とうちゃん

陽が沈み、辺りが闇に包まれ始めた夕刻。普段なら

訪れることのない時刻に僕の実家を訪ねる。車のライトを消す。

暗闇で見えにくい足元を、覚束(おぼつか)ない足取りで

入り口へ向かった。数十分前に手にした玄関の引き戸を

再度滑らせる。

ーーー「ガラガラガラ、ガラガラ」ーーー

異様な静寂(せいじゃく)が家全体を覆(おお)っていた。

何かの終焉(しゅうえん)を示唆(しさ)しているようだ。


どうにか廊下を渡り、応接間の隣の部屋にたどり着く。

ふすまで仕切っている20畳間ほどの部屋の障子を

滑らせる。ーーースー、スー、スーーーー

妙な結末が一瞬よぎった。

静けさを得た部屋の中で思った。

ーーーー《いきなりかい》----

すでに部屋の中には、呆然(ぼうぜん)と力なく

隣のベッドに座っていた兄。

ベッドの側(そば)で唖然(あぜん)となり、

うつむいていた母。

僕の姿を見て兄が席を外した。

ーーー「ここに座れや」ーーー「うん」ーーー


顔をのぞき込む。いつの間にか酸素吸入器が、寂し気に

意味も無く、口元にぶら下がっていた。

瞳孔(どうこう)が見当たらず、すでに目は閉じられていた。

余韻の静けさを破って、

疲弊(ひへい)しきっている母が、力なく口を開いた。

ーーー「急に、息しなくなって、、、」、ーーー

ーーー「自分で、、、、、、、、、、」、ーーー

--ー「目つむったんよ、、、、、、」ーーーーー

その後、ことさら熱心に両手で身体をゆすって、ーーー

ーーー「おきんかね!」ーー「とうちゃん」ーー

ーー「何しよんで?」ーー「はよ、おきんかい」ーー

ーー「はがゆい」ーー

僕も一緒に身体を触って口をはさんだ。

ーー「とうちゃん」ーー「もうそろそろ」ーー

ーー「起きてもええよ」ーーー「もどってきて」ーー

しかし言葉は虚しく部屋に響き渡るだけだった。


当然の事ながら、父が目を見開いて、

再び呼吸を始めることは無かった。

その後、駆け付けた女性看護師が

瞳孔(どうこう)反射や脈拍、心拍音を看(み)て、

生死確認を済ませた様でしたが、ーーー

「先生が来てから」、「話して頂きますので」ーーー

ーーーー「今朝、介護用ベットに替わって」ー「楽になって」

ーーー「好きな甘酒も」ーー「たくさん飲めるようになって」

ーーー「元気になって」ーー「散歩もしたいね」

「って、言って別れたとこだったのに」ーー

ーー「でも、よく頑張ったと思います」ーー

何の慰めにもならない言葉が耳元を通り抜ける。

その後10分程で、かかりつけの若い医師が

到着して、形式だけの、ひととおりの診察を行い--

ーー「2月8日、午後7時4*分」ーー「ご臨終です」ーー

ーーー《死の宣告》----を告げられました。

ーーあっけなく《急逝(きゅうせい)してしまった父

ーー(享年91)》ーー天寿をまっとうしたのだ。

温かいお茶を、ひと口ふた口飲んだ直後、苦しむこともなく、

ーーーー《まさに今がその時だ》ーーーー

まるで自分で望んだかの如く、

本当に穏やかな表情で去って逝(い)った。

ーーー《しかし身体はまだまだ温かい》ーーー

ーーー《死人の身体とは到底思えない》ーーー

ーーー《今もって現実として受け入れられない》---

ーーー「当たり前と分かっていても、やはり寂しい、

ーーー悲しいーーー

ーーー辛いものだ」ーーー


最近連日、不思議と早朝に、子供の頃の父との思い出が鮮明に

頭の中を巡る。正月の二日に実家に立ち寄った時、

衰弱しきって酸素吸入が欠かせない、ほぼ寝たきり状態。

腕は、ユニセフのCMで、よくみかける

アフリカの栄養失調の子供ほどの

片手の親指と中指で、くくれるほどの細さまで

落ちてしまっていた。


その日、退屈しのぎと思って、ラジオと父の好きな

落語のCDを持参した昼過ぎの、直後の出来事であった。

書道が有段(3段か4段)の腕前で、日本画を好んで、数多く

描写していた芸術家肌だった。

また剣道も3段の腕前で礼儀正しく、

まさに清廉潔白(せいれんけっぱく)な人であった。

一方で、僕の受験合格を、飛び上がって喜んだ

子供のような父でもあった。


想像するに、肺がんを患(わずら)ってから、

食欲も格段に落ちて、歩くことも

ままならない自分の身体。

曾孫(ひいまご)の顔も見たし、

誰かの手を借りてまで、迷惑を掛けたくないし、

特にもうこれと言った《欲》もないし、

親族、親類、縁者も会いに来てくれたし、

もうすでに自分自身の死期を悟っていたのだろう。

ーー「もう、これくらいで、いいだろう」ーーー

ーー「それじゃ、みんな、さようなら」ーーー

ーーって、ーーー自ずからーーー進んでーーー

永遠の眠りに就いたのであろう。

そんな父を、いつも寄り添って、面倒を看(み)ていた、

介護老人の心優しい母(85)が、最後に看取(みと)った。


ーーー生まれて初めて体感した親の死ーーー

まさに「親孝行したい時に、親はなし」を

痛感した、ここ数日間でした。

天に還ってしまった後では、

どのような、どれほど深く、考えても

《虚しい》、《切ない》、《せんない》想いです。


(静敏)(しずとし)いう名前の通り、静かで多くを語らなかった

どちらかと言えば

ーー《寡黙》ーーだった

ーとうちゃんー

 


何事に対しても、

《丁寧》で

《器用》で

《几帳面》だった

ーとうちゃんー

 


そして何よりも一番、最後の最後まで、

ーー《潔(いさぎよ)かった》

ーとうちゃんー

 


加えて誰に対しても、

ー《優しく》-

《寛大》で

《寛容》ーだった

ーとうちゃんー

 


とうちゃん、本当に本当に、長い間

《お疲れさん》

ー《ご苦労さん》でした。

 


そして本当に、本当にーーー《ありがとう》----

ーーーー《ありがとう》ーーー

ーーーーー《ありがとう》ーーー

 


とうちゃんの子供に生まれて本当に良かった

ーー《ありがとう》ーーー

ーーー《ありがとう》ーーー

 


口にしたことは無かったけれど、

本当は、ほんとに

ーー《大好きだったよ》ーー

ーーとうちゃんーーー


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。