小さな世界

子供の頃は、誰にも、夢や希望は、

身近に感じるものでしょう。そして、世の中はきっと、

単純で簡単だと思い込むでしょう。

でもこの世は、子供の自分たちが感じているほど

《小さな世界》ではなかったのでした。


大小様々なクリップ。とっても小さなミニカー。長短さまざま

のひも。さいころ。色鮮やかなビー玉。目を輝かせて見入る

小さい筒型の透明の器に入った、いっぱいの贅沢なガラクタ。

「アー、ブッ、ッブーー、ブーー、あれ、ふっふ、はっはは、

ほほほ、ひひひ。」「ぶ**、@@、+++、。」

ひたひたと、小さな手で、手探りして、ひとつ、ふたつ、

何かを取り出し、興味津々(しんしん)の様子で、心優しい

切れ長の目が、きりっと差すように見つめています。


幼児がひとりで、意味不明の言葉を、何やらつぶやきながら、

楽しそうに笑顔で戯れています。僕たちには彼の言葉は

決して、解することは出来ません。そうです。

子供は誰もが、ファンタジーを創作する、夢みる旅人なのです。


思うように勝手に走らない自動車。空を飛ばない飛行機。

そして時が、そっと彼の心の奥底に語り掛けるのです。

《物事はほとんど、自分の思い通りにならないことを》

時に、時間の経過とともに、業を煮やして、ふつふつと

うっぷんが、溜まったのか、容器をひっくり返して、

容器をその場の、机に押さえ込み、力の限り左右に

揺さぶってしまいました。「ガチャ、ガチャ、ガチャ。」

容器内にあった、中身のガラクタが、所かまわず、

四方八方に、飛び散らばってしまいました。

しかし彼は何一つ、臆することなく、万感(ばんかん)の笑顔を

僕に投げかけるのです。「ニタッ、ニタッ、エヘ。」

散らかった景色を、呆気に取られて見つめる僕。

小さな心に萌芽(ほうが)した、自由にならない世界を、

破壊したい欲求。一瞬、脳内の回路に、心ときめく快感が

ビリッ、ビリッっと走ったのです。


大人になれば誰もが感じる、夢の持ちづらい世界、

大好きな食物が食べることが、出来ない、

大好きな人と思う事が、出来ない。

行きたいと考えている場所に行くことが、出来ない、

出来ない事だらけの、不満足感いっぱいの世界。

自分の能力を他人と比較して、がっくりと肩を落とす

無能感と無力感。

言いたいことを言えずに思い悩む、自己表現の難しさ。

年を経て、面と向かって、誰も口にはしないけれど、

夢の世界とは、まったくかけ離れていることを

痛感することになる、現実の世界。


年を経てなおもそれをすると、他人はそれを

現実逃避、自己欺瞞(ぎまん)と非難する。

熱中している彼に話し掛けても、つれなく視線を

逸(そ)らせるだけです。しかも幼児である、

彼の孤独の遊戯は、まだまだ続くのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

母性

先日BSテレビで視聴した「ワイルドライフ」。

雪も積もらない高山地帯に生息するヤギの親子。

切り立った稜線(りょうせん)や岩肌に、まれにしか

自生していない植物。

少し距離を置いて、食事を楽しむヤギの親子。

一方、そこを密かに、上空を旋回しながら、凝視している、

獲物を狙っている鷹(たか)の、《鋭いまなざし》たるや

半端じゃないよ。ヤギさん、危機一髪です。死と隣合わせの

食事は、消化に悪いよ。でも生きていくためには、

そんな上品な事は、言ってられない。よね。


ニュヨークの犯罪多発地区に居るような、恐怖で、ただならぬ

気配を感じた母親が、わが子のもとに歩み寄り、

わが身を盾(たて)に、自分のお腹の下へと追い込み、

守ろうと必死です。

その姿は、母親であればこその防衛本能からの行為です。

一歩間違えば自分自身が標的になり、

死ぬかもしれない行動です。まさに《自己犠牲》の極みです。


異なる過日のこと。一歳余りの幼児を、眼科に連れていくため

夕食まで我が家で預かりました。その時偶然見つけてしまった

《母子手帳》。妊娠中から、自分の素直な気持ちを

綴(つづ)った、きっと誰にも見られたくない、

お母さんの秘密の気持ち。

しかしです。我々夫婦は二人で覗(のぞ)き見して

しまったのでした。(お母さん、ほんとにごめんなさい。)


「半年過ぎた頃からお腹をけり続ける元気な子」

(男の子であることを確信した瞬間。

(実際その子は男の子でした。))鋭い母親の五感。


生まれた直後に書かれた、母親の真実の胸中と決意。

「***お母さんのところに、生まれてくれて

本当にありがとう。」

「誰よりもお母さんは***あなたが一番大好きです。」

「***あなたはお母さんの、かけがえのない宝です。」

「何があっても、***あなたを全力で守ります。」

(原文そのままではありません。要約しています。)

(目を通した瞬間、心の中、いやいや、目から涙が出ました。)

《真実は想像を超えて人の心に響きます。》


若くして恋愛して、できてしまった子供。

おろすことなど、露(つゆ)ほども考えられなかった大切な命。

未婚の母として、母子ふたりで強く生きていくことを

選択した運命。(しかし渡る世間に鬼はいない。

を痛感する毎日。)行政と親切な市民のおかげで

順調に成長しているわが子。


保護者の養育なしに、生存できない生物の、

メス親(母親)に見られる養育行動の反応及び行動原理、

として存在するとみなされる本能のこと。とはグーグルで調べた

《母性本能》の説明。前述のヤギの親子の運命は


母ヤギの強引な抑え込みに、子ヤギが感じた

窮屈(きゅうくつ)さのため、ふいに母ヤギのお腹の脇へ

それて、子ヤギが肩で息をしています。その一瞬を、

たかは逃さず、急降下してヤギの急所を一撃必殺。その後、

自分より倍も重いヤギの子供を、口にくわえて、たかは

飛び立って行ったのです。続いて

カメラアングルは母親ヤギの表情を捉えていました。

言うに言われぬ悲しみ、悔しさ、なぜにわが子が

捕らえられてしまったのか、と言った目が点になって

しまうほどの驚きと脱力感、虚しさ、寂しさ、

無力感、やるせなさ、を捉えて自然界の弱肉強食の非情、冷酷

厳しさを哀れに伝えていました。


《母性》と言う《強い愛情》は

人間界では《女は弱し、されど母は強し》と言って

女性は母親になると、子供を守るために強い力を

発揮するものです。

しかしながら、自然界の野性原理(食物連鎖)の前では、

悲しいかな、ひとたまりもなく、駆逐(くちく)されて

しまうものなのでした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。