私には、姉がふたりいます。

2歳づつ離れて、生まれたので 小学校の時の参観日、母は大忙し。

それも楽しかったのかも知れません。

あの頃の参観日は、どのお母さんもプ~ンとお化粧の匂いをさせて、着物を着てくるお母さんも会ったほど…。

「学校の先生」っていうのが、また権威も持っていたような氣もします。

私は姉たちといっぱい喧嘩もしました。

すぐ上の姉は一番喧嘩したかもしれません。

3人姉妹なので、1:2で戦う(笑)ことが多かったかも…。様々な組み合わせで…(笑)

中学校の時は、すぐ上の姉と手を繋いで学校に行ってました。

あたりまえに手を繋ぎ登校してたところを、誰かに「仲イイね~」と言われて、ん?仲は良くないけど…(笑)手、繋いでる!!と…。

私は、妹がいないので 姉の氣持ちはわかりません。

でも生まれた時から、いる姉。

姉としたら、一人っ子だったのに妹が出来て、また一人で来て…

「姉ちゃんなんだから…と言われて。」

すぐ上の姉も、わたしが生まれてなければ、末っ子。

もっと両親に甘えられたかも知れません。

姉妹って不思議です。

前世ではどんな関係だったんでしょうか?知ったところで、何が変わるわけでも無いですが、今回の人生では 私は生まれた時から姉がいます。

私の旦那様は、すぐ上の姉と同級生です。

だから、姉のことを「みちこ」と呼び捨てにします。

姉の旦那様は、姉のことを「みちこちゃんとかお母さん」と呼ぶのに・・・。

私たちが新婚旅行から帰って、お土産を持って行った時 私の旦那様に「我が儘な子やけど、我慢してね」と言ったとか…。

姉は、我が儘な妹という見方をしてたんだと、その時初めて知りました。

うちの姉たちは、市内の伝統ある進学高校にふたりとも行きました。

お勉強も出来てました。

私は…というと、自分の予想に反して全く成績が悪く、それと姉と同じ学校に行って、「~の妹」と言われ続けてきた小・中学校の頃がイヤで、

誰も私のことを知らないところに行きたい!!という思いも手伝い、電車に乗って隣の市の商業高校に通いました。

姉がいなかったら、高校の選択も違ってたかも知れないですが、母は頭のいい姉たちの方が自慢でした。

自分が選び進んだ高校を卒業したことは、私の選択に自信が出来た一番最初の出来事だったかも知れません。

姉たちは、受験勉強をして短大に進みました。

母は、女の子は短大で十分という考えでしたし、長女に至っては四国から外に出ることはNGという感じでした。

私は…というと、商業科だったので進学するにしても、専門学校の方に興味あり、勉強も嫌いなのに短大に行くことは選択肢になく…。

私は、あまり母に相談はしてませんでした。

高校3年の夏、先生と母と私の3人で三者面談の際、私が専門学校に行きたい!!と言うと、母は「専門学校は学校じゃない…」と。

今 思えば、え~って感じですが、昭和8年生まれの母は典型的な学歴重視の時代に子育てをしたことで、そういう思い込みがあった様で・・・。

高校進学の時も、わたしが隣の市の商業高校に行きたいと言った時、猛反対。市内にも学校があるんだから…と。

中学校の時も、高校の時も、担任の先生は私の氣持ちを察してくれて、母を説得してくれました。

3人目だったからこそ、自由な選択が出来たのかも知れません。

結局短大にも、専門学校も行かず、あのやりとりを見ていた学校の先生が紹介してくれた会社に就職することになり、姉たちよりも一足早く運転免許も取り、OLになったのですから…本当に末っ子だったからの選択なのかも知れません。

高校の卒業式の後、母が「この高校に来れて良かったね」と、言ってくれたことは本当に嬉しかったです。

姉たちがいるおかげで、両親の介護も落ち着いて出来たのかも知れません。

上の姉は、私のやっている水素風呂早々に一緒にやり始め…すぐ上の姉も今日一緒に始めようか!!って事で、60歳を前に3姉妹でまた新しい世界が広がりそうで、今日何だかワクワクです。

3姉妹…3人違ってみんないい!!

