ああ言えばこれ食う????

少し前に食べ物番組のテレビを見ました。

「とり貝」を食する番組でした。

通常、「とり貝」って焦げ茶色の細くて長い貝ですよね。

まず殻を見てびっくりしました。《さだめし、細長い殻を予想していました。》

ところがです。

《ホタテやあさりと同じように丸い、楕円形の貝殻なのです。》


「とり貝」の名前の由来は、殻を開けた時に、茶色の細長い部分(筋肉)が鳥のくちばしに似ているところからきています。

貝としては、茶色の部分は噛み切り易い適度な歯ざわりとほのかな甘みがあり美味。

豊凶の差が激しいため、総じて寿司ネタとしては高値で取引される。肝機能の強化、動脈硬化の予防に効果が有るともいわれる。

ヒモの部分は軍艦巻きとして寿司ネタにもなる。


しかしです。

我が町愛媛県伊予西条では「とり貝」と言えば、

地元では「ばか貝」のことを指します。

通称「青柳」(あおやぎ)と言います。


「ばか貝」とは面白い名前ですよね。

名前の由来は諸説あります。

  • 外見はハマグリに似ているものの、貝殻が薄く壊れやすいことから「破家貝」として名付けられたとする説。
  • いつも貝の口をあてオレンジ色をした斧足(ふそく、筋肉による)を出している姿が、あたかも口を開けてを出している「馬鹿」な者のように見えたとする説。
  • 一度に大量に漁獲されることがあるので、「『バカ』に(「非常に、凄く」の意)多く獲れる貝」の意でその名が付いたとの説
  • たくさん獲れた地域の名「馬加(まくわり)」(現在の幕張)を「バカ」と音読みし、「バカ貝」と呼ばれるようになったとする説
  • 馬鹿がハマグリと勘違いして喜ぶ様から馬鹿が喜ぶ貝という意味であるとする説
  • 蓋を閉じずに陸に打ち上げられて鳥に食べられてしまうことなどの行動から「バカ貝」と呼ばれるようになったとする説。
  • 頻繁に場所を変える「場替え貝」から来ているとする説。

地元の食品業者の間では、「とり貝」または「姫貝」として、高値で取引されています。子供の頃は「ばか貝」としてたびたび、食卓で目にしたものです。

生は酢漬けでよく食されます。

でもなんと言っても、てんぷらが一番です。

一度に大量に捕獲されるので、保存のためほとんどは天日干しにされ、

あぶっておやつや酒の肴に最適です。

《地元の土産ものとして人気です。》


全国区のすし屋のチェーン店では、この「ばか貝」見かけることはありませんが、地元の酒処では「とり貝」として当たり前にメニューにあります。

しかし残念なことに、春先にしかない季節限定メニューなのです。《やっている所もあるかもです。》

ぜひ一度機会があれば、口にしてみて下さい。味は保証します。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


ザカーズでレッツゴーです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/TheCARSLetsgo!.mp3


オリビアニュートンジョンではるかぜの恋です。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/OliviaNewtonJohnDontStopBelievin.mp3


 

駐車場での奇妙な出来事???!!!

週末の日曜日、夜の九時頃、市街のスーパーマーケットの駐車場での事でした。

僕の車の目の前に、中型のバンが一旦停車しました。

後方よりも小型の車が追従しているようです。

僕の左隣の空き場所に止めるのかなと思っていました。

しかし前のバンの車は完全に停車して、運転席から運転手が降りてきました。

前方を塞がれて後方の車の人は怒ってしまうのではと、成り行きを見ていました。降りた運転手は後方の車の運転手と何やら話しています。

僕の視界は後方の車に移動しました。

なんと後方の車はです。

代行運転業者でした。《前者の車の助手席の人はお酒を飲んでいるのです。》


前車の助手席から、明らかに最前まで飲酒していた赤ら顔のおっさんが出てきて、運転席に座りました。

《今から運転するつもり?なのか!!》

そしてなんと、その後です。そのバンの車は、スーパーの駐車場を一気に横切って走り去って行きました。《実際に僕は、その場で飲酒運転を目撃しました。》


運転代行業者は30km圏内の近場なら3000円以上はかからないと思います。


《僕は正直「ばか!!」と思いました》

わざわざ代行運転を頼むほど安全を第一に考慮するなら、

その後、自分で運転して、

違反を犯すかもしれないリスクを賭けるだけの利得があるものでしょうか?

