと、教えて? 」

「何でもいいよ、年齢、好みとか、趣味とか、知ってる限り」

面倒だなと思いながら、自分から話しかけたよしゆえに、

深く深く考え、たどたどしい英語で、ぽつぽつと

臆面もなく力強く応えた。彼女は忍耐強く聞き取ってくれて

メモ用紙に、アドバイスまでくれた。ありがたい。

こんなときはアメリカ人がとっても好きになる。彼女の指示通り


その後、あと三軒ほど店を回り所望する品を検討品定めをし

二軒目の店に戻り購入して清涼飲料水を飲みながらひとり

通りに設置されたベンチに腰かけて休んでいると、呼ぶ声が

「こーじー、こうじー」と声のする方角に目をやると見覚えの

ある女性の姿が・ ベンチの真向いの通りから手を大きく振って

ふたたび「こーじー」応えて同様に手を振り返す。

彼女は同僚の学校の音楽の女性教師で初めて授業見学に

おうかがいした際に、子供たちと一緒に歓迎のしるしに

「美女と野獣」の歌を送ってくれた。感激した。


車が走っている中、自らの手で車をさえぎりながら注意深く、

通りを横切ってこちらに来られた。久しぶりなので恥ずかし

げもなく横に腰かけ、小さくハグして《チークキス》までしてくれた。

少し頬を紅潮させて、目のやりばに困ったが、ほんのり香り立つ

バラの香水に包まれて、とっても幸せな気分にひたっていた。

そのバラの香りは生涯忘れられない何とも妖艶な

かぐわしい香りだった。こんなことを体験するとアメリカって

ほんとにいいところ、大好きって実感する。今はやりの

ドルチェアンドガッバーナってどんな香りなんだろう?

残念ながら、彼女は二人の子持ちの既婚者だった。

「今日は何しに来たの? 」「ただ何となく、暇つぶし」

「あっ、それと・・・」「えーと・・・」「あの・・・」

「ジェーン(ホストの名前)に贈り物をと・・・」

「いいんじゃない、ナイスね」「こうじってやさしいね」

「だから、みんな、こうじのこと大好きよ」

「アメリカに来てくれてほんとありがとうね」彼女は

微笑みながら話してくれた。小生は言葉につまり

かける言葉が見つからず、ただサンキューとだけ

繰り返していた。自分のごいのなさにあきれた。


日が高く陽射しがきついのでほんのり汗ばんできた。

ひとつ目のバスを下車後、残り1キロほどをホットドッグを

かみしめながら、てくてくと景色を楽しみながら歩いて帰った。

帰って、荷物が見つからないように隠して2階の自分の部屋へ

途中「はーい、こうじ、どこに行ってた? 」との声に

「ウースター(街の名前)まで、気晴らしに」と応えただけで

吸い込まれるように部屋に入った。まもなく、ノックされて

一瞬、ドキッとしたが、ドア越しに「お腹すいてない?」

「ない、食べた」と簡単なやりとり。(入って来られてプレゼン

トを見られなくてほっとした。)サプライズで手渡すつもりで。

小一時間ほど、ラジオをつけたままで、鼻歌まじりにカードを

作った。プレゼントは店でラッピングしてもらっているので

あとは渡すタイミングだけだ・・・・ 考えると、

何だかワクワクしてきて、ひとり悦に入っていた。

誰かに何かしてもうのも嬉しいものだが、してあげるのも

同様に、むしろそれ以上にしあわせなものだ。


次の日、日が暮れてきた、まもなく夕食だ。

外でなわとびをして家の付近を駆けていると

「こうじー、こーじー、ごはんよ」との声が

家に入り、プレゼントをチェックしてテーブルについた。

食事を終え、デザートのアイスの準備をしている最中に

プレゼントをとりに階上へ、となりの空いた椅子に

プレゼントを置いてデザートを食した、途中食べながら注文した。

「紅茶が飲みたい」

彼女が席を立って紅茶の準備をしてる間に彼女の

席に近づき、彼女の椅子の上にカードを置いた。

ティーポットを手に持ち小生専用のカップに注いでくれた。

ティーポットをテーブルに置き、座ろうとした

いすの上のカードに気付いたようだ。カードを開け、目を通すと

こちらに顔を向けてきた、そこですかさず、プレゼントを渡した。

包装をていねいにほどき、中を取り出し見て、(以前一度亭主に

彼女が好んで古民家の収集をしていることをうかがったのだ)

