人生で最高に感じる幸福感とは??

小学校の同級生に会いました。

同級会以来でした。

彼から、ある同級生の「死」を知らされました。

遺書のない「自殺」でした。

これで僕の身の周りで自殺者は二人目でした。

人はなぜ生きているのだろうか?


ただ「殺されなかっただけ。」と言えるのでは。

何かの病気、何かの事故、飢餓(きが)に、他人に、自分に、なのだ。

一部の人達を除いて、

ほとんどの人達は、特別な「生」や、

「死」の実感も無く

ただ漠然と眠って、食して、

何かの目的に向かって行動して

の繰り返しではないのでしょうか?

三島由紀夫は「《もう死んでしまうかもしれない》と言った

極限状態を経験しないと

《本当に生きているという実感》や、

《生きることの本質》は知り得ない」と、言う様な事を

発言していたように記憶している。


ある哲学者が「不幸を知らない者は本当の幸福も知ることは出来ない。」と言っていたが、どうなのだろう。

相反する二つの事柄をどちらも経験してみないことには、

物事の《本質》を知ることは出来ないのかもしれない。

だから「幸福」の本質を知るには、

「不幸」も知り得た者にしか理解出来ないのかもしれない。

ただ漠然と緊張感無く生活している時に、

最も幸せそうな時には

人は本当の幸福は味わえないのかもしれない。

最高のぜいの限りを尽くした食事を摂(と)ったもしても。

最高に愛した人と結ばれたとしても。

苦しく辛い努力の果てに栄光を勝ち得たとしても。

何万人に祝福、称賛されたとしても。

どれもまだ経験したこと無いモノばかりで

それだけで十分幸福を実感できそうではあるのだが。


思うに、最高の幸福感は、

● 医者に余命を宣告されて死んでしまうまでの間に

味わったほんの小さな幸福感を、、、、、

● 戦争中に今日か明日かもしれない「死」の恐怖の最中に

味わう美味しい食事を、、、、、

● もう死んでしまおうと決意して死んでしまうまでに

味わった快楽を、、、、、

言い換えるなら。

死に際(きわ)に口にする、

「末期の水」の一口の美味しさ。

逝(い)く間際(まぎわ)に、故(ゆえ)あって結ばれなかった

愛する人と

結ばれた恍惚感(こうこつかん)。


ってことは、もう既に死んでいった者しか

本当の幸福感は味わえてないのかもしれない。

そうするとくだんの彼は

本当の幸福を味わうことが

出来たのだろうか?

死にいく彼には、問うことは出来ない。

しかも逝(い)った彼にも、

問うことは、もう出来ない。

その幸福感やまだ視(み)ない世界を

実感出来たり、見ることが出来るのは

先に逝(い)った者たちの

「特権」なのかもしれない気がする。

それはそれでとっても

虚しい、寂しい気がする。

「幸福」の定義がどうであれ、

比較や比喩でしか

体感し難い感情なのかもしれない。

物事は知れば知るほど

相対的な表現が多くなる気がする。

言葉が「曖昧(あいまい)」である限り、

「幸福」の定義は人によってまちまちなのです。

ですから言葉で表現されれば

個人各々(おのおの)の思い描く景色は十人十色。

物事を絶対的に特定することは、

言葉だけでは困難なのですから。

どこまで行っても「もやもや感」は永遠に残ります。

 

