プぺル(えんとつの街)

「上だけを見ろ!!」

「下を見るんじゃない!!」

「下を見ると」「足もとがすくみ」

「前に進めないぞ!!」

ことあるごとに、勇気を与えようと

家族や仲間の励まし。ひとことで言えば・・・・


ディズニーとジブリ映画を足して割ったようなとっても

美味しい、夢とロマンあふれる冒険ファンタジーです。

絵コンテも物語も音楽も素晴らしい。不覚ながら、

クライマックスで胸が、いっぱいになって、小刻みに震え、

えづいた、泣いた。(映画館で)

始まって数分後に、トロッコ列車に乗せられ、

ワクワクドキドキ、

インディージョーンズさながらのスリル満点。

正月疲れで眠たかったまなこも一瞬でパチリ。


今から250年前、時がどれだけ経っても価値が変わらない

《お金》だけに魅せられた人たちをある悪党が、特殊コイン

《エルコイン》で支配しようと煙突をたくさん作り、

多くのけむりで街を包み込み外の世界から閉ざし、外の世界を

見せない様に、あこがれないように、夢を持たせないよう

社会を構築、でっちあげる。


ある日、そんなけむりのはるかかなたで、

赤く光り輝く星がけむりを突き破り、プぺルの街に

転げ落ちていく。そこから物語が動いていく。


どんな社会でもひとりくらい制御不能な異端児はいるもの。

実直で星を見ることを夢見る自分を信じる心優しい少年、

ルビッチとその父親、

昼間は紙芝居で夢を語り、夜は仕立て屋のブルーノ、

ハロウインの日に街へやってきた、

がらくたの「ゴミ人間」、プぺル

素性がよくわからない、地底人間、爆弾作りのスコップ、等々、

個性豊かなキャラクターたち。


夢(外の世界の星を見る)を叶えようと空飛ぶ船に乗り、

分厚いけむりのかたまりを爆破させたルビッチとゴミ人間

(実は、心の父、ブルーノ)たちを励まし、後押しする仲間。

彼らがけむりを一掃すると、街のひとたちが見上げる。

そこには見渡す限りの満天の星空。

最後には、ルビッチの友人で、がらくたで作られた「ゴミ人間」

がくずれ落ち、そのたましいが空へと舞い上がり、

夜空でトワにさんぜんとかがやく星となった。


1%のひらめきと、

99%の努力の積み重ねと汗のたまもの。

原作を読んだあなたも、読んでないからこそ

単純明解で、誰でも楽しめる愛と夢の物語。

入場料、絶対、損をさせません!!

《鬼滅》の次は《プエル》で決まり。

今年は皆さんも、

上だけを見て前進しましょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今年もよろしくです。


総制作指揮、原作、脚本は、

お笑いキングコング、絵本作家で実業家の西野。

制作は吉本興業。

声優に、女優、芦田愛菜、落語家、志らく、

キングコング、カジサック、オリラジ、西森

といった多彩な豪華顔ぶれ。

あっという間の100分。


ユニクロの初売りに出かけ、その足で何気に目的持たず

イオンに入る。人ごみに流されてたどりついた先が

映画館。あみだくじとじゃんけんの結果、「プペル」に決定。


行き当たりばったりの人生の末に訪れた感動でした。

人生いろいろ。


 

思い出

寒い冬のとある前日のこと。夕食がすんで家族そろってテレビを

視聴していた時、小学2年生の末っ子のぼうずが

「かあちゃん、あした、知っとる? 」母親はテレビを見ながら

みかんをひとふさむいては口にほうばっている。

(ここ愛媛は全国きっての言わずと知れた有数のみかん

産地だ) なおもぼうずが「知っとる? 」

「ねえっ、知っとる? かあちゃん」母親はうっとしそうに、

聞こえないふりをしているのか、聞いていないのか、なおも今も

みかんに手を伸ばし、くちゃくちゃと口を動かし、

子供の話をさえぎるように

「**ちゃん、あんたも食べんかい、」「おいしいよ」と、

かたわらのダンボール箱(当時、生産過多から知り合いの農家

から闇で超格安(市場の半値以下)で手に入れていたのだ)から

さらに2個取り出しその一個を愛息子に差し出した。

受け取った少年はみかんをこたつの

上に置き、「かあちゃん、 知っとる」

「クリスマス、って知っとる」「あした、クリスマス」

(母)「え、え」(子)「クリスマスー」

(母)「え、クリスマスー」

(子)「そう、クリスマス、聞いたことある? 」

(母)「うん、聞いたことあるよ、クリスマスやろ」

ようやく、みかんから手を離し、耳を傾けようと

母親は子供に目を向けた。機嫌が悪ければ、いちもにもなく、

はねつけられるところではあるが、食欲が満たされていたのか。


それから後、親子は互いに言い合った、末っ子のおねだりを

母親はしぶしぶ、一部認めた。

「ケーキ、作ってあげるよ」

「ほんと」「ケーキなんか作れるん?」

「作っていらんけん、買うて、買うて」

「買うたら高いんやし、作ったほうが美味しんよ」

「ケーキくらい、かあちゃんでも作れるんよ」

「ほんとかいな・・・・」

「めちゃめちゃ美味しいの作ってあげるよ。」

自信ありげな母親の言葉に同意せざる得ない少年は

何か不安ながらも、初めて見るであろう母親手作りの

ケーキにいくぶん期待を寄せていた。


現代のように欲するものがわずかなお金で手軽に手に入る

時代とは違う《当時》・・ 食べることが何よりも《しあわせ》

そんな時代、ハイカラでシャレた《ケーキ》なんて裕福な友人の

家でごしょうばんにあずかることでしか口にできない

あこがれのお菓子を、

あの昭和ひとけたの、いなかの土のにおいしかしない、

あの《どけち子》の女性が・・・ ほんとにできるんかな?

