思い出

今朝の事。起きがけのコーヒーを、起き抜けのお茶に変更して

トイレでスッキリを感じて、「今日も調子が良いぞ」って

玄関に向かっている僕の背後から、妻の声が

「***さん、亡くなったって、、、」「ええっ」

上がっていた士気が、一気にふやけてしまいました。


僕の母親よりわずかに年上だったでしょうか。二年程前まで

数十年間我が家の近所に居を構え、旦那さんを亡くしてからは

ひとり暮らしをしていて、毎週妻の施術を受けられていた、

僕のお気に入りの《おばさん》でした。その穏やかで

優しい眼差(まなざ)し、ゆっくり、ゆったりとした

気取らない動作と飾らないしゃべり口調が、本当に

心いやされる、得(え)も言われぬ、心和(なご)まされる、

ご内儀(ないぎ)、おかみさんだったのでした。

ずっと昔から(僕が生まれる前から)知っている誰かのような人

数年前より物忘れが発症し始め、東京在住の息子さんの

世話にと、引っ越しされた数年後の便りが

《死の報告》とは寂しい限りです。特別に何かを話し、

何かをして頂いた、僕の人生の何かを変えたわけでもないし、

取り立てて僕自身の《何か》ではないのですが不思議と、

決して忘れられない懐かしい存在なのでした。


人生のすべてはやがて煙のように消えて無くなってしまいます。

でも《いつか》は、それらのすべては素晴らしい

《思い出》となって、きっとよみがえって来るはずです。

どのような形であれ。必ず。


今日はここまで。近藤浩二でした。ではまた。

今日は在りし日の***おばさんを思い出しながら、、、


施術後に「楽になった。ありがとう。」っと、またコーヒー

と菓子を召し上がって「美味しかった。ありがとう。」って

玄関を立ち去って行く小さな姿が思い出されます。拝。