陸王

最近余裕のある時間が増えまして

テレビを視聴する機会が増えました。

とりわけ、TBSの日曜劇場「陸王」毎週楽しく視ています。

良質の作品を観たり読んだりすることで

書くことが職業でない僕は

モチベーション(やる気)を維持させようとしています。

「林修の初耳学」見ながら久しぶりにこれ書いています。


時代の荒波に飲みこまれ、青息吐息(あおいきといき)の

100年の歴史を持つ老舗(しにせ)の足袋(たび)屋が

ランニングシューズに活路を見出そうと

鋭意努力していく物語。

とんでもなく面白い、

とっても大きい

とっても良く出来た、精巧な

虚構(作り話)=嘘なんですよね。

でもこれが真実以上に奇抜でドラマティックなのです。

嘘の中にこそ本当の真実が隠れている、

その真実が如実(にょじつ)に浮かび上がるのです。

そしてドラマになればなるほど

心に響きやすい、残りやすいのです。


「下町ロケット」の直木賞作家、池井戸潤氏が原作です。

この人本当に勉強家なのだと、つくづく感心する。

経歴ネットで調べると「元銀行マン」。

うっそー!!

だって工学的な機械や素材などの

工業分野にとっても造詣(ぞうけい)が深い。

しかもストーリー展開が漫画のような

荒唐無稽な要素がまったく皆無なのであります。

現実味が色濃く反映して、

原因と結果の繋がりには、

偶然性の要素がほとんど感じられず

必然性の影響しか無く

すごく論理的なのです。

そして根底には「人間」が映し出されています。

そこが人気の秘密なのでしょう。


スタートからゴールまで、三歩進んで二歩下がるほど

一歩一歩前進もしないのです。

二歩下がって匍匐三前進(ほふくぜんしん)って感覚

まるでミミズが這(は)うほどにしか進まない。


しかるにストーリーがなかなか進展しない。

そのため一話一話の内容が

役所広司の顔ぐらい、すごく濃い。

一瞬の「わき見」も許されない。

トイレに行くことさえ許されないのです。

下準備が半端じゃ無いのが一目瞭然。

映像を観て、原作も読んでみたいと思わされました。

明日早速本屋に立ち寄ってみよう!

