母のゆううつ

本日は60回目の誕生日。いろいろなことがあったもんだと

感慨にひたりながら気持ちの良い朝の目覚めをいただいた。

目覚めがいいと、ほんと何でもできるような気になるもんで、

老い先の短い年になっても空でも飛べそうな気になるから

不思議だ。朝日を浴びると私の中でおぼろげな記憶がよみがえった。


身を固めようと大阪から地元に帰って来た時、母がみんなの前で

顔をくもらせて語気鋭く打ち明けた逸話が耳にこびりついて離れない。

小生を身ごもって、また授かったとお腹をさすって喜んで話すと

気性が合わず仲の良くなかった祖母に眉間を寄せてこう言われたそうだ。

「あんた、三人も、産むんかね ? 」(私は三人兄弟の末っ子)

母はこの時こう思ったそうだ。(自分は8人も産んどいて)

(このババアが ・・・)と。(8人目は幼少時亡くなった)

祖母が逝ってから10年ほど経っていたが、怒りが収まらない

様子で顔をしかめて懐かしく思い出し、しっかりと語ってくれた。


祖母がそんなことを言ったとは露ほども知らない私は

《おばあちゃん子》で、兄弟で一番よくなついた小生を

あれほどよく可愛がってくれたのに・・・学校から帰ると

よく祖母に声をかけられた。「こうちゃん」「何 ? 」

「ちょっと、こっちに来て? 面白いテレビしよるよ」

「うん」と祖母の近くの横に寄り添って寝っ転がった。

そこで放送されていたのは歌舞伎? 小学生には理解できない

日本古来の観劇であった。「面白かろ ?」と訊かれて

「うーん」と口ごもっていると、「イエ~、フォー、ポン、ポポン」

と、とつじょテレビに合わせて何やら、うなるように

奇声を発して楽しそうにひとり興じていた。小生がきょとん

としてあっけにとられていると、こちらに顔を向けてかすかに

微笑んだ。しばらくして、その場を離れ戻ると顔を寄せて

「これあげよ、黙っとかんかんよ」とささやいてこっそりと

お小遣いをくれた。祖母はどんな気持ちであったのだろう?

(母にはいつも冷たく当たっておきながら)

まごには優しく接してくれた。心優しいおばあちゃんだった。


不確かな記憶だが、1、2歳の時だろう。

母に向かって「おっぱい飲みたい」と言うと

ためらいがちに伸びきってたれた《いち物》をこう言って差し

向けられた。「あんた、かまれんよ、すぐかむんやけん」と。

母にたびたび、とがめられたようで妙に頭の片すみに残っている。

母によると、小生はコロッとたやすく、陣痛もほとんどなく

生まれ出たそうで、母は楽だったと目じりにしわを寄せて

嬉しそうに教えてくれた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。すわって半畳、寝て一畳。


高校一年生の時、学校帰りに立ち寄った本屋の出入り口

付近で雑誌をひんぱんに立ち読みした。当時の僕らには

すごく刺激的だった「週間プレイボーイ」に連載の

マンガ「俺の空」ドキドキしながらなめるように読んだ。

その後、同級生を見る目が変わってしまった。はや生まれの

同級生の中で一番年が若く、このごろ成長期を迎えたようで

ホルモンが、出まくっていたのだろう。


ささっと書いた落書きみたいなものが、一億円で売れないかなあ

宗教上の理由で、美味しいものしか食べられない厄介なやつです。


 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です