なぜ自宅まで送ってもらわないのでしょうか?不思議です。


あとわずかの少額の金銭を惜しんで、飲酒運転で逮捕されるかもしれないのです。

《幸運にも、これまでは何度も発見されずに、逃れてこれたのでしょう。》

しかしです。

犯罪心理学的にも、人類の歴史からも、僕の経験からも、

《犯罪者は自分自身の犯罪が見つかってしまうまで、

処罰されるまで、

犯罪を犯し続けるものなのです。》


その後、その男性は間違いなく、そのような人生を送り続けていくのでしょうね。《大事に至らぬ前に、気付いてほしものです。》


この世は、正しい事だけを行い続けても、

報われる事も少なく、不器用に不便を感じながら生き続けている人も数多く存在します。


しかし一方、我欲と二人連れの人が、

楽しく面白く生き続けて、寿命をまっとうできる人も居てます。


どちらか一方だけの人生では窮屈であり、危険でもあります。

どのような生き方が人として幸福なのでしょうか?

僕には本当に、よく解らないと考えさせられたのでした。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


ルパートホルムスでエスケイプです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/EscapeRupertHolmes.mp3


エアーサプライズでロストインラブです。


http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/LostInLoveAirSupply.mp3


 

「じうこ、うどんこ」のすべらない話!!!!!

我が町には唯一国道が縦断しています。

隣町に行くには避けては通れない道です。

数年前より走行中、隣町との境目近く、国道沿いにカラオケスナックの看板が目につきました。カラオケスナック「あかね」とありました。

その屋号「あかね」と声に出して呼ぶと、車中で二人して共通の出来事を思い出します。《そして二人して、にやつくのでした。》

それはまさに《若気の至り》とでも言うものでしょうか?


僕が地元に帰ってきてサラリーマンをしていた15年程前の事でした。家内が仕事で大阪に出張に出かけたのでした。

家内が大型旅客船を利用した、その帰りの船内の出来事でした。

《ここから先は家内から聞いた話です。》


家内は電話を頻繁に使用します。充電が直ぐに無くなってしまいます。

当時はガラ系の折り畳みのピンク色の電話でストラップの類をチャラチャラとやたら多く付けていました。そのためよく目立つ電話でした。


現地で仕事終わりに、携帯の充電が残り少ない事に気づきました。大阪で船に乗り込んだと同時に、女性専用のトイレの近くでコンセントを見つけ、すでに充電している先客もいたようなので、安全であろうと安心して充電して置いたのでした。


夕食も済ませて露天風呂も頂いた後、寝る準備を終えてトイレの用事のついでに携帯を回収にきたのです。コードの先の携帯が見当たりません。焦りました。忘れ物として遺失物扱いになってるかもとのことで、案内所に届け出ました。寝床に戻ろうとした時に、ソファに腰かけて携帯をつついている女の子が目に入りました。


