虫のしらせ

昨日の早朝の事、なんだかすっきりしない

もやもや感で目が覚めました。

いつものようにお手洗いで済ませて

再び布団にくるまって目を閉じましたが、

僕の頭の中に、誰かが入り込んだようですぐには寝付けません。

僕の近しい人に何かが起こったのかも? との思いで、

なんだか気になる「虫の知らせ」といった言葉が頭をよぎります。


その時になぜだか、年老いた両親の姿が思い出されるのです。

今現在おかげさまで、両親ともに平均寿命を迎えてまだ健在です。

しかしいつ何が起こっても不思議ではない身体なのです。

とりわけ肺がんを患いながらも卒寿(そつじゅ)(90歳)になる父は

最近めっきり食欲も落ちてきて、

傍目(はため)から見ても疲労感いっぱいで一日のほとんどを

床で伏せって過ごす事が多くなっているのです。

一方母とはその日は昼間にリハビリ通所で会える日です。

何事も無ければ来ているはずです。


笑顔で知り合いと挨拶を交わしている

母の姿を見て、さしあたり僕はひと安心しました。


でも早朝のなんとも落ち着かない

「胸さわぎ」は何だったのだろう?

絶対誰かが僕のもとに訪ねて来たはずなのに。


夜を迎えてお互い仕事が終わりました。

今宵は二人だけの忘年会と銘打って外食に出かけました。

車に乗り込み一年ぶりの居酒屋に向かいます。

途中、道路沿いの葬祭場を左手に走行中、

不意に《案内看板》に目が移りました。

ほどなく信号で停車しました。

僕の脳裏に先ほどの《案内看板》の名簿の

人名が残像として読み取れました。「**+@」

何処かで見た覚えのある名前だ。そう思った僕は

居ても立っても居られないのでした。妻に


「Uターンして戻って!」、

「知り合いが亡くなったかも?」。

ブーン、キキー、ブブ―ーーン

「ゆっくり」

名前が明確に読み取れました。

「あっ」、「やっぱり」

「知っとる人や!」

「挨拶に行く」、「止めて」

ブーン、ブス。


年初から通い始めたリハビリ通所「きたえルーム」の

仲間の「死」でした。

しかも話を交わして分かった事なのですが、

僕の祖母方の遠い親戚筋にあたる

高齢者(享年82)なのでした。

しかし遺族の方たちとは誰とも言葉を交わせた事も無く、

亡くなってその場で眠っている本人とのみ

知り合いでしかない僕は

「家族葬」でしんみりと送り出してあげたい

遺族の気持ちを踏みにじってはいないのだろうかとの

罪の意識を持ちながら

穏やかな表情で眠っている友人との

在りし日の思い出が走馬灯の如く脳裏に浮かぶのでした。

3か月前に言葉を交わして以来再会出来ることを

楽しみにしていただけに遺憾(いかん)の意でいっぱいなのでした。


彼とは25歳の親子ほども離れていましたが

初対面から不思議と気の合う冗談を言い合う仲でした。

席の近くに座る時には

「ちょっとじゃまするよ」

「じゃまするなら帰って!」と小ばかを言える程に。

「もう何度も救急車に乗った」

「後は《立派な黒い大きな車》に乗るだけや」と茶化せるほどに。


早朝に感じた「虫の知らせ」はきっと

その友人が僕にお別れの挨拶に来たのでした。

お互い年老いてから知り合った友人なので

良かったり、悪かったりの過去の自分を知らない人なのです。

それだけにお互い真っ白の状態で、

3時間ほどの限られた時間だけでも

ともに過ごせる戦友、同志との思いで、仲良く

付き合ってこれたのでしょう。だからこそ

何があっても、繋(つな)がっている家族とは違って、

逝(い)ってしまっては、もうその友人関係が

切れてしまうのが、残念であったのでした。


僕の身勝手な希望的推測でしかありませんが

そうであるからこそ家族以上に気になっていたのでしょう。

彼は逝ってしまってから友人としての僕の所に

挨拶に来たがっていたのです。もはや話の出来ない彼は

僕の方から気が付いて肉体に会いに行く以外に手段がないと

再三再四、信号を送っていたのです。僕がそのことに

気が付くことが出来たのは「虫の知らせ」としか言えません。

おそらく普段忙しく時間に

追われて余裕なく過ごしていたならば

きっと僕は彼からの「声のしない呼びかけ」や

「音の無い、目には見えない、シグナル」などを見過ごしていたでしょう。


2か月程前の夕刻、ふとその友人の陣中見舞いに

行ってみようかなと

思ったのですが色々と余裕が無くて

躊躇(ちゅうちょ)したことが悔やまれました。

ふと気が付いたその時が最後の機会だったのでした。


現実の誰からの言葉でも無くて

自分だけが理解出来る

自分の中で語り掛けてくる「無言の言葉」。

「気づき」、「知らせ」など

昔から言われている「虫の知らせ」の重要性を

再認識した、年末最後の

死者(使者かな)との語らいでした。

また死者の霊はきっと

早朝にやって来るのですね。


今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も洋楽紹介します。ではまた。


アランパーソンズプロジェクトでアイインザスカイです。

1982年リリース。全米No.2位の大ヒット。アルバム「アイインザスカイ」より先行シングルカット。英国のロックグループ。

グループ最大のヒットであり代表曲。

メンバーのエリックウルフソンの作品。

古代エジプトの「ホルスの目」と言われる天空にある真実を見る目の事を歌った歌。

幻想的な楽曲。


 

ロバートジョンでサッドアイズです。

1979年リリース。全米No.1位。アルバム「ロバートジョン」より先行シングルカット。米国の歌手。下積みが長く歌手よりもこの歌曲だけが有名。でもって良い曲です。


 

ランディーバンウァーマーでアメリカンモーニングです。

1979年リリース。全米No.4位。アルバム「ウォーマー」からシングルカット。当時日本でもヒット。

米国のシンガーソングライター。2004年48歳で他界。

原題は「君をまさに一番必要としている時に」です。

ふと流れ込んで来たらドキッとするほど聞きこんでしまう美しい楽曲。


 

おまけでフォリナーでガールライクユーです。

1981年リリース。10週連続全米No.2位の息の長い大ヒット。アルバム「4」からシングルカット。

シンセサイザーが幻想的な雰囲気を醸し出している。

僕の人生で10本の指に入るお気に入りの楽曲。

当時毎日聴いていました。