「読んでから観るか?」、「観てから読むか?」

地方出身の僕は映画を観に行くことは簡単には

出来ないと判断し、読むことを優先させたのでした。

高校生時代、角川映画の宣伝に乗せられ「**の証明」の文庫本

を2冊購入したものの、全然面白く無くて2、3ページ目を通し

て本棚に並べたまま状態。未だに読んで無い。

それから流行に乗ることに疑問を持ち始めたのです。


人気の秘密を僕なりに考察してみよう。

日本人の好むマジョリティーのストーリーと

物事が絶対順風満帆に進まないのです。

ここで物語のランニングシューズの宣伝に

日本人の最も好きなスポーツのひとつである

マラソンが使われています。

これで半分は心を掴んでいます。

さらには進む道には必ず大きな障害が立ち塞(ふさ)がる。

しかもそれを乗り越えるのがまた簡単じゃない。

単純なアイデアと行動だけでは解決しない。

とっても高尚な理想と不屈の精神力を持つ者だけが

理想と現実の間で自分自身に自問自答を繰り返し

心の中での戦いに打ち勝った方を選択して

全力で勇往邁進(ゆうおうまいしん)し行動するのです。

結果の最後の最後にはその行動の背景が強く影響を及ぼします。

そこには目先の「我欲」や「自分だけの利益」

が見え隠れしている者たちは排除されるのです。

人間の持つ根源の「善」や「良心」が

人の心の琴線(きんせん)に触れて、

心の真っ黒を真っ白に塗り替えて

塞(ふさ)ぎかかった物語の展開(人の心)をこじ開けていくのです。


人の創った「モノ」によって、その「モノ」に関わる人の

心の動きを描写しているのです。

しかし根底には「モノ」では無くあくまで

「人間」を描いているのです。

最後は「心の正しき者」が

「心の邪悪な者」に勝利するハッピーエンドの物語なのです。

ある意味で勧善懲悪(かんぜんちょうあく)なのです。


ここで「心の正しき者」とは

「正直」、「善良」、「誠実」な人達なのです。

「心の邪悪な者」とは

「尊大」、「狡猾(こうかつ)」、「我欲の強い者」な人達なのです。

そして往々にして「心の正しい者」たちは

小さく、か弱い立場の、壊れやすい人間なのです。

例えるならば《卵》のような存在なのです。

一方「心の邪悪な者」たちは

大きな組織で、高くて堅い、壊れにくい人間なのです。

言い換えれば堅固な《壁》のような存在なのです。


村上春樹氏はおっしゃってましたが

現実社会では、《卵》は《壁》には

絶対勝てませんが、

自分はどのような場合でも絶対

《卵》の側に立つ人間でありたい」とのことです。

僕もそんな人間でありたいと思います。

彼の言葉を一部抜粋します。

我々にはとても勝ち目はないように見えます。

壁はあまりにも高く硬く、そして冷ややかです。

もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、

それは我々が自らの

そしてお互いの魂の

かけがえのなさを信じ、

その温かみを寄せ合わせることから

生まれてくるものでしかありません。


「陸王」残念ながら現実社会ではまず起こり得ない話です。

しかしせめて虚構の世界だけでも実現してほしいと思う

マジョリティーの心情に訴えかけた物語。

人間が本来持っている魂の純粋や尊厳を浮かび上がらせているのです。


「陸王」によって、村上春樹氏と同様な真実が

僕にも感じ取られました。

あなたにはどのような《真実》が見えましたか?

足袋屋の話だけに、地に足が着いた本当に完成された作品。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽3曲紹介します。ではまた。


トトでアフリカです。

1983年リリース。自身初唯一の全米No.1。アルバム「トトⅣ」からシングルカット。

都会での生活にうんざりした男が、

もしアフリカで生活するとしたなら

といった意外と前向きな妄想の話。

ボーカルのデビットピンチと今は亡きキーボード奏者のスティーブポーカロの共作。

トトは西海岸の一流スタジオミュージシャンで作られたグループ

便器メーカーのtotoとは無関係。

単なる心地良い音の響きを取っただけ。


カーペンターズでスーパースターです。

1972年リリース。全米No.2位。カバー曲。

原曲は1969年デラニーアンドボニー。レオンラッセルとボニーとの共作。

ギタリストのスーパースターに恋心を募らせるファンの心情を歌った歌。


レオンラッセルでアソングフォーユーです。

1970年リリース。レオンラッセルの作品。自身ではヒットせず。カーペンターズのヒットにより世間に広まる。

数多くの人にカバーされている玄人好みの隠れた名曲。

アルバム「レオンラッセル」は彼の名曲をほぼ網羅した名盤。

「スーパースター」、「マスカレード」など。

荒削りながら、まるでダイアモンドの原石のような

作者の潜在能力の深さを感じさせる興味深い歌曲。

何ともしっくりこないピアノの和音の響きと

お世辞にも上手いとは言えない歌で個性豊かな楽曲となっている。

商業的成功にはほとんど興味を示さない、

ただ自身のやりたい音楽を追及しようとした

音作りに感動すら覚える。


日曜日ドライブで走行中、FMラジオで現在ビルボードの

ヒットチャートでレッドツェッペリンが映画の挿入歌に使用されダウンロードでNo.1になったと紹介されていました。

レッドツェッペリンでロックンロールです。

もっとハードロックな「移民の歌」も好きですが

こっちの方が聴きやすいので選曲しました。


ガスを充満して帰路をドライブ中、ラジオでDJの山下達郎が竹下まりあの大ヒットアルバム「リクエスト」の紹介をしていました。

収録曲全曲流れました。普段Jpopは聴かない僕ですが。

日曜日は妻が同乗してましたのでラジオは点けたままでした。

全作作詞作曲して自分で歌う、彼女の才能にただただ感服し

天才の作品を満喫しました。

その間《天才》でない僕は自分は《変態》かもと、

様々な《妄想》を想いめぐらせていました。


 

木の実(秋の日の思い出)

最近めっきり寒くなりましたね。

あれほど暑かった夏は遠い昔のようです。

最近知ったことですが、暦の上ではもうすでに冬だって。


人工的な不快は痛みを伴いますが、

自然の不快はまだ、まったくましだ。

かゆい所を鋭利な先で

突っつくようで痛、気持(いたきも)ちが良い。


夏の次は秋であるはずなのに

四季で僕が最も好きな秋は、いったい

どこに行ってしまったのでしょうか?

