少し前に携帯電話の契約更新で定額プランが安いプランに変わりました。すると応対された若い女性が安くなった金額分を賄おうと別のプランの追加を提案されました。
僕は必要無いと言いましたが、家内は興味があるのかそのプランを何度も見返して未練たっぷりの行動をしていました。どうする?とお互い顔を見合わせいました。我が家ではそのような時は決まって「じゃんけん」でもって決めるのです。
と言うのも、「人間にとって本当に大事な事はくじで決める。」と日本エドガーケイシーセンターの会長から古代の人の物事の決定方法を教えてもらったからなのです。
「くじ」などは決定要因が平等であって、運だけが結果を左右する要因と理解していたのでしょう。
古代の人達はそこに神の介入を感じたためでしょう。
しかしです。 「くじ」って本当に平等なのでしょうか。
ここでは「じゃんけん」に特化して考えてみたいと思います。じゃんけんの場合、ぐー、ちょき、ぱーの三つがあります。ここでそれぞれの手がそれぞれ出る確率は平等の3分の1と思われますが、ここが一番の問題です。
人によってはちょきが出しにくい人と、ぱーをよく出す人など、個人個人によって大きな「ばらつき」が存在するのです。
この「ばらつき」は確率の計算する場合、一番障壁となる問題なのです。
仮に1万回戦って、勝った回数が多い方を勝ちとするような勝負ならば、ぐー、ちょき、ぱーの出る確率は限りなく3分の1になるでしょう。しかし一回限りの勝負であれば、それぞれの出る確率は平等の3分の1では決して無いはずです。
何が言いたいかと言うと、「くじ引き」や「じゃんけん」などは決して平等ではなく、「じゃんけん」は特に、個人によって偏りが存在します。そしてそこにも戦略や戦法が存在するのです。
ですから「くじ」や「じゃんけん」に勝つ人はただ単に「運」が良い人じゃなくて、何かに優れた人でもあるのです。
僕は子供の頃、商店街の歳末謝恩祭で「がらぽん」を何度か回しました。
でも不思議な事に、毎年必ずと言っていいほど、
特等や一等は抽選の最終日まで当てって射ないんですよね。
結局本当に、特等や一等は出たかどうかは分からない訳です。
そんことで子供心にも「ガラポン」の不正を確信したものです。しかしです、あの偶然性の要因しか考えられないような「ガラポン」にも当てるための戦略や戦法があるそうです。
あの夢の「宝くじ」にも戦略や戦法がありますから。
でも一枚買っただけで当たる人も居ますが。何千枚買っても当たらない人も居ますから。ほどほどに。ちなみに僕は宝くじは買いません。
みなさんもくれぐれも「くじ」や「じゃんけん」の不平等の確率を理解しておきましょう。
ところで、僕と家内の勝負は追加プランに入らない側の僕が勝ちました。しかし追加プランは契約しました。
そうです、僕は勝負には勝ちましたが、ふたりの女性の、目で訴えかける、圧力に負けたのです。
「くじ」や「じゃんけん」はしなくてもすでに結果は決まっていたのです。「じゃんけん」はただの形式だけのことでした。
強引な人には負けるのです。残念ながら、男性は女性にはかなわないのです。
今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした。