老いた母

父を見送り一年以上過ぎたというのに、リハビリ通所での

こと。少し前から心配はしていたものの、思いもよらない突然

の問いかけに、僕はひどく動揺させられました。真剣なのか、

からかっているのか、でも思いのほか、しっかりと前を見据えた

目をして、母はひとりごとのように、か細い声でつぶやき

ました。そのもうろくぶりに、母が、もうすでに僕が知っている

彼女ではないことを、しみじみ痛感させられました。

「もう、還って来んのかね?」「え?」「戻って来んのかね?」

僕は真意を計りかねました。何を指して言っているのかは、

改めて聞き返すのが憚(はばか)れるのでした。相手にする気に

はなれず故意に、視線を落とし逸らせて、取り合わず、聞き流し

話題を変えました。歳のせいなのか、50年以上共に過ごした連

れ合いを失くしたがために、こうも変わってしまったのか、と

寂しくもあり、辛く悲しくもあり、懐かしい昔の思い出と共に、

何かこみ上げる感情が、僕の胸をえぐるのでした。《どうした?

かあちゃん しっかりしろ!》今年86になり、ひい孫も持つ

老婆です。残された人生も、令和の時代に終えるであろうに。


言葉には言い表せない程の苦労《子供の頃、僕に実家に帰りた

いと本音を告げ、父か自分かのどっちを選ぶかを真剣に聞かれた

のです。》を体験してきた母を想うと、せめて散り際くらい

本来の自分を取り戻し、昇って逝ってほしいと思うのでした。

その後最低限、妻と出来ることを最終段階になるだろう親

孝行をと考えるようになりました。僕にとって、強く勉強熱心


だった父は、尊敬と畏怖の対象でありましたが、学問とは程遠い

少しばかり《小ばか》であろう母には、はてしなく深い愛情を

感じさせてくれる存在で、この世で、この上なく愛して

やまない女性のひとりです。誰とも、いさかいを起こさず、

平和的付き合いを重んじる彼女は、尊敬される女性ではなく、

ただただ愛される女性なのです。僕にはそれで充分なのです。

両親、特に母には感謝の念は永遠に尽きません。兄を大切に

し過ぎて、逆に甘やかせて育てたことを後悔していた父。

兄姉には内緒で僕に、こっそり小遣いをくれた母。客観的にも

ひいき目に見ても、美人とは言い難い母が、小中高学校の懇談会

時に、慣れない化粧を施し、変に凛(りん)と振る舞って、女性

をひけらかそうとする姿は見るに堪えませんでしたが、今では、

当時の自分の心意気を、強く思い起こして欲しいと思うので

した。


誰にも存在する母親。彼女は、子供がどんな時でも、どんな状況

でも、常に真実の母です。今でも子供の僕に掛けてくれる愛情

を、老いて自分を失いかけている母に、今度は僕が優しく見守

ってあげようと、思わされました。「かあちゃん、

見守ってあげるからね。心配しないで。わがまま言ってね」

ひとり眠りに就く時、涙が止まらない夜でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


今日は、ほんの少し感傷的な気分になってしまいました。

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