しばし呆然と立ち尽くしていた。両目がうるんでるようだ。

力が抜けたように、となりの空いた椅子にでんと腰かけ、

目をみつめ、涙声でサンキューと言ってくれた。

そして、「こうじーー」とうめくようにつぶやき、

しばらくの間、ただただ抱きしめてくれた。


そんなこんなで、小生は今までの人生で、寂しいと感じたことは

しょうみただの一度もない、ホームシックになったことはない。

出会う人にめぐまれてきたのだろう。それ以上に、

今もって、誰かに何かをしてあげることがうれしくてやめられない。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また笑ってよろしくです。


ちなみに、新聞記事によると、「近藤浩二

アメリカで家を(ホーム)見つける」、との表題で

ホストは思いがけぬことで、驚いたとともに

感激とともにうれしくて感動したとある。

(SHE WAS TOUCHED AND MOVED。)


彼女への感謝の気持ちを余すことなく素直につづった「サンキュー・カード」と

彼女が収集していた「ミニチュアの古民家」を贈った。

カードは、辞書をひきひき、何度も下書きをしたもんだ。

もしかしたら、人生で一番時間かけたかも、そりゃ、苦労したもんだ。

気持ちを届けたいとの強い想いが彼女に伝わったんだ。


そのことを彼女が友人にしゃべって記者が来て、小さな地方紙の

片すみに掲載された。そのご、ケーブルテレビにも強制出演させられた。

通りや街で見かけられると、「有名人、有名人」って

陽気なアメリカ人によくからかわれたり冷やかされて困ったもんだ。


 

心機一転

毎年、毎年何かがあるもんだ。自分にとって、

昨年に続き、今年も「厄年」、って思わされた。

しかも、ここのところ毎日が「厄日」のようなところも

感じられる。しかしながら、ある《出来事》を

きっかけに、ここ二日ばかり、ほんとぐっすりよく眠られる。

今朝はことのほか目覚めがいい、気分が良い。昨年末のこと。


ある若い女性に向かって、ふとぽつりと尋ねた。

「もう、いいお年頃ですよね」(今年春には28歳をむかえる)

「何か《活動》されてるの? 」 見やると、彼女は

一瞬、視線が合いそうになるところを、そらし

「え? え?」とつぶやき、ただただ沈黙「・・・・・」

「最近、めいっこが結婚しましてねえ・・・」

さらに何気に振ってはみてが、なおも素知らぬ顔で

悠然とやりすごされた。心なしか、

いささか視線がおよいでるようではあったが、

(いつもマスクをしているため、表情がよめない。)

ややして、何か思い立ったようで、離れて持ち場に向かった。

ただ、これだけのことだったのだが、その後、

彼女は妊娠出産を迎えることとなり、年初、とつじょ、

関係者多数の面前で、寂しくもここを離れるとの報告をして

小生の前からもどこかへ姿を消すこととあいなった。

親子にも夫婦でも、恋人でも、兄弟でも、親友にも

どのような人間関係にも、必ず《終わり》はあるものだ。


彼女とは、とあるコミュニティーを通じて知り合った。

あどけない顔立ち、ほっそりながらもムチッとした魅惑的な

からだつき。おとなしくも、どことなく威厳もただよっていた。

総じて、女ざかりがからだ全体に、みなぎっていた。

ひと言で申すならば、魅力的な《いい女》感が半端なかった。

初対面の時から、目を惹く気になる女性で、

小生は、ときたま、見かけると、ちょっかいをだしたもんだ。

あわよくばといった、やましい《下心》がないわけではないが・

小生すでに60にさしかかった老いぼれ妻帯者、頭も薄くなり

加えて、半身まひのハンディーキャップといった不自由な

身、しかもこの歳になって、社会に対してこれといった

功績も財産も残せていない無名な、平凡なふがいない

あわれな年寄りであろう。誰の目から見ても・・・

体力の落ち込みもいなめない。(あちらのほうも)

言わずもがな、若い女性に、気にとめられるだけの強みも魅力も

みじんもなかろう、そんなことは百も承知だ。


重々、自覚している。でも、いくつになっても、

夢を持つことくらい許されてしかるべきではなかろうか?