3と言う数字は、今の私にはちょっとしたキーポイント。

水素・酸素・カイロ

オステ・バーズ・カイロ そして

けいこ・みちこ・ちえこ

父・子・聖霊

そして、先日勤労奉仕に行った友達が送ってくれた★★★星3ッつオリオン星が描かれた夫婦揃いのお箸。

1の今年、トリニティー三位一体がポイントになるのでしょうか。

3人姉妹と言えば、かしまし娘(笑)

 

 

セレンディピティー

数年前、ニュートリノの検出でノーベル賞を受賞した小柴博士が、受賞会見の中こんな風に言われた、

「ニュートリノを観測するために、作られたものではなく、いくつもの偶然が重なった、まさにセレンディピティによる成功だった。やれば出来る…。長い期間準備し、自ら招き寄せたとてつもない幸運…。」

この時、初めて耳にした「セレンディピティ―」という言葉に 何だか凄い魅力を感じ…メモ。

Wikipediaによると、こう書かれている。

セレンディピティとは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

よくいう「引き寄せ力」

人と人の出逢いも偶然のようで、偶然でなくて そこから始まる不思議な世界。

三重の赤塚さんがお話の中で、1日に新しい人10人と出会い続けて行った時、1億2000万人の人全てと出会うには、何年かかるか?と・・・。

1年で3650人
10年で3万6500人
100年で36万5000人
1000年で365万人
1万年で3650万人
2万年で7,300万人
3万年で1億950万人

日本の人口1億2000万人に出会うためには、約3万2000年以上かかるのだと…

では、この地球に住む世界中の人々と出会うためにはどのくらいかかってしまうのか?

ニュートリノの検出も凄いけれど、人が人と出会う奇跡…引き寄せも偶然ではなく、幸運に向けてのセレンディピティ。

そして、昨年末から書き始めたブログの中でも 書いてるうちに
「あっ!これも書いておこう!!」
と書き始めたこととは別のことを書いてたり…。

また、今までは文章にしたこともなく カイロの施術中話す言葉の中で、「あっ!今 わたしいいこと言ってるな~(笑)」なんて、思いながら後で思い出そうとしても言葉が出て来なかったりして…。

実は昨日「カレーライス」のことを書いてたのに、最後は聖書の中「砂漠よ喜び 花を咲かせよ」と…書かされている(笑)

数年前から、聖書や古事記、皇室やエドガー・ケイシー、介護のことやカイロのこと…様々な経験の中 いろんなことが点となって残され、繋がってきている今…。

未来におこる何かのために、今準備させられてるのかも知れないと思うとワクワクする。

人生も出会いも、面白い…。

今日はあの小田 和正氏の名曲「ラブストーリーは突然に」

小さな幸せ

昨日の夜から、カレーを作りました。

骨付きの鶏肉を、炒めた野菜と一緒にコトコト…コトコト煮ると、野菜と鶏肉から美味しいダシも出てきます。

そして、今朝 鶏肉の骨を取り出し 市販のルーを3種類混ぜて出来上がり。

我が家では、エドガー・ケイシーを知って以来、炭水化物同士の食べ合わせは、消化に良くないそうなので…カレーにジャガイモは入れなくなりました。

炭水化物同士のラーメンとチャーハンは一緒に食べることはあるので…かなり身勝手な実践ですが…。

小学校の時 誰のお誕生会に行っても、カレーライスが出て来てました。

どこの家も、ジャガイモと玉ねぎと人参そしてバラ肉で作られた昭和のカレーライス。

でも、小学6年生の頃だったでしょうか?

回り廊下のある大きなお家に住んでる友達のお誕生会に行った時、やはりカレーライスが出て来たんですが、ルーの上に生卵の黄身がのってあり、

「お金持ちの家は、卵の黄身をのせて食べるんだ!!」と感動。

その日から、何度かカレーに生卵の黄身だけをのせて、お金持ちの真似をしてた頃が懐かしいです。

小学生の頃デパートの屋上のレストランで食べるのも、必ずカレーライスを注文してもらってました。

あの銀の容器に別に注がれて運ばれてくる、家とは違うデパートならではのライスカレー。

そう…カレーライスではなく、ライスカレーという方が似合うカレー(笑)

今、考えると幼いあの頃。小さな幸せな日々…。

坂村 真民さんの

何も知らなかった あの 素直さにかえりたい

一杯のお茶にも手を合わせて頂いた日の

あのはじめの日に かえりたい

この詩のように、誰かと比べることも 何に捕らわれることもなく

ただ感謝だけで過ごすことは、もう少し年を取らないと悟れないでしょうか?

人は裸で生まれ 裸で死んで行く。

人の一生、どんなに財産を築こうが、金銀財宝を倉に山のように溜め込もうが 高価な宝石を買い集めようが

死ぬときはその金銀財宝、地位も名誉も持って行くことは出来ない。

ならばなぜ、この世に地位や名誉、財産などがあるのか?

