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心機一転

毎年、毎年何かがあるもんだ。自分にとって、

昨年に続き、今年も「厄年」、って思わされた。

しかも、ここのところ毎日が「厄日」のようなところも

感じられる。しかしながら、ある《出来事》を

きっかけに、ここ二日ばかり、ほんとぐっすりよく眠られる。

今朝はことのほか目覚めがいい、気分が良い。昨年末のこと。


ある若い女性に向かって、ふとぽつりと尋ねた。

「もう、いいお年頃ですよね」(今年春には28歳をむかえる)

「何か《活動》されてるの? 」 見やると、彼女は

一瞬、視線が合いそうになるところを、そらし

「え? え?」とつぶやき、ただただ沈黙「・・・・・」

「最近、めいっこが結婚しましてねえ・・・」

さらに何気に振ってはみてが、なおも素知らぬ顔で

悠然とやりすごされた。心なしか、

いささか視線がおよいでるようではあったが、

(いつもマスクをしているため、表情がよめない。)

ややして、何か思い立ったようで、離れて持ち場に向かった。

ただ、これだけのことだったのだが、その後、

彼女は妊娠出産を迎えることとなり、年初、とつじょ、

関係者多数の面前で、寂しくもここを離れるとの報告をして

小生の前からもどこかへ姿を消すこととあいなった。

親子にも夫婦でも、恋人でも、兄弟でも、親友にも

どのような人間関係にも、必ず《終わり》はあるものだ。


彼女とは、とあるコミュニティーを通じて知り合った。

あどけない顔立ち、ほっそりながらもムチッとした魅惑的な

からだつき。おとなしくも、どことなく威厳もただよっていた。

総じて、女ざかりがからだ全体に、みなぎっていた。

ひと言で申すならば、魅力的な《いい女》感が半端なかった。

初対面の時から、目を惹く気になる女性で、

小生は、ときたま、見かけると、ちょっかいをだしたもんだ。

あわよくばといった、やましい《下心》がないわけではないが・

小生すでに60にさしかかった老いぼれ妻帯者、頭も薄くなり

加えて、半身まひのハンディーキャップといった不自由な

身、しかもこの歳になって、社会に対してこれといった

功績も財産も残せていない無名な、平凡なふがいない

あわれな年寄りであろう。誰の目から見ても・・・

体力の落ち込みもいなめない。(あちらのほうも)

言わずもがな、若い女性に、気にとめられるだけの強みも魅力も

みじんもなかろう、そんなことは百も承知だ。


重々、自覚している。でも、いくつになっても、

夢を持つことくらい許されてしかるべきではなかろうか?

(しかし、無残にも、花は散り落ちた。)

もう二度と顔を合わせることも、見かけることすらないだろう。


そんなことよりも何より、いつから、

そういった相手を見つけ、

それにいたる行為を繰り返していたのだろう?  当然、

カラスの勝手で、小生に口をはさむ余地はどこにもない。

出るまくも、どこにもあろうはずはない。

誰に言われなくとも、重々わかっている、年甲斐もなく、バカな

行為であることも、身の程知らずも、世間体が通らないことも。

それなのに・・・ なぜに・・・

誰よりも、いつも気にかけ、

声もかけていた数少ない知人の小生に、

結婚すら、事前に何の報告もない。

いっさい、おくびにも出さずに、ひた隠しに隠しに、

どういうつもりなのか、理解できない。

ほんと、見くびられたものだ。何かうらみ節のように、

聞こえないわけでもないが・・・  でも・・・

なんだか、わびしい、悲しい、悲しすぎる。いくら望んでも、

叶わぬ恋と、当然わかってはいる。でも、こちらの気持ちは

彼女も承知してるはずなのに、(直接、何度も伝えていた。)

事ここにいたっては、もはや、もう、

どうすることもできないからこそではあるまいか?

多数の面前で報告する前に、そんな小生に、ひとこと《何か》

知らせがあってしかるべきではあるまいか?

(小生なればこそ、言えなかったやもしれぬが)

ことは、「妊娠」といった状況に至ったゆえの別れで

あるわけだ。しかし、それ依然に、ただ「結婚」した

ことだけでも、直接ひとこと本人の口から伝えてほしかった。

かえすがえすも、なんだか非常に残念であった。

しかし、振り返って、思い出して、推察するに、ピーンと来た。

そこには、彼女のやさしそうに振る舞っている心の奥底に、

小生をさげすんでいた、バカにしたような、小悪魔のような

あざけっていた《心》がちらほらとかいま見えるのだ。

余計な勘ぐりをされることも彼女も承知であろうに。

何かの思惑、裏があるような気がした、細かくは差し控えるが

知らされる前とその後では、彼女に対する小生の対応が、

変わってしまうのは、当然であろう。

それこそ、致し方ないことであるはずだ。  その覚悟が

なければ、身勝手なことなど何ひとつすべきではない。

誰かに想われる、慕われることには、責任が伴うものなのだ。

人とはつねに、多面な顔を持つ生き物だから・・・

良いことをすると同時に悪いこともする生き物だから・・・


人の世は、苦界(くがい)である、

何もかもが夢まぼろしである。

ひと呼吸して、じゃっかん、考え直した。もう、すべて、

済んでしまったことゆえ、

すべて水に流して忘れることにしたのです。

そんなことを思ってからは、何か《つきもの》がとれたようで

すっきりした。目からうろこが落ちたようだ。

心がなんだか軽くなった。 そこでこれからは、

分相応に、自分の身をわきまえて、

また、自分らしく笑って喜びを見出し、

小さいながらも幸せをかみしめて過ごそうと・・・・

良い意味で、何だか生まれ変わった心境なのだ。

何か大きなエネルギーが感じられる。力が満ちてくる。


中国の故事に、「人間万事塞翁が馬」がある。

「人間万事塞翁が馬よ! 人生是修行なり」 とも考える。

大切な何かがなくなろうと、いなくなろうと、

大切な息子や身内が、自分が大きなけがをしようと・・・・

人生何が良くて何が悪いか、死ぬ直前までわからない。

良いことも、そうでないことも、何が人生に変化をもたらすか

わからないものだ。頭ではわかっていたが、つまらぬことで、

(本人にとっては、とっても大事な事案なのですが・・・)

心も身体も悲鳴をあげていたようです。

疲れはてていたようです。ご心配おかけしました。


世間で言えばこれは《失恋》ですよね。誰も経験したくない

避けたい、惨めな悲しい辛い辛い出来事でしょうに。

とんでもないぜ。でも小生にとっては、《失恋》ではなく

《三下り半》なのです。(強がりととらえる人もいるだろうが)

一回死んで生まれ変わった《新しい人生》の始まりです。

「心機一転」何事にも心をくだいてはげもう、はたらこう。

今を懸命に生きようと・・・

そう思わされた出来事でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


今日はおまけはなしです。


 

プぺル(えんとつの街)

「上だけを見ろ!!」

「下を見るんじゃない!!」

「下を見ると」「足もとがすくみ」

「前に進めないぞ!!」

ことあるごとに、勇気を与えようと

家族や仲間の励まし。ひとことで言えば・・・・


ディズニーとジブリ映画を足して割ったようなとっても

美味しい、夢とロマンあふれる冒険ファンタジーです。

絵コンテも物語も音楽も素晴らしい。不覚ながら、

クライマックスで胸が、いっぱいになって、小刻みに震え、

えづいた、泣いた。(映画館で)

始まって数分後に、トロッコ列車に乗せられ、

ワクワクドキドキ、

インディージョーンズさながらのスリル満点。

正月疲れで眠たかったまなこも一瞬でパチリ。


今から250年前、時がどれだけ経っても価値が変わらない

《お金》だけに魅せられた人たちをある悪党が、特殊コイン

《エルコイン》で支配しようと煙突をたくさん作り、

多くのけむりで街を包み込み外の世界から閉ざし、外の世界を

見せない様に、あこがれないように、夢を持たせないよう

社会を構築、でっちあげる。


ある日、そんなけむりのはるかかなたで、

赤く光り輝く星がけむりを突き破り、プぺルの街に

転げ落ちていく。そこから物語が動いていく。


どんな社会でもひとりくらい制御不能な異端児はいるもの。

実直で星を見ることを夢見る自分を信じる心優しい少年、

ルビッチとその父親、

昼間は紙芝居で夢を語り、夜は仕立て屋のブルーノ、

ハロウインの日に街へやってきた、

がらくたの「ゴミ人間」、プぺル

素性がよくわからない、地底人間、爆弾作りのスコップ、等々、

個性豊かなキャラクターたち。


夢(外の世界の星を見る)を叶えようと空飛ぶ船に乗り、

分厚いけむりのかたまりを爆破させたルビッチとゴミ人間

(実は、心の父、ブルーノ)たちを励まし、後押しする仲間。

彼らがけむりを一掃すると、街のひとたちが見上げる。

そこには見渡す限りの満天の星空。

最後には、ルビッチの友人で、がらくたで作られた「ゴミ人間」

がくずれ落ち、そのたましいが空へと舞い上がり、

夜空でトワにさんぜんとかがやく星となった。


1%のひらめきと、

99%の努力の積み重ねと汗のたまもの。

原作を読んだあなたも、読んでないからこそ

単純明解で、誰でも楽しめる愛と夢の物語。

入場料、絶対、損をさせません!!

《鬼滅》の次は《プエル》で決まり。

今年は皆さんも、

上だけを見て前進しましょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今年もよろしくです。


総制作指揮、原作、脚本は、

お笑いキングコング、絵本作家で実業家の西野。

制作は吉本興業。

声優に、女優、芦田愛菜、落語家、志らく、

キングコング、カジサック、オリラジ、西森

といった多彩な豪華顔ぶれ。

あっという間の100分。


ユニクロの初売りに出かけ、その足で何気に目的持たず

イオンに入る。人ごみに流されてたどりついた先が

映画館。あみだくじとじゃんけんの結果、「プペル」に決定。


行き当たりばったりの人生の末に訪れた感動でした。

人生いろいろ。


 

思い出

寒い冬のとある前日のこと。夕食がすんで家族そろってテレビを

視聴していた時、小学2年生の末っ子のぼうずが

「かあちゃん、あした、知っとる? 」母親はテレビを見ながら

みかんをひとふさむいては口にほうばっている。

(ここ愛媛は全国きっての言わずと知れた有数のみかん

産地だ) なおもぼうずが「知っとる? 」

「ねえっ、知っとる? かあちゃん」母親はうっとしそうに、

聞こえないふりをしているのか、聞いていないのか、なおも今も

みかんに手を伸ばし、くちゃくちゃと口を動かし、

子供の話をさえぎるように

「**ちゃん、あんたも食べんかい、」「おいしいよ」と、

かたわらのダンボール箱(当時、生産過多から知り合いの農家

から闇で超格安(市場の半値以下)で手に入れていたのだ)から

さらに2個取り出しその一個を愛息子に差し出した。

受け取った少年はみかんをこたつの

上に置き、「かあちゃん、 知っとる」

「クリスマス、って知っとる」「あした、クリスマス」

(母)「え、え」(子)「クリスマスー」

(母)「え、クリスマスー」

(子)「そう、クリスマス、聞いたことある? 」

(母)「うん、聞いたことあるよ、クリスマスやろ」

ようやく、みかんから手を離し、耳を傾けようと

母親は子供に目を向けた。機嫌が悪ければ、いちもにもなく、

はねつけられるところではあるが、食欲が満たされていたのか。


それから後、親子は互いに言い合った、末っ子のおねだりを

母親はしぶしぶ、一部認めた。

「ケーキ、作ってあげるよ」

「ほんと」「ケーキなんか作れるん?」

「作っていらんけん、買うて、買うて」

「買うたら高いんやし、作ったほうが美味しんよ」

「ケーキくらい、かあちゃんでも作れるんよ」

「ほんとかいな・・・・」

「めちゃめちゃ美味しいの作ってあげるよ。」

自信ありげな母親の言葉に同意せざる得ない少年は

何か不安ながらも、初めて見るであろう母親手作りの

ケーキにいくぶん期待を寄せていた。


現代のように欲するものがわずかなお金で手軽に手に入る

時代とは違う《当時》・・ 食べることが何よりも《しあわせ》

そんな時代、ハイカラでシャレた《ケーキ》なんて裕福な友人の

家でごしょうばんにあずかることでしか口にできない

あこがれのお菓子を、

あの昭和ひとけたの、いなかの土のにおいしかしない、

あの《どけち子》の女性が・・・ ほんとにできるんかな?