彼女の持っていた携帯は自分のそれと思われるものでした。特別なピンクのがら系の形から確信しました。声を掛けました。


「ちょっとごめん。その携帯電話、あなたのですか?」

女の子はびっくりしていましたが、「はい、私のです。」しかし目が少し泳いでいます。《嘘が付けないのです。ほんの出来心なのでしょう。》

さらに突っ込んで聞きます。「電話番号は?」「忘れました!」

女の子の表情が変わって下を向いて顔を隠そうとしています。

まじかで見ると間違いなく自分の携帯電話でした。

「ちょっと見せてくれる。」

《女の子も観念したしたようです。》

「はい。どうぞ」女の子はバツが悪そうに、家内に携帯電話を手渡しました。


「これ、トイレの近くに置いてあったよね!!」「盗ったの?」

「違います。」「忘れ物かと思ったのです。」「少し触らせてもらってただけです。」

「返してもらうよ!!」強く言い放ったのです。女の子は肩をすくめながら、小さい声で「すいません。」「ごめんなさい。」

「本当にすいません。」と何度も繰り返して頭を下げています。


携帯電話が見つかってほっとしたので、それ以上は咎めませんでした。

しかし家に帰って気が付きました。最も高価なストラップが無くなっているのでした。

当時パワーストーンが出始めていました。

流行りもの好きの夫婦はイオンの有名店で、個々人に合った石を組み合わせて、素敵なストラップとして高いお金を払って購入し、携帯に取り付けていました。


無くしたストラップはあの女の子の仕業であろうと推測できました。

しかし連絡先が解りません。ところがです。

《携帯を手にした彼女の心情はどうだったでしょうか?》

不意にも、とっても欲しかった、携帯電話を彼女は突然手にしたのです。

《誰かに電話を掛けたくて仕方なかったのでしょう。》

そして結局彼女は、親しい友人にその携帯から電話をしていたのでした。

《さぞや楽しく、少し自慢気に話したかもです。》

その形跡が履歴に残ってしまいました。


家内は当然その履歴へ電話を掛けました。そこには女の子の友人である、我が家の近くの中学の女子生徒が出ました。

そこで女の子の連絡先と彼女の名前が判明しました。

その彼女の名前が「**あかね」だったのでした。


早々女の子に電話を掛けて連絡をとりました。

「**あかねちゃん?」

「はい、そうです。」

「ちょっと聞きたい事があるのですが、」

「はい」

「携帯に色の付いた石のストラップ、付いてなかった?」

「付いていませんでしたよ。」

《言い逃れられると思ったのでしょう。》

《しかし悲しい事に、たかが子供の浅知恵と薄弱な覚悟なのです。》

「うそ、うーん」、《彼女は嘘をついていました。》

あのストラップ結構、値段高いのよ」《家内が追い詰めて行きます。》

「しかもその石の持っている、エネルギーも高いのよ」

「それに作ってもらった人にしか、合わないように作ってるあるのよ」

「その本人が持っていると、すごいエネルギーが発揮できるのよ」

「でも、その本人以外の人間が持っていると、、、」

「石のエネルギーが強すぎて、、、、」

「本人以外の人間に」

「すごく悪い事が起こってしまうかもしれないのよ」

「分かる?」「分かろ?」、、、

、、、、、、《目に見えない力は強大です。》

《その女の子が驚いたように叫びました。》

「あ、ありました!!」

「今!!」

「ポケットに手を入れたらありました!!!」

《嘘つけ!! 調子良すぎやろ!》《最初からあったやろ!》

「これ、返します!!」

「そう」


といったやり取りがありました。

そして彼女は翌日の放課後に返すと言って、家の近くの公園に呼び出しました。


定刻5分前、駐車場にすでに自転車から降りて、神妙な表情で待っています。

少しやせた幼い顔立ちの可愛らしい女の子でした。

《本来は、真面目で素直で良い子でしょうに。》

《魔が差したのでしょう。》


家内が近づきました。

「**あかねちゃん?」

「はい、そうです。」

彼女は手に持っていたストラップを家内に渡しました。

「ほんとうに、ごめんなさい。」

と3回ほど言っては頭を、いっぱいいっぱい下げています。

《本当に悪い事をしたと反省しているようでした。》

「ごめんね。ありがとう」

「もう、絶対に、こんな事したらだめよ!!」

と家内が言って立ち去ろうとした時でした。

その女の子が家内に近づいて来ました。

「あの、すいません。」「これ!!」

と言って家内にある物を手渡しました。

家内が戻ってきました。車に乗り込んで、

これも渡されたとクシャクシャのメモ書きを、見せてくれました。

手で握りしめてポケットに入れていたのでしょう。

少し湿っていました。

メモ書きを広げて読んでみました。

鉛筆で丁寧に書いていました。

「ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい。」

「ゆるしてください。」「もう二度としません」

「おやにも、

学校にも、

けいさつにも、

ぜったい言わないでください。」

「おねがいします。」

**中学2年 **あかね

ところどころ、が漢字で、

ほとんどが平仮名で、書かれているところから、

彼女の学力が「推して知るべし」ですよね。


僕たちは数回読んで、おかしくておかしくて仕方ありませんでした。

わざわざ学校名と自分の本名をしっかり書き記していたのです。

《やっぱりまだまだ中学生だと思ったものです。》

僕たちが車で駐車場から出ていくまで、彼女はずっとこちら向きに、頭をいつまでも下げていました。

セーラー服姿の、そんな彼女がとても可愛らしかったことを思い出します。

《僕たちが誰にも「チクリ」しなかったのは当然です。》


その公園の近くに、カラオケスナック「あかね」はあるのです。

その女の子がその後成長して、そのカラオケスナック「あかね」で働いていても、不思議では無いと考えられるのでした。

僕たちは彼女と関わった一人の人間として、親のように、彼女の事が心配になるのでした。

機会があれば、ぜひその「あかね」に立ち寄ってみようと思っていますが、、、、、


国道を通り、カラオケスナック「あかね」を見るたびに、僕たちは当時の事を思い出して、にやにやするのでした。


これは当然、すべて実話です。


最近昔の事を思い出すことが非常に多くなりました。

これも《寄る年波》とでも言うのでしょうか?