持って行くことの出来ない数々のモノのために…。

その得たものを、どう使うか?

…なのかも知れない。

世間で有名になり、鼻高々になっても所詮は魂の修業のために生まれてきた者。

そこで、傲慢になったとしたら…神さまの思う壺。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉通り、立派な人 できた人ほど謙虚でどんな人からも愛される。

きっと人知れず夢に向かって自分の思いを手に入れた人だからこそ、謙虚なのではないかと思う。

あの松下幸之助さんなどは、お会いしたことはないけれど、丁稚時代もあり そしてまた自分の思いを実現させて行った先に 多くの人々の支えもあり 世で言う成功者になったのだと思う。

感謝すれば成功するんだったら、もっともっとたくさんの人が成功してるに違いない。

魂が震えるほどの感謝を知るかどうか。

何かしてもらったら「ありがとう」と言葉で表現されるけれど、この「ありがとう」に思いがどれだけのるか。

魂が震えるほどの感謝を人生で何度味わえるんだろうか?

先に詠んだ詩の中の杯のお茶にも手を合わせて頂いたあの日」

渇いた砂漠のなかで、飲む一杯の水のようなものでしょうか。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」

モノが豊かな時代…だからこそ渇いてしまう魂。

旧約聖書イザヤ書35章の中

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。

と、あり水の無い砂漠の中だからこそ咲く花が…尊く美しい。

そして、新約聖書マタイによる福音書5章の中、イエス様が群衆に向かって言ったこの言葉。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

この世の地位も名誉も財産も金銀財宝も、そこに至るまでのプロセスの中、武士道にもしめされる

・仁(思いやり)
・義(正義)
・礼(礼節)
・智(叡智工夫)
・信(信頼)
・忠(誠をつくし)
・孝(目上の者を大切に)

を肝に銘じ、鞭打たれても、父なる神に対して 仁・義・礼・智・信・忠・孝を尽くし、まことの侍であった2017年前に生まれたひとりの男性。

今この肉体を持ってしか出来ないこと、この世でしか出来ないこと、心弾ませて…。

ひとり一人が、神の愛と恵みと慈しみによって、生まれて来たのだから…。

森山  良子さんが歌う讃美歌 「緑も深き」

 

 

 

 

オステとバーズ®

昨年2月、偶然知り合ったフランス人のグレゴリー氏と日本人の奥様。

ふたりは、ベトナムで出会い結婚。

その後、女の子を出産。

日本で子供を育てていきたい…っていう事で、住むところを探してたところ、環境や便利さも含め、誰も知り合いもいない中、愛媛・西条に住むことを決めたのだとか…。

グレゴリー氏は、「オステオパシー」の療法家。

私自身が、カイロプラクティックをしていることから、オステオパシーという療法のことは知っており、アメリカやカナダもちろん彼の国フランスでも国家資格での療法。

カイロプラクティックは、骨格をメインに整えていきますが、オステオパシーは筋膜の硬縮やストレスに対する緩和なのでしょうか?

そして、どちらも解剖学・生理学・生体力学など明らかにされた身体へ、薬や機械を使うことなく、手でアプローチしていく療法。

一度、オステオパシーを受けてみたいと思っていた所に、しっかりとフランスで国家資格を習得したグレゴリー氏に出会わせて頂き、昨年2月すぐに行ってみたいと思いながら、初めて行けたのが昨年11月頃。

奥様が通訳してくれての問診。そして、施術。

正直、びっくりしました。

私自身、小学校3年生の時 盲腸の手術をしており また30歳のころ右膝の前十字靭帯再建手術。

この昔々の手術の後が、筋膜に影響を与え…その奥の骨格にまで影響が出てきてたとは…。

右の下腹部、盲腸の跡の筋膜をジワ~と緩めていき その後、膝の再建手術で靭帯を移植した大腿四頭筋の疲労をなだめるように、緩めていき…。

そして、足首や膝の今まで氣になりながらも 自分ではどうしても思うような動きを出せなかった自分自身の身体。

私自身が、幽体離脱でも出来て 自分の身体の歪みを整えていきたいな~といつも思ってたところで出会ったオステオパシーの先生。

的確な施術であるにもかかわらず、やはり時が経つとまた筋膜や骨格にひずみが出て戻ってしまうのは仕方のないことではあるけれど、

私自身、最大に自身の自然治癒能力が発揮される就寝時、筋肉を緩めてくれる寝具も使っており、普通の人よりは元に戻るのもきっと遅いと思うのだけど、

やはり身体がギシギシと不快感を感じてきた今年の初め、知人が昨年から本格的勉強し、3回ほど受けさせてもらってた脳のデトックス「アクセスバーズ®」の4回目のセッション。

このバーズ®は、我々療法家が嫉妬してしまうほど、簡単な技法で短時間に痛みを解放してくれ、夜もぐっすりと眠ることが出来るという優れもの。

1月初めに受けたその日も、身体がギシギシしていた所がスッキリし、頸椎も楽に!!