(しかし、無残にも、花は散り落ちた。)

もう二度と顔を合わせることも、見かけることすらないだろう。


そんなことよりも何より、いつから、

そういった相手を見つけ、

それにいたる行為を繰り返していたのだろう?  当然、

カラスの勝手で、小生に口をはさむ余地はどこにもない。

出るまくも、どこにもあろうはずはない。

誰に言われなくとも、重々わかっている、年甲斐もなく、バカな

行為であることも、身の程知らずも、世間体が通らないことも。

それなのに・・・ なぜに・・・

誰よりも、いつも気にかけ、

声もかけていた数少ない知人の小生に、

結婚すら、事前に何の報告もない。

いっさい、おくびにも出さずに、ひた隠しに隠しに、

どういうつもりなのか、理解できない。

ほんと、見くびられたものだ。何かうらみ節のように、

聞こえないわけでもないが・・・  でも・・・

なんだか、わびしい、悲しい、悲しすぎる。いくら望んでも、

叶わぬ恋と、当然わかってはいる。でも、こちらの気持ちは

彼女も承知してるはずなのに、(直接、何度も伝えていた。)

事ここにいたっては、もはや、もう、

どうすることもできないからこそではあるまいか?

多数の面前で報告する前に、そんな小生に、ひとこと《何か》

知らせがあってしかるべきではあるまいか?

(小生なればこそ、言えなかったやもしれぬが)

ことは、「妊娠」といった状況に至ったゆえの別れで

あるわけだ。しかし、それ依然に、ただ「結婚」した

ことだけでも、直接ひとこと本人の口から伝えてほしかった。

かえすがえすも、なんだか非常に残念であった。

しかし、振り返って、思い出して、推察するに、ピーンと来た。

そこには、彼女のやさしそうに振る舞っている心の奥底に、

小生をさげすんでいた、バカにしたような、小悪魔のような

あざけっていた《心》がちらほらとかいま見えるのだ。

余計な勘ぐりをされることも彼女も承知であろうに。

何かの思惑、裏があるような気がした、細かくは差し控えるが

知らされる前とその後では、彼女に対する小生の対応が、

変わってしまうのは、当然であろう。

それこそ、致し方ないことであるはずだ。  その覚悟が

なければ、身勝手なことなど何ひとつすべきではない。

誰かに想われる、慕われることには、責任が伴うものなのだ。

人とはつねに、多面な顔を持つ生き物だから・・・

良いことをすると同時に悪いこともする生き物だから・・・


人の世は、苦界(くがい)である、

何もかもが夢まぼろしである。

ひと呼吸して、じゃっかん、考え直した。もう、すべて、

済んでしまったことゆえ、

すべて水に流して忘れることにしたのです。

そんなことを思ってからは、何か《つきもの》がとれたようで

すっきりした。目からうろこが落ちたようだ。

心がなんだか軽くなった。 そこでこれからは、

分相応に、自分の身をわきまえて、

また、自分らしく笑って喜びを見出し、

小さいながらも幸せをかみしめて過ごそうと・・・・

良い意味で、何だか生まれ変わった心境なのだ。

何か大きなエネルギーが感じられる。力が満ちてくる。


中国の故事に、「人間万事塞翁が馬」がある。

「人間万事塞翁が馬よ! 人生是修行なり」 とも考える。

大切な何かがなくなろうと、いなくなろうと、

大切な息子や身内が、自分が大きなけがをしようと・・・・

人生何が良くて何が悪いか、死ぬ直前までわからない。

良いことも、そうでないことも、何が人生に変化をもたらすか

わからないものだ。頭ではわかっていたが、つまらぬことで、

(本人にとっては、とっても大事な事案なのですが・・・)

