高校野球

 

ーーーーザッ、ザザッ、----

「シュ、ビューン」。「ザッ、カキーーン」。

----ワオー、ワオー、--ーー歓声が上がります。

小さな白球が、力強く弾かれ、直線を引いて、

誰も居ない空間を飛んでいきました。。

広い球場は、密度の濃い人々で、大きな歓声に

沸きかえっています。

マウンド上では、ピッチャーが、うなだれてその場に

倒れ込んでいます。

今、ホームベースを踏みました。

審判がそれを見届けました。

ホームベース付近では選手たちが喜びあって

雄叫(おたけ)びをあげています。

ーーーーやりました!ーー 近藤くんーーーー

ーーーーさよならヒットです。----

「今のどうでしたか、野村さん」

「いやー、信じられません」、

「ほんとに、よく打ちましたね」

「見事でした」

「西条高校優勝しました」


今年の春の選抜野球は大阪桐蔭の優勝で幕を閉じました。

僕は高校野球が大好きで、無条件で視聴します。

僕は子供の頃、将来なりたかった、

《なりたかった》、っていうのは適切じゃないです、

やりたいと思っていたことのひとつに

野球、高校野球があったのでした。

いまだに興味は失うことなく、野球が一番恋しくなって

我を忘れて見入ってしまいます。

 

昔、ひとりでよく、バットやグラブとボールを持って、

ある場面を空想しながら、独り言を言って、

ヒーローになった、自分の姿を想像して、悦に入って

幸福感を味わっていたのでした。

地元の高校は、夏の選手権で全国制覇も成しえた

古豪なのです。地元は野球熱が半端じゃない。


子供の頃から身軽で俊敏で、水泳以外のスポーツは得意で

大好きだった僕。しかしです。人生はやはり単純じゃない。

 

簡単で単純じゃないから、100年近くの長さで、面白い。

 

同級生の中でも、なかなか大きくなれずに

背が低くて小さく、力の弱かった自分。

力強さの感じられない線の細かった自分。

力の限り投げつけても、遠くまで飛ばないボール。

幾度もバットを振っても、外野の上を超えないボール。

小学生の頃、幾度かの試合でチームに迷惑をかけて嫌気がさして

最後には練習を放り投げて、なんと逃げ出す始末。

失敗を繰り返すたびに、僕の自信もプライドも縮こまって、

ズタズタで、萎縮(いしゅく)してしまいました。

 

過去に手痛い、心に負った傷のせいで、

それ以来心を武装して、

確信の持てないものには、二の足を踏んでしまいます。

 

結果気持ちが廃(すた)れて、部活動は敬遠して、

学生時代は帰宅部。体格面において、大きな不利は否めず、

本能的に、運動においての、大成の見込みは、

悲観的にならざるを得ず、信じたくない、

受け入れたくない現実を、受け入れ、

大好きな運動は、趣味、楽しみの程度に、

とどめようとの考えに至りました。

 

人間、

容赦のない運命に抗(あらが)うことは得策ではありません。

 

どのような道を選んでも、運命は必ず、道のどこかで正面向いて

待ち受けているのです。

 

小さい子供の頃、大好きなおやつが、「かたくりこ」を

お湯で溶かして砂糖を加えたゼリーでした。

それを食べさせてもらうためには、どんな辛いことでも、

我慢した記憶があります。いつかから「しつけ」でやられた、

今もって背中に跡が残っている《やいと》

でもそれが食べたくて、あの熱さにいつまでも耐えていました。

現在なら、何の不自由もなく栄養満点になれるのに。

食生活の影響が大きかったでしょうが、

誰のせいでもありません。それが僕の運命なのでしょう。


人には「得手」、「不得手」があるのです。

 

絶対、どうすることもできない「向き」、「不向き」、

があるのです。おそらくそれは、

満天の星空からたった一粒を見つけ出す奇跡かも。

でもわかっていても、人は無謀にも、追いかける時もあります。

ただ好きで、手っ取り早いというだけで、

標的になりやすいのです。好きなことを追い求めることは

自分自身を取り戻すための、試練だと正当化して

さらに事態を悪化させてしまう場合が多い気がします。

僕は、今となっては、入り口を間違えずに良かったかな。

 

でも今もって「得手」「向き」の手がかりが、、、

一体、どこに?

 

その手がかりが案外、神様仏様とか、そういうのよりも、

毎日の行動の指針を、示してくれるものかもしれません。

 

人生の仕掛けは、かなり手が込んで、極めて巧妙なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

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