《どけち》と料理のうまいへたは何の関係もないところだが・・


当日の夕刻、日がすでに暮れかかっている。いつもの食事時間

まで、もういくばくもない。しかも、それらしいブツは今もって

一ミリも目にできない。待ちきれない小僧がおそるおそる

問うた。

「ケーキ、いつできるん? 」「もうすぐ」

「いま、作ってる? 」「まだ・・・」

「もう時間ないよ、みんな帰って来るよ」

「ごはんのおかずが先やろ」子供が居間でテレビを見ながら

母親に問いかけながらせっつく。母親は我関せず、土間で

ドタバタと食事の準備にてんやわんやで大わらわ。


しばらくして、土間の東となりの風呂場の火入りを祖母が

いつものルーティーンでおこなったのか、すりガラスの

戸のすきまからあかあかと暖かな明かりがもれていた。それが

発端に家族がぞろぞろと集まり始めた。姉、兄がテレビの

チャンネル争いで騒がしい、兄が力ずくでテレビの画面の

前いっぱいにしゃがみこみなめるように見ている。

「**ちゃん、 そんな近くで見たら、目悪なるよ」

母のこごとが耳ざわりだが、兄には効いたのかテレビから

距離をとった。「****」「ごはんできたけん」

「テーブル出して、ふかんかね」と、姉に手伝うように

少しきつく催促する。姉はうつぶつ何やら言いながら

むっつりとした表情でいやいや従う。

「***も手伝って」「お皿出して」

「うん」仕方なく、ぼうずも手伝う。「**ちゃん」

「皿こっちへ持ってきて」母の言葉に命じられるまま

鍋から皿へおかずをよそおい渡されると文句を言う。

「また、さかな・・・他には ?」「ない」と、ぴしゃり。

「ケーキは? 」「ごはんのあとで作る」

「デザートは最後やろ」 (奇妙なことに、なぜだか、

こんなところは知っているのが、不思議な母なのだ。)


9人もの家族が丸いテーブルを囲んで座ると白米をちゃわんに

いつものように祖母がすくい各自に手渡す、その間、次男と自分

のために酒を温めている。(おじと祖母の何よりのたのしみ)


小さなおかずひとすくいに対して大きな白米2、3口とは貧乏人

の常識であろう。お腹が満たされつつあるころ、土間のわきでは

ぐつぐつと大きなやかんが音を立ててにたっている。それを

合図に母がようやく、ケーキ作りの準備に取りかかったようだ。


姉と祖母も手伝いに加わった。祖母が洗った皿を丁寧にふきんで

拭いている。母がひろげた材料の包み紙を両手でまるめて土間に

隠し捨てた。その後、母と姉が白いクリームをマーガリン用

のコテで薄く伸ばしているようだ。ゴソゴソしているとじきに

何だかできあがったようで、皿に盛りつけていた。


「何飲む? 」「コーヒー」「お茶」生まれて初めてコーヒーを

作ってもらうと祖母が眉間にしわを寄せて

「子供に、コーヒーなんか飲ませられん」と母にきつくどなる。

むっとした表情で一瞬祖母をにらんだが、言葉をのみ込んだ

ようでいらいらしていた。(とついで以来、母と祖母は

よくいがみあっていたようだが、父は知らんぷりを決め込んで

いたようで、母はいつもひとり陰で泣いていたそうだ)

そんなことはつゆも知らない子供たちは、おのおの身勝手に、

振る舞っていたため、ここでも、子供たちは熱くて

飲みかねるコーヒーをスプーンですくって

ちょびちょび飲んでいた。


待ちに待った・・・いよいよ、やっとこさ実食だ。

兄とぼうずはひと目見てこうべをたれ、言葉を失った。

母の主張する《ケーキ》のその実態とは、

母の好物の「ミルクブレッド」という市販のパンで、

薄くて小さい子供の手のひらサイズの食パンに

白クリームが両面に塗られて、横に横にと重ねられた

だけの味付けパンで、安価でボリュームのある、

お買い得のパンなのだ、

そのパンを半分ほど5センチほど上に重ねて皿にのせて、

一番上のパンの上に、

なんとこともあろうことか、

マヨネーズで、小さく遠慮ぎみに、

《ケーキ》とかかれたものなのだ。(ただ、《ケーキ》とかき

こんだだけでまさに名札を付けたごとくの、

自称する《ケーキ》だけのものなのだ)味はともかく。

その横には、ご愛嬌にありふれたみかんの

ひとふさがふたつほど

大きな顔してちんざしているではないか。

でも最悪のことに、マヨネーズのちょっぴりの塩気で、

クリームの甘さが台無しで、

とんと食べられたもんじゃなかった。

兄とぼうずは土間にまるめて捨てられた

見慣れた袋包みを見逃さなかった。

ふたりは顔を見合わせて軽くうなずくだけであった。

ぼうずは母親を見た。

母は、「おいしかろ? 」とぬけぬけとほざきやがった。

返事するのもアホくさく、黙ってとにかく口に押し込んだ。

母親はさもありなんのごとく、ごくごく普通の面持ちで

コテや皿に残ったクリームを

誰気がねなく集めてなめて、(ほんにずぶとい)

コーヒーで流し込んでいた。

《けちくさい》にも程があるもんだと、ぼうずは

行き場のない《いきどおり》をいつものように

腹の中に押し込み、くちびるをかみしめ、涙をこらえ

自分の貧しい身の上をあらためて思い知らされたのだった。


でも、こんな母親でもなぜだか決して憎めない

嫌いになれない、本音で笑って見つめられる顔が

忘れられないのだ、

妙にいとおしいのだ。これが血縁というものか ?


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また逢う日まで。


両親のこの手の《子供だまし》には度肝を抜かれたもんだ。

母が夕食に《お子様ランチ》を作ると豪語したのだが、

父が夕食前に、長いつまようじに紙をまきつけ、日の丸の旗を

描き、ワンプレートで、おちゃわん型の白米に刺し付けただけ

だったのだが。これは当時、子供だましで広まった《手》

だったとうわさでよく耳にした。


今この話を母にしても、素知らぬ顔で、

「そんなことあった? 」とちっとも取り合ってくれない。

けたはずれのずぶとさは、今もって健在だ。


そんなハハのおかげなのか、いまだに、

なんでもおいしくたべられる、しあわせものだ。


 

サンタクロース(許されざる真実)

紅葉の景色が、まだまだまぶたに焼き付いて

身体に残っているような気でいたのに。

寒い、寒いというより冷える、冷え込む。

まるで強く厳しい冷気に抱かれてるようだ。

冬の寒さが身に染みるようなると、一年

一年、死ぬ日が近づいているような思い

がじわじわ、じわっとひどく感じる。

いくらあがいても、行く着く先は

決まったようなものなのかな?

昨晩より段どった暖房機器の温風に手をかざし

暖をとりながら、そんなことを考えていた。

ふと気付くと、街はだんだんクリスマスに色づいてきた。


などと心細いことを考えてしまうのは

最近何かと気の滅入ることが多いためか?

来年春にはよわい60を数え世間でいうところの

還暦、ひと回りしてもとに戻ってしまう《年寄り》

というカタゴリーに入ったこの身が何ともいとおしい。


子供の頃のこと。あれは、そうだ小学一年生の年の瀬、終業時、

左となりの席の当時としては珍しい、ほんのり肥えたおかっぱ

頭の色白のおとなしい女の子が「いっしょに帰ろ」と言うので

断わる理由もないから、校舎の北がわの通りに面した裏門から

東に向けてテクテクとふたつの小さな木枯らしは家路に向かう。

女の子の家の近くになると、「いっしょに宿題しよう」

「え、石川さんの家で? 」とふたりは家の中へ消えた。


入って、いっときは過ぎただろうか。すでに、夕闇が濃い。

ひとくぎりついた女の子が奥の引き出しからクリスマス色の

包装のチョコレートのひとかけらをひそかに口にほおりこんだ。

「ムシャ、ムシャ」さらに、ひとかけら砕くと

すっと男の子に向けて、

「ふん、こうじくん、食べんかい」「ありがとう」

(ありがたい、うんめえ)「おいしいね」

「うん、わたしチョコレート一番好きなんよ、

こうじくんも・・・(好きよ)」

(小さな声ではっきり聞き取れなかったが)

(そう聞こえたと僕はいまでも思っている)もうすでに天国に

旅だった彼女から真相は聞き出せないのが残念ではあるが・・・

彼女はひとつ上の兄とのふたり兄妹で、転勤族で、財閥企業の

住友関係か、電力会社に勤める父と働き者で家におじゃますると

必ず紅茶とイチゴケーキをかまってくれた心優しい母、(でも

バカのひとつおぼえみたいに、

「こうじくんは家どこ? 」って聞いて決まって「あーあっ、」

「しずとし(父の名前)、さんとこの」ってうなずきながら

応えていたのだが、子供ごころに大人のあいそって

始末に悪いもんだなと思ってた)との

4人家族で、当時としては核家族のはしりであったろう。


それが証拠に・・・お互い照れ臭くて目を合わさない様に、

ただただ部屋のどこぞに目をやっていた。

しばらくして、「そのチョコレート、お母さん、

買ってくれたん? 、ええねえ」と男の子がたずねた。

瞬時に目つきが変わった女の子は

「ううん、違うよ」女の子は、

向きを変えて男の子の目をみつめ、

はっきりとした口調、きりりとした表情でこう答えた。

「サンタクロースさんが、プレゼントでくれたんよ」


再び思い出した。

そんなこともあって、人の優しさがことに身にしみる、

涙がちょちょぎれる。つい先日のこと、

知り合いのお母さんから、どう見ても23,4の独身、

ふっくりした顔立ち、からだつきで、人がらもさばけた。

男気のない女性だけの中学、高校を過ごしたためか、

他校の学生と当時から恋におぼれて若くしてみおもになり

就職と同時に認知を受けられぬとも男子を出産、親元を離れて

シングルマザーの苦労人なのだが、それだけに、ほっとけない。

「このままでは、」「義理がたちませんから」と

さんざん子供のめんどうをみた我々を気づかって、

夕食の席を設けてくれた。当然、その席には、

少し気の早いサンタクロースから

プレゼントを受け取った男の子の姿も。

大人の手のひらサイズの大きさが評判の《チキン南蛮》の

有名店「鳥シン」席について料理を待っているその間のこと。

「もう4歳になったから」「そろそろ現実を知るのも」

「いいころかも・・・」言下に、言うか言わないかで

母親の顔つきが瞬時にこわばり眼光鋭く(えッ、信じられない)

「よしてくださいよ」おどろきの表情からいささか怒りの表情に

変わっていくのを僕は見逃さなかった。「まだまだ、夢は夢の

ままにしておきたいので・・・」と、言い終えた彼女のいらだち

とその焦りが手に取るようによくよくわかったため、となりの

子供を引き、頭をなでよせた。微笑みかけると返してくれた。

なおも引き下がらないで、

「ところで」「プレゼントはどこに」

「で、プレゼントは枕元に? 」「置くんですか? 」

「いいえ、ツリーのそばに・・・・」言い終わらないうちに

口もとを手で抑え「あっ、」(あぶない、あぶない、

聞いてたかな? )「もう、やめてくださいよ」

「誘導尋問じょうずですね」「ほんと、もう」

「こわい、こわい」「わかってますかね? 」

「大丈夫でしょう」「わかってないでしょう」

「まだ、むじゃきに笑ってるから」男のコはこうべをたれて

ただただまわりにひきつられて、愛想笑いでほほえんでいた。

「ごめんなさいね」「いえいえ、」「私のほうこそ、」

「場をしらけさせないようにと、思って」

母は頭をかきながらベロを引き出しして

笑いながらこたえてくれました。こちらも

申し訳なさが心にきわまってはじけながら

頭をさげた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。皆さん、良いクリスマスを・・・


子供のころから、厳しい現実を肌身に感じていたため、

クリスマスの甘ずっぱい夢はいっさい感じられずに少年期を

過ごしてきた。いちどでいいから、サンタクロースにあいたい。


その後僕はあきれて石川さんにこう言った。

「サンタクロースなんか、」

「いるわけないやろ」

「全部、お父さんか、お母さんが」

「買いよんよ」「石川さん」

「ほんとうに子どもやねえ」

「僕は保育園のときから」

「知っとるよ、」

「サンタクロースなんかいないと」

僕はしたり顔で言ってしまった。子供のしたこと

にしても、ほんと罪なことをしたもんだと、今は思う。

そんなこんなで、その後彼女の僕への態度は冷たくなった。

で、若くして、サンタクロースにつれていかれたのかな・・・


もう、決して、あやまることさえ許されない。

なんだかひどくつらい、切ない・・・・

冬の蚊

「あっ、蚊ー? 」「これ、かあかー? 」

「うそー、もう冬よ」「えっ、ちがうんかなーー」

片手でにぎりつぶそうとしたが、指の間をすり抜けられた。

季節はずれの小さな、目をこらさないと認識できないほどの

むし(蚊のような)成虫になってまだ間もないのか、

おぼろなげに、おぼつかない足どりでゆらゆらと空中を

ふらついている、今にも力尽きそうに(まるで今の自分のよう)

