曇り空ながらも、雲の切れ間から柔らかい優しい陽光が部屋の
窓から差し込んでいた、清々(すがすが)しい朝の空間。
今朝9時前のこと。妻がファミリーサポートの仕事
を済ませ、玄関前で車をUターンさせて、
車庫に納め込みました。軽やかに車を降り、何か良いことでも
あったかのように帰って来て、玄関先で
僕を見かけて部屋に入るなり、口を開きました。
《妻》「最近膝(ひざ)、調子良いかい!!、
楽なんよね」(彼女はスキーのインストラクタ―の頃、
じん帯を切ってしまったのでした)
《僕》「よかったね」笑顔で答えました。
《妻》「なんでか、わかる??」
解っているでしょう、っとでも言わんばかりに、
問いかけられました。
《僕》「例のあれやろ」と答えました。
《妻》「よく解らないけど、そうなんよ」
間髪置かずに、かえってきました。
ここ数日前から、彼女は入浴後《全身、前後》の写真を撮って
《光カード》とやらを載せて《除霊》をすれば、
スッキリする、とかで続けています。(僕は心の中で眉を
ひそめています)。僕はゲン担(かつ)ぎのようなものだと
とらえています。(信じる者は救われますから)
取り立てて、何か特別な幸運があったわけでもありません。
しかし彼女の晴れ晴れしい顔で、一日の始まりを迎えました。
威勢の良い、気持ち良い表情を見せられると、こちらも何か
嬉しい気分にさせられてしまって、不思議と
その一日が、気分良く過ごせられます。
(喜びの笑顔は伝染しやすいのでしょうか)
最近、日の出とともに目を覚ませて玄関の部屋の中で、
朝日を浴びながら、その日を始めます。
目を閉じて、まぶたに朝日を感じていると、人間は生来
日の出とともに起きて、行動するように作られていることを
実感します。東に面したガラス窓の多い玄関の部屋で
小一時間本を読むことを日課にしています。
(今、時代小説にはまっています)ふと本を小脇に置いて、
眼鏡をはずし何も考えず、ボーッとすると、目にするものは、
ぼやけていますが、鳥のさえずりと車の通過音が、
ときおり鮮明に聞こえてきます。しかも五感が、
研(と)ぎ澄まされるように感じられてきます。
朝起きて、世の中の人と同様な習慣を、心掛け、
実践することで、気持ちが落ち着くのです。
そのおかげで、妻の《喜び》(ほんの少しの元気)を理解でき、
僕も喜ぶことが出来たのでしょう。たかが平凡な日常の1日に
張り合いが出るのです。(普段よりも早起きは、三文の得です)
「よーし、今日もがんばるぞー」って。
しかし現実の生活は今もって、心配事、不安や不満は
数えあげれば、尽きませんが、朝食前のこのいっとき、
《喜び》、《平安》を感じることができて
なんだか少し幸せなのです。
人の元気そうな顔つきを見るだけで、その訳を聞かなくても
喜ばしいことがあったことが理解できます。
現実には自分自身に、たとえ大きな金や仕事が入ってこなくても
気分だけでも、
他人の《喜び》も自分の《喜び》に感じられるようになれば
人は、人生の《喜び》には不自由しません。
を再発見した朝の出来事でした。
今日はここまで。近藤浩二でした。
ではまた。