ーーーーどうすればいいのだろう?
ーーーー何処を見ればいいのだろう?
ーーーー何を口にすればいいのだろう?
ーーーー正しい答えが分からないよ。結果彼が出した答えとは?
なぜか困惑している様子です。普段の彼と、どこか違う風です。
お盆以来、我々夫婦に、とっても嬉しい訪問客でした。
あと数日で2歳の誕生日を迎えるその幼児は、
徐々に脳が発達しつつあるのでしょう。思いの外、
知恵も付いています。話せる言葉も増えてきました。
彼の思いが、正確な言葉となって、我々に伝わって来ています。
行動に伴って、同時に言葉も観察できます。すごく面白い。
覚え初めの《言葉》と、覚え初めの《マージャン》は
すぐにでも、使いたがる。の言葉通り。
言葉を覚えた喜びと、自然な本能による欲求なのでしょう。
「ブー、ブー、いっぱい。ちょうちょ。赤。青。」
覚えたモノを目にすると、その名前や特徴を口にして
我々に確認、承認を求めているようです。事あるごとに、
何かを見つけては、「見て、見て」って。呼ばれます。
いつもの席に座ってから、言葉を出し続けています。
ところが約一時間後のこと。妻が用事で外出するので、
左半身不自由な僕だけでは不安もあって、妻の姪子である、
ひいき目に見ても、若くてきれいな女性が、入れ替わりで
部屋に入って来ました。幼児は初対面の彼女をちらりっと
見たと思ったら、恥ずかしいのか、うつむいたままで、
急に無言で、おとなしくなってしまいました。
しばらくの間あれほど、うるさく開いてた口が、
閉じられたままです。静かです。しかも身体も
ほとんど動きません。動かせないのでしょう。
《何か》が彼の行動を押さえつけてしまいました。幼児は、
わずかの間に成長し続けている《身体》と《頭》と《心》。
「いい子」になるようにと、願っている周囲の大人たち。
周りの大人と社会の都合に合わせるように育ってきた幼児。
そこで、今まで、そうなろうと応えていた幼児。
でも今回、どうすればいいのか、分からない、表現出来ない、
突然初めて出くわした《感情》。その後なぜだか
分からないが彼は、自分の顎(あご)を
テーブルに叩きつけていました。不思議なことに、彼はまだ
2歳弱にも関わらず、自分で自分を痛めつける
自傷(じしょう)行為をしていました。自分で処理できない心の
不安やもどかしさを、落ち着かせようと
本能が衝動でさせているのでしょう。
他人はそれを、《悪》としての、《人見知り》の一言で
片づけようとします。僕は、彼の、
その凍り付くような無言や行動停止、
「それこそ」が、本当の彼自身《自分らしさ》だと思います。
脳の回路を通過しないで、「心のままに」《フリーズ》した
身体と言葉は、本能からの《感情》による行為なのです。
人は生まれてから、周りの大人の都合の良いように
知識や常識を植え付けられて、一人前の人間のごとく
育っていきます。それこそが本当の《成長》とでも
あるかのごとく。そしてそういった子供が社会では
優秀で良い子と考えられています。しかし昨今(さっこん)
閉塞してしまった社会を打破しようと、《ナンバーワン》より
《オンリーワン》のうたい文句とともに
《個性》や《自分らしさ》が見直されようとしています。
おそらく姪子の、美人女性特有の風貌や雰囲気が幼児の
本能の何かを強く刺激したのでしょう。その刺激は、
思考(理性)による行為を、抑制させるほど強烈で
あったのでした。僕は
「いいぞ、その調子だ。それを大切に育って行けーー。」と
身勝手に思いました。それが***お前特有の持ち味なのだぞ。
社会や大人たちの都合(常識)に無理して合わせるな。
自分を貫け。無理して社交的である必要は無い。人見知り結構。
そしていつまでも、自分らしさを貫いて、いつの日か
社会の《規格外》と呼ばれろって願った今宵(こよい)でした。
今日はここまで。近藤浩二でした。
ではまた。