いつの間にか黒くて暗い車内にまぎれて見失ってしまった。

車は車道に向け駐車場を出ると左手に曲がり踏切を抜けると

そのまま直進、いくつかの信号を通過して北へ一キロ転がす。

車道の両脇の木立は短い秋の間にほとんどの葉っぱを

落とし果てたのか、異様にかぼそい小枝が冷たい風にあおられて

ざわざわと小刻みに震えている。店舗のガラス壁が

淡い冬の陽の光に照らされてわずかにまぶしい。

冬の心地よい晴れ渡る陽気の下、車中は静かでおだやか。

さらには、大きなバイパス通りを左折すると車両の数も

雑踏をきわめて運転も慎重にならざる得ないところではあるが


「ブルブル、リンリン」バックの脇に手を差し入れ

前方にも注意を向けながらもスピーカーモードで応える

「はい、」後部座席から、

早朝から、はじけんばかりの笑顔の男の子が変貌した、

いきなり

「おいおいおいー」「おいおいおいおいー」

「なにしてんだよーー? 」怒り口調で、しかし、

なかば冗談まじりに、「おいおいおいおい」

「何してんだ」「お前、けいたい」

「さわってんじゃねえよ」「しっかりーーー」

「運転してろー」「、って」「言ってんだよー」

「おいおいおい、おまえーー」

とつじょの空気の変わり様に一瞬、車中は凍てつく。


ややして、思わぬ注意喚起に自分を取り戻し思い起こして、

けいたいを慌てて切る。と同時に、振り返り様子をうかがう。

「**ちゃん」「今の何? 」「どうしたん? 」

「どこでそんな言葉、おぼえたん? 」負けじとこちらも

「おいおいおいおい」「何か言うた? 」「おいおいおいおい」

「もういっぺん、言ってみて」。おかしな言葉に

こちらの調子もくずされる。「ハハハッ」「ハハハッ」

笑いかけると、「ハハハッ」目じりを細めて笑い返してくれる。


そうこうしていると、じきに車は左折して目的地に到着した。

「中に入る?」「車で食べる?」笑顔で問いかけると、

「入る」と満面の笑顔で応える。車道沿いの店の横に止めて

一同、店に入る。


店内はコロナのせいか、比較的すいていたのだろう、

客はわずかに点在するだけだ、おおかたの席が空いている。

陽当たりにいいお気に入りの席に腰かけるとさっそく

フレンチ・フライをほおばりながら、おまけのおもちゃを

開け広げ何やら熱心にいじっている、ほんにうれしそうだ

楽しそうだ、上機嫌だ。こちらも気分がいい。席について

まもなくして、左に人の気配を感じ、人影が視界に入った。

「おはようございます」見上げると町内の若造とその娘だ。

人がいいのだけが取り柄で人なつっこいのだが、いささか、

頭が弱い青年は30手前でおめでた婚で所帯持つと同時に父親に

なり、まだまだ元気な祖父母と両親と同居暮らしである。

祖父母は町内でも一番の古株で、家の正面で「修理工場」を

始め、景気の波に乗りかなり大きくした。

一人息子は高齢とともに商売から退いた、うちの兄貴と同級の

さらにその息子は「手打ちうどん」の修行の末、店を

始め、祖母の強い発言力のおかげでけっこう繁盛していたのだが

持病のぜんそくを悪化させ店を閉じ、親の遺産でほぼパラサイト

依存して暮らしているとのうわさだ。

「あっ、おはよう」と応えると

「よく、来られるんですか? 」「いいや、たまにやけれど」

「今日は休みやし」「お客さんが来たから」

「朝の教会の礼拝休んだんよ」

若造は娘から手を離し、しゃがみこんでけげんそうに顔を近づけ

「えっ、えっ、」「何です? 」

「今日、日曜日やろ」

「普通なら教会に行かんとね」

「えっ、」「キリスト教」「信仰されてるんですか? 」

近づけた顔をさらに近づけ、きょとんとした表情で問うた。

「冗談、冗談」「うそやで」笑いながら返事した。

「ですよね」「びっくりした」言下に、言うや言わないうちに

「びっくりついでに、もうひとつ」

「この子」「知っとる」

「いいえ、知りません」「初めてです」

「誰です? 」「どこの子? 」我々に子供が居ないのを

知っている青年が問うた。すかさずに、僕は、

「ひろってきたんよ」て応えると、青年は笑いながら

「加茂川ですか」

「そうそう」「去年の祭りで迷子になってたんで」

「ハハハッツ」「よく、今まで生きてましたね」って、

娘に目をやりながら声に出して笑って答えた。

「ひろったというよりも、」「さらったっていう方がええかな」

「そうですね」あきれた調子で別れを切り出した。

「親元に、早く返した方がいいですよ」

「そうやね、」「そうするわ」

「それじゃ、」「では、また」「さようなら」

その場を離れた。


帰りの車中で、窓を通して景色をながめていた男の子が

「あっ、ムシー、」とつじょ、大きな声で叫んだ。

ぎょっとして振り返り問うた。「どこ? 」

「そこ」「窓の上のほう」「あそこ」

「蚊やね、たぶん」「手でたたいて、殺さんかい」

「うん」「しんちょうにせんかいよ」「いっぱつで」

「わかった」冬の寒さで弱りきったむしは幼児の

気配すら気取れずに、

「ぱしーーん」との音とともに

「やったよ」男の子は勝ち誇った表情だった。

そのかわいい白くちいさな手のひらは、

赤く染まっていた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。会えるまでお元気で。


自分の考えや、もうそうがうまく言葉にならず

いらだって、自己嫌悪におちいり、自暴自棄になりかけて

いたのです。暇にまかせて多読をしていると、なぜか心が

もやもやっとして胸がうずくので、再度筆をとったしだいです。


店内で食事中、家内のバーガーのパンの切れはしが

こぼれ落ち、胸元の服の上にのっていた。男の子が

すかさず、「落ちたよ」「**ちゃんが取ってあげる」

家内に近づき、おもむろに小さな手が家内の胸元にのびた。

「おっぱい」「さわってやったーー」と、

おおはしゃぎでわめいた。店内が騒然としていたため

幸運にも、まわりの客は誰も気付いてそうにない。

よかった。蛇足ながら、男の子は《巳年》なのだ。


またよろしく願いますね。


 

エピソード

社会のたから、家族のほこり、それが子供。

いっときの安らぎ、癒しの時間、でも迫り来る別れの時。

見覚えのあるコンビニの予告看板を目にして「のど渇いた」

彼の意を受けて、そのコンビニで停車。「***も行くーう! 」

買い物かごに、可愛らしいちっちゃな手で食べ物、飲み物を

選んでは喜んで入れていく、ほほえましい。レジへと向かっていると、

「あの、ミドリの」と、何かを見付けたのか、足と言葉が止まった。

指差す方向に目を向けると、緑色が特徴のパッケージのDVDが

「あれ、買って、お願い!!」「他に何もいらんけん」その場に

立ち止まって、一ミリも動こうとしない。いつも控えめな彼が我々に

せがんだ初めてのこと。買ってもいいかなと思ってはいたものの、

何だか、はめられた気がしないでもなかった。「仕組んだな? 」

とはいっても、子供にはわかろうはずもなく・・・


依然、クリスマスに一緒に鑑賞したであろう「グリンチ」と推察。

「前に、いっしょに見たと思うよ」手にとってみると、確信持てずとも、

何だか買う気になれずに、まごついていたら、幼児が予期せぬ言葉を

のたまわった。「これ、シリーズ、もんやねん。」「・・・・」なぜか、得心さ

せられ、納得させられ、返す言葉が見当たらず、購入させらてし

まった。聡明な子供には大人もかたなし、ってところ。

なんて、賢い、機転の利く、抜け目のない可愛らしい子供・・・・ だから

何だか決して憎めない、恐れいった。まさに《目から鼻に抜ける》とはこのこと。

たかだか1000円ちょっとだし、今日でとうぶんお別れなので、

餞別代りにと・・・・ たかが子供っていっても、決して侮(あなど)れない

ほんと《われ以外、皆、わが師》です。忘れずに魂に刻んどこ。のちに、

お母さんに聞くと、そんな言葉は教えた覚えはないとのこと。末恐ろしや

ほんのちょっと小耳にはさんだ言葉を最高の時に、絶妙のタイミングで

使えるとは・・・勉強させられます。「男子三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」


我が家には暗黙のルールがある。できうる限り極力、高速道路は

走らない。後部座席に幼児を搭乗させた時は。ベルトでしばりつ

けたくないので・・・・ 「愛媛に行くよ!」「愛媛ってどこ? 」


「ここどこ? 」「愛媛」「ここが、愛媛? 」「うん、愛媛」

「***住んどったやろ」「そうなん・・・」「ママと住んどっ

た場所に行ってみる? 」「うん。」かつての家の前を通過する

と・・・ 見慣れた景色に脳が刺激されたのか「思い出した?」

「あー、あー、」「思い出した? 」「うん、ここ来た事ある」

「ザグザグ。覚えてる? 」「何それ?」「花火買ったやろ」

「ザグザグ、行くーーう」前を通過してると「何で、

ザグザグ、閉まったん?」「代わりに、トイザラスは?」仕方なく

ちょっと、遠出におもちゃ屋に行く羽目に。まさに、やぶへび。


ほんと、子供に甘ーーーい、わが夫婦。そんな者に限って

子供が居ないのだ、人生とは、不条理、ほんと、ままならない。

口惜しい限りだ。


確かなことがひとつある。これからは、彼らの時代だ。

にわかに、後部座席がまた、あわただしく騒ぎ出す。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また会う日まで。


風呂から出て衣服を着けていると、「おいちゃん、

おむつ着けんのん? 」「大人はおむつ着けんのよ」

「でも、バアバは着けるよ」「それは別」「ふーん、別」

「別? 」「何が・・・」首をかしげ、何かを考えている。


ある時「屋根がない、あのおうち、屋根がないよ」「どこ? 」

「あそこ」それは、天井が、一枚板の形の家だった。ちょっと、

理解に戸惑ったが、他の家の形状と比較してふに落ちた。

合掌つくりのような典型的な形だけが屋根と刷り込まれているだけなのだ。

「あれは、ああいうデザイン、やねん」「デザイン? 」「うん、デザイン」

「ふーーん、デザイン」「デザインか・・・」初めて耳にした言葉に

納得できずとも、繰り返す。


子供のエピソードにはほんと、事欠かない日常だ。思い出してたら。

終わりそうにないなあ。切りがないな・・・・

ちょこちょこ小出しにしますね。


 

