対策(リーダー)

テレビを見ると、コロナの話題、B級ドラマの再放送ばっかり。

時事番組やバラエティーでは、大きく距離を空けて位置するか

遠隔放送に様変わりしています。マスクの品薄と医療現場での

マスク不足を反映してのことでしょう。理解に苦しむことは、


どんなに隔離、締め出しを行っても、決して毎日新規感染者が

ゼロにならない不思議な現状。本当のところはわかりませんが、

都心から県外への外出を控えないやからが、いまだあとを

絶たないとか。


本当に強いリーダーならきっと、つばきを飛ばしながら、

こう言うかな? ねじりハチマキ姿をSNSに載せる。

「政治家も官僚も、夜を徹してコロナ対策をやっている。」

「だから国民の皆さんも、家から出るんじゃない!!!」

「国民は、何があっても、わしが守る。」

「守ると言ったら守るんだ。」

「守ると言っているんだから、国民も言う事を聞け!!」

「補償? 全部してやる。」

「でも、必ず返せよ。孫の代までかかってもいいから。」

「事態は深刻だ、試練だ。国民の心をひとつにしないと

乗り切れない。」「ひとつになれないやつ、ならないやつは

この国から出ていってくれ!!!」

「セルフ・ロックダウン」


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


現金支給はいったい、いつなんだ? 早くしてくれ!!!


 

