エピソード

社会のたから、家族のほこり、それが子供。

いっときの安らぎ、癒しの時間、でも迫り来る別れの時。

見覚えのあるコンビニの予告看板を目にして「のど渇いた」

彼の意を受けて、そのコンビニで停車。「***も行くーう! 」

買い物かごに、可愛らしいちっちゃな手で食べ物、飲み物を

選んでは喜んで入れていく、ほほえましい。レジへと向かっていると、

「あの、ミドリの」と、何かを見付けたのか、足と言葉が止まった。

指差す方向に目を向けると、緑色が特徴のパッケージのDVDが

「あれ、買って、お願い!!」「他に何もいらんけん」その場に

立ち止まって、一ミリも動こうとしない。いつも控えめな彼が我々に

せがんだ初めてのこと。買ってもいいかなと思ってはいたものの、

何だか、はめられた気がしないでもなかった。「仕組んだな? 」

とはいっても、子供にはわかろうはずもなく・・・


依然、クリスマスに一緒に鑑賞したであろう「グリンチ」と推察。

「前に、いっしょに見たと思うよ」手にとってみると、確信持てずとも、

何だか買う気になれずに、まごついていたら、幼児が予期せぬ言葉を

のたまわった。「これ、シリーズ、もんやねん。」「・・・・」なぜか、得心さ

せられ、納得させられ、返す言葉が見当たらず、購入させらてし

まった。聡明な子供には大人もかたなし、ってところ。

なんて、賢い、機転の利く、抜け目のない可愛らしい子供・・・・ だから

何だか決して憎めない、恐れいった。まさに《目から鼻に抜ける》とはこのこと。

たかだか1000円ちょっとだし、今日でとうぶんお別れなので、

餞別代りにと・・・・ たかが子供っていっても、決して侮(あなど)れない

ほんと《われ以外、皆、わが師》です。忘れずに魂に刻んどこ。のちに、

お母さんに聞くと、そんな言葉は教えた覚えはないとのこと。末恐ろしや

ほんのちょっと小耳にはさんだ言葉を最高の時に、絶妙のタイミングで

使えるとは・・・勉強させられます。「男子三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」


我が家には暗黙のルールがある。できうる限り極力、高速道路は

走らない。後部座席に幼児を搭乗させた時は。ベルトでしばりつ

けたくないので・・・・ 「愛媛に行くよ!」「愛媛ってどこ? 」


「ここどこ? 」「愛媛」「ここが、愛媛? 」「うん、愛媛」

「***住んどったやろ」「そうなん・・・」「ママと住んどっ

た場所に行ってみる? 」「うん。」かつての家の前を通過する

と・・・ 見慣れた景色に脳が刺激されたのか「思い出した?」

「あー、あー、」「思い出した? 」「うん、ここ来た事ある」

「ザグザグ。覚えてる? 」「何それ?」「花火買ったやろ」

「ザグザグ、行くーーう」前を通過してると「何で、

ザグザグ、閉まったん?」「代わりに、トイザラスは?」仕方なく

ちょっと、遠出におもちゃ屋に行く羽目に。まさに、やぶへび。


ほんと、子供に甘ーーーい、わが夫婦。そんな者に限って

子供が居ないのだ、人生とは、不条理、ほんと、ままならない。

口惜しい限りだ。


確かなことがひとつある。これからは、彼らの時代だ。

にわかに、後部座席がまた、あわただしく騒ぎ出す。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また会う日まで。


風呂から出て衣服を着けていると、「おいちゃん、

おむつ着けんのん? 」「大人はおむつ着けんのよ」

「でも、バアバは着けるよ」「それは別」「ふーん、別」

「別? 」「何が・・・」首をかしげ、何かを考えている。


ある時「屋根がない、あのおうち、屋根がないよ」「どこ? 」

「あそこ」それは、天井が、一枚板の形の家だった。ちょっと、

理解に戸惑ったが、他の家の形状と比較してふに落ちた。

合掌つくりのような典型的な形だけが屋根と刷り込まれているだけなのだ。

「あれは、ああいうデザイン、やねん」「デザイン? 」「うん、デザイン」

「ふーーん、デザイン」「デザインか・・・」初めて耳にした言葉に

納得できずとも、繰り返す。


子供のエピソードにはほんと、事欠かない日常だ。思い出してたら。

終わりそうにないなあ。切りがないな・・・・

ちょこちょこ小出しにしますね。