《どけち》と料理のうまいへたは何の関係もないところだが・・


当日の夕刻、日がすでに暮れかかっている。いつもの食事時間

まで、もういくばくもない。しかも、それらしいブツは今もって

一ミリも目にできない。待ちきれない小僧がおそるおそる

問うた。

「ケーキ、いつできるん? 」「もうすぐ」

「いま、作ってる? 」「まだ・・・」

「もう時間ないよ、みんな帰って来るよ」

「ごはんのおかずが先やろ」子供が居間でテレビを見ながら

母親に問いかけながらせっつく。母親は我関せず、土間で

ドタバタと食事の準備にてんやわんやで大わらわ。


しばらくして、土間の東となりの風呂場の火入りを祖母が

いつものルーティーンでおこなったのか、すりガラスの

戸のすきまからあかあかと暖かな明かりがもれていた。それが

発端に家族がぞろぞろと集まり始めた。姉、兄がテレビの

チャンネル争いで騒がしい、兄が力ずくでテレビの画面の

前いっぱいにしゃがみこみなめるように見ている。

「**ちゃん、 そんな近くで見たら、目悪なるよ」

母のこごとが耳ざわりだが、兄には効いたのかテレビから

距離をとった。「****」「ごはんできたけん」

「テーブル出して、ふかんかね」と、姉に手伝うように

少しきつく催促する。姉はうつぶつ何やら言いながら

むっつりとした表情でいやいや従う。

「***も手伝って」「お皿出して」

「うん」仕方なく、ぼうずも手伝う。「**ちゃん」

「皿こっちへ持ってきて」母の言葉に命じられるまま

鍋から皿へおかずをよそおい渡されると文句を言う。

「また、さかな・・・他には ?」「ない」と、ぴしゃり。

「ケーキは? 」「ごはんのあとで作る」

「デザートは最後やろ」 (奇妙なことに、なぜだか、

こんなところは知っているのが、不思議な母なのだ。)


9人もの家族が丸いテーブルを囲んで座ると白米をちゃわんに

いつものように祖母がすくい各自に手渡す、その間、次男と自分

のために酒を温めている。(おじと祖母の何よりのたのしみ)


小さなおかずひとすくいに対して大きな白米2、3口とは貧乏人

の常識であろう。お腹が満たされつつあるころ、土間のわきでは

ぐつぐつと大きなやかんが音を立ててにたっている。それを

合図に母がようやく、ケーキ作りの準備に取りかかったようだ。


姉と祖母も手伝いに加わった。祖母が洗った皿を丁寧にふきんで

拭いている。母がひろげた材料の包み紙を両手でまるめて土間に

隠し捨てた。その後、母と姉が白いクリームをマーガリン用

のコテで薄く伸ばしているようだ。ゴソゴソしているとじきに

何だかできあがったようで、皿に盛りつけていた。


「何飲む? 」「コーヒー」「お茶」生まれて初めてコーヒーを

作ってもらうと祖母が眉間にしわを寄せて

「子供に、コーヒーなんか飲ませられん」と母にきつくどなる。

むっとした表情で一瞬祖母をにらんだが、言葉をのみ込んだ

ようでいらいらしていた。(とついで以来、母と祖母は

よくいがみあっていたようだが、父は知らんぷりを決め込んで

いたようで、母はいつもひとり陰で泣いていたそうだ)

そんなことはつゆも知らない子供たちは、おのおの身勝手に、

振る舞っていたため、ここでも、子供たちは熱くて

飲みかねるコーヒーをスプーンですくって

ちょびちょび飲んでいた。


待ちに待った・・・いよいよ、やっとこさ実食だ。

兄とぼうずはひと目見てこうべをたれ、言葉を失った。

母の主張する《ケーキ》のその実態とは、

母の好物の「ミルクブレッド」という市販のパンで、

薄くて小さい子供の手のひらサイズの食パンに

白クリームが両面に塗られて、横に横にと重ねられた

だけの味付けパンで、安価でボリュームのある、

お買い得のパンなのだ、

そのパンを半分ほど5センチほど上に重ねて皿にのせて、

一番上のパンの上に、

なんとこともあろうことか、

マヨネーズで、小さく遠慮ぎみに、

《ケーキ》とかかれたものなのだ。(ただ、《ケーキ》とかき

こんだだけでまさに名札を付けたごとくの、

自称する《ケーキ》だけのものなのだ)味はともかく。

その横には、ご愛嬌にありふれたみかんの

ひとふさがふたつほど

大きな顔してちんざしているではないか。

でも最悪のことに、マヨネーズのちょっぴりの塩気で、

クリームの甘さが台無しで、

とんと食べられたもんじゃなかった。

兄とぼうずは土間にまるめて捨てられた

見慣れた袋包みを見逃さなかった。

ふたりは顔を見合わせて軽くうなずくだけであった。

ぼうずは母親を見た。

母は、「おいしかろ? 」とぬけぬけとほざきやがった。

返事するのもアホくさく、黙ってとにかく口に押し込んだ。

母親はさもありなんのごとく、ごくごく普通の面持ちで

コテや皿に残ったクリームを

誰気がねなく集めてなめて、(ほんにずぶとい)

コーヒーで流し込んでいた。

《けちくさい》にも程があるもんだと、ぼうずは

行き場のない《いきどおり》をいつものように

腹の中に押し込み、くちびるをかみしめ、涙をこらえ

自分の貧しい身の上をあらためて思い知らされたのだった。


でも、こんな母親でもなぜだか決して憎めない

嫌いになれない、本音で笑って見つめられる顔が

忘れられないのだ、

妙にいとおしいのだ。これが血縁というものか ?


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また逢う日まで。


両親のこの手の《子供だまし》には度肝を抜かれたもんだ。

母が夕食に《お子様ランチ》を作ると豪語したのだが、

父が夕食前に、長いつまようじに紙をまきつけ、日の丸の旗を

描き、ワンプレートで、おちゃわん型の白米に刺し付けただけ

だったのだが。これは当時、子供だましで広まった《手》

だったとうわさでよく耳にした。


今この話を母にしても、素知らぬ顔で、

「そんなことあった? 」とちっとも取り合ってくれない。

けたはずれのずぶとさは、今もって健在だ。


そんなハハのおかげなのか、いまだに、

なんでもおいしくたべられる、しあわせものだ。


 

サンタクロース(許されざる真実)

紅葉の景色が、まだまだまぶたに焼き付いて

身体に残っているような気でいたのに。

寒い、寒いというより冷える、冷え込む。

まるで強く厳しい冷気に抱かれてるようだ。

冬の寒さが身に染みるようなると、一年

一年、死ぬ日が近づいているような思い

がじわじわ、じわっとひどく感じる。

いくらあがいても、行く着く先は

決まったようなものなのかな?

昨晩より段どった暖房機器の温風に手をかざし

暖をとりながら、そんなことを考えていた。

ふと気付くと、街はだんだんクリスマスに色づいてきた。


などと心細いことを考えてしまうのは

最近何かと気の滅入ることが多いためか?

来年春にはよわい60を数え世間でいうところの

還暦、ひと回りしてもとに戻ってしまう《年寄り》

というカタゴリーに入ったこの身が何ともいとおしい。


子供の頃のこと。あれは、そうだ小学一年生の年の瀬、終業時、

左となりの席の当時としては珍しい、ほんのり肥えたおかっぱ

頭の色白のおとなしい女の子が「いっしょに帰ろ」と言うので

断わる理由もないから、校舎の北がわの通りに面した裏門から

東に向けてテクテクとふたつの小さな木枯らしは家路に向かう。

女の子の家の近くになると、「いっしょに宿題しよう」

「え、石川さんの家で? 」とふたりは家の中へ消えた。


入って、いっときは過ぎただろうか。すでに、夕闇が濃い。

ひとくぎりついた女の子が奥の引き出しからクリスマス色の

包装のチョコレートのひとかけらをひそかに口にほおりこんだ。

「ムシャ、ムシャ」さらに、ひとかけら砕くと

すっと男の子に向けて、

「ふん、こうじくん、食べんかい」「ありがとう」

(ありがたい、うんめえ)「おいしいね」

「うん、わたしチョコレート一番好きなんよ、

こうじくんも・・・(好きよ)」

(小さな声ではっきり聞き取れなかったが)

(そう聞こえたと僕はいまでも思っている)もうすでに天国に

旅だった彼女から真相は聞き出せないのが残念ではあるが・・・

彼女はひとつ上の兄とのふたり兄妹で、転勤族で、財閥企業の

住友関係か、電力会社に勤める父と働き者で家におじゃますると

必ず紅茶とイチゴケーキをかまってくれた心優しい母、(でも

バカのひとつおぼえみたいに、

「こうじくんは家どこ? 」って聞いて決まって「あーあっ、」

「しずとし(父の名前)、さんとこの」ってうなずきながら

応えていたのだが、子供ごころに大人のあいそって

始末に悪いもんだなと思ってた)との

4人家族で、当時としては核家族のはしりであったろう。


それが証拠に・・・お互い照れ臭くて目を合わさない様に、

ただただ部屋のどこぞに目をやっていた。

しばらくして、「そのチョコレート、お母さん、

買ってくれたん? 、ええねえ」と男の子がたずねた。

瞬時に目つきが変わった女の子は

「ううん、違うよ」女の子は、

向きを変えて男の子の目をみつめ、

はっきりとした口調、きりりとした表情でこう答えた。

「サンタクロースさんが、プレゼントでくれたんよ」


再び思い出した。

そんなこともあって、人の優しさがことに身にしみる、

涙がちょちょぎれる。つい先日のこと、

知り合いのお母さんから、どう見ても23,4の独身、

ふっくりした顔立ち、からだつきで、人がらもさばけた。

男気のない女性だけの中学、高校を過ごしたためか、

他校の学生と当時から恋におぼれて若くしてみおもになり

就職と同時に認知を受けられぬとも男子を出産、親元を離れて

シングルマザーの苦労人なのだが、それだけに、ほっとけない。

「このままでは、」「義理がたちませんから」と

さんざん子供のめんどうをみた我々を気づかって、

夕食の席を設けてくれた。当然、その席には、

少し気の早いサンタクロースから

プレゼントを受け取った男の子の姿も。

大人の手のひらサイズの大きさが評判の《チキン南蛮》の

有名店「鳥シン」席について料理を待っているその間のこと。

「もう4歳になったから」「そろそろ現実を知るのも」

「いいころかも・・・」言下に、言うか言わないかで

母親の顔つきが瞬時にこわばり眼光鋭く(えッ、信じられない)

「よしてくださいよ」おどろきの表情からいささか怒りの表情に

変わっていくのを僕は見逃さなかった。「まだまだ、夢は夢の

ままにしておきたいので・・・」と、言い終えた彼女のいらだち

とその焦りが手に取るようによくよくわかったため、となりの

子供を引き、頭をなでよせた。微笑みかけると返してくれた。

なおも引き下がらないで、

「ところで」「プレゼントはどこに」

「で、プレゼントは枕元に? 」「置くんですか? 」

「いいえ、ツリーのそばに・・・・」言い終わらないうちに

口もとを手で抑え「あっ、」(あぶない、あぶない、

聞いてたかな? )「もう、やめてくださいよ」

「誘導尋問じょうずですね」「ほんと、もう」

「こわい、こわい」「わかってますかね? 」

「大丈夫でしょう」「わかってないでしょう」

「まだ、むじゃきに笑ってるから」男のコはこうべをたれて

ただただまわりにひきつられて、愛想笑いでほほえんでいた。

「ごめんなさいね」「いえいえ、」「私のほうこそ、」

「場をしらけさせないようにと、思って」

母は頭をかきながらベロを引き出しして

笑いながらこたえてくれました。こちらも

申し訳なさが心にきわまってはじけながら

頭をさげた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。皆さん、良いクリスマスを・・・


子供のころから、厳しい現実を肌身に感じていたため、

クリスマスの甘ずっぱい夢はいっさい感じられずに少年期を

過ごしてきた。いちどでいいから、サンタクロースにあいたい。


その後僕はあきれて石川さんにこう言った。

「サンタクロースなんか、」

「いるわけないやろ」

「全部、お父さんか、お母さんが」

「買いよんよ」「石川さん」

「ほんとうに子どもやねえ」

「僕は保育園のときから」

「知っとるよ、」

「サンタクロースなんかいないと」

僕はしたり顔で言ってしまった。子供のしたこと

にしても、ほんと罪なことをしたもんだと、今は思う。

そんなこんなで、その後彼女の僕への態度は冷たくなった。

で、若くして、サンタクロースにつれていかれたのかな・・・


もう、決して、あやまることさえ許されない。

なんだかひどくつらい、切ない・・・・

冬の蚊

「あっ、蚊ー? 」「これ、かあかー? 」

「うそー、もう冬よ」「えっ、ちがうんかなーー」

片手でにぎりつぶそうとしたが、指の間をすり抜けられた。

季節はずれの小さな、目をこらさないと認識できないほどの

むし(蚊のような)成虫になってまだ間もないのか、

おぼろなげに、おぼつかない足どりでゆらゆらと空中を

ふらついている、今にも力尽きそうに(まるで今の自分のよう)