心も身体も悲鳴をあげていたようです。

疲れはてていたようです。ご心配おかけしました。


世間で言えばこれは《失恋》ですよね。誰も経験したくない

避けたい、惨めな悲しい辛い辛い出来事でしょうに。

とんでもないぜ。でも小生にとっては、《失恋》ではなく

《三下り半》なのです。(強がりととらえる人もいるだろうが)

一回死んで生まれ変わった《新しい人生》の始まりです。

「心機一転」何事にも心をくだいてはげもう、はたらこう。

今を懸命に生きようと・・・

そう思わされた出来事でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


今日はおまけはなしです。


 

プぺル(えんとつの街)

「上だけを見ろ!!」

「下を見るんじゃない!!」

「下を見ると」「足もとがすくみ」

「前に進めないぞ!!」

ことあるごとに、勇気を与えようと

家族や仲間の励まし。ひとことで言えば・・・・


ディズニーとジブリ映画を足して割ったようなとっても

美味しい、夢とロマンあふれる冒険ファンタジーです。

絵コンテも物語も音楽も素晴らしい。不覚ながら、

クライマックスで胸が、いっぱいになって、小刻みに震え、

えづいた、泣いた。(映画館で)

始まって数分後に、トロッコ列車に乗せられ、

ワクワクドキドキ、

インディージョーンズさながらのスリル満点。

正月疲れで眠たかったまなこも一瞬でパチリ。


今から250年前、時がどれだけ経っても価値が変わらない

《お金》だけに魅せられた人たちをある悪党が、特殊コイン

《エルコイン》で支配しようと煙突をたくさん作り、

多くのけむりで街を包み込み外の世界から閉ざし、外の世界を

見せない様に、あこがれないように、夢を持たせないよう

社会を構築、でっちあげる。


ある日、そんなけむりのはるかかなたで、

赤く光り輝く星がけむりを突き破り、プぺルの街に

転げ落ちていく。そこから物語が動いていく。


どんな社会でもひとりくらい制御不能な異端児はいるもの。

実直で星を見ることを夢見る自分を信じる心優しい少年、

ルビッチとその父親、

昼間は紙芝居で夢を語り、夜は仕立て屋のブルーノ、

ハロウインの日に街へやってきた、

がらくたの「ゴミ人間」、プぺル

素性がよくわからない、地底人間、爆弾作りのスコップ、等々、

個性豊かなキャラクターたち。


夢(外の世界の星を見る)を叶えようと空飛ぶ船に乗り、

分厚いけむりのかたまりを爆破させたルビッチとゴミ人間

(実は、心の父、ブルーノ)たちを励まし、後押しする仲間。

彼らがけむりを一掃すると、街のひとたちが見上げる。

そこには見渡す限りの満天の星空。

最後には、ルビッチの友人で、がらくたで作られた「ゴミ人間」

がくずれ落ち、そのたましいが空へと舞い上がり、

夜空でトワにさんぜんとかがやく星となった。


1%のひらめきと、

99%の努力の積み重ねと汗のたまもの。

原作を読んだあなたも、読んでないからこそ

単純明解で、誰でも楽しめる愛と夢の物語。

入場料、絶対、損をさせません!!

《鬼滅》の次は《プエル》で決まり。

今年は皆さんも、

上だけを見て前進しましょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今年もよろしくです。


総制作指揮、原作、脚本は、

お笑いキングコング、絵本作家で実業家の西野。

制作は吉本興業。

声優に、女優、芦田愛菜、落語家、志らく、

キングコング、カジサック、オリラジ、西森

といった多彩な豪華顔ぶれ。

あっという間の100分。


ユニクロの初売りに出かけ、その足で何気に目的持たず

イオンに入る。人ごみに流されてたどりついた先が

映画館。あみだくじとじゃんけんの結果、「プペル」に決定。


行き当たりばったりの人生の末に訪れた感動でした。

人生いろいろ。