そして、バーズ®を受けて、1週間もしないうちに 昨年より予約していたオステオパシーの先生に施術を受けに行ったのだけど、

身体がスッキリしていたため、氣になる箇所もなく、アクセスバーズ®というものを受けて痛みやギシギシしてたところが解放されたっていうことも伝えました。

通訳してくれる奥さんに、「何だかバーズに嫉妬したんですよね」って言うと、英語で旦那様に

「shi  has  jealousy」と…。

そうそう…その表現。ジェラシー!ジェラシー!!

っていうことで、その日の施術は、頭蓋の方から始まりジ~っと手を置き頭蓋の筋膜調整をしてくれてたところ、アッ!!そこ…。

ちょうど高校3年生の頃、通学途中 道路の縁石に自転車が正面からぶつかり、私は飛ばされて真っ逆さま。

脳震盪も、吐き気もなく、何も変わったこともなかったので、「縁石にぶつかって頭のてっぺんの髪の毛が摩擦で切れた」このことしか、記憶に残ってなくて…。

それが、施術中…アッ!!そこ…転んだときの痛みそのもの…。って思えるほど痛く、また頭蓋も微妙に歪んでおり…。

身体って凄い!ずっと痛みや違和感のあるものを記憶されてて、自分でバランス取って生きてるんだ!!と再発見。

その日のグレゴリー氏のオステオパシーも、施術家の私の氣持ちを120%以上満足させてくれる施術で終わり…。

ただ、オステオパシーをせっかくしてもらったけれど、身体があのバーズ®で受けた後のスッキリ軽やか~っていう感じでもなく、逆に痛みを伴って来て・・・?

そこで、私自身二つの療法を体感させてもらって感じたことは、

痛みから解放されること=完治ではない!という事。

病院でも、痛み止めの注射や薬があるほどですが

私がカイロプラクティックを学んだ先生は、「痛みは身体のSOS」であると…。

良く私も、「痛いのは生きてる証拠!」人間、死ぬと焼いても痛くないんだから…とも。

しかし、いくら「痛みは身体のSOS」だとしても、痛みはツラい。

その脳が知らず知らず記憶した、痛みやトラウマ、思い込みを解放してくれたりするのが、「アクセスバーズ®」

脳の記憶が、人生を大きく支配していることも有る様で、一生懸命骨格の歪みを整え神経圧迫を取り除いても…、筋膜をやんわりと緩めたとしても…

脳をクリアにしていかないと 今までの経験を忘れられず…ここは痛い所!!私はこういう人って誤作動起こしてることも有るのかな?とも…。

脳の麻酔薬みたいなものなんでしょうか?

なので、痛みを感じてなく、好調な時であっても、ちゃんと骨格や筋膜を整えていくことが、健康にバランスを保っていく最善の方法なのかもと…。

昨年初めて受けた「アクセスバーズ®」と「オステオパシー」かなり両方とも効果は期待できます。

誰でも同じ結果が出るかどうかは、わかりませんが 私が体感させてもらったところで良ければご紹介させて頂きます。

グレゴリー氏のオステオパシー                                Web site : gp-osteopath.com

黒河 由香里さんの アクセスバーズ®                     http://ameblo.jp/jibun-world/entry-12203145794.html

もちろん私のさせてもらってるカイロプラクティックも…合わせて!

医療に関する制約が色々出て来ていることも確かで、だからこそ患者さん自身がどんな時にどんな療法を受けて行くのか…

フランスで生まれ学んだグレゴリー氏が遥か遠く西条に移り、私と出会ってくれたことも…

由香里さんが、自身で選び学んできたことを受けさせてもらって、また違う形での身体へのアプローチがあることを知らせてくれたことも…

全ては主の導き…。

無知では済まされない時代に、今突入して行ってるのかも知れません。

新月の今日、見えないけれど確実に存在する光に向かって…

「どうか、すべての出会う人々への祝福の水路となれますように…」と、祈るばかりです。

あてどもない旅


アクセルふかして Keep on truckin’   自由な心は Happy
あてどもない旅  一度したいと思いませんか…

と始まるユーミンの「ワゴンに乗ってでかけよう」

スキーのