いま時分の季節では、藤棚を通りかかる人が多いでしょう。
江戸川柳に《春夏を ふらふらまたぐ 藤の花》とあります。
暦の上ではすでに、立夏(今月5日)を迎え夏に至りました。
陽射しがにわかに強まり、春のような夏のような、そんな体感
の中、藤は季節をまたぐように咲きます。華やいで、強くて
たくましい、しかも、しなやかで夏の到来を予感させる、
古(いにしえ)の時代から憧れの花、あまたの歌に詠まれ
平城京の花と言われる、藤の花。先日、時間の隙間をぬって
訪れました、市内の藤棚の名勝地。
薄紫の花がふらふらと風にそよぐ景色が、特定公園や近所でも
鑑賞できる機会が増えてきました。少し前のこと、福岡県八女市
の神社に樹齢600年に達し、国の天然記念物に指定される
「黒木の大藤」。地元のシンボルとなる藤棚で一輪と残さず、
花を刈り取る作業が行われました。新型コロナウイルスの
感染拡大を受けた措置だそうです。見頃を迎えた藤棚に連日
見物客が押し寄せ、密集を防ぐために苦渋の決断がされたと
先だって、新聞が伝えていました。目下、刈られた花以上に
痛々しいのが、私たちの暮らしでしょう。仕事を失い支払いが
滞(とどこお)る、無情に移ろうばかりの季節の中、ウイルスと
の消耗戦はまだまだ終わりそうにないとの報を聞きます。本当に
がんばりきれるかどうか悲嘆を外に押しやってつぶやいてみる。
藤は下がりながらも、咲くじゃないかと。政府が提唱する机上の
一億二千の規範になるような新しい生活様式は、往々にして、
ときに厳しく、冷たいものになりがちです。四月から緊急事態
宣言、五月もずっと来て、ゴールデンウイークもガラパゴス
諸島(日本)が軒並み支配下に出口が見えないため多くの国民は
ゼエゼエとさすがに息切れ状態、同時に何もかもやる気を
なくしてしまいます。あとは、ボーとして暮らすか、はうように
家にひきこもって、テレビを見る、ラジオを聴くくらい。
何気に風に運ばれ、不意に甘く何ともかぐわしい花弁の香り。
一瞬、桃源郷に誘(いざな)われた錯覚に陥ります。まさに
藤の花が一服の清涼剤になりました。これで、どうにか、
この連休が上出来の《あがり》になりました。
今日はここまで。近藤浩二でした。
ではまた。
簡単に人に会っておしゃべりもできないといった、嫌でうっと
おしい状況が続く中、美しいものに触れると心が洗われます、
救われます、励まされます。