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

では、次回の語り部は、コロコロコロ、

はい、世紀の大俳人、松尾 水ばしょうです。

お楽しみに。今日も2曲プレゼント。


ELOでミッドナイトブルーです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/ELOMIDNIGHTBLUE.mp3


ブルーススプリングスティーンでハングリーハートです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/BruceSpringsteenHungryHeart.mp3


 

錯覚の不思議???!!!

 

自動車のすべての窓ガラスを閉め切ります。

サイドミラーを収納します。

車を停車位置に止めました。

洗車機の大きな黒ブラシが回転しながら、前から後ろに動き始めました。

《自動車が止まっているにも関わらず、

前進しているような錯覚に陥ります。》


今朝はコメダコーヒーで、家内とブランチをしました。

その後、僕の田舎の実家に寄りました。

農家である実家に、今もって一年に数回、お米を無心に立ち寄っています。

僕は家の庭の駐車場で、車内にて待っています。

新緑にまぶしい庭を見ていると、僕の頭の中は昭和に、タイムスリップしました。


僕が高校卒業するまで生まれ育った家も、大工であった父自身の手によって、建て替えられて40年近くになるでしょうか。

《現在大工修業中の甥が一人前になったら、

再び建て替えられて、近藤家は存続していくのでしょう。》


僕が小学生当時は、庭に小さな池があり、小さな鯉も泳いでいました。僕はその鯉にえさを与えていました。《僕は断じて、ぼんぼんではありません。》

しかも大小200個ほどの、松の木の鉢植えが置いてあって壮観だったと記憶しています。

当時北隣は警察官が、西隣には消防局員が住んでいました。

しかしです。南隣の大きな民家に、早朝泥棒が入ったようなのです。

住人の奥さんが「ど、ろ、ぼ、う」と大声で怒鳴っていました。

そのどろぼうは慌てて逃げたようでした。

《このことは錯覚だったのかな、それとも現実だったのか》

我が家の住人7人には、その声は届きました。2階で寝ていた僕にも聞き取れて、驚いて起き上がりました。

しかもその日に、我が家の庭の、大きな鉢植えが3つほど無くなっていたのでした。

《小学生の僕でさえも無くなっていることには、直ぐに気が付きました。》

ところがです。近所の警察官も消防局員も熟睡して気が付かなかったそうです。

《なんたる失態!!!》

その後、事件は迷宮入りしました。


それから二週間後に、

兄が、兄の友人の家の庭で、我が家にあった鉢植えを、間違いなく見たと言って、父と一緒に見に出かけました。《父も認めていました。》

しかし関係をこじらせたくないため、家族は沈黙を保っていました。

それから2、3日後に、その鉢植えが友人宅からも無くなっていたそうです。

《売りさばいていたのでしょう。そしていつの時代でも、

真実は闇の中です。》


そんなこともあって、母親からその友人との、付き合いを禁じられていました。

しかしながら、僕たち兄弟はその友人と、その後も隠れて、親しく遊んでいました。

《その友人は家庭環境は複雑でしたが、不思議と金周りが良かったのでした。》

でも僕らは別の友人と一緒に、彼を仲間外れにしたりして、冷たくあしらって、いじめていました。《子供心にも事件のことで、腹が立っていました。》

《運動おんちで、泣き虫だった彼を、よくからかって、泣かせていたものです。》

《今思うと、酷い事をしたと、反省しています。》


そんなことを回想しながら、近くの洗車機で自動車を洗車しました。

車を止めて、大きな黒いブラシが前から後ろに動くと、

止まっている自分達が前進しているように、

大きな黒いブラシが後ろから前に動くと、

止まっている我々は後退しているように、錯覚してしまいます。


我々の人生そのものも《錯覚》の生み出した幻想かもしれません。

当時の僕の記憶自体が《錯覚》によって作られた妄想だったかもです。


本当に動物は行動のほとんどが、頭の機能によって生かされている事を気づかされました。《錯覚の不思議》を痛感しました。

もしかすれば、今僕が生きているのも《錯覚》かもです。

「お前はもうすでに、死んでいる。」と、

いつ、宣告されるのでしょうか?

その時こそ、本当の《錯覚》であってほしいと僕は思います。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


ダートバンドでアメリカンドリームです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/THEDIRTBANDFeaturingLindaRonstadtANAMERICANDREAM.mp3


レッドツッペリンでハートブレーカーです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/LedZeppelinHeartbreakerS.mp3


公共機関での手数料って何???