真面目

夕刻、ドライブ途上の車中でのこと。運転中の妻に一本の電話。

「私は、今、***に居ます」「****と、いたしまして、」

「その理由と言いますのが・・・・」

「*****と思っているしだいです・・・・」などなど。

電話が切れた後で、僕が尋ねた。「堅いの・・・・」

「さっきの人、あの、ものいい何?」「何ともぎょうぎょうしい」

「もっと普通にしゃべられんのかーー」妻が応えた。

「元、航空警察やから・・・・」さらに僕が「本人は別に、ええけど」

「まわりの人が、たまったもんじゃないよ・・・・」

「気の休まる暇がないぞ。」妻がとどめを刺した。「だから、

あの年で独身やね」「ふーん、俺と同じくらいじゃないん」「もう一生、独

身やな」「こうじ・・・・より上よ」「ふーん、最悪・・・・」


疑う余地もなく、四角四面を絵に描いたような、きまじめな人なのだろう。

しかも、正義感の異常に強い、24時間いかつい顔をして冗談ひとつ

口にしない、ある意味で、悪い言い方をすれば、人格破綻者でないのか。《言葉が過ぎました、すいません》

独身時代、僕にも似たような上司が居た。ほんとに苦手だったが、

よく食事に誘ってくれたので、それなりに付き合った。回らないすし屋で

いみじくも、彼がつぶやいた。「あんたが、うらやましい・・・」自由で、

真面目でない僕の言動は、つとに戒められたもんだが、本心は僕のよ

うに生きてみたかったなんて、聞いてみないとわからないものだ。40歳

過ぎて、胃を悪くして、手術して長期休養を強いられた上に、退職間際

まで会社に、いいように使われたそうだ。周りに気を使いすぎて自分自

身を見失って、自分の人生を行きてこれなかった、ことを悔やんだはず。


コロナのせいで、うっとうしいマスクが嫌で、すぐにはずして、おしゃべり

してしまう僕は、いつも注意を受けてしまう。とある事業所の人に伺った。

「家ではさすがに、マスクしないでしょう?」ほとんど即答で、

「してますよ、立場上、かかるわけにいかんですから・・・・」

僕は正直、この人、 《**シカ、変わっている》って思った。 100%の感染防止に、例外は認められないってこと。

その人の《人となり》を理解して、真面目にウソをつくような人でな

いだけに、かわいそうというか気の毒で・・・・ 寝ている間ですらマスク

姿が目に浮かぶのです。しかも、子供や両親までもが彼の考えに異を

となえられず、マスクを強いられていると思うと・・・・言葉がみつからない。

《あくまで、想像です。》 そこまでして、自分の大切な時間、家族を犠牲

にしてまで、守るものって、いったい何? 《蛇の道は蛇》ってわけで。

《人って、悪いことと、わかっていても止められず、良い事って、わかっ

ていても、何で素直に、できないんだろう? 》


きまじめで、忠実な会社人間が陥りやすい《悲劇》だろうか?

《**さん、ごめんなさい》 こんな人に限って、

「まさか、こんなはずじゃなかったのに・・・・」って最後に口にして、

会社や世間をうらむことになってしまうもの。


でも、確かなことがひとつある。《真面目》は人間の中で、間違いなく

最も崇高な美徳のひとつである。何かを成し遂げた人は、すべからく

その道においては真面目である。《真面目》は成功への絶対条件だ。

しかしである。何事においても、過ぎれば、《あだ》となる。《過ぎたるは

及ばざるがごとし》 真面目一辺倒では、物事の枠組みにとらわれすぎ

て、問題の袋小路に迷い込みやすい、部外者、外れモノ、異端者の

違った視点が何かを大きく変えるもの。パラダイムシフトの真っ只中の

今だからこそ。得てして、真面目より不真面目の方が得なことが多い気がする。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。会える日まで。


くだんの僕の上司は、仕事中は決して仕事以外の話はしてこなかった。

それで僕は、努めて、仕事以外の話題を振ったもんだ。プライベートで

は、同じ野球チームで共にプレイしたが、結局、親しい友人までにはな

れなかった。疎遠になってから、20年以上になるかな。思い出すことに

仕事中、よく気がつくと、僕の様子伺いに近付いて居たようだ。

ある時、僕が「はくしょん、はくしょん・・・・ 」「誰か、俺のことで

想いわずらっているのかな? 」ってひとりごとを言うと、僕の

後方でクスクスって声がした。振り返ると彼が居た。

くしゃみ一回、悪口、くしゃみ二回で、誰かの慕う想い。

って耳にしたことがあったので。


僕は別に、不真面目を推奨するつもりもなければ、

真面目な人をディスってるつもりも、マウントしようとも

思っていません。正直、僕は真面目な人が大好きです。なぜって、

総じて、《真面目な人は、正直者で誠実な人だからです。》

ただ、自分がひねくれ者で、上から目線で、ほんと、

あい、すいませーん。 あくまで、私見ですのであしからず。

でもほんと、「オネスティー イズ ザ ベスト ポリシー」は真実。


 

セミの墓

今朝は、ことに日差しがきつい。しかも、

セミの声がけたたましい、騒がしい、耳につく。

夏の日差しと、セミの声と聞くと、頭をよぎる光景がある。

車がたまにしか通過しない、田舎に寝泊まりした子供の頃、

セミの声が目覚まし代わりでハッと目が覚め、ラジオ体操に

おもむき、朝食もそこそこに、近所のオバケが出そうな、うす暗

い竹やぶまで、セミ狩りに毎朝向かったもんだ。そこは、昆虫が

多く集まると巷で有名な場所。汗をびっしょりかいた後は、プー

ルバックをさげて学校のプールへ直行。学校の先生から、

「セミが鳴き始めると、梅雨が明け、夏本番だよ」って、つとに

聞かされた。そんな先生も退職され、さらなる田舎で悠々自適、

晴耕雨読の生活を満喫されてるらしい。同窓会で伺った。

僕の学生時代のお気に入りの男の先生で、良い意味で、かなり

可愛がっていただいた。それはそれは叱られて、小さな心は

傷ついた。でも先生の教えは、今の僕の学問の基幹になった。


慣れとは恐ろしいもので、スポーツ全般において超得意だった

僕でも、水泳だけは大の苦手で、仮病を方便によくズル休みし

ていた。《後で聞くと、全部ばれていた。》当時(小学5年)

