才能

受験をまじかに控え、頑張っていた受験生が勉強中にやおら

口を開き「何かひとつ、何かの能力をくれるとしたら」

「先生、どんな能力が欲しいですか?」突然質問を受けて僕は

ちょっと困惑して答えに窮してしまいました。不思議なもので


現実には、本当に与えらる訳ではないのですが、真剣に

考え込んでしまったのです。ひとつだけって言われても

正直この歳(もうじき58歳)になると、どんな能力が欲しい

のか情けないことに、ひとつも思い浮かばなかったのです。

いまさら運動能力に優れた能力があっても、使い道がないし、

欲しい能力がひとつも思い付かなかったのです。戸惑っている


と彼がおもむろに「もしくれるとしたら僕は」

「努力できる、能力が欲しいですね」と、僕の目をしっかりと

見ながら言ったのです。さらにこうも付け加えました。

「努力が出来れば、どんな天才にも近づけると思うし」

《若いっていいな。子供って素晴らしいなって。》 正直

塾講師やっていて良かったなっ。と、思わされました。

若さとは、かくも素晴らしいことなのです。数年後今よりは

年を重ねながらも、現実を直視させられた彼が、自分を振り

返った時、ああっ、自分はこんなだったなあと懐かしさを覚える

だろうと思いました。努力しても報われないことの方が多い事を

まざまざと思い知らされた現実社会を経験する年齢になった時。


相手を見ながら、授業をやっていると不思議と「自分の欲望とか

自分の願望とか、そういうものがどうでもよくなってくるもの

なのです」そういう気持ちで勉強に向き合う時、自分が消えて、

透明ななにかだけが残ります。この、透明な『なにか』に触れた

くて、それを伝えたくて、僕は塾講師をやりたいと思うのです。

彼のそんな反応が嬉しくて塾講師であり続ける元気を得ました。


「トットちゃん」で黒柳徹子は言っています。文字と立場に頼り

過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを

聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させている

のではないでしょうか? と 「古池や  蛙とびこむ  水の音」

間違いなく、古来より、池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、

きっと芭蕉だけでは、決してなかったでしょう。また湯気たぎる

鉄瓶を見た者や、木から林檎が落ちるのを見た者は、古今東西に

おいて絶対、ワット一人、ニュートン一人だけだったなんてこと

は、断じてあり得ないでしょう。つまり、物事、現象等全ては

見方次第だということです。要はその時に何を考えていたのか?

どれだけ問題意識を持ち続けることができるのか? ってこと

でしょうか。それは「瞬間、瞬間の出来事を自分の思考と

いかに結びつけることが出来るかに着目することなのです。」

あなたが楽に簡単に、思考を紡いでいける《瞬間》はどういう

時が多いのか、に注目するわけです。こういった形で、

「自分がどういった《瞬間》にイメージ、要領をつかむことが

出来るのか?」に着目すると、きっと自分の才能が自覚出来るよ

うになるのでしょう。ここで、能力にも先天性と後天性があるで

しょう。言い換えるならば、生まれついて持っている遺伝性と

習慣や努力で身に付けた環境性の二つの能力に分けられます。

「努力出来る能力こそが天才足るゆえん」とか「何事において

も努力出来る人こそが、天才なのです」。って近い意味の

箴言(しんげん)が数多(あまた)存在します。


彼はそのことを知ってか、知らずか。どちらにしても、いまだ

若い彼が、今だけであっても《汗水流す》《心血を注ぐ》と

言った、「労力を惜しまない」「努力をすること」にためらい

も無く、いとわない若者であること。そして決して《棚ぼた》

式の幸運だけを、望んでいる者ではないことに安堵し、まだまだ

世の中希望が持てると同時に、明るい日本の未来が見えました。


トットちゃんはこうも言いました。「世に恐るべきは、目あれど

も美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、

感激せざれば、燃えもせず…の類である」 とも。《学問》は

《真理》を見つけ、解することを目的とします。《真理》は

《真実》から導かれます。そして、《真実》は正しく《観察》

することで明確になります。正しく《観察》することで、

《真実》を我々に(学問の本筋を損なうことなく)的確に忠実に

与えてくれます。この作業はおそらく途方も無く、しんどいもの

でしょう。でも今の彼には、この疲労感さえも、よろこびである

と感じられるかもしれません。目覚ましい技術革新によって


世界が常時繋がり、成熟した社会になった、平成の世に誕生した

若者。生まれた時から、過剰な食物。カラーテレビ、携帯電話、

果ては自動車さえも、ひとりに一台。社会の豊かさは人々に幸福

をもたらすと誰もが疑念の余地など、はさみません。しかし成熟

さは、人々をより生活しにくい社会へと、変革してはいないで

しょうか? 革新を生み出すのが極めて困難な時代になった

ようです。しかも決して眠らない街の誕生が、社会を人間を蝕

(むしば)み、個人主義を蔓延させてしまいました。これからの

時代に要求される能力は何でしょうか? それがどのような能力

であれ、未来を託される若者がどのような場合であっても、

努力することを、失敗しても決して諦めることなく、挑戦する

ことが出来る人間である限り、日本はもちろん世界も、人類の

未来は見通しが、まだまだ明るいと確信しました。この地上には

半ば無作為に、半ば秩序立てて、71臆もの人間が蠢(うごめ)

いています。人々はそれぞれが、持つ能力を十二分に使える

ように、社会において、各々の役割によって、生かされて

生き続けています。エネルギーの無い所に、革新も変化も

生まれません。良い時も、楽しい時も、悲しい時も、

辛い時も、永遠に続くことはありません。何もかもが

終わってしまうと知っているからこそ、瞬間、瞬間目標に

向かって、しっかり自分で考えて、行動し努力を続ける若者が、

未来永劫、存在する時代であればからこそ今、この一瞬が

眩しく光り輝くのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S I LOVE YOU.


誰もが心待ちにしている春の足音が、足元からもう聞こえて

来そうです。ようよう寒い夜が明けそうです。心地良い。

本当に過ごしやすい、穏やかで温かい毎日が続いています。

毎日がウキウキ感いっぱいです。そろそろ、こじゃれた格好で、

街に繰り出そうかな。明日が楽しみ。

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