プライバシーって何???

昨日リハビリ通所での事でした。

定刻の開始時間、数分前にスーツ姿で

一瞥(いちべつ)するだけで、極めて有能であろうと、

うかがえるサラリーマンが一眼レンズのカメラを抱えて

入り口付近に静かに座する姿が視界に入りました。

推察するに、彼がいったんカメラを構えると

いかなる瞬間も見逃さないで、カメラに収めてしまう鋭利感覚。

最短時間で最適のアングルを撮り込む審美眼(しんびがん)。

何を取っても超一流のカメラマンの風情(ふぜい)。


おそらく彼にとって、今日の仕事はカタログ作成のための

単なる資料作り。優秀な腕の見せ所の無い、面白味や創造性の

感じる事の無い仕事であろう。

それは芸術性の問われない、しかも本人の意に沿わない

年配のリハビリテーション風景を、淡々と撮影するだけといった

納得いかない仕事なのではないだろうか?


サラリーマンなら許されないであろう、屈強な野心を心の奥底に

隠し込んで、漬物石で蓋をしての作業ではないだろうか?

そんな彼がそのような仕事に着手する以前に

クレームが入るなんて《青天の霹靂(へきれき)》だった。


我々利用者は準備された場所に移動して準備運動から始めました。

開始早々、僕の斜め前の70過ぎと思われる、引退した年配の男性が

くだんの男性を目にしたのでしょう、通所の責任者の年下の女性

に対して「おーい」、「おーい」と眉を吊り上げて

何やら怪訝(けげん)そうな表情で彼女を呼び出そうとしていました。

「はい」彼女はいつもと変わらぬ穏やかな態度で静かに歩いて近寄りました。

男性は女性を責め立てるように「勝手に写真撮られたら」、「困るやないけ」、「顔撮ったりするんか?」、「名前の所も撮らすなよ」。「分かっております」、「申訳ありません」。

女性はなだめるように優しく、いさめようとしました。

「顔は写したりしません」、「リハビリ業界内での会合の資料作りに」、「私が責任を持って」、「迷惑かけないように」、「最後にチェックしますので」。の様な事を。同時に、

女性は謝罪とともに何度も頭を下げてわびていました。

にも関わらず、事もあろうに、男性は吐き捨てるように言い放ちました。

「プライバシーの侵害や!!」。僕は唖然(あぜん)となりました。

その後そのカメラマンはカメラを構える事も無く

写真を撮らずに、やがて姿が見えなくなりました。


察するに通所側が事前に説明しておくべきであった。

っと、さらに利用者への配慮に欠けたかも、っと

社会貢献を果たしている企業の道義的観点から

本日の撮影を急きょ取り止めたのであろう。


《取るに足らない小さな事に、目くじら立てるなんて

大人げない》が僕の感想です。まさに《下衆(げす)の勘ぐり》

事象を自分自身の損か得かの、低い視点でしか見えてないのです。

現在社会は莫大な情報が至る所ではびこっており、

自分達自身の情報を、自分達だけで把握管理できることなど

果てしなく不可能なのです。

政治家や芸能人など人気商売の立場の人間であればこそ、我々は

数多(あまた)に存在する一介(いっかい)の名も知られぬ

人間で、公私の区別もはっきりしない民衆が

《プライバシーの侵害》などと口にするとは、

《とんち》にもならない、はなはだ滑稽(こっけい)でしかない。

しかも露出されるのは身体の1部分の写真や、顔と一致しない

名前だけで、良い悪いの評判などが言語化されて

表面化して話題になることなど絶対あり得ないのです。

何を怯(おび)えているのか、自分自身を過大評価し過ぎでは?

自意識過剰も甚(はなは)だしい。「誰一人あなたの事なんて

興味ありませんよ」と言ってやりたかった。

その年配男性は恐らく、現役時代に自分は過小評価されたとか

肩身の狭い思いをさせられた、と誤解した苦い経験があるのだ。

その現実が今もって受け入れられずに、自分勝手な不平不満に

抵抗することで自分自身を納得させて、

自分を大きく見せよう、誇大化しようとしているのだ。

彼は物事を正確に評価できない自己愛のかたまりなのだ。

このような人に限って、テレビカメラを見かけると

いの一番にカメラの前に割り込んでVサインを見せたり、

有名新聞や雑誌に自分や身内の写真や名前が載ってると

数多く買い占めて、誰彼(だれかれ)構わず見せつけたりするのである。


自分の名前や写真など、自分の全く想定していない場所で

露呈することなど、現代社会では日常茶飯事であることを

理解しないと生活など出来ない時代なのだ。

目にした情報によって自分の価値観や行動が簡単に影響を

受けて、(あたふた)右往左往してしまう「情報弱者」

にならないように気をつけよう。

自分達がひどく迷惑を被らなければ、出来れば自ずから、

進んで喜んで、社会や他人に協力することは、

年を重ねれば重ねるほど面倒がらないで、

いとわないでいよう。と肝に銘じよう。

「情報弱者」に陥(おちい)らぬようにと

自戒した出来事でした。


P.S.ともすれば、私達は自分こそが正しい者のように思い、

人を責め、裁く。しかし、ひとつの罪も犯さずに生きて来た

人間はひとりもいない。

人を許すことの始まりは、《自分自身が許されてきたこと》

を知ることなのだ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベルでホールニューワールドです。

1992年リリース。全米No.1。映画「アラジン」の主題歌

映画「アラジン」サウンドトラックからシングルカット。

ディズニー映画史上唯一の全米No.1ヒット曲。

原題「A whole new world」

「すっかり新しい世界(まったく見たことない世界)」

ただの新しい世界ではなくて「whole」が付くから「すっかり」、「全部新しい」の深い意味が含まれている。

アラジンとジャスミンが魔法のじゅうたんに乗って世界を観に行く場面で歌われます。


 

ジョンデンバーで緑の風のアニーです。

1974年リリース。二週連続全米No.1ヒット。

アルバム「バック ホーム アゲーン」からシングルカット。

自然が生きている事を感じさせてくれる。その人と一緒にいると

自分の五感が満たされる感覚。と言った愛の歌。

アメリカで人気の国民的カントリー歌手。飛行機事故で他界。

本人が12弦ギターをつま弾いています。美しい優しい楽曲。


 

ビリージョエルでドントアスクミーホワイです。

1980年リリース。全米No.19位。アルバム「グラスハウス」からシングルカット。過去を断ち切れず悩んでいる彼女に恋人が皮肉めいたことを言いながらも「考え過ぎてちゃだめだよ」って内容。

当時TDKのカセットの宣伝で流されていた。本国より日本の方が人気のある乗りの良いキャッチーな楽曲。アルバム「グラスハウス」はヒット曲満載の大ヒットアルバム。


 

レッドツュッペリンで天国への階段です。

1971年リリース。シングルカットされず。

アルバム「レッドテュッペリンⅣ」に収録。アルバム「Ⅳ」は世界中で大ヒット。世界で屈指の人気を誇る英国4人のハードロックバンド。ギターでリーダーのジミーペイジとボーカルのロバートプラントの共作。ドラムのジョンボーナムの死去によりバンド解散。

アコースティックギターのアルペジオで静かに始まるドラマティックな展開を見せる人気の曲。8分にわたる長い楽曲。


 

 

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