先日ドライブで山間(やまあい)の道路を走行中

秋の代名詞の紅葉を発見。

風に揺られた紅葉がフロントガラスに

落ちては吹かれ、

落ちては吹かれ、

どこにも居座ることさえ許されず、

ただ風の都合で

渓谷(けいこく)の川に吹き飛ばされて、

たくさんの仲間と共に流されて行きました。

でその中に銀杏紅葉を発見。

銀杏を見ると思い出すことが二つあります。

文明に囲まれていると、自然が恋しくなる。

四季の移(うつ)ろいを実感すると、自然の摂理を感じる。

自然に囲まれていると、人間が恋しくなる。


一つはアメリカホームステイ時代

とある秋のよく晴れた日曜日の昼間、ホストの手伝いで

庭先の落ち葉を拾っていると、

銀杏(ぎんなん)があっちにこっちに

落ちているではありませんか。

僕は日本の事を思い出して嬉しくなりました。

ホストにも喜んでもらおうと

美味しそうな銀杏の実を10個ほどポケットに詰め込みました。

家中に戻って

「いいもの拾った」。「何?」

まだ若かった(それでも20代後半)

僕は子供のように嬉しくて、

ホストに喜んでもらおうと、

驚かせようとして

「目を閉じて、掌(てのひら)出して」

彼女は少し白い歯をのぞかせ、

微笑みながら手を差し出しました。

僕は彼女の掌に多くの銀杏(ぎんなん)を載せました。

僕は彼女がそれを見て喜ぶ姿を考えると、

一人わくわくしていました。

彼女も何やら嬉しそうでした。

「何?」。「当ててみて」。

「食べられる?」。「うん」

「何かの木の実」。「うん、何の木の実かな?」

「ほんとに、食べられる?」「うん」

英語で「銀杏(ぎんなん)」を知らなかった僕は戸惑いました。

よく聞きとれなかったのですが、

「ぎんこーナッツ」(ginkgo nuts)と言われたと、

「何?」僕が聞き返しました。

「ぎんこーナッツ」やはり同じでした。

彼女は目を見開いて、

なぜか、顔を赤らめて

話す言葉も失ってしまったのか

少しの間

無言で、うなだれて

その場に立ち尽くしていました。

僕がどうしたの?と聞くと、我に返って

ため息をついて「はっ、こうじ!!」

「これは食べられないの」。

「ただのごみ」と強く言い切られてしまいました。

僕は耳を疑いました。

その後、彼女は手にした銀杏をゴミ箱に投げ捨てました。

その日は彼女とは夕食時まで言葉を交わしませんでした。

その後、分かったことですが

アメリカでは普通、

銀杏(ぎんなん)を食べないのです。


もう一つは小学生の頃、贅沢にも

夕飯に茶碗蒸(ちゃわんむ)しが出ました。祖母は喜んで

酒好きの叔父さんと二人で熱燗(あつかん)で

美味しそうに頬張(ほおば)っていました。

夕食後にもまだ杯を傾けていました。

ご膳(ぜん)は片付けられて、

酒の肴(さかな)が無さそうでした。

僕は昼間に買った

アーモンドチョコを思い出しました。

「ばあちゃん」、「美味しいのあげよ!」。

「嬉し」、「何かな?」。

冷蔵庫から取り出し、

祖母に銀紙で包まれた

残り少ない、貴重なアーモンドチョコをひとつあげました。

祖母は手にしたアーモンドチョコの銀紙をはぎ取り、

ぽいっと口に入れました。

歯の悪い祖母は、

噛(か)むことも無く

口の中でくちゃくちゃして、

まるで飴をなめるように、なめまわしていました。

数分後のことです。

「こうちゃん」、

「これ、《たね》が入っとる!」

と言って口の中から

アーモンドの実を取り出しました。


ある者にとってはたいへん《美味しい食べ物》でも

ある人達にとってはただの《リスの食べ物》であり

あるいは《種(たね)》でしかないのです。

残念な事に

人間は一人残らず

お互いに分かり合えない所が

少なからず、一つはあります。

人は、事が上手(うま)く運ばれなかったことを

感じられる、振り返りのために

生きているようなものなのです。

僕の懐かしい、絶対忘れることの

出来ない秋の思い出でした。

皆さんはどのような思い出がありますか?