今日は昼過ぎから新しい免許証を受け取りに警察署に行きました。30分の講習を受けて免許証を受け取ることが出来ました。

結婚と同時に本籍を変更してました。それが免許証に反映されていないため、その手続きで受付に寄っていました。

家内の迎えが来るまでの間、椅子に座って待っていました。交通課には頻繁に免許証の更新の手続きに人が出入りしています。そして更新の説明の最後に必ず、

「手数料2500円になります。」と女子事務員が言っていました。

僕の頭の中はこの時《手数料》に反応してしまいました。


《役所》でも何かの書類を受け取る時、必ず《手数料》を請求されていました。以前は疑問も持たず言われるままに支払っていました。


しかし病気を患ってからは、生活の中で社会の不条理や理不尽を痛切に感じ始めて、その想いを強く感じる毎日です。


民間企業の場合は、利益を追求しないと存続し続くことは出来ません。だから手間や物品には料金が発生するでしょう。

しかし公共団体の場合、どうなのでしょうか。

経費は毎年毎年、把握できてるはずです。

それに伴って、予算をある程度的確に算出できるはずです。

その予算内で経費を収めるようにすれば、赤字は出ないはずです。全ての企業や家庭はそうしてるはずです。

にも関わらず、公共機関での、手数料と称しての金銭の請求は、税金に加えての《二重取り》です。


ただ免許証などの証明書は、写真や特別な型紙の費用やその作成を専門業者に外注する必要があるから、その請求であろうことは理解できます。

しかしその業者は組織内部での入札で決定されるのであろう。それは《談合》と言われる非合理で不名誉な集まりの中で。


このような《手数料》の請求は、警察や救急車を利用するたびに手数料を請求するような社会と同じでしょう。

と僕は思うのですが。

そのような経費は全て税金に組み込まれていますよね。

僕は住民票や戸籍証明書の取得、免許証の取得などは、日常生活を営む時に必要な経費だと思いますけど、どうなのでしょうか?


現在、ひと昔公共機関であった郵便局が民間の参入や時代の変革によって、赤字を出してしまい、経営が成り立たない局が多いと聞きます。

つぶれない、安定している職業として、利用者の立場を考えない過去の業務や慢心の連鎖が今現在の郵便局の結果なのです。


NTT、国鉄、日本たばこ、郵便局、昔公共機関の代表と言われる機関は経営が成り立たず、今は解体か民営化になっています。

しかもです。その業界内では国の後ろ盾もあって、怪物のように振る舞っていた企業も、今では百戦錬磨の民間企業に後塵を拝しています。


現在公共機関は、警察、消防局、学校、裁判所、役所くらいでしょうか。近い将来でもその母体は無くならないでしょう。

しかし数年後には現在よりも、

業務が縮小されて、民間委託に移行されていくことでしょう。

そして最終的に無くなる機関もあるかもしれません。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。


今日も2曲プレゼント。

カーペンターズでプリーズミスターポストマンです。

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ローリングストーズでジャンピングジャックフラッシュです。


http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/RollingStonesJumpingJackFlash.mp3

摩訶不思議な人々!!!

世の中にはほんとに本当に、摩訶不思議な人が居ますよね。

《理解に苦しみます。》


賃貸住宅を探している人が居ました。

「この物件は太陽光発電が付いているから無理。」

「だって、電磁波が怖いから。」だって。《もう、携帯電話使うな!!》

《だったら、電気が一切通っていない未開の土地で生活してみれば!》


また別のある人が食事に関して不平を抱いていました。

「オーガニックの食物しか口に入れません。」

「化学肥料や化学食品は危険だから。」《お前はばかか? 直に死ぬぞ!!》

《遠く離れた山里で一から種まいて育てて自分一人で生活してください。》


どちらも現代を生きている我々には、不可能ですよね。

文明社会から取り残されて文明の利機を手放さなければ、そして世間から完全に隔離され、自給自足をしたとしても生活を続けていけるかどうか?疑問です。


仮に電磁波が無い生活が可能であったとして、電気機器に囲まれた便利な生活を本当に全部手放すことが出来るでしょうか?

不便な生活によって、電磁波より身体によくない環境を、自分の身の回りに築くことにならないでしょうか?


またもし仮にオーガニックの食料だけの生活が可能であったとして、それだけで生きていくための栄養を過不足なく摂取できるでしょうか?

本当にそれで健康を維持できるでしょうか?


