文章を書くという作業とは??

ブログを初めて約一年が経過しようとしています。

それ以前に10月の初旬にホームページを公開しました。

ネットの世界に自分達の名前と顔写真を公開しているのです。

去年の10月26日からブログデビューしました。

自分自身の事ながら、

よく続いているものだと

不思議で仕方ありません。


子供の頃から、作文とか文章化は

ひいき目に見ても、

得意とは言えませんでした。

しかも書くことが

好きでは無かったのでした。

どちらと言えば

嫌いだったはずなのでした。

《面倒くさいと感じていたのでした。》

《算数は得意で好きだったのですが。》

しかし現在では不思議なことに、

書くことが、それほど

苦痛では無くなっています。

むしろどちらかと言えば

楽しいのです。

不思議です。

加えて自分の意図する

文章が仕上がると、

えもいわれぬ恍惚感(こうこつかん)があるのです。

《エクスタシー》を感じてしまうのです。

この気持ちの豹変(ひょうへん)は

一体何なのでしょうか?


書くことが好きになるまで、

ただひたすら無理に書き続けたのです。

《と言うのは全くのウソです。》

自己暗示にかけてもらったのです。

《これも当然ウソです。》

バカはやめましょう。


考えるに、

書くという作業環境の変化でしょう。

「書く」と言う作業が

昔に比べて現在は、

はるかに、やり易くなったのです。

一番に挙げられる、

子供の頃と現在の大きな違いの一つは

ツールの変化でしょう。

道具の違いなのです。

頭の中で思考して、

書いていくという

手順は今も昔も同じです。

ここで、

昔は書く(記録する)、

といった作業が

鉛筆かシャープペンシルのどちらかで

紙に書くだけだったのでした。

修正はいびつな小さな

消しゴムだけでした。

今考えると、

これはすこぶる《非効率》なのでしょう。


頭の中の思考の世界は

おそらく秒速でしょう。

しかも思考は絶えず

秒速で変化していきます。

書く作業は絶対

思考のスピードに

は遠く及びません。

そして小さな子供に

そうそう《論理的》(ロジック)

