セミの墓

今朝は、ことに日差しがきつい。しかも、

セミの声がけたたましい、騒がしい、耳につく。

夏の日差しと、セミの声と聞くと、頭をよぎる光景がある。

車がたまにしか通過しない、田舎に寝泊まりした子供の頃、

セミの声が目覚まし代わりでハッと目が覚め、ラジオ体操に

おもむき、朝食もそこそこに、近所のオバケが出そうな、うす暗

い竹やぶまで、セミ狩りに毎朝向かったもんだ。そこは、昆虫が

多く集まると巷で有名な場所。汗をびっしょりかいた後は、プー

ルバックをさげて学校のプールへ直行。学校の先生から、

「セミが鳴き始めると、梅雨が明け、夏本番だよ」って、つとに

聞かされた。そんな先生も退職され、さらなる田舎で悠々自適、

晴耕雨読の生活を満喫されてるらしい。同窓会で伺った。

僕の学生時代のお気に入りの男の先生で、良い意味で、かなり

可愛がっていただいた。それはそれは叱られて、小さな心は

傷ついた。でも先生の教えは、今の僕の学問の基幹になった。


慣れとは恐ろしいもので、スポーツ全般において超得意だった

僕でも、水泳だけは大の苦手で、仮病を方便によくズル休みし

ていた。《後で聞くと、全部ばれていた。》当時(小学5年)

どんなに頑張っても、25メートルが精一杯だったはず。

幼少の頃、食料事情から、骨皮筋衛門の僕を、父に無理矢理、海

の沖まで連れ出され、溺れそうになった恐怖心がなかなか抜けき

らずトラウマに支配されていた。今もって、頭から湯や水を掛け

られ、耳首筋にたれ流れると、背筋がゾクっと縮みあがってしま

う。夏休みプールに無欠席のおかげで結果、自然と平泳ぎ、クロ

ールを会得し、50メートルをゆうに泳げるようになった上に、

地域のリレー選手に選出されるまでに上達した。でも、今だに、

背泳ぎはちゃんとできない、怖いのだ。恐怖心だけはどうにも克服できない。


何も、水泳の上達が目的ではなく、プール帰りに、近所の駄菓子

屋で、かき氷を食べたかっただけなのだが。店のサービスで

通常、一杯30円のかき氷が、プール帰りだと一杯10円に

なった。当時、僕の一日のお小遣いがきっかり10円だ。

店のおばさんは、まんまるとよく肥えたキップのいいおばさんで

片や、亭主は、ひょろっとやせ細った、何ともさえないおやじだ

った。そのおやじが、威厳を保とうと、口元にちょびひげをたく

わえていたが、むしろ、こっけいで笑えた。僕たち子供の間で、

デコボコ夫婦、って呼んでいた。その夫婦も鬼籍に入ったと風の

うわさで聞き及んだ。寂しい限りだ。


毎朝、小一時間ほどで、ところ狭しと、セミでいっぱいになった

《かご》を軒先につるしていた。夕方になると、異臭が立ち込め

家中から苦情が出るほどなので、竹やぶの草むらに埋めていた。

数日後、小高い小さな《あり塚》になった。まるで、野坂昭如氏

でジブリ映画になった「ほたるの墓」のようだった。僕も、

せつこのようになるのかな? と悪夢がかすめる。

戦時中なら、食料にでもなったであろうに・・・


今年は、コロナ禍であおりを受け、プールは禁止。

時節柄、暑さとどう向き合うかが難しいのは、

なにも子供に限らない。この暑さの中、顔を赤らめて

作業している人をみると、ほんに頭が下がる。小生は

ほぼ毎日冷えたビールを身体冷ましに利用している。

毎回、増加ぎみの体重計に、ため息が出る。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


昼前、車中で妻が「おなかペコペコ」ってひとりごとを言うと

僕の携帯が反応して、「おいしいランチをお探しなら・・・」

って突如、しゃべった。笑わされた。人生に笑いは大切だ。


 

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