今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も洋楽3曲紹介します。ではまた。

僕が洋楽ばかり紹介するのは、

僕が「Jpop」を聴かないからなのです。

僕は「洋楽」が大好きなのです。


気分がすぐれない時には、ご機嫌な歌を聴いて

憂鬱(ゆううつ)を吹き飛ばそう。

素晴らしい音楽と言うのはそういう時のためにあるんだから。

素敵な恋人と同じような存在なのだから。


ポールマッカートニーでメイビアイムアメイズドです。

1970年リリース。ファーストソロアルバムに収録。

1976年ライブバージョンでシングルカット。全米No.10

本人もお気に入りでライブでは必ず演奏。こちらはウイングスのライブアルバム「オーバージアメリカ」に収録。

間奏のギターソロがとっても良い。ポールのシャウトが熱い。


スティーリーダンでペグです。

1977年リリース。アルバム「エイジャ」から先行シングルカット。全米No.11位。アルバム「彩(エイジャ)」は名盤

このアルバムからドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人になりました。

完璧を目指す彼らは曲ごとにスタジオミュージシャンと時間とお金を惜しげも無く使いアルバム製作に耽(ふけ)ります。

「ペグ」ではコーラスにドゥービーブラザーズのマイケルマクドナルド、ギターにジェイグレイドンが参加。

ペグとは英国の映画女優のこと。


カーペンターズで「愛にさよならを」です。

1972年リリース。アルバム「ア ソング フォー ユー」からシングルカット。全米No.7位。

自分に悲観的になって愛することに決別する歌。

ボーカルのカレン自身の事を歌っている。

カレンは1983年32歳の若さで他界。

中盤と後半のギターソロがたまらなくかっこいい。

ギターに当時としては珍しいファズを掛けて

ロック色を出している。

学生時代テレビで数少ない、

洋楽アーティストのライブ演奏で彼らのライブ演奏を視聴。

終盤のギターソロの演奏風景が目に焼き付いたままでした。

僕はカーペンターズの中でお気に入りの歌のひとつ。

バラードとロックの両方のテイストを合わせ持った優れた楽曲。


今日もおまけで味わい深いスローバラードです。

ドゥービブラザーズでサウスシティーミッドナイトレディーです。

1973年リリース。シングルカットなし。アルバム「キャプテン アンド ミー」B面一曲目。ギター担当のパットシモンズの作品。南部の雰囲気漂う泥臭いカントリースローバラード。

「midnight lady」ですから夜の女性。

娼婦か飲み屋の水商売の女性に関する歌。

アコースティックギターとスティールギターが曲を盛り上げる。

様々な場面でBGMとして利用される人気の曲。


優しさとは何??

あなたは普段どのような時に、

「怒り」を 感じますか?

大抵のことは考え方によって

「スルー」できる

はずなのだろうと思います。

僕は人間としての「器」が小さいのでしょうか?


●食堂内に集団で席を陣取り

騒いで騒々(そうぞう)しい人達を

迷惑そうに睨(にら)みつけます。

相手は悪ぶれることもなく、

不思議と睨(にら)み返してきます。

●順番待ちのため、列にならんで待っています。

強引に列に、割(わ)け入ってくる人がいました。

少し睨(にら)むように見ます。

相手は険しい表情でこちらを強くにらみ返してきます。

●車を安全走行中、後ろにピッタリくっつけて煽(あお)って迫ってきます。

不意にブレーキを踏み危険を知らせます。

相手はアクセルをふかして加速して

ぎりぎりで追い越して、通り過ぎ去ります。

「あんなやつ、事故起こしてしまえ!」イラってして心で思います。

●集団行動で集合時間に戻って来ません。連絡が取れません。

長時間後、悪ぶれる様子もなく、にやけた顔して

戻って無言で席に着きます。


あなたの周りにも、こんな人いませんか?