いつの間にか黒くて暗い車内にまぎれて見失ってしまった。

車は車道に向け駐車場を出ると左手に曲がり踏切を抜けると

そのまま直進、いくつかの信号を通過して北へ一キロ転がす。

車道の両脇の木立は短い秋の間にほとんどの葉っぱを

落とし果てたのか、異様にかぼそい小枝が冷たい風にあおられて

ざわざわと小刻みに震えている。店舗のガラス壁が

淡い冬の陽の光に照らされてわずかにまぶしい。

冬の心地よい晴れ渡る陽気の下、車中は静かでおだやか。

さらには、大きなバイパス通りを左折すると車両の数も

雑踏をきわめて運転も慎重にならざる得ないところではあるが


「ブルブル、リンリン」バックの脇に手を差し入れ

前方にも注意を向けながらもスピーカーモードで応える

「はい、」後部座席から、

早朝から、はじけんばかりの笑顔の男の子が変貌した、

いきなり

「おいおいおいー」「おいおいおいおいー」

「なにしてんだよーー? 」怒り口調で、しかし、

なかば冗談まじりに、「おいおいおいおい」

「何してんだ」「お前、けいたい」

「さわってんじゃねえよ」「しっかりーーー」

「運転してろー」「、って」「言ってんだよー」

「おいおいおい、おまえーー」

とつじょの空気の変わり様に一瞬、車中は凍てつく。


ややして、思わぬ注意喚起に自分を取り戻し思い起こして、

けいたいを慌てて切る。と同時に、振り返り様子をうかがう。

「**ちゃん」「今の何? 」「どうしたん? 」

「どこでそんな言葉、おぼえたん? 」負けじとこちらも

「おいおいおいおい」「何か言うた? 」「おいおいおいおい」

「もういっぺん、言ってみて」。おかしな言葉に

こちらの調子もくずされる。「ハハハッ」「ハハハッ」

笑いかけると、「ハハハッ」目じりを細めて笑い返してくれる。


そうこうしていると、じきに車は左折して目的地に到着した。

「中に入る?」「車で食べる?」笑顔で問いかけると、

「入る」と満面の笑顔で応える。車道沿いの店の横に止めて

一同、店に入る。


店内はコロナのせいか、比較的すいていたのだろう、

客はわずかに点在するだけだ、おおかたの席が空いている。

陽当たりにいいお気に入りの席に腰かけるとさっそく

フレンチ・フライをほおばりながら、おまけのおもちゃを

開け広げ何やら熱心にいじっている、ほんにうれしそうだ

楽しそうだ、上機嫌だ。こちらも気分がいい。席について

まもなくして、左に人の気配を感じ、人影が視界に入った。

「おはようございます」見上げると町内の若造とその娘だ。

人がいいのだけが取り柄で人なつっこいのだが、いささか、

頭が弱い青年は30手前でおめでた婚で所帯持つと同時に父親に

なり、まだまだ元気な祖父母と両親と同居暮らしである。

祖父母は町内でも一番の古株で、家の正面で「修理工場」を

始め、景気の波に乗りかなり大きくした。

一人息子は高齢とともに商売から退いた、うちの兄貴と同級の

さらにその息子は「手打ちうどん」の修行の末、店を

始め、祖母の強い発言力のおかげでけっこう繁盛していたのだが

持病のぜんそくを悪化させ店を閉じ、親の遺産でほぼパラサイト

依存して暮らしているとのうわさだ。

「あっ、おはよう」と応えると

「よく、来られるんですか? 」「いいや、たまにやけれど」

「今日は休みやし」「お客さんが来たから」

「朝の教会の礼拝休んだんよ」

若造は娘から手を離し、しゃがみこんでけげんそうに顔を近づけ

「えっ、えっ、」「何です? 」

「今日、日曜日やろ」

「普通なら教会に行かんとね」

「えっ、」「キリスト教」「信仰されてるんですか? 」

近づけた顔をさらに近づけ、きょとんとした表情で問うた。

「冗談、冗談」「うそやで」笑いながら返事した。

「ですよね」「びっくりした」言下に、言うや言わないうちに

「びっくりついでに、もうひとつ」

「この子」「知っとる」

「いいえ、知りません」「初めてです」

「誰です? 」「どこの子? 」我々に子供が居ないのを

知っている青年が問うた。すかさずに、僕は、

「ひろってきたんよ」て応えると、青年は笑いながら

「加茂川ですか」

「そうそう」「去年の祭りで迷子になってたんで」

「ハハハッツ」「よく、今まで生きてましたね」って、

娘に目をやりながら声に出して笑って答えた。

「ひろったというよりも、」「さらったっていう方がええかな」

「そうですね」あきれた調子で別れを切り出した。

「親元に、早く返した方がいいですよ」

「そうやね、」「そうするわ」

「それじゃ、」「では、また」「さようなら」

その場を離れた。


帰りの車中で、窓を通して景色をながめていた男の子が

「あっ、ムシー、」とつじょ、大きな声で叫んだ。

ぎょっとして振り返り問うた。「どこ? 」

「そこ」「窓の上のほう」「あそこ」

「蚊やね、たぶん」「手でたたいて、殺さんかい」

「うん」「しんちょうにせんかいよ」「いっぱつで」

「わかった」冬の寒さで弱りきったむしは幼児の

気配すら気取れずに、

「ぱしーーん」との音とともに

「やったよ」男の子は勝ち誇った表情だった。

そのかわいい白くちいさな手のひらは、

赤く染まっていた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。会えるまでお元気で。


自分の考えや、もうそうがうまく言葉にならず

いらだって、自己嫌悪におちいり、自暴自棄になりかけて

いたのです。暇にまかせて多読をしていると、なぜか心が

もやもやっとして胸がうずくので、再度筆をとったしだいです。


店内で食事中、家内のバーガーのパンの切れはしが

こぼれ落ち、胸元の服の上にのっていた。男の子が

すかさず、「落ちたよ」「**ちゃんが取ってあげる」

家内に近づき、おもむろに小さな手が家内の胸元にのびた。

「おっぱい」「さわってやったーー」と、

おおはしゃぎでわめいた。店内が騒然としていたため

幸運にも、まわりの客は誰も気付いてそうにない。

よかった。蛇足ながら、男の子は《巳年》なのだ。


またよろしく願いますね。


 