文明は人間の知恵が生み出した結晶の賜物なのです。

そして文明の利器を使ってこその人間なのです。それこそが人間たらしめているのです。

ですから我々は社会から切り離されて生き続けていくことは出来ないのです。


人間誰しも、時代の流れという《乗り物》に乗って生き続けているのです。自分たちだけが、そこを降りて生き続けていくことはできないのです。《乗りたくなければ、死ぬ以外にないのです。》


短絡的に物事の《善》と《悪》を決め付け無いで、もう少し多面的に、大局的に物事を観察して欲しいと思います。そうすれば行動範囲がもっと広がり、自由度も増えていくでしょう。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


アメリカでベンチュラハイウエイです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/AmericaVenturaHighway.mp3


スティーリンダンでユアゴールドティース2です。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/SteelyDanYourGoldTeethII.mp3

野生動物の住み家!!

先日のニュースでニホンカモシカが町中で捕獲された話が報道されていました。その少し前、野生の熊が人を襲って怪我を負わせた話が流れていました。僕も野生動物に関して稀有?(味わいたくない)な体験をしたことがあります。


僕が元気な時の事でした。高速道路も運転していた当時の話です。もう20年程前の事になります。梅雨に入り始めの、そんな時に、残酷極まりない事を初体感したのです。

当時居住地の伊予西条市から本州に渡るにはいくつかの方法がありました。車で30分の近くの所に港があります。そこから大阪まで大型旅客船が運行しています。(今も運行していす。)

家内の仕事の都合で僕が車で港まで送迎を務めてました。その時の事です。


30年前にバブル景気の頃通勤路確保のため、隣町との交通量が急増したので新たに田園地域に道路を建設しました。制限速度が50キロの車両専用の速いスピードの許された道路でした。そこの周りは見渡す限り、水田が広がる、人通りの少ない場所でした。時々付近に住む民家とつながる道が数本繋がっているだけでした。

しかも当時は道路の両脇には所々反射塔はありましたが、街灯のほとんど無い道路でした。そんな場所で残忍な事を体験したのでした。


家内を送り、船内に乗り込んだことを見届けました。その後の帰宅途中のことでした。

隣町との境目の分岐点に新設された道路に、入り込んだ直後の事でした。季節は梅雨に差し掛かり始めた、田植えを迎えた頃でした。

時刻は夜の11時過ぎでした。付近は街灯も無いほぼ真っ暗闇です。道路を走る車のライトが交錯し、その車のライトの明かりだけが、道路を照らし出しています。しかも辺りは静寂な場所です。時折、小動物の鳴き声が聞こえます。

ただし週末の金曜日で、この道路の車の通行量は多くて、混雑しています。

車は仕方なく低速度で前車両に付いて、徐行するように走っています。

車間距離を10メートルほど取って走らせています。

その道路の分岐点を左折した直後の事でした。


「ブツブツ!!」直後に再び「ブツブツ!!」。

数秒後にまた「ブツブツ!!」そしてまた「ブツブツ!!」

その直後「グルグル!!」「ゲロゲロ!!」との鳴き声。

そして「ブツブツ!!」「ブツブツ!!」の不快音。


気色の悪い音を聞きながら、まったくの不快の感覚を、車に乗っているにも関わらず、身体で体感します。

《何かを車で踏みつけた異様な感覚が身体全体に感じました。》


《間違いなく車で何かを踏みつけた感覚なのです。》

町境に流れる大きな河川に掛けられた橋に乗ってからは、その不快な感覚は感じることは無くなり、車はスムースに流れだしました。


その後数日間、雨が降り続きました。そして週明けの早朝に家内を迎えに隣町の港にくだんの道路を再び通りました。


あの不快な感覚を感じた道路は雨によって洗い流されていましたが、《兵どもが夢のあと》の状態で赤い血潮と共に小さな動物の手足がまだ数か所アスファルトにまだこびりついていました。


想像するに、

そこは、《トノサマガエルが車のライトの明かりに呼び出され、本能によって強く反応する反射行動が、皮肉にも生存本能に反して自殺行為のごとく人間の文明の悪魔のような怪物《走る凶器》に踏みつぶされてしまい、大量殺りくの餌食になってしまった戦場だったのでした。


稲作が行われるようになって、そこに寄生する害虫を餌に、ついの住み家で寿命をまっとうしていたであろう大ガエルにとって、予測だにしない天敵の出現に、彼らは今後どのように対応していくことになるのであろうか?《彼らに学習能力はあるのだろうか?》


あれから10年以上、かの道路を夜遅く走ることは無かったのです。

結果,大ガエルのその後の運命は推し量ることしかできません。


人間の人口が増加し、活動範囲が野生動物の生態範囲をも侵略してしまっています。

その代償として、野生動物たちが人間の生活テリトリーを脅かすようになってしまいました。

《そのため人間に取り押さえられてしまい、最悪殺されてしまうのです。》


生き続けていくために、自分たちが身勝手に振る舞っていたら、どこかの地点で何者かと、衝突してその生存を脅かされてしまいます。

その時にはお互いに妥協点を見出し、共存共栄を図る必要があるのでしょう。

《しかし悲しいことに、彼らには人間ほど知能が与えられずに、人間にされるがままなのです。》


昨今人間同士でもお互いが解りあえずに、自分の強さを誇示し合っている結果、世界情勢は第3次世界戦争への一触即発の緊迫した中で何とか均衡を保っています。

理解し合うのが困難な者同士では、お互いの立場や想いをもっと《忖度》して、問題が持ち上がった時には、共存共栄できるような方法を考慮すべきだと思うのです。


自然の生態系を壊さない範囲内で、人間の生活居住範囲を最小限に抑える必要性を痛切に感じた今日この頃でした。

最近、、、、

夏のホタルを見かけなくなりました。

秋の鈴虫の鳴き声を聞かなくなりました。

《風物詩が無くなりかけてますよね。》


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼントです。


ELOでアイニードハーラブです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/ELOINeedHerLove.mp3


エルトンジョンでリーボンです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/EltonJohnLevon.mp3


 

障害者を抱える家族の本音

僕は10年前に脳疾患を患ってしまいました。

残念なことに後遺症で、左半身まひの状態のままなのです。

その結果、介護度1から5段階で軽い方の介護度2の認定を受けています。

《僕は今現在、障害者なのです。》


左手と左足の自由を奪われていますので、一人で出来ることは限られています。

したがって、誰かの助けがなければ、自分一人だけで生きていくことは不可能です。


最低限の食事でさえ、自分一人では準備できません。

《憲法で保障されている、人間として生きていくためには、健常者の同居人の家族が最低一人必要になるのです。》


当然潤沢なお金があれば、自分一人でもどこかに外食する。

または弁当や総菜等出来合いの食事を購入する。等によって食事は出来ます。

《お金で介護人等を雇えばすべて解決します》

《金の力は絶大です》


そう言った理由で僕は、介護人の手助けのレベルの必要性から介護度2という軽いレベルから2番目です。

介護する人の立場からの見解による、2番目に軽いレベルの人ですと評価されたのです。


一方障害者と同居する健常な家族には,

どの程度、負担になるのかは、障害者の僕には知る由もありませんでした。


しかしです。

本日より、障害者と同居する家族の負担を感じることが出来ました。


障害者が(どこに)、(どの程度)、障害を持っているのか、によって家族の感想は千差万別でしょう。


僕は今回、認知症の患者と一つ屋根の下、1日過ごしました。


本音を言わせて頂くならば、

「子どもか?」 「ばか?」 「あほ?」が正直な感想です。

《ある意味では子どもよりタチが悪い。》

現在僕は運動障害を抱えていますが、幸運なことに思考力、判断力などは普通です。そういう意味では、自分を《普通人》であると思っています。《でも誰かに否定されるかもです。》


認知症は2015年には約700万人、65歳以上の5人に1人の割合。現在はさらに増加し続けています。症状としては、

記憶力が減少して、さらには理解する力や判断する力がなくなって、社会生活や日常生活に支障が出てくるようになります。

それ以外は普通なのです。簡単な日常会話も特に差し障りありません。ただし、

《常識では理解不能の予測できない行動を起こします。》そして、

《日常生活において他人に迷惑をかけるときがあるのです。》


また幸運なことに先週末、知的障害者を持つ家族の出演される舞踊や演奏の伝統芸能を鑑賞させて頂きました。

そこに居合わせた彼ら彼女たちは、明るくて優しい、笑顔の素敵な、強い絆でつながっている人達でした。


今回一連のことや障害者と生活することで僕が気づかされことの一つに、

障害者は社会にとっての《障害》などでは決してなくて、むしろ逆に周りに《益》をもたらしている存在なのではないかと思わされました。


正直すぐに感じた感想は、邪魔くさい、面倒、ついていない等のマイナス感情でした。

時間が経って、わずかの期間後に感じた事は、

どういうことかと言えば、障害者が居ることによって、

周りの人たちが精神的に高められているように思われました。


我々は障害を持つ人と接することによって、普段当たり前と思っている行為や思考が、決して当たり前では無くて、特別なものかもしれないということに気づかされたということです。


普通なことが特別かもしれないという感謝の念が持てるようになりました。

あらゆる事柄に対して、耐え忍ぶという忍耐を学ぶことになりました。

命の大切さ、尊さ、個性の多様性、

人間の弱さ、強さを知ることが出来ました。

自分以外の人を全幅の信頼、信用する必要性。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


ビリージョエルでシーズガッタアウエイです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/BillyJoelShesgotaway.mp3


ビートルズでエブリリトルシングです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/beatlesEveryLittleThing.mp3


 

「昔の名前で出ています」はもはや通用しない!!

