食べることが好き、音楽が好き、本が好き、スポーツが好き、

花が好き、緑が好き、夏の日差しが好き、言葉が数学が好き、

面白いことが好き、楽しいことが好き、明るいことが好き。

美しい人が好き、可愛らしい物が好き。何かをすることが好き。

《愛》が大好き。人が何かを好き、誰かを好き、って心情は、

もっともハードルの低い純粋で容易な喜び、単純でほとんど理屈

のない、動機付けの薄い行為でしょうか。だからこそ、素直に

言葉にするのが、妙に気恥ずかしいのです。なぜなら、そこには

自分の心の裸を、のぞかれているように感じるからでしょうか。


ただならぬ状況の中、これが近々で最後だぞ、ってことで訪問。

3月31日で、親の都合で引っ越しをした3歳の幼児に週末会いに

行きました。夕刻、保育園までお向かいに出向きました。


保育園の脇口付近で、抱っこをせがんでいるのか、なかなか

歩き出そうとしない様子です。一瞬、こちらに顔を向けて遠方の

助手席の僕の姿を捉(とら)えたのか、満面の笑みを浮かべなが

ら小さく手を振り、視線を投げかけてくれました。視線が合った

と同時にこちらに小走りで駆け出しました。小躍りしながら

何か含み笑いを浮かべながら、嬉しさが隠しきれない様子です。

じきに車窓の付近まで近寄ると「おいちゃーーん」と

大声で叫び挙げました。 マスクを装着してドアを開け広げ


わずかに外へ立ち上がり、幼児を抱きしめました。「***」

「うれしーー」「会いたかった」。思わず力が入りました。

「痛いーー」。「おいちゃん、痛い。やめてーー」

はっとさせられ、我に返り 「ごめん」 笑いかけると彼もまた

顔を向けて目を細め、にっこりと笑みを浮かべてくれました。

次の瞬間、彼が僕の股間を軽くつかみ「おいちゃんの****

つかまえた」。彼がニターと微笑みます。「***の****

つかまえた」。すると、彼はひらりと身をひるがえし笑い返す。


親子でも恋人の対象でも、血がちっとも交じってないのに、

なぜか、懐かしい、親近感が半端じゃない、どう考えても

他人とは思えない《存在》なのです。そんな存在なんて、

そうそう居ません。初めて会った時から、何があっても

どんな嫌なことがあっても、決して嫌いになれない、いっそう、

離れるのが寂しい、忘れることのできない《存在》。

そこにあるのは絶対《愛》以外、に考えられません。その後、


せめて最善を尽くそうと、外食は控え、食料を買い込み

マンションの一室で体面にならないように腰かけ、食事。

何か特別なことをするわけではなく、ただただ同じ空間に

居る、目につく場所に居るだけで嬉しい幸せなのです。


「こんにちわ」には「こんにちわ」で返してくれます。

「あそぼう」にも「あそぼう」で返してくれます。

「ありがとう」には「どういたた・・ました」と

口ごもりながら、目をパチクリさせて頭をかきます。

こちらの言葉を覚えようと、《おおむ返し》で応えよう

と頑張ります。上手くできない時でも、こちらも面白がって

伝えます。八の字お菓子を手渡します。「これ何?」との質問に

指折りながら「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、

マーブルチョコレート」て、手のひらを向けました。

首を無言で縦に振りながら最後に「・・・・チョコレート」

「え、できん」「無理、無理」と抱き着いてきます。


愛する人に一番、して欲しいことは、愛を返してもらうこと、

同様に、いやそれ以上に、愛し返して欲しいだけなのです。でも

これは純粋な《愛》とは言えないでしょう。真実の《愛》とは

決して尽きることのない、絶えることなき、見返りを求めない

行為の源泉こそが本物の《愛》なのです。その代表は、母の愛。

最も尊くて素晴らしい《愛》は、無償で無条件の見返りを

求めない愛なのですが、それは誰もが持ってはいません。

疑う余地のない誰もが持つであろうそれは、

親の子に対する愛だけです。それはまさに無償の愛

一方通行、ときに、うっとうしく、しがらみが強く、重たく

感じるほどですが、自分が親にならないと、そのありがたみは

生涯、理解できないかもわかりませんね。

我々が帰ろうと、車に乗り込むと、「おいちゃん(ち)家に行

く、行きたい」と駄々をこねて、大声で叫ぶので母親に抱かれ

付近をドライブ。いつもなら、自分が去り行く立場なので

寂しさを感じにくい状況だったのですが、人が目の前から

立ち去っていくと、残される側は《祭りのあと》のような

虚無感と脱力感とともに、防ぎようのない寂しさがつのる

のです。今後の長い人生で、自分で乗り越えないといけない

感情なので、無情にも降ろしましたがその後、車が見えなくなる

まで車道や歩道のある、ぎりぎりまで見送ってくれてたようで

お母さん、ほんとにお疲れさん、ほんとに、ありがとう。


《愛》は人間にとって、最も尊く素晴らしいモノ。どうぞ、

みなさんも、惜しみなく《愛》を、降り注いでください。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


参考までに、漢字辞書によると、「愛」という漢字は、

人が立ち去ろうとする時に、後ろ髪を引かれるように

振り返る姿に、心臓の位置付近に「心」の字を付け出した

モノで、その時の感情が「愛(いと)おしい」という気持ち

と定義されています。社会を癒していきましょう。