言語化

「ズボン脱ぐ!」 立ち尽くしたまま、その場でおろします。

「でるら か だ ぶ ら」「でるら か だ ぶ ら」

なにやら呪文めいた言葉を発しています。そして最後に、

人差し指から順番に、一本ずつ押し出しながら、

「1、2、3、4、5・・・・・」

「1、2、3、4、5・・・・・」「終わった? 」


なにわともあれ、子供ながらも、無理矢理に、
自分自身を奮い立たせるわけですね。

しかし、奮い立たせたところで、
自分が感じた不快感が、消えることはありません。

そのため、苦しさやいらだちは、
刻々と溜まっていき、心を傷つけます。

そして、ある時、ポキッと折れてしまいます。

結果、投げやりになって、行動が停止しました。


「終わった?」「うーん、もういい。」

額や耳のあたりに少し汗をにじませ、まだまだ、不満を残しなが

らも、「替えて」と目で訴えてきます。処理を施し、おむつを

交換してやると、上機嫌で再び、はしゃぎだしました。


3歳になる幼児が朝食に、好物のR-1の乳酸菌を飲み、食事を

終えた直後に感じた排泄欲。床に座ったままで「***出る」

「トイレに行く? 」「もう、出た。」すぐにも、立ち上がり

部屋の隅にひきこまり、戦闘態勢に突入。


なかなか、スッキリと排泄感がぬぐえず、幾度か試みるも

思うようにいかず、心が折れない様に、自分を奮い立たせ

弾みをつけようと、行動や心境を《言語化》しているのです。

誰に教えられるわけでもないのに、いまだ三歳であっても、

《言語化》の潜在力を、開放感などを理解しているのです。


同日のこと、暗い世相を吹き飛ばし、春を感じようと

遠方までドライブで菜の花畑を鑑賞に出かけました。

持て余している、若いエネルギーをはじけさせる

ほどに、歩き周り、走り回わったにも関わらず、

我々の前を、蛇行しながら、急激に方向を変更させて

「あ お り 運転」と振り返りほざき、笑みを浮かべながら

無邪気に狂喜乱舞(きょうきらんぶ)しています。

われわれも、なんとも微笑ましい光景に、心弾みます。


帰り道の用足しのために、道の駅でのこと、

子供専用のハンドルの付いた遊戯に乗りたいとの

所望に応えて百円を投入。周りに誰も居ない状態も

手伝い、ご機嫌宜しく、はしゃぐ男の子。いまだ満足できず

隣の遊戯に移り、無言の要求に仕方なく小銭を投入。

自分の近くに見知らぬ人が近付き、人見知りの彼は、

心が落ち着かず、遊びに集中できないのか、あちらこちらに

視線が揺れ動く。いまだ充足感が得られず、再度、隣の遊戯に

移るも、妻の承諾を得られず、しばらく座ったままで、要求の

視線を送り続けるものの、妻との根比べ。我々がその場を

立ち去ると仕方なく後を追って来るも、屋外に出て、我々が

立ち止まり振り返ると、その場にしゃがみ込み、流し目線を。

視線が合うと、わめきながら泣き出す始末。きりがないので

仕方なく、抱きかかえ車まで連れ込む。泣き叫ぶので力づくで

助手席に押してつける。最後には、顔を座席に押し付けながら

「おいちゃん、きらい。」「おいちゃんもおばちゃんも、だい

ーきらい。」「みんな、だーい、きらい。」と大粒の涙を流し

鼻水たらしながら、大声でわれわれを、なじり、けなし、

さげすむ。半時間ほどで、疲れたのか、気が晴れたのか、

静かに眠りに落ちました。我々の前では、いつも必ず

「良い子」「偉い子」「かわいらしい子」であったのに・・・・


こういう子ほど、一度、《たか》が外れると、始末に悪い。

しかし、聞くところによると、この4月で、親の都合で

ここ西条を離れ、故郷の高知に帰ってしまうのです。

これで、私たち夫婦とも、そうそう、たびたび、会えなくなって

しまうのです。おそらく、私たち夫婦は、彼にとっても、母親の

次に信頼のおける近い存在であったはず。そんな私たちとも、

もうじき、お別れなのです。言葉を覚え初め、最も可愛らしい

時分に、出会えた喜びに、立ちあわせていただいた奇跡に

感謝いっぱいの今日このごろです。子供ってほんとに素晴らしい

ものです。


不満、不快、など、負の感情は抱え込んだままにしておくと

やる気、元気など行動の源泉をなくさせ、何もやる気持ちを

失わせ、何もやらなくなってしまいます。そのために

人は、言葉にならなくても「言語化」することで

その状況から脱しようとするのです。何かを口に

出して、しゃべることで、精神を鎮静化できることを

生まれながらに、身をもってしっているのです。

医学的にも、チューインガムの効用を理解している

欧米人は、作業中であっても、ガムをよくかみます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。逢うその日まで。


 

瞑想

朝夕徐々に涼しくなり、

夏の終わりが近づくにつれて

耳を澄ませば、目を凝らせば

秋の気配を感じると共に

西条の上空に広がる、

どことなく寂しい秋空。


大切な思いを伝えるのに

必要なタイミングがある?

何でも早くできる時代

全てが早くなければ、

いけないわけではない。

あえて遅く、

あえて遠回り、

あえて時間をかけること。

人に憂(うれ)いと書いて

優しいと読む。

憂いを大切にするということ。

憂いに時間を費やせること。

それでもさらに、

本来の自分らしく、

自由に、素直に、

まずは自分を大切に、

生きていくこと。

自分だからこそ寄り添え、

共に分かち合える優しさ、

大きな愛と光の存在、

その自分自身の本質にチューニングする。

ちょこっと瞑想で締めくくります。


それではゆっくりとした呼吸を続けていきます。

吐く息と共に要らないモノが

全部溶けだして、流れ出していきます。

ゆったりとした呼吸を続けていきます。

すべてが解放されていきます。


息を吸う時には

新鮮な空気と、美しい光を

たっぷり取り込んで

身体中の隅々まで、満たしていきます。

細胞ひとつひとつに

その光と新鮮な空気が

行き届いて、

どんどん癒され、

活性化され、若返っていきます。

呼吸をするたびに

身体も心も、

どんどんリラックスして

緩んで、ほどかれていきます。


ゆったりとした呼吸を続けながら

もし貴方の中で、

貴方に気付いて欲しい思い、

本当はもう少し時間を掛けて

感じて欲しい気持ち、

もしそれが存在したいモノであれば、

今共に感じてみて下さい。

ああ、そうだったよね。そうだったわね。

貴方だからこそ、自分だからこそ、自分だけが分かる

その経験してきた思い。


そしてまた今日

その想いに、その感情に、

その時の私に、

貴方に寄り添える、

今日の貴方を

共に感じてみて下さい。

着実に、確実に、

さらに優しくなった

今日の貴方。

その優しさと

大きな大きな愛と、美しい光で

今すべてが満たされて

行ーーーー

きーーーー

まーーーー

ーーーーす。

はい、

満たされました。

いつもありがとうございます。

夜空の星の如くキラキラ輝く貴方に

心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて


以上「人が優しくなれる理由」東京スターライト

ホンマルラジオより要約。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S.I  LOVE YOU.