不思議な事に誰一人、注意や文句ひとつ言いません。

僕はすぐに顔や言動に

「怒りの感情」が出てしまいます。

僕の知り合いの中には

自分自身を無くしてしまえば、

「怒りの感情」が無くなるのだそうです。

そんな神さまみたいな人は稀(まれ)でしょう。

また別の人は「神が裁(さば)く」と言い切ります。

しかし「神が裁く」ことはまずありません。

ほとんどが「泣き寝入り」でしょう。


これはただ単に

みんなが優しいのでしょうか?

いや、絶対違うはずです。

通常の常識を持ち得た人なら

誰もが「共通で持つ怒りの感情」を

共有できるはずです。

まるで「加害者」が

「被害者」顔(づら)している状況なのです。

相手が明らかに法律に触れている

行動なら何かの対処もあるのでしょう。

しかし残念ながら、それは自分の心証(しんしょう)でしかないのです。


ひと昔前なら、話題にもならなかった事柄も

「ハラスメント」といった言葉の出現以来、

ちょっとした事柄でも社会的に

問題視されるように,、なり始めました。

普通なら優しい気持ちで許せる事でも、

行動を起こした人によって、

不快に感じたり、

逆に、好意的に感じる事があります。

それは「被害者」側が「優しい」とか、

「許容範囲が広い」とかの問題では無いのでしょう。

行動をした人が、《何をした》のでは無く

《誰かなのか》が問題なだけなのです。

実際僕も相手が、

強面(こわもて)で反社会勢力や

地位や権力のある人達なら

絶対沈黙を貫き、何事も無かったかのように

「泣き寝入り」するでしょうから。


「被害者」が自身の優しさの許容範囲に

「その加害者」がいないだけ。

それはただ、自身の「好き」か「嫌いか」

の違いだけ。

非常に冷酷に見えるあの人も、

非常に残忍に見えるあの集団も、

彼ら自身だったり、

彼らの家族だったり、

彼らの国だったり、

彼らの宗教だったり

に対してはとても優しいはず。

 

 

