おかげさま

「おかげさま」

故野村克也氏の著書「野村ノート」の書き出しである。

冬が来ると夏が良いと言い、夏が来ると冬が良いと言う。

太るとやせたいといい、痩せると太りたいと言う。

忙しいとひまになりたい、ひまになると忙しいほうがイイと言う。

自分に都合の良い人は、良い人だと言って褒めて、

自分に都合の悪い人は、悪い人だと言ってけなす。

上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見てもグチばかり、

どうして自分を見つめないのか、静かに考えてみるがいい。

つまらぬ自我を捨て、得手勝手をつつしめば、世の中はもっと

明るくなるだろう。

おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと

暮したい。


こんなことを書かれていた。改めて読んだ。

そんなことから、こんなことも思い出す。


寒く厳しい受験の冬が過ぎ、桜咲くの三月末、

大学受験の合格の報告に、初めて学校の職員室へうかがった時のこと。

先生たちの「おめでとう」の言葉に、出来の悪かった僕は、

緊張の余り、ただただ、

「どうも、ありがとうございます」と

ペコリと頭を下げるばかりだった。

ところが、一方で、

向かいの席に腰かけて居た40人強の特進クラスの先生を

訪ねにみえた出来の良かった上に、

可愛かった帰国子女の生徒は、脱いだばかりの、

高品質のグレーのコートを両手で何気にたたみつつ、

素っ気なくも上品に着こなしたツヤツヤのセーラー服姿で

一礼しながら、透き通った声で、こうつぶやいたのだ。

「おかげさまで・・・」

「おかげをもちまして・・・」と。

一瞬、僕の耳はぴくッと動いた。

そして、ハッとした僕は、顔を向けて彼女を見つめてしまった。

なぜに?

それは、とっても美しかったから。

もちろん彼女は、小柄で、丸い顔が、いまだにどこか、

少女のようにあどけなく、飛びっきり可愛かったのだが、

美しかったのは、見た目の彼女の姿ではないのだ。

心の奥底にドンと来たのだ。聞いた事ないような美しい日本語に。

その時には、まだ人の口から生まれて初めて聞いた言葉だった。

聞きなれないのにどうして美しいと感じたのか?

テレビかラジオか本か、どこかで、目にしたのか? 耳にしたのだろうか?


細胞レベル、ひとつひとつに鳴り響くように、まさにDNAに

訴えかけるほどに、じわっと泣けるまでに、心を打たれた。

僕の視線を感じてか、不意に彼女は振り向いた。

瞬間、彼女と目が合ってしまった。

すると、なんと、彼女はニコッと微笑んだ。

僕は、ドキッとして、目を逸らしてしまった。再度、振り返ると

ほんのりふくらんだ胸元に、ぷっくりと張り出たヒップを

覆い隠したスカートの裾からセクシーな、なま足がちらほらと

のぞいて見えた。若さのエネルギーがみなぎった僕は、

理性がぶっ飛びそうで、たまらなくなって、

発狂しかけた途端に、またも目が合ってしまった。

驚くことに、彼女はまたもや微笑んだ。

腰抜けで、根性なしの僕は、どうすることもできずに、

顔を赤らめたままで、茫然と立ち尽くしていたものだ。


彼女の見た目の美しさだけに、心奪われたのではない。

そのような場面で、期待を裏切らない、いや、期待以上の、

初めて聞くような、予想だにしない、想定外の、よどみなく

滑らかに流れる美しい響きの日本語。

そんな聞きなれない品格のある言葉を、

絶妙な場面で、当たり前のように自然と口にした彼女の

知性の高さと経験の豊富さとに心震わされた。圧倒された。

恋愛感情を持つ以前に、「偉いな」「大人だな」

この子には勝てないな・・・と、感心させられた。

「天は二物を与えもうた」と、

ただただ、神なのかもと、うなったのだった。


同級生なので、知ってはいたものの、それ以来、衝撃を受けた

僕は彼女の名前とともにその日本語とその時の光景を決して忘れなかった。

彼女は、高校一年生の時に、一年間、アメリカへ留学したにも

関わらず、京都大学の法文科に現役で合格して、風の便りで

若くして弁護士になって、個人事務所を構えたとのことだ。


悲しいかな、あいにく、バカにつける薬はない、

との言葉通り、それ以来、その日本語を使う機会がたびたび訪れ

ながら、僕はなかなか口をついて出ることが皆無であり、

今もって口ごもる言葉のひとつだ。


自分の殻を破るための、積極的な行動は、

言葉でいうほど、簡単なものではない。

しかし、果敢な行動は、幸運をつかむための欠くことの

できないメソッドのひとつであることは確かだ。

私たちは前例がないと、すべてにおいて不安なものだ。

自分の前に道はなく、自分の後に道ができるのだから。

だからといって、しり込みしていては、何も変わらない。

幸運をつかむためには、行動が必要だが、想いと勇気、

そして、楽天性を備えていれば、鬼に金棒だ。


ここまで、近藤浩二でした。ではまた。


余談ですが、その日に夜。

僕はこんなことがあったと、母に語って聞かせると、

母は、眉間を寄せて、ただひと言こう言い放った。

「あそこは、いかんよ!」

「***の家系だから・・・」と

***は差別用語です。

母は勝手に、何かを想像して心配していたようだ。

聞くところによると、母の実家が、彼女の一族と近隣にあって、

いろいろ良からぬうわさがあったようだ。

現代風に言えば、サバン症候群のことです。

発達障害がありながら、突出した能力を持つ人間のこと。


余談の上の余談ですが、二十年程前、風のうわさで、苗字が

変わっていなかったから、まだ独り身だったと思われる。

余りにも出来過ぎるため、男が近づき難かったのか、彼女の

理想が高すぎたのか、本人にしかわからぬことだが・・・

人は誰でも、人知れず、何かしら問題を抱えているものだ。