どんなに頑張っても、25メートルが精一杯だったはず。

幼少の頃、食料事情から、骨皮筋衛門の僕を、父に無理矢理、海

の沖まで連れ出され、溺れそうになった恐怖心がなかなか抜けき

らずトラウマに支配されていた。今もって、頭から湯や水を掛け

られ、耳首筋にたれ流れると、背筋がゾクっと縮みあがってしま

う。夏休みプールに無欠席のおかげで結果、自然と平泳ぎ、クロ

ールを会得し、50メートルをゆうに泳げるようになった上に、

地域のリレー選手に選出されるまでに上達した。でも、今だに、

背泳ぎはちゃんとできない、怖いのだ。恐怖心だけはどうにも克服できない。


何も、水泳の上達が目的ではなく、プール帰りに、近所の駄菓子

屋で、かき氷を食べたかっただけなのだが。店のサービスで

通常、一杯30円のかき氷が、プール帰りだと一杯10円に

なった。当時、僕の一日のお小遣いがきっかり10円だ。

店のおばさんは、まんまるとよく肥えたキップのいいおばさんで

片や、亭主は、ひょろっとやせ細った、何ともさえないおやじだ

った。そのおやじが、威厳を保とうと、口元にちょびひげをたく

わえていたが、むしろ、こっけいで笑えた。僕たち子供の間で、

デコボコ夫婦、って呼んでいた。その夫婦も鬼籍に入ったと風の

うわさで聞き及んだ。寂しい限りだ。


毎朝、小一時間ほどで、ところ狭しと、セミでいっぱいになった

《かご》を軒先につるしていた。夕方になると、異臭が立ち込め

家中から苦情が出るほどなので、竹やぶの草むらに埋めていた。

数日後、小高い小さな《あり塚》になった。まるで、野坂昭如氏

でジブリ映画になった「ほたるの墓」のようだった。僕も、

せつこのようになるのかな? と悪夢がかすめる。

戦時中なら、食料にでもなったであろうに・・・


今年は、コロナ禍であおりを受け、プールは禁止。

時節柄、暑さとどう向き合うかが難しいのは、

なにも子供に限らない。この暑さの中、顔を赤らめて

作業している人をみると、ほんに頭が下がる。小生は

ほぼ毎日冷えたビールを身体冷ましに利用している。

毎回、増加ぎみの体重計に、ため息が出る。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


昼前、車中で妻が「おなかペコペコ」ってひとりごとを言うと

僕の携帯が反応して、「おいしいランチをお探しなら・・・」

って突如、しゃべった。笑わされた。人生に笑いは大切だ。


 

目玉商品に誘われて連れ出され、行きつけのスーパーでのこと。

レジで大人しく、息を殺して、なりを潜めていた時、目に耳に

飛び込んできたストーリー。年端(としは)もいかない兄弟

二人がお菓子売り場で何やら、こそこそもぞもぞ、兄が自分の財

布の中身とちっぽけなジャンクフードを交互に、にらめっこしな

がら、意を決して、我々の後ろのレジの最後尾に陣取る。弟が

辛そうに半ば泣き出しそうな表情で、兄の後ろに悲しそうに寄り

添っていた。家内が声を掛けた。「兄弟? 」「どうした

ん? 」


胸に詰まった想いがあふれ出したのか、泣きじゃくりながら

「お腹すいて、泣いてたら、兄ちゃんが、お菓子買ってやるから

ついて来い、ってんで、来たのに、お金足りなくて、一個しか

買えなくて、兄ちゃん我慢する、ってんで悲しかったん」

泣いてる上に、感情的になっているから、理解に苦慮したのだが

欲するお菓子と、財布の中身を比べて、合点がいった。

財布の中には10円玉四つと五円玉ひとつのみ。

菓子の代金は45円。まるで、小生の子供の頃と同じ。


子供の気持ちに共感し、涙をこぼしている弟を、見るに見かねた

家内が口を出した。「お菓子もう一個、取っておいで、」

「おばちゃん、買ってあげるから」「はよ、持っておいで」

「かまんの?」「ええ、ええ。」僕も思わず、善人になった。

表情がいっぺんに明るくなった弟は、流れる涙を手の甲でぬぐい

ながら、何度も「ありがとう」兄も軽く会釈しながら「ありがとうございます」

別れ際、家内が「おばちゃんも子供の時は、同じように買いたい

モノ買えずにつらかったんよ。だから、気持ちよくわかるけん。

僕らも、大人になったら、困った人には、親切にして

助けてあげて・・・」 外では、降り続いていた雨がようやく

やんだ。すっきりしない空模様とは裏腹に、心は澄んでいた。

たまには、良い事でもしたいってもんで、気持ちの良いもんだ。

何かが溜まって、憤慨しそうだったから、久しぶりに、胸の

つかえがおりた。どんな境遇になっても、人の心はなくしたくないもんだ。


英国の作家である、ジョージ・エリオットの言葉です。

「歴史に残らないようなささいな行為が世の中の善を作っていく。

名も無き生涯を送り、今は訪れる人のない墓にて眠る人々の

お蔭で、物事はさほど悪くならないのだ。」


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


高校入試の面接の折、教官から「モットーは何かありますか? 」

と、質問を受けて、とっさに、ついて出た言葉が

「一日一善です。」と言ったのを思い出した。

近年まで、一膳が通りであったようだが、年とともに

一善どころか、数善になっているかな・・・


今朝は、サンドウイッチとコーヒーで朝食になりそう。

昼食はカレーがいいな。へんぴな西条の片田舎で下水を

すすっているような人間でも、時には、上澄みの上水に

憧れる。《言葉に詰まるような体験は、自浄作用があって

人を人間に育てる。》


世の中のどんな大きな幸福よりも、身近な小さな幸せであっても

人にとっては、一番の幸せなのだ。


 

謎の??