な思考回路はありません。

ですから書き始めて、そのまま

一気に書き終えて

完成させてしまう、

可能性は限りなく

ゼロに近いでしょう。

一度、ほんの少し書いては

再び考え直して、

消して修正する。

その作業を

幾度も幾度も繰り返す。

その結果、真白い紙は

薄汚れ、

最悪破れてしまいます。

二度と読み返そうとは思いません。

結局嫌になって、

挫折して投げ出してしまいます。

結果、完成しません。

昔はそのような状況だったのでした。


それでも書くことが好きな人は

続けることが出来るのでしょう。

でもそれが出来る子供は、

ほんの一握りだったでしょう。

例にもれず、僕も当然

そのような子供では無いのでした。

そうなのです。

書くことが嫌いになって、

たびたび書こうとは思わなかったのです。

そう考えると、昔の時代に

書くということを

生業(なりわい)とされていた

作家の人達は本当に

天職だったのだと思われます。


僕自身ちょっと前まで、20年ほど前から

コンピューターとディスプレイを目の前に

全体像と詳細も

そこそこ頭で考えて

その後、

マウスで追って、

キーボードで叩いて

打ち込んでいく。

ところどころで保存していく。

そして見返して

精査(せいさ)を繰り返し

《不完全》といった部分を

書き直し、修正する。

といった作業を

繰り返し繰り返して

ひとつひとつの図面を作成していく。

そして最終的に、

構想を数枚の紙の上に描いて

ひとつの作品を

完成させていくという作業を

十年以上続けて来たのでした。

そのため、コンピューターとディスプレイを前に

論理的に思考を

積み上げていく方法に

慣れてきたのでした。


その結果、

目的地をマウスで追って、

キーボードを叩いて入力するという

作業が楽で

ストレス無しでリラックス出来て、

その思考方法が習慣として

身に付いているのでした。

結局、今でも

長時間書くときは

パソコンを使用して

マウスで追って、

キーボードを叩いて

打ち込まないと作業がはかどりません。

この方法でしか出来ないのです。

スマホやタブレットでは

僕はほとんど何も出来ないのです。

《それが出来る人には本当に尊敬します。》


理屈で考えると

ワープロでも出来ると思われるかもです。

現在のネットにつながった

コンピューターで無いと無理なのです。

また便利なことに最近は

コンピューターがネットに常につながっています。

ですから自分の中で不安で

不確かな言葉や表現方法があると

書くという作業と同時進行で

ネットで言葉などを

調べることが簡単に

しかも手早く出来ます。

《辞書を手元に置いて

引いて調べる作業が効率よく

ネットで出来るのです》


加えて人間は自分が

思いついた事柄であっても

別の事柄を考え始めると、

ちょっと前の事柄を、

すぐ忘れてしまって

思い出すことが

困難になってしまいます。

しかしながら思いついた

アイデアを即座に

いったんコンピューターに書き込んで

保存しておけば、

とりあえず安心です。

後でじっくり見直して、

つなぎ合わせれば

以外と辻褄(つじつま)が

合ってしまうものなのです。

不思議なことに。

はみ出されたアイデアは

まったく別の事柄に当てはめることも

不思議と出来るのです。


また僕は毎日ブログを投稿することが出来ません。

何度か挑戦はしてみましたが、

自分で無理だと自覚しました。

これは性格と

以前の職業病によるものでしょう。

と言うのも、一度投稿した記事を、

時間が経過して、

特に、日を改めて読んだ時に、

添削をする感覚で読み返してしまうのです。

粗(あら)を探してしまうというのか、

不完全なところが直ぐに

目に入って気になるのです。

でも厄介なことに

《一度投稿した物を、

時間が経った後で、

修正するのも、気が乗らない。

罪悪感を感じてしまいます。》


たとえ、たかがブログの記事ひとつであっても

自分にとっては

とても大切な作品なのです。

他人の目に触れてしまう物を

自分で感じているだけかもですが、

《不完全》な状態でさらけ出すことに

恥ずかしくなるのです。

ただの自己満足の世界ですが、

ある程度の時間(2時間ほど)を掛けて

丁寧に、じっくり

熟考(じゅっこう)したいのです。


空想、妄想、想像、等

頭の中で思考することは嫌いではありません。

どちらかと言えば考えることは好きです。

ただ文章を書くということを

自分自身、重く受け止め過ぎているのかもしれません。


教育現場も今もって

時代錯誤のように

鉛筆で書く作業を重要視しているようです。

そろそろ卒業させて

キーボードで打ち込む方法に

転換しても

良い時期ではと思います。


最後にこれだけは

強く言わせて下さい。

言い訳になるかもしれません。

だからといって、

僕が投稿したものがいつも

必ず完成されたもの

では当然ありません。

くれぐれも誤解しないで下さい。

人間は誰でも

思わぬ時に

過ち(失敗)を犯します。


でも自分自身の思考を

書いて文章化してみて気づいた事。

  • 自分の頭の中が一遍で見渡すことが出来ます。
  • 思考を映像で把握出来ます。
  • 頭の中がすっきりします。
  • 公開することで自分を客観視出来ます。
  • 思考することが楽に出来ます。
  • 書くことが苦痛に、厄介に考えなく出来ます。

だから皆さんも!

書くことをもっと気楽に

始めてみませんか?


ではまた。ここまで。近藤浩二でした。

今日も最後に

洋楽3曲紹介します。


REOスピードワゴンで涙のフィーリングです。

1985年リリース。3週連続全米NO.1大ヒット。

ボーカルのケビンの作品。珠玉のラブソング。

アルバム「ウォイールズアーターニン」からセカンドシングルカット。A面一曲目。

社会人の時、24時間のチャリティーコンサートのライブ映像で

早朝にテレビで聞いて、直ぐに好きになりました。

この一曲が聞きたい、ためだけにLPレコード購入しました。

かなりお気に入りです。


アンマレーでダニーズソングです。

1972年リリース。全米NO.7位 カバー曲。原曲よりヒット。

原曲は作者のケニーロギンスのグループ、ロギンスアンドメッシーナ1971年発表。ライブの定番曲。

その時観客と一緒に「Even though we a’int got money♪」と歌い、大声で観客が「gonna be alright♪」で締める、というのがライブの定番。

就職一年目に同僚と大阪厚生年金ホールで、

ケニーロギンス、外タレのソロライブを初体験。

その帰りに大阪王将も初体験。夜間の高速ドライブも初体験。

どれも「モノホン」はやっぱり違うと大いに感激しました。

けど大阪王将の味はいまいちだったと思いました。


イーグルスでサッドカフェです。

1979年リリース。

大ヒットアルバム「ロングラン」のB面5曲目最後に収録。旧友のJDサウザーも曲作りに参加。

スローなバラードながら、アコースティックギターの乾いた音と、スティールドラムの小気味よいリズムが

曲全体を引き締めている。

曲終盤に名手デビットサンボーンのサックスソロがとても印象的。

サッドカフェとは、まだ売れてない時代に

同じミュージシャン仲間とよく出入りしていた

カフェの代名詞。

当時レコード聞き過ぎて、

同じLPレコード2枚購入しました。