野暮用事で隣町で用事を済ませその隣町からの帰りの事でした。

車内で「あ、、、、@*+くん」と中学校が同じで近い年代の家内が一言。

「う、うそ!」「あんなじゃなかったろうに」。

どこからどこをどうのように見ても、あんなに冴えてない男じゃないでしょうに。

同級生の僕はどう考えても納得の出来ない彼の風貌とその雰囲気。


もし本当にその人が、家内の言ってる同級生の彼だとしたら

僕はとっても悲しくて切なくなりそうです。

学生時代に勉強やスポーツとも優秀でリーダーシップもあって、僕自身尊敬していた男性だったからです。

その彼が昔の面影は視るところもなく、少し肥えてしまい、自信なさげに暗くうつむき、何か辛そうに、人生に疲れ切っていてそうなのです。結果、どう見ても《敗北者》そのものなのです。


その時僕は絶対、僕の知っている彼であって欲しくないと強く思ったのでした。学生時代の彼の優秀なことを、知っている僕としては、より大きな世界で《成功者、勝利者》として名をはせて、故郷に錦を飾ってほしいと願っているのでした。


しかし彼の兄弟と同級生である家内が「間違いないよ」との発言により、僕は厳しい現実を受け入れて愕然としたのでした。

彼がどのようないきさつで、故郷に戻って来たのかは解りません。実際長男なので家を執る身ではあることはあるのですが。


でも考えてみれば、人の人生なんてある時期だけを、一緒に過ごすだけでは推し量れないものです。

《せんだんは双葉より芳し》とも言われますが、

《10歳で天才、神童と呼ばれ、二十歳過ぎればただの人》っても言われますからね。

幼少期には世間が小さいので、少しの才能と努力で頭角を現すことが出来ます。

歳を重ねれば世間が広がっていくので、頭角を現すのは少しづつ難しくなっていきます。社会人になれば、世間は全世界になるわけですから、少しくらいのレベルの才能では頭角を現すのは本当に困難なのです。

よって本当に才能《本物の才能》があって実力が伴わないと世間に認知されないでしょう。

逆に学生時代優秀でなくても、生き方によっては、社会に出てから活躍される方も数多く存在します。


ですから学生時代いくら優秀であっても、その後の人生が保証されるわけではありません。

また逆に学生時代にいくら評価が低くても、出会う人や運によって自分の人生を大きく花開かせる人もいますよね。

より良い人生を保証されるように、学生時代には勉強に励むわけですが、、、、現実はそう甘くはありません。《学生時代優秀であることに、こした事はありませんが》

また全く別の人の話を家族の人から聞くこともあって、

「昔の名前で出ています」はもはや通用しない現実を痛感しています。


実際のところ、どうなのかは本人から直接聞かないことには解りませんが。

僕ももう半世紀以上も、人間として生き続けています。ですから、外見を一見するだけでも、ある程度人の事は正しく判断できると思っています。


実際厳しい現実に直面して、右往左往して、もがいている人ほど、昔の輝いていた時代をよく口にしてしまいます。

そのような人がいたとすれば、現状の自分に不平不満を持っています。

くだんの彼とは、最近一言も話していないので事実は解りません。

しかもそのような人に限って、絶対に現在の自分の無能《実力の無さ》を認めようとしないのです。

そしてその原因を自分自身ではなく、別の何かや他人のせいにしているのです。


昔の自分のことを晴れ晴れしく語る人には気をつけましょう。

そして《過去の栄光は過ぎたこと》なのです。


《人は無自覚によって自分の地獄を掘るものなです。》

《無能な人はもはや無用なのです。》


すでに時代は混迷期に入っています。

厳しいようですがこれが現実なのだと、自分自身にとっても強く思わされた今日この頃でした。


今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした。


きょうも2曲プレゼント


ポリスで見つめていたいです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/police見つめていたい.mp3


クイーンでキラークイーンです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/qweenkillerqueen.mp3