私は見た。それを見た。ちっちゃな薄いグレーの珍キャラが

数十人。黒とうとうたる夜、寝床のかたわら、ほんの数十センチ

先の暗い違和感。眠りに落ちているはずなのに・・・

それは見えざるものが可視化された瞬間。思い起こせば、

背たけ10センチ足らず、ねずみ色の軍服姿で機関銃を肩に抱え

た、こびとの兵隊集団さんが一糸乱さず小走りで走り抜けた。

兵隊さんたちも、何かの物語に加わりたいのか・・旧友でもある

まいし。おっしゃってくだされば、お迎えにうかがったもの

を・・・ ホスピタリティーは確保しますから・・・

静かに息を殺して振り返ろうとしたが、何かの力がはたらいて

ビクともしない。朝、顔をゆがめながらよみがえった、週末旅行

で体験した今の時期にぴったりの光景。終戦の近い時期だか

らかな・・・ まだひと月以上も先だぜ。どうして? 《人を呪

わば穴二つ》 バカな、こんなことはあり得ない。勝手知らない

他人の家、だから・・ ほとほと奇妙だ。見て見ぬふりをして、

何事もなかったよう平気な顔で耐え忍べば、じきに通り過ぎる。

見知らぬ何かがすっとやって来て「こんにちわ」って言われても

ねえ・・辻褄、矛盾、ただただぼう然自失。潜在意識に残る心の

傷跡?


梅雨中の淡い青空のもと、ほどよい夏の日差しに気分は心もと

ない微妙な毎日。サンビリーバブルな夏の日の宵闇でした。

今となっては、夢だったのか何だったのか、確かなことは何も?

でも気分は晴れ晴れしい、とてつもなく。今日は機嫌が良い。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


焼肉で食事中、おもむろに幼児が「教えちゃろか? 」

「***、気もち、食べれるよ!!」「それ、キムチね。」

ご存知のごとく《気持ち》ではなく《きむち》だ。誰でも自分が

少しでも、できなかったことができたことが嬉しくて自慢気に

他言したいのである。ことに、幼ければ幼いほどに・・・

喜んで、取り分けて、白ご飯の上に手助けてよそおう。程なく

して、手を合わせ「ごちそうさま」ちゃわんの中には、いまだ

赤粒の光る緑のきゅうりがことごとく・・・ 《言うはやすく

行うはかたし》 学んだかな、世の中を・・・


話し変わって、人間より低い位置に咲く花は、上向きに。人間と

ほぼほぼ同じ位置に咲くヒマワリは横に咲く。人間より高い位置

に咲くサクラなどは、下を向いて咲く。《自然ほど不自然に存在

する》《そのような存在は、決して存外には扱えない》ものだ。


握り寿司を宿泊先に持ち込もうと車内からさげて出た次の瞬間。

どうしたことか、十字に結んだひもの隙間から、するりと容器

ごと寿司が滑り落ちた。あわてて容器に戻したものの、

《握り寿司》のほとんどが《ちらし寿司》にすり替わった。

この時から、何か様子が変だった。生活に不安がのぞかせる?

それも暗い脅威を? でも、何事もいたって、普通だ。安心し

た。 めったにないような、不可解な説明できないことが起こる

と不安で怖い。どちらかと言えば、鈍感で、そういう体質とは

程遠いはず。ユウレイにはまだお目にかかったことはない。

今までも、これからも、そうであってほしい。祈ろう!!!


銀行で椅子に座って待っていると、大男がバックをさげて、大き

なマスクをして、入って来た。一瞬、銀行強盗かと、勘違いす

る。突っ込みところ満載、反応は遅れ、やりにくさ100%。


今日もごちそうさマングース。


 

天体

ほぼほぼ、日差しのない梅雨中の、日曜日。これまでは、早朝、

玄関を開けると、不快なまでにさんさんと照り付ける

朝日が今では恋しい。それでも、太陽は何らかの意志を持って

東の空から徐々に回り南の空へ昇りつめ、異様なあかね色に

染まりながら、西の空へと落ちていく。


本日は、天文学では夏至(げし)で日食で、しかも父の日だ。

記録をさかのぼれば、徳川家光の時代以来らしい。

ただただ、刺激なく怠惰に退屈な日々を過ごす我々のような

一般人ならば、シンプルに《太陽が地球の周りを回っている》

と天動説を考えるはずだ。世界に目を向ければ、その時代、

ヨーロッパにおいては、地動説を唱える渦中の人物が弾劾裁判

の真っただ中、判決は死刑が妥当であったが、出来合いの

レースのごとく、筋書のあるセリフを読み上げ、死刑は免れる、

しかし、男はつぶやいた。《それでも地球は回っている・・・》と。

その真の科学者がガリレオ・ガリレイその人であった。中世の

時代、天文学はもはや、穀物や作物の種まきや収穫の時期を知る

ためのツールとはほど遠い対象となっていた。彼いわく、

《天体観測の目的の、一番重要なことは、神の意志を知ること》


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


昨日は義父の、ひちひち49、日の法要で無事におかげ様で

納骨を済ませることができた。その後、身内数人で饗宴にて

昼日中から、がっつりビールをあおり、程なくして夢の世界へ。

その前日のこと。墓地のとうばに、こぶし大のスズメバチの巣の

退治で、獅子奮迅のごとく汗だくに大わらわ、てんてこ舞い。

どんな障害や壁が立ちはだかろうが、めげることなく、立ち向か

う、たくましい女性。生きる力は雑草以上。夏にも関わらず

厚手の生地のコートに、マスクにフェイスガードに手袋を

身にまとい、肌をいっさい出さずに、ビクビクしながらも

抜き足、差し足、忍び足、ポリエチレン袋でとうばごと、捕獲。

ことごとく生け捕りに成功。無情にも、そのまま焼却炉に直行。

ハチのむさしは死んだのさ! やったな、千恵子、

お前の勝ちだ!!! グッチョブ。 ゴー ツー ヘブン!!!


メスに食べられるカマキリのオスとは逆に、月に食われる太陽の

日食。そんな縁起の悪い現象、絶対、目にしたくないから見ないで


今日もいただきました。

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師