ある貧困で、みすぼらしい賃貸住宅に住んでいる、

日雇いの肉体労働者の、男が毎日

一杯のお酒を飲むため

お金を毎日計算して支出をやりくりしているとする。

そのお金のやりくりの計画に抜けがない。完璧だったとする。

毎日仕事終わりに必ず

百円程の安いお酒を

購入するだけのお金の余裕があって

その生活に滞(とどこお)りがない。

わずかだがもっと美味しいお酒を飲めるように、

貯金も少し出来るようになった。

だがあるときその男は

肝臓を悪くしてお酒を飲めなくなった。

悪い事に医者の見立てによれば

完治は困難とのことであった。

困り果てた男は直してくれる病院を探し始めた。

一週間ほど経ってその病院が見つかった。

仕事も辞めて2週間ほど

入院して節制に努めた。

療養はひと月順調に進み、

完治のあかつきには

また美味しいお酒が飲めるものと、

わくわくしていた。

しかし入院1か月で医者が、

やぶ医者だと判明した。

やぶ医者は金目当てのやり手で、

うまくお金を男から、かすめ取っていた。

そして目標額が貯まると、

行方をくらました。

男は絶望的な気持ちになり

精神的ショックから

何もする気が起こらない。

しかもまだ肝臓の調子が良くない。

財産がなくなり、お酒を買うお金どころか

家賃を払うお金ももうない。

つまりお酒ばかりか眠る場所もない。

明日には家賃取りがやってくる。

そんななか、男は家路に向かう。

家の前のお酒の自動販売機の前に立ち尽くして、雄たけびを上げる。

自暴自棄(じぼうじき)になって、

家に入るとお酒の瓶を拾い集めて、

おちょこ一杯のお酒が集まった。

男は一気に飲み干した。

今日、明日肝臓を悪くして、

死んでしまうかもしれない瀬戸際で飲む

飲酒行為は数秒で終わったが、

その美味しさは、

かつて毎日

仕事終わりに飲むお酒より

はるかに美味しい気持ち良いものであった。

そのとき男は

毎日仕事終わりに飲む

飲酒行為の習慣にこそ、

不幸の元凶があったと知るが、

同時に、

幸福の本質も知るのである。

それは予定調和のなかには、

幸福の真実はないという真理である。

「’本物の幸福は、計算された渦中(かちゅう)にはなく、

明日も生きられるかどうか、

分からないとなったときの

極限状態にある。」

男は、また明日

生きていく希望が生まれたのであった。


《最初の案はこちらでした》

男は、様態が急変して

恍惚(こうこつ)の表情を浮かべて

静かに息を引き取った。


世間が認める組織に

自分も加われば人生は保証される可能性は高い。

けれどもその場所に

自分の幸福が無いとしたなら、、、。

苦労なのか楽なのか

どうかは、ともかくとして、

今、目の前の幸福を

先送りしていく計画性を

認知して、仕事をすることを

世間では「安定」と呼ぶのだそうだ。

「アリとキリギリス」で

アリのような人生が幸福で、

キリギリスは幸福では

無いとは言い切れないでしょう。

僕はアリのような時期も

キリギリスのような時期も経験しました。

出来れば、キリギリスのような人生を送ることが

出来るならそれが一番

幸福なのだろうと思います。

自分自身の幸福を認めてくれる人だけを

友達と呼べばいいのです。

馬鹿にする人からは

立ち去って行けばいい。

あなたの人生では、

あなたが世界で一番

大切な人なのだから。


最後に幸福に関する名言を記述して終わりにします。

じっくり噛(か)みしめて下さい。

ネットでググッてコピペします。


「人間最高の幸福とは何か」「幸せに死ぬことだ」

by アンティステヌス

この世の生活の幸福を求める私たちの計画はすべて幻想なのである。

by ルソー

 目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。

by ジッド

幸福は夢にすぎず、苦痛は現実である。

by ワイルド

 人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。

by ドストエフスキー

  幸福には翼がある。つないでおくことは難しい

by シラー

 世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方で

どうにでもなるものだ。

by シェイクスピア


今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も洋楽3曲紹介します。ではまた。


ビリージョエルでストレンジャーです。

1978年リリース。アルバム「ストレンジャー」の同名タイトル曲。米国ではシングルカットされてません。日本でのみシングルカット。アルバム「ストレンジャー」は超大ヒット。

どの曲も「起承転結」の物語が在ってほんとに名曲ぞろい。

だまされ無いですから、洋楽嫌いじゃ無い人は絶対聴くべきアルバム。

ピアノと口笛でしんみり始まり、その後エレキギターでロックしてます。

最後はイントロの余韻を残したまま、

で持ってピアノと口笛で終了します。

その後もイントロのピアノと口笛が少しの間、頭から離れない。

夜のとばりで口笛吹くなんて不謹慎だ、なんて当時思っていました。一方でこんな美しいメロディー吹いてみたいと、

一人で練習したりしたもんです。今もって出来ないでいてます。


シカゴでノーテルラバーです。

1978年リリース。息の長いスマッシュヒット。

アルバム「ホットストリート」からのセカンドシングルカット。

ボーカルのピートセテラ等メンバー3人の共作。バラード曲。

「no tell=(人に秘密など)伏せておく。秘密にしておく。」から、

「no tell lover」で「人に言えない恋人」の意味。

いくつかのメロディーを組み合わせて作られたのだろう。

でも洗練されたセンスの高さ、ハイソなムードを感じる優れた歌曲。

1967年米国シカゴで結成された、老舗(しにせ)のブラスロックバンド。


イーグルスで偽りの瞳(ラインアイズ)です。

1975年リリース。アルバム「呪われた夜」からファーストシングルカット。全米NO.2位の大ヒット。リードボーカルでリーダーのグレンフライは病気で数年前に既に他界。

カントリーフレーバーの香り漂う、聴きやすいライトなロック。

歌詞がメロディーによく乗っており、歌詞の理解出来ない人にも受け入れ易い歌曲。

「嘘をつこうとしている瞳」は隠し通せない、

「笑顔は薄っぺらなごまかし」っといった内容の歌詞。