とても温和で、気が弱くて、

誰かに強く言い切られると

反論したくても

口を間一文字(まいちもんじ)に閉じて

黙ってうつむいて

我慢してしまうほどの彼は

警官を父に持つ妻と

小さな幼い可愛い女の子と

つつましいながらも一国一城のあるじ。

家族にも誰にも、とっても優しく

何をされても、何を言われても

にっこり微笑み返すだけです。

最近の事です。

妻や娘が、

悪いやつらと迷惑者に

いわれのない「迷惑やいじめ」を被(こうむ)っています。

彼は、

家族からも愛されている

近所でも誰にも

丁重に頭を下げる

挨拶もしっかりできる

世間でもとっても

優しいと、評判の良い

模範のような亭主なのです。

自分では納得してませんが、

地元の高校を卒業後

大きな企業内で単純な流れ作業の仕事に就いて

飽き飽きしらがらも、日々満足して

幸福に過ごしているようです。

しかしただ、理屈に合わない

理不尽な要求や

法律に抵触しない、

裁(さば)かれない

他人に迷惑を掛けるような

行動を起こす人達を

絶対許すことが出来ません。

彼は迷惑者と悪いやつらに

「殺意」を抱きました。

その衝動はもう止められそうにありません。

正義感の強い、

自称「正義の味方」が

夜になると

「天罰」を下すといって

妻や娘に迷惑といじめや、悪さをする

法で裁(さば)けない悪いやつらを

一撃必殺であの世へ送る

「殺人」を数多く重ねて行きました。

ある日の夜、彼の「殺人」を知った妻と娘が

彼の「殺人」をどうしたものかと

悩み苦しんでいました。

そして妻と娘は、彼の殺人を

誰かに止めてもらいたくて

警察に彼を売りました。

ある日とうとう逮捕されました。裁判になりました。

精神障害者と判断されて無罪放免。

また同様な「殺人」を繰り返して再逮捕。

今度こそ、妻も娘も

刑務所に入ってもらうことを

強く望んでいました。

裁判になりましたが、

精神障害者で、また無罪放免。

ある日の夜、娘が再度

父親の殺人を見てしまい

心優しい彼女は悩み苦しみました。

数日過ぎました。

父親はなおも、殺人を繰り返します。

ある日の夜、父親は、

父親の「殺人」を止めようと

誰にも優しい、自分の娘に

殺されてしまいました。

家族にはとっても優しい娘も、

父と同じ精神障害者で

父親の気持ちを理解して

迷惑者や悪いやつらに強い「殺意」を抱きます。

その衝動を止めることが出来ずに、

父親と同じように

迷惑者や悪いやつらを成敗します。

息子と祖母は彼女を止めたくて

警察に売ります。逮捕されました。

しかし裁判では

精神障害者で無罪放免。

しかしある日、息子が

非常に優しい母親の殺人を、

再度見てしまいました。彼はどうしたものかと

悩み苦しみました。

息子も精神障害者です。

迷惑者や悪いやつらを許すことは出来ません。

誰にも優しい息子も

この世にはびこる

「悪」を嫌悪していました。

迷惑者や悪いやつらに、

母親や祖父と同様な

「殺意」を抱きました。

しかし彼は祖母に相談をして、衝動を抑えていました。

しかし悪いやつらの迷惑行為は無くなりません。

いっそう、悪質になっていました。

もう「殺人」の衝動は

止められそうにありません。

毎晩考えました。

彼は祖父と母親の殺人を

よく理解していました。

母親の殺人はなおも続いています。

どうしたものかと、思い悩んでいました。

ようやく結論を出しました。

翌日彼は

母親を殺して、

首をつりました。

同じ日に悪いやつらも

ほとんど事故で死んでしまいました。

一人残された年老いた祖母は

死んでいった者たちを

弔(とむら)おうと剃髪(ていはつ)して

出家して「尼」になりました。

そして死ぬまでみんなの

菩提(ぼだい)を弔(とむら)いました。

 

《これはあくまでフィクションです。》

さてここで問題です。

誰が一番優しい人なのでしょうか?

答えは、、、、、

みんな全て、同様に優しい人なのです。


「優しい」は、

誰かと比較して

論じる「形容詞」ではないものなのです。

個人各々が主観的に感じる、

ある人に向けて感じた

単純な「感情」なのです。


ある人や動物に優しくない人でも

ある特定の人には優しいはずなのです。

自身の家族には絶対に。きっと。

Aさんが優しいと思う方もいれば、
Aさんほど酷(ひど)い人はいないと
思う人もいるでしょう。

Bさんが好きと思う人もいれば、
Bさんが嫌いと
言う方もいるでしょう。

つまり、その人自体が本質的に
「優しい、好き」と
思わせる性質を持っているだけなのです。

「Aさんは好き」
「Aさんは優しい」
「Bさんは嫌い」
「Bさんは優しくない、酷い人」

当たり前のことですが、
この事実を意識できるかどうかで
大きく感じ方が変わってくると思います。


一方で、別の考え方があります。

「騒音、不公平、ズル、煽(あお)り、非常識。」など。
その物事自体が、ネガティブな

特質を持っている という

考え方だと思います。

私達の価値観が

物事の捉(とら)え方が、

「感情」を 左右している

だけであるということです。

でもそれも正しいはず。


動物嫌いで犬や猫に優しくない人が、

人に対して優しくないわけでもない。

人は特別に自分には

優しくしてもらいたいと

思ってしまう贅沢な生き物だから。

他の人よりも自分が愛されてると感じる時に、

相手が誰であっても、

この人は優しい人と思ってしまう困った生き物だから。

だから、優しい人であるのはとても難しい。


誰まで、何にまで、優しくするかという

優しさの許容範囲をどのように

判断するのかが難しい。

その物事が悪いと捉えてしまうと

相手が誰であろうが、
自分にコントロールが出来ないように
なってしまいます。

「騒音、非常識、ずる、煽り、非常識」が
悪いのではなく、

「自分のアプローチが正常では無いのでは?」

という考え方に変換することによって
コントロールが自分に戻ってきます。

《罪》を憎んで「人」を憎まず。ってやつ


法治国家であろうが、なかろうが

この世の中で絶対的に

一元論で「悪い」、「悪」と断言できるのは

「殺人」、「殺し」だけでしょう。

それ以外は大概やり直しが出来ます。


人を変えようとする前に自分を変えろ
とは、よく言われますが、
それは物事への取り組み方にも
当てはまるのでは
ないでしょうか?