食べることが好き、音楽が好き、本が好き、スポーツが好き、

花が好き、緑が好き、夏の日差しが好き、言葉が数学が好き、

面白いことが好き、楽しいことが好き、明るいことが好き。

美しい人が好き、可愛らしい物が好き。何かをすることが好き。

《愛》が大好き。人が何かを好き、誰かを好き、って心情は、

もっともハードルの低い純粋で容易な喜び、単純でほとんど理屈

のない、動機付けの薄い行為でしょうか。だからこそ、素直に

言葉にするのが、妙に気恥ずかしいのです。なぜなら、そこには

自分の心の裸を、のぞかれているように感じるからでしょうか。


ただならぬ状況の中、これが近々で最後だぞ、ってことで訪問。

3月31日で、親の都合で引っ越しをした3歳の幼児に週末会いに

行きました。夕刻、保育園までお向かいに出向きました。


保育園の脇口付近で、抱っこをせがんでいるのか、なかなか

歩き出そうとしない様子です。一瞬、こちらに顔を向けて遠方の

助手席の僕の姿を捉(とら)えたのか、満面の笑みを浮かべなが

ら小さく手を振り、視線を投げかけてくれました。視線が合った

と同時にこちらに小走りで駆け出しました。小躍りしながら

何か含み笑いを浮かべながら、嬉しさが隠しきれない様子です。

じきに車窓の付近まで近寄ると「おいちゃーーん」と

大声で叫び挙げました。 マスクを装着してドアを開け広げ


わずかに外へ立ち上がり、幼児を抱きしめました。「***」

「うれしーー」「会いたかった」。思わず力が入りました。

「痛いーー」。「おいちゃん、痛い。やめてーー」

はっとさせられ、我に返り 「ごめん」 笑いかけると彼もまた

顔を向けて目を細め、にっこりと笑みを浮かべてくれました。

次の瞬間、彼が僕の股間を軽くつかみ「おいちゃんの****

つかまえた」。彼がニターと微笑みます。「***の****

つかまえた」。すると、彼はひらりと身をひるがえし笑い返す。


親子でも恋人の対象でも、血がちっとも交じってないのに、

なぜか、懐かしい、親近感が半端じゃない、どう考えても

他人とは思えない《存在》なのです。そんな存在なんて、

そうそう居ません。初めて会った時から、何があっても

どんな嫌なことがあっても、決して嫌いになれない、いっそう、

離れるのが寂しい、忘れることのできない《存在》。

そこにあるのは絶対《愛》以外、に考えられません。その後、


せめて最善を尽くそうと、外食は控え、食料を買い込み

マンションの一室で体面にならないように腰かけ、食事。

何か特別なことをするわけではなく、ただただ同じ空間に

居る、目につく場所に居るだけで嬉しい幸せなのです。


「こんにちわ」には「こんにちわ」で返してくれます。

「あそぼう」にも「あそぼう」で返してくれます。

「ありがとう」には「どういたた・・ました」と

口ごもりながら、目をパチクリさせて頭をかきます。

こちらの言葉を覚えようと、《おおむ返し》で応えよう

と頑張ります。上手くできない時でも、こちらも面白がって

伝えます。八の字お菓子を手渡します。「これ何?」との質問に

指折りながら「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、

マーブルチョコレート」て、手のひらを向けました。

首を無言で縦に振りながら最後に「・・・・チョコレート」

「え、できん」「無理、無理」と抱き着いてきます。


愛する人に一番、して欲しいことは、愛を返してもらうこと、

同様に、いやそれ以上に、愛し返して欲しいだけなのです。でも

これは純粋な《愛》とは言えないでしょう。真実の《愛》とは

決して尽きることのない、絶えることなき、見返りを求めない

行為の源泉こそが本物の《愛》なのです。その代表は、母の愛。

最も尊くて素晴らしい《愛》は、無償で無条件の見返りを

求めない愛なのですが、それは誰もが持ってはいません。

疑う余地のない誰もが持つであろうそれは、

親の子に対する愛だけです。それはまさに無償の愛

一方通行、ときに、うっとうしく、しがらみが強く、重たく

感じるほどですが、自分が親にならないと、そのありがたみは

生涯、理解できないかもわかりませんね。

我々が帰ろうと、車に乗り込むと、「おいちゃん(ち)家に行

く、行きたい」と駄々をこねて、大声で叫ぶので母親に抱かれ

付近をドライブ。いつもなら、自分が去り行く立場なので

寂しさを感じにくい状況だったのですが、人が目の前から

立ち去っていくと、残される側は《祭りのあと》のような

虚無感と脱力感とともに、防ぎようのない寂しさがつのる

のです。今後の長い人生で、自分で乗り越えないといけない

感情なので、無情にも降ろしましたがその後、車が見えなくなる

まで車道や歩道のある、ぎりぎりまで見送ってくれてたようで

お母さん、ほんとにお疲れさん、ほんとに、ありがとう。


《愛》は人間にとって、最も尊く素晴らしいモノ。どうぞ、

みなさんも、惜しみなく《愛》を、降り注いでください。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


参考までに、漢字辞書によると、「愛」という漢字は、

人が立ち去ろうとする時に、後ろ髪を引かれるように

振り返る姿に、心臓の位置付近に「心」の字を付け出した

モノで、その時の感情が「愛(いと)おしい」という気持ち

と定義されています。社会を癒していきましょう。


 

用意

かつて中学生のテストで、珍回答を目にしました。

用意□□の□に入る文字は?

ド ン 。思わず口元が緩むと同時にあきれてしまいましたが。


もちろん正答は、周 到 です。うなると同時にいたたまれなく

なりました。自分の指導の未熟さと生徒の将来の不安で身につま

せれました。そこで、さらに強く頭の中に刻み込もうと、

集中させて、テンポ良く、一分間で、一日50問の熟語の練習に

取り組むことにしました。


感染防止の拡大対策でシンプルな「国民一律10万円」に変更

された現金給付案です。スピード重視と言いながら、そうとは思

えなかった政府です。ただただ迅速な支給の実現を望む今です。


何事においても、先手とスピードが大事なのは、歴史の攻防から

思い知るところです。すべての日常生活を、改めて、

《用 意 ド ン》 です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

非常事態

ほんとに人気(ひとけ)、がない、閑散としている。人が出歩か

ない奇妙な世の中になったものです。人間のひそかな楽しみの

ひとつに人間を見ることがあります。程良い人混みをノソノソ


と歩くのです。そんな時に、人の行き交いざまに、ちらっと他人

を見るのです。《楽しみ》は表情、素振り、空気を感じるので

す。楽しそうに闊歩する子供を見るとこちらも気持ちがはずむ、

ということ。そんな気持ちなのです。嬉しく、楽しく、心穏やか

になれるのです。平時には気づかないささやかな《楽しみ》

です。毎朝、集団登校で小学生がおしゃべりしながらはしゃぐ

姿が、玄関口から見かけない、若くて可愛い声が聞こえません。


感染しない感染させないために人と接触しない、マスクをつける

。知り合いにあっても、マスクをつけてないと話せないのです。

目の前の人は誰もがコロナに感染しているという前提ですべての

行動がコントロールされているのです。ある意味、人を見たら

コロナ《泥棒》と思え、状態なのです。目の前の人間よりも

マスクに重きを置いて、人よりマスクを信じているのです。


目に見えないモノに恐れるあまり、人間不信の人間社会に陥り

そうな状況です。それ以上に寂しいことは、

見ず知らずの人から安らぎをもらえるコミュニュケーション

が以前からあったと思うのです。それが今はほぼ、ありません。


高校数学に「等差数列」というのがあります。平たく言えば、

《ねずみ講》です。聞くだけで、嫌悪感を持つ人が多いですが、

ある数学者が一枚の紙を持って、人を驚かせる真実があります。

「紙を2回折ると、4倍の厚さになります。もし、50回折る

と、どれほどの厚さになると思いますか?」。一人が答える。

「数十センチかな」。もうひとりが答える。「ビル並みかな」。

どちらもはるかに違いました。「太陽まで近づきます。50回

折ることができればの話しですが・・・ 」紙を折る作業を人と

人との接触に置き替えれば、今我々が直面している危機の大きさ

がうかがえます。等比数列が導くシナリオを逆から見た「接触8

割減」理論に違いはないでしょう。全国に非常事態宣言が出され

ました。そもそも、紙を折る事さえしなければ、息のできる地表

に踏み留めるということでしょう。「8割減」を実行すれば、

感染が収束するという試算は、信頼しうる。ウイルスに勝つ

唯一の方法と言われますが、残された時間があるようでありませ

ん。あと、3週大事に過ごせるかどうか? なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。