目玉商品に誘われて連れ出され、行きつけのスーパーでのこと。

レジで大人しく、息を殺して、なりを潜めていた時、目に耳に

飛び込んできたストーリー。年端(としは)もいかない兄弟

二人がお菓子売り場で何やら、こそこそもぞもぞ、兄が自分の財

布の中身とちっぽけなジャンクフードを交互に、にらめっこしな

がら、意を決して、我々の後ろのレジの最後尾に陣取る。弟が

辛そうに半ば泣き出しそうな表情で、兄の後ろに悲しそうに寄り

添っていた。家内が声を掛けた。「兄弟? 」「どうした

ん? 」


胸に詰まった想いがあふれ出したのか、泣きじゃくりながら

「お腹すいて、泣いてたら、兄ちゃんが、お菓子買ってやるから

ついて来い、ってんで、来たのに、お金足りなくて、一個しか

買えなくて、兄ちゃん我慢する、ってんで悲しかったん」

泣いてる上に、感情的になっているから、理解に苦慮したのだが

欲するお菓子と、財布の中身を比べて、合点がいった。

財布の中には10円玉四つと五円玉ひとつのみ。

菓子の代金は45円。まるで、小生の子供の頃と同じ。


子供の気持ちに共感し、涙をこぼしている弟を、見るに見かねた

家内が口を出した。「お菓子もう一個、取っておいで、」

「おばちゃん、買ってあげるから」「はよ、持っておいで」

「かまんの?」「ええ、ええ。」僕も思わず、善人になった。

表情がいっぺんに明るくなった弟は、流れる涙を手の甲でぬぐい

ながら、何度も「ありがとう」兄も軽く会釈しながら「ありがとうございます」

別れ際、家内が「おばちゃんも子供の時は、同じように買いたい

モノ買えずにつらかったんよ。だから、気持ちよくわかるけん。

僕らも、大人になったら、困った人には、親切にして

助けてあげて・・・」 外では、降り続いていた雨がようやく

やんだ。すっきりしない空模様とは裏腹に、心は澄んでいた。

たまには、良い事でもしたいってもんで、気持ちの良いもんだ。

何かが溜まって、憤慨しそうだったから、久しぶりに、胸の

つかえがおりた。どんな境遇になっても、人の心はなくしたくないもんだ。


英国の作家である、ジョージ・エリオットの言葉です。

「歴史に残らないようなささいな行為が世の中の善を作っていく。

名も無き生涯を送り、今は訪れる人のない墓にて眠る人々の

お蔭で、物事はさほど悪くならないのだ。」


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


高校入試の面接の折、教官から「モットーは何かありますか? 」

と、質問を受けて、とっさに、ついて出た言葉が

「一日一善です。」と言ったのを思い出した。

近年まで、一膳が通りであったようだが、年とともに

一善どころか、数善になっているかな・・・


今朝は、サンドウイッチとコーヒーで朝食になりそう。

昼食はカレーがいいな。へんぴな西条の片田舎で下水を

すすっているような人間でも、時には、上澄みの上水に

憧れる。《言葉に詰まるような体験は、自浄作用があって

人を人間に育てる。》


世の中のどんな大きな幸福よりも、身近な小さな幸せであっても

人にとっては、一番の幸せなのだ。