物事が悪いと思う前に自分の
取り組み方が悪いのではないかという
考えにシフトすると新しく見えてくる
ものがあると思います。

「非常識、嫌いだ、迷惑だ」と思うと

不快で苦しいですが、

「他の人はどう感じているのだろう?」
という疑問に変換することで新たな
道が見えてくるかもしれません。

どうせ生きていくなら出来るだけ
楽(らく)して、楽しめる方法を模索していきましょう!

でも正直、僕にはとても無理だろうな

《やる前から頭で結論出してしまう、僕の悪い癖(くせ)》


自分は博愛主義者に

なりきろうとする人ではなく、

優しい人間であろうとして、

でもなかなか優しい人間になれないって

日々葛藤(かっとう)して

悩んで苦しんでる人こそが、

僕は本当に優しい人なんだって思う。

だから、僕はそういう人にこそ優しくありたい。


今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も洋楽3曲紹介します。ではまた。


スティーリーダンでダーティーワークです。

1972年リリース。シングルカットされていません。

彼らのファーストアルバム「キャントバイアスリル」のA面2曲目。決して有名ではありませんが、《ほんわか》した聴きやすい楽曲。ボーカルはドナルドフェイゲンじゃ無くて、デビットパーマーって人。すぐにグループ脱退します。米国のロックバンド。

時節に合わせて様々な音楽形態のミュージシャンを参加構成。最盛期にはジャズ色の濃い音作り。名盤アルバム多数。

「プリッツルロジック」、「エイジャ」、の2作は名盤。必聴の価値あり。代表曲「リキの電話番号」、「ペグ」など多数。

人気女性芸人「ブルゾンちえみ」のテーマミュージックとは同名異曲。


ジャーニーでドントストップビリービンです。

1981年リリース。全米No.9位。2弾シングルカット。

アルバム「エスケイプ」のA面一曲目。アルバム「エスケイプ」は全世界で大ヒット。「信じることをやめるな」ボーカルのスティーブペリーとキーボード奏者のマイケルケインとの共作。

スティーブが電話越しで父親からの言葉「Don’t stop believin’」が頭から離れず、曲のタイトルが決定。

マイケルと単調なコード進行で普通の人々の日常を話題に物語展開。構成はユニークで単純。同じメロディーの繰り返し。ただ単に歌詞とリズムの強弱、音の高い低いを変えているだけ。

大学生時代、僕の隣の住人で「中島みゆき」しか聞かない同級生の彼がこの曲を頻繁に流していたのだろう。部屋の隙間から音がもれていた。帰宅時にほぼ毎日流れていました。

ニールショーンにギターがかっこいい。


カーペンターズで見つめ合う恋です。

1976年リリース。全米No.12位。カバー曲。

アルバム「見つめあう恋」から先行シングルカット。

原曲はハーマンズハーミッツが1967年発表。

原題は「A kind of hush」。恋人との幸福の歌。

hush=静けさ。「ある種の静けさ」=「二人だけの世界」との意味。恋人と二人だけになった時に、お互いがちょっと黙った時の沈黙の瞬間。=「a kind of hush」

カバー曲多数。世間でいう所のオールディーズです。

中学生当時、日曜の昼間人気のラジオ番組から頻繁に流れて、まったりと緩やかな時間を過ごしていました。優しいメロディー。


今日はおまけで哀愁帯びた、味わい深い名曲を。

ダンフォーゲルバーグで懐かしい恋人の歌です。

1981年リリース。全米No.9位。先行シングル発売。

2枚組アルバム「イノセントエイジ」に収録。

原題は「same old lang syne」

収録曲はどれも秀逸。聴き応え十二分のアルバム。「イノセントエイジ」。「バンドリーダーの贈り物」。「run for the roses」。「same old lang syne」等など。印象深い歌詞の一部です。本人は既に他界。

イブの夜に昔の恋人に偶然再会。過去と現在に乾杯!再会を誓い合って、彼女を見送った後、帰ろうとしたら、、、雪が雨に変わって、、ここでサックスの哀愁あるメロディーが、、、。絶対に名曲だと思います。良かったら、アルバムで通して聴いて欲しい。