事件

週末の土曜日、昨日は久しぶりに陽差しが照りつけていた

ひなたに居ると温かい日暮れどき・・玄関のチャイムの音と共に

はやりのトレーナーにクラシカルなジーンズと

屈託のない笑顔で我が家に訪れた母親に、連れてこられた

大人しい色白の新中学生の男の子。

車で5分ほどの距離にある、街の中心街から離れた田んぼに囲ま

れたにぎやかさとは縁遠い、ふたつとなりのひなびた自治の住民。

祖母の推薦で学習塾探しに駈けずり回っている2件目のわが塾。


席につくなり、子供にそっけなく

「自分のことくらい」「自分で挨拶しなさい」

途端に、目つきが変わると、彼は「****です」

「よろしくお願いします」とぺこりと頭を下げた。

恐縮して、小生も同様に自己紹介をして頭を下げた。

子供を見ると、手にはひっかき傷、多数、足はすり傷もあるとか。

「ワンパクなんですね ?」「バンドエイドでも貼ったら ?」

との問いかけに、母親こう言い放った。「わたし男兄弟の3人

で」「骨折か、大出血以外は、たいしたケガじゃありませんよ」

その後、母親がここにくるまでの《いきさつ》を

語り始めた。「**塾に行ったんですがね・・・」

「この子は、そんなに出来がいいとは思っていませんが」

「数分のテストの結果を見るなり、ですよ」

悲しそうな目つきで、でもけげんそうに

「いきなり、***高校はムリですね」

「って、こうですよ」「わたしも思わず」

「売り言葉に買い言葉ってやつですか」

「お世話になりました」

「って、そこを出ました」となんとも勇ましい。


「通塾は自転車で ?」と男の子に尋ねると、母親が

「いいえ、祖母かわたしが、車で・・・」と、子供を制して応え

ると、なおもボソボソッとしゃべり出した。

「えーと、あれは、そうですねえ、娘が・・・

「中学校3年でしたから」「5年前になりますかねえ」

「わたしの住んでいる部落で」「空き巣がたびたびありましてねえ」

「犯人が、最後には、入った家の人と鉢合わせになったようで

ナイフを取り出して」「走って逃げたそうなんですが」「それがねえ」

当時を思い出して、苦虫をかみつぶしたような表情で彼女は

「その姿がねえ・・・」「セーラー服を着た、ぼうず頭の」

「パンツを頭にかぶった、背の低い子供だったそうでね」

「身元がすぐに割れまして」

「あっけなく、捕まったんですがねえ」

「その時に、そいつが身に着けていた、セーラー服と頭にかぶっ

ていたパンツが、わたしの娘のものでねえ、

血の気が引きましてねえ、娘は鳥肌がたったそうでねえ」

「警察からお返ししますって言われたんですが」

「見るのも、おぞましくて、丁重にお断りしまして、いかようにもって」

「盗まれたものは、娘の衣服だけでしてねえ」

「すべて、ズタズタに切り刻んで始末されたようです」

「刑事が聞いたそうです、どうしてこんなことを ?」

「空き巣は、趣味で」「なぜに服ばかり ?」

「一度、セーラー服を着てみたかった」

「女性ものを身に着けてみたかった」って

幼い顔して小声でつぶやいた、そうで。

「もう、こわくてこわくて」「身の毛もよだつんで」

「だから、それから子供をひとりにはさせられなくて」「はい」


さして、美人でもない今年50を迎える母親は、その明るい

引き込まれる話術と数々の修羅場をくぐり抜けたであろう、その

人間力との合わさった魅力で、私はいっぺんで好きになってし

まった。(もちろん、人間として。)


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。

運とは ?

世界一大富豪のジェフ・べソス氏がアマゾンCEOを退任した。

自分一代で世界一の巨大企業に育て上げた手腕は、相当なあふれ

るほどの才能や能力があるのだろう。しかし、成功者は一流であ

ればあるほど、何かを悟っているようでもあり、何か見えない力

の存在を実感してたようで「ただ、ついてただけです」と、い

たって謙虚だ。《運》の要因も、かなり大いにあったはずだ。

古くから《運も実力のうち》とはよく言ったものだ。


日本国内で、かの経営の神様と謳われた故松下幸之助氏は

採用面接で、《ひとつの質問》だけをかならずしてきたという。

それは・・・・

「君は、運がいいかね ?」といったシンプルな質問だった。

「あなたは、自分が強運だと思いますか ?」といったもの

で彼の採用基準は「人は才能や能力がいくらあってもダメで」

「人は愛嬌があって、強運でなければダメだ」の考えだったようだ。


ここに《運》は自分で作ることができると、信じているあるひと

りの若者がいた。彼は将来、起業を起こし成功することを夢み

て、学校の勉強はそこそこに、起業資金を作るため、朝起きると

新聞配達、夜は皿洗いにと朝から晩までアルバイトに明け暮れ

た。それをひとつのカンカンに詰め込んで貯(た)めていた。

住まいも安いおんぼろアパートに暮らしていた。そこの大家さん

である、おばあちゃんと毎日顔を会わすたびに、明るく元気よく

「おはようございます」「こんにちは」とにこやかに

あいさつを交わしていたのだ。ある日の事、仕事から家に

帰ろうとするも、家の近くに多くの人だかり、どうしたの

だろうかと見上げると、アパートがあかあかと火の手をあげて

燃えているではないか、あたふたとするまもなく、アパートは

全焼で何もかも燃え尽きて、彼はすべてを失った。当然あの

貯金の入ったかんかんも・・・ 彼が落胆して落ち込んでいると

大家のおばあさんが彼の前にやってきて、こうおっしゃった。

「こんにちは」微笑み「これ、残っていたよ、良かったねえ」

と、彼のあの例のカンカンを手渡したのだ。彼はやっぱり

《自分は運がいい》との確信に至り、

《運は自分で作る事ができる》との信念のもと、

それからも明るく元気にあいさつを続け、前向きに生活を

していた。まもなく彼は起業をして、小さいながらも

会社を経営して優雅に暮らしていた。話しはここで終わらない。


彼は秘書の採用面接をしていると、あるひとりの若い女性が

やってきた。履歴書を見ると、かつて自分が住んでいた、あの

アパートの近くに住んでいた。彼は彼女にくだんの火事のことを

語って聞かせると、彼女はもの静かにこう言ったそうだ。

「実はわたしも似たような話しを、聞かされたことがある

と」「おばあちゃんは、アパートを経営してたのだが、ある日

火事で祖母のアパートは全焼したそうで、その時に、そこに

住んでいたひとりのアルバイトに明け暮れたいた学生は、貯めて

いた貯金も失って、大きくがっかりしたようで毎日肩を落とし

ていた。しかし、祖母は、それからも、明るく元気にあいさつし

てくれる彼の姿を、見るに忍びなくなって、焼け跡から似たよう

なカンカンを見出し、少しの気持ちばかりに金額を多めに入れ

、その学生に手渡してあげたそうですよ」との話しであった。

彼女はその大家さんのお孫さんであったのだ。彼は自分は運が

いいのではなく、それは、おばあさんが自分を気にかけてくれ

た、ただの《好意》であることに気付いたのであった。あのおば

あさんは、自分のアパートを失って、悲嘆にくれているのも

関わらず、他人を思いやってくれた。彼は、していただいた親切

に感謝するとともに、それを思い出しては、目頭が熱くなって

泣けてきたそうだ。その後、彼は、運が開けるとは、

人の心が開くことなのだとの考えに変わったそうだ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。