 

誕生日

そこは家から10分程のところでした。助手席に乗り込むと

妻が「今日おいちゃん、誕生日よ」と、同時に後ろを振り返ると

「おいちゃん、お誕生日おめでとう!!!」と5歳の女の子が

僕に笑顔を投げかけてくれました。時を置かず、2歳の弟君まで

も「あっ、おいちゃん、誕生日おめでとう!!!」と口にしたの

です。「ありがとうね、ふたりとも」と返すと、お姉ちゃんが

「ほんとは、プレゼントあげたいのに・・・」

「分かってたら、家から持って来たのに・・・」と大人顔負けの

ませたセリフに、感じやすい僕は正直泣きそうになりました。

幼稚園で躾(しつけ)の一環で覚えさせられたのでしょうが

初対面の大人の男性に、強制された訳でもないのに、なんの屈託

も無く反射的に口に出せるのです。《恐れいりやのきしぼじん》

一方最近、リハビリ通所で4月から誕生日祝いが突然取りやめに

なり、残念に思っていたところだっただけに、不意の心遣いに

感激いっぱいでした。どんな時代、どんな境遇であろうが、どん

な人生を送ろうが、誰もが持っている、本人の唯一無二の記念日

である誕生日。絶対、誰だって祝福されたいはず。


どこで、どんな風に祝うかは、個人によって様々でしょうが

想定内の演出は《ふーん、》て感じですが、まったく

予想だにしていない出来事に、僕の心は大きく揺さぶられま

した。数分後到着した場所は市民グラウンドに隣接した幼児

公園。僕はひとり車に残り、妻と子供達がふわふわドームで

戯れているのを眺めていました。風が強く肌寒かったのですが、

少し陽に当たろうと降車して、のそのそと杖をついて

歩いていると、お姉ちゃんが僕に近づいて来て、僕の顔を見なが

ら「大丈夫? 大丈夫?」って何度も聞いてくるのです。笑顔で

「うん、大丈夫よ!!」って答えそれでも、のそのそと歩いて

いると、今度は僕の少し後ろに回って、僕の左腰を軽く触って

「大丈夫。大丈夫」と声掛けをしながら一緒に歩いてくれたので

す。言葉に出来ないくらい感激、心動かされました。「ほんとに

ありがとうね。**ちゃん」と言って顔を覗き込みました。

二重瞼のパッチリおめ目に、バランスのとれた品性の良い、

とっても可愛い顔立ちにびっくりしました。性根が良いから、

素顔が素敵なのか、見た目が良いから、心根も良いのでしょ

うか、どちらにしても、早熟で、めんこい素敵な女の子との

出会いに感謝感激。夕食は居酒屋で乾杯。雇われ女性店員まで

も「なんにもないね・・・・ハッピーバースデー」て、祝福して

くれました。注目の新元号の話題より先に言ってもらえました。

歳をとらないと味わえない幸せもあることを再認識。


帰りの車中。僕らの近くまで身を乗り出して「おなら出た」

少しも悪びれる素振りも無く言い放ちました。その後

僕たちの会話の中で「はい、はい」と、どちらかが言うと

「はい、は一回」と、後ろから、突っ込んできます。

こうして僕たちはわずか半日で、とっても仲良しになりました。

これは人生おける、変動しうる幸福の最大値の、ひとつの出会い

といえるでしょう。58歳になった僕の人生。

まだまだあるじゃないか・・面白いじゃないか・・・

姿勢はエンジョイ。知識はぼちぼち。子供たちとのゆるふわ

交友関係。微笑ましくも、軽ーい関係であっても、人生を

色鮮やかに彩(いろど)るのでしょう。普通、幸せな人間は

自分に正直で素直です。そして自分の幸せに集中するもので

しょう。この素直な思いを正直に表現する人間を僕は愛します。

その上で、自分が「この人は素敵だ!」と思った人と出逢った

際に、恥ずかしくない自分でありたい。まだまだ人生の醍醐味

を見つけよう、探そう、求めよう、手を伸ばし続けよう、そこに

辿(たど)り着こう、まだまだ、いたずらに過ごしてなんか

いられない、安穏(あんのん)として居られない、と思いを

新たにした58回目の誕生日でした。ベストセラー

『七つの習慣』の著者は言っています。「 最も大切なこと

は、最も大切なことを、最も大切にすることである」今後は

これを実践していこう。人生には色々な生き方があります。

《自由に生きる》生き方だって、《豊かに生きる》生き方だっ

て、《自分らしく生きる》生き方だって、ただし無理をしないで

楽しみながら生きようと思っています。今後ともよろしくです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。PS I LOVE YOU.


陽の気配が感じられるが、闇がまだ、少しずつ入り混じって

いる、春の明け方。まだまだ肌寒いため、布団の中でごそごそ、

夢うつつの内に時間がいたずらに過ぎて行く。とてつもなく

贅沢な目覚めを頂く。そんな寒の戻りの朝を迎えた誕生日。

台風18号がやって来る、ヒヤ、ヒヤ、ヒヤ、!!!

ほぼ毎朝、東向きの窓から朝日が差し込み、

僕の体内時計の目覚ましを鳴らせて、

朝の訪れを知らせてくれるのですが、

今朝はふと目が覚めると、もう10時だ。「よく寝たな」

きょろきょろと薄暗い部屋の様子をうかがう。

おかしいな、と思いつつ、携帯をのぞくとやはり10時過ぎだ。

階下に部屋の明かりはどこにもなく、

居間に立てたメノラーの薄明かり(24時間点灯)が、

この家の階下には僕のほかに誰も居ないことを主張している。

本来なら車が通っているはずの東側の道路からも、

今は自転車すら、人さえも通っていそうにない。

そんなある種の気味の悪さが漂う朝を、今朝は迎えた。

厠(かわや)に向かい事を済ませて、洗面所で顔を洗って

居間の明かりを点ける。昨夜のままでした。

今朝妻たちがここで過ごした痕跡が感じらねません。

日曜日は認知症**おばさんのデイサービスも休みで、

終日3人で過ごさなければならないのです。

数日前よりテレビの気象情報で

台風18号が日本列島を隈(くま)なく通過するであろうとの予報から、連休にも関わらず、みんなも外出を控えているのでしょう。

台風の進捗(しんちょく)状況を把握しようと、

テレビを点けました。昼過ぎに愛媛県を直撃らしい。

どうなるのでしょうか? 無事に通り過ぎてほしい。

最大級の台風らしいと聞きました。

でも正直それほど

《大変なのだ》、《不安》とは思わないのです。

《マヒしているのでしょう。》《平和ボケ?》


我が家では昼過ぎまで、

僕はテレビ「ワイドなショウ」、おばさんは就寝。妻は仕事(2階で)。

その後、パン食。コインランドリーへ。和菓子とコーヒーで休憩。

外ではビショビショ、パタパタ、ビュー、ビューと激しさを増している雨風。

今日は家の中で楽しもう。好きなことしよう。

楽しいぞ。良い日になりそうです。でもそんな時、


拡声器から大きな声が聞こえる。消防局から、

《注意を促している。避難場所も伝えている。》

「緊急」でも無いのに?

《どうすればいいのだろう?》判断に悩む。

逆に不安を煽(あお)っているような放送だ!!

《やっかいだ》だがここは平野の中心部だからほぼ安心。

《一人暮らしの年寄の方々》

《妻も突然の放送に、

右往左往と少しうろたえて、

不安な表情》

《僕はひとり「アメトーク」で笑いのツボ》笑いこらえるのに必死。

しかも今日の運勢12位で最低。《一体どっちになるのかな?》

ブログでも書こうかな?


《全力投球すると疲労が獲れないので》

《連投が出来ません》

《たぶん中4,5日で軽めに書きます。》


40年以上前(小学生、中学生時代)には「台風が来そうだぞ」

という時は、

夕方から全面停電になって、

家に早く帰って、

家族みんな早めに食事を済ませ、

土間に置いてる貴重品を家の隅の部屋に並べて、

外側の丈夫そうな木戸を完全に閉め切って、

金鳥の座面に「長ろうそく」を立て

早めに床に就いた記憶があります。

そうして知らぬ間に台風は通り過ぎて行きました。

《床下浸水はたまにありました。》

大好きなテレビが観えなくて、残念な反面

ひとつの部屋の中で、家族みんなで過ごす一夜は、

不思議と何か楽しく感じました。

《外は騒々しいので》

ただひたすら黙々と

《顔を見合わせて自家製の米菓子(あられ)を食べていました》

《兄は一人自分の部屋で(贅沢にも)電池でラジオを聞いていました。》が。


今日は3曲洋楽紹介します。ではまた。近藤浩二でした。


ボンジョビでリビンオンザプレヤーです。

1987年リリース。4週連続全米NO.1.

若者二人が辛い毎日を祈りながら生きてる話。

曲途中の「We give it a shot」の歯切れがとっても良い。「試してみる。挑戦してみる」の意味。

似たようなメロディーの「イッツマイライフ」もヒットした。

アルバム「ワイルド イン ザ ストリート」からシングルカット。米国のロックグループ。


マライヤキャリーでヒーローです。

1993年リリース。アルバム「ミュージックボックス」からファーストシングルカット。アルバムともに全米NO.1ヒット。彼女の代表曲。

脅威の7オクターブの音域を持つ世界で最も成功した米国の女性シンガー。全ての人への応援ソング。

あるパーティーの帰りに、ソニーエンタテインメントの社長に自分の歌のカセットテープを渡した。車で聞いた社長が急きょ、Uターンして戻って来て、慌てて彼女と契約したという逸話がある。その後「ビジョンオブラブ」で衝撃デビュー。

発売当時アルバム「ミュージックボックス」毎日聞いてました。


おまけで、フォリナーでダブルビジョンです。

1978年リリース。全米NO.2の大ヒット。2作目のアルバム「ダブルビジョン」から2枚目のシングルカット。とにかくかっこいい。

鋭いギターから始まるスピード感あふれるタイトな楽曲。

急停車して静かにサビに移る部分は最高に決まってる。《レコードで聞くとよく分かる。》

当時ディスコで流れた時、ノリノリで踊ったことを思い出す。

ボンジョビが歌ってもそこそこ決まりそうだ。

また彼らには《駄作》が一曲もない。まれなグループ。

どの曲を聴いても高い完成度。


 

日常生活のちょっとした楽しみ!!

今月に入って初めて自分のパソコンを立ち上げました。

生活習慣を変えさせられる出来事によって、ライフスタイルに変化が起こり始めました。

今、夜中の3時に目が覚めて、喉の渇きを感じてダイニングに導かれパソコンを前に座って、自由時間を楽しんでいます。

《水ってこんなにも美味しい飲み物だったことに改めて気づかされました。》

《パソコンに触るのもすごく新鮮です。初めてパソコンを買って、電源スイッチを入れた時の感覚が蘇ってきます。》

約半月ぶりのブログ更新です。


真新しいノートブックの1ページ目に、初めて文字を書き入れる緊張感が指先に走ります。


つい先日、久しぶりに公共のトイレを利用しました。

身障者用が塞がっていたため、一般の男性用を使用しました。

4角を合板で囲まれた極めて狭い空間に閉じ込められました。

《ほんの少し憂鬱です。鬱屈とした感じです。》


入り口のドアを閉めてカギを掛けました。便座に腰かけます。

そのドアに落書きがされていました。

「右よこを見ろ!」。素直に右横を見ます。

「左よこを見ろ!」。左よこを見ます。

「右ななめ後を見ろ!」。右ななめ後を見ます。

「左ななめ後を見ろ!」。左ななめ後を見ます。

「きょろきょろするな、ばか。」って書かれていました。

《やられた!!》と思いました。

《でもちょっと笑っちゃいました。》

人間ってこんな簡単な誘導に引っかかってしまうのですね。


だって仕方無いじゃない。

《トイレの中って最高に無防備で無力ですものね??》


さらに右隅に

「こども笑うな。来た道じゃ」さらに左隅に

「年寄り笑うな。行く道じゃ」。


《今の自分にピッタリの教訓かもしれない》

と深く考えさせられたものです。

単純な落書きでしたが、予想だにしない楽しい時間でした。

誰かは知らないが《ありがとう》でした。


昨日知人に車に乗せられて走行中、知人が漏らします。

「前の車、伊藤さんかな??」僕が窮します。「う、うん???」

お互い共通の知人に「伊藤」は居ません。僕が問い直します。「どうして??」

「ナンバーが110だから」「はいーーー???」

「い(1)とう(10)」らしい。

「じゃ、893は???」僕が問います。

知人が戸惑います。「え、、、、、」

「8(や)9(く)3(ざ)」

「では8940は???」知人が問います。

僕は少し考えました。「薬師丸さんーー??」「正解!!」


ちょっとした暇つぶし脳トレでした。最後に1つ皆さんに質問です。

共通の知り合いの車のナンバーが「1192番です。」

「さてその人の名前は??」答えはブログの最後に


他愛もない事でしたが、これが結構楽しいものなのです。


ではまた、今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


レオセイヤーでユーメイクフィールダンシングです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/LeoSayerYoumakemefeellikedancing.mp3


スティービーワンダーでサーデュークです。

高校3年の運動会でのフォークダンスの使用曲、思い出の曲です。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/StevieWonderSirDuke.mp3


答えは「鎌倉さん」でした。「いい国作ろう。鎌倉幕府」らしいです。