#支離滅裂

僕って漫才好きじゃないですか?

「はーーーーい!」

あなたは好きですよ。

何が始まったのでしょう?

今日は、出だしからして、

「まとも」じゃないですよね。

人間たまに、ほんとに

バカになりたい時ってあるのです。

バカになりたいと、

いうのは適切な表現じゃないです。

バカな事をしたいのです。


正統派漫才で直球型の

「オール阪神巨人」より

多彩な変化球ばかりの理解不能な

「のりお、よしお」の方が好きなのです。


あの頭が壊れたしまったようで

修復不可能な、まったく

かみ合わない会話の連続。

しかしそれでも、

「お笑い」として成立しているのです。

毎日規定路線を、時間も厳守して

走行しなければならない、

路線バスが

たまには逸脱(いつだつ)して自由自在に

走ってみたくなるであろう、

雇われ、生真面目(きまじめ)な

バスの運転手の欲求

みたいな心境なのだろうか?

僕しばらくの間、笑い過ぎて

息が出来なくなるほどなのです。

頭の中に涼しい風が吹き抜けていく。

凄(すご)い「快感」が身体中を

電気とともに走り抜ける。

脳内から何か物質が出ているのでしょう。


人間はたとえ、どんなに、

バカみたいな話でも

不思議と

理屈に合わない会話は

出来ません。

また理解出来ない

難しい話も出来ません。

例えば、

「相対性理論」の話をされても

理論の整合性を理解し、

斬新(ざんしん)なことや、

理論の素晴らしいことを

理解できる人は数万人に一人でしょう。

きっとみんな退屈で疲れるでしょう。

一部の天才だけが

その理路整然とした理論に

この上ない美しさを視(み)るのでしょう。

そして「快感」を覚えるのです。

といって、アインシュタインに話相手が居なかったのかなと

いうと、そんなことは無いでしょう。

あれほど(どれほどなのか理解のしようもないですが)の

天才なのですから、おそらく

サヴァン症候群の一人だったと想像するに、

魅力的で人間味あふれた

心の持ち主だったのでしょう。

《舌を出して写真を撮らせているぐらいですから、

彼も「バカをしたかった」のでは。》


逆に内容はバカみたいな話であっても

話の内容の背景を知り得ない人とは

会話出来ないですよね。

《たとえ、バカを相手に

会話をするにしてもです》


内容の論理性は「相対性理論」の方が

バカみたいな話より

はるかに優(すぐ)れているでしょう。

バカみたいな内容は

論理性はまったく無くても

落語でも聴くように、

通常の記憶力とわずかな常識があれば

あいづちを打つだけでも、

楽しむことが出来て愉快なのです。

しかし論理性の無い、

バカみたいな話であっても、

辻褄(つじつま)が合っていないと

話を聴く気にさえなりません。


一方、演繹的(えんえきてき)に、

理屈が

合い過ぎて、難解過ぎる話には

論理性が完璧過ぎて、

拒絶感(きょぜつかん)を感じてしまうモノなのです。

しかしバカな話であっても

つじつまさえ、

合っていないと

嫌悪感(けんおかん)すら覚えてしまいます。


人は雑談(会話)する時に、

話の内容に貴賤(きせん)は問わないのでしょう。

そこにはただ、

つじつまが合う必要が

求められているだけなのです。

そしてその場が

楽しくて愉快であれば

それだけで満足なのです。


人間どこにも、すきの無い

「完全無欠」なものに

憧(あこが)れ、

あまりの美しさにうっとり

することも多々あります。

そしてそれを追い求めます。

しかしその「完全」なゆえに

人を遠ざけ

近づき難い

「無機質」で

「冷たさ」も感じて

愛情が持てません。

いくら「能力」があっても

「人間らしさ」の無い人とは

友達にもなりたくありませんよね。

反面

いくら愚かでバカであっても

憎めない、

愛すべき人が居ることも確かです。


歌で例えてみます。

しっくりとして、

バランスのとれた

完成された

ビートルズの歌より

グチュグチャと

寄せ集めて

ダンゴにしたような

不完全極まりない歌を

歌っている

ローリングストーズに

惹(ひ)かれてしまう

ファン心理とでも言いましょうか。

《ストーンズがビートルズより音楽的に劣っている》

と言ってるわけでは毛頭ありません。

ただ単に好みの問題です。

でも少し違うかな。


「バカな事をやりたい」

人の心理状態は

どのようなものなのだろうか?

ここで、完成されたヒビ割れの無い

お皿や陶器を観て

美しいと鑑賞する「喜び」を

抱(いだ)くこともあるでしょう。

でも、その「完成品」を観(み)て

石や岩や壁に、

投げつけて「破壊」したいと

思うバカな欲求

を考える時もあります。

健全な精神の持ち主なら

絶対手を付けない行為です。

《一時の衝動(感情)より理性が打ち勝ちます》

しかしただの、とんでもない

バカ者ならば

なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく

平気でできてしまう

バカな行為です。

《理性が働きにくい精神状態の人の場合》


完璧な論理性の思考回路を

求め続けられると、

人間はそこから

外れた脱線した

迂回路(うかいろ)を欲するのでしょう。

その論理性が高ければ高いほど

その欲求は激しいのです。

そして迂回路を作ろうとする時に、

不思議と再び

「論理的」に考えてしまい

自分をさらに、

追い込んでしまうのです。

そこで、それを回避させようと

自分の頭の中の思考回路を

「破壊」しようとする

バカな「欲求」が働くのでしょう。

「破壊」と言うよりも

「ショートカット」の方が適切かな?

そしてその時に

ある種の「快感」を

実感することが出来るのです。

その時に、大きな重荷から

解き放たれて

自由になった、新たな自分を発見し

改めて生きている喜びを

感じることが出来るのです。


ホリエモンこと堀江貴文の

著書に「バカは最強の法則」だったかな

がありますが、

バカは鈍感なので失敗したことに気づかず

何度もバッターボックスに立つことができるのです。

そのため成功の確率が上がるのだそうです。

一流のバッターでも打率3割ちょっとです。

最低でも、バットを振らない事には始まりません。


だったらバカになれば良い!

さあ、一緒にバカになりますか?


今日の話の整合性は

左上、斜め75度くらいずれていますね。

しかも少し論点も、

はずれているようですが

そこは「バカをしてみたい欲求」の

ひとつとして寛大な心

で読み進めて下さい。

不完全の美ってか?

南無阿弥陀仏!!

結果内容、なんか支離滅裂(しりめつれつ)


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も洋楽3曲紹介します。


フリートウッドマックでホールドミーです。

1982年リリース。全米NO.4位。

アルバム「ミラージュ」からシングルカット。

女性キーボード奏者のクリスティンの作品。

前作アルバム「ルーモア(噂)」は名盤。

大学生時代、友人間借りの狭い部屋で

炬燵(こたつ)で暖を摂りながら

テイクアウトの牛丼食べて、手持ちの最後の一本の煙草、くもらせながら、

コーヒー飲んでいました。

徹夜マージャン打ちながら

当時友人が頻繁にカセットで流していました。

この曲聞くと、閉め切った部屋で

煙草(たばこ)の煙でくもりきった空間で

息も絶え絶えの生活をしているような

閉塞感(へいそくかん)を思い出します。

もう二度と出来ない生活でしょう。


ボストンで、宇宙の彼方へです。

1976年リリース。全米NO.5位。

デビューアルバム「幻想飛行」からファーストシングルカット。

ボストンのデビュー曲。リーダーのトムシュルツの作品。

彼は名門のMIT卒業。ポラロイドに入社。

在職時「幻想飛行」は彼一人で自宅のスタジオでデモテープ録音。その後エピック社の目にとまり契約、デビューとなりました。シンセサイザーは使用しておらず、この重厚なサウンド。

完璧主義者で本物のエンジニアです。

ボストン号と言う名の宇宙船に乗り込んで宇宙をさまようといった姿がグループのイメージ。

まさにイメージそのままの曲。

原題は「more than a feeling」

「感覚を超えて、感覚以上」の意味。

アルバム「幻想飛行」はバカ売れ。


イーグルスで、ならず者です。

1973年リリース。シングルカットはされず。

様々な場面で使用される名曲。カバー曲多数。人気の曲。

2作目のアルバム「ならず者」A面最後に収録。

この曲を聴くと、不毛な広い荒野に

どこまでも続く長い一本道を

あても無く、独りで歩いている自分の姿が、

ふと頭に思い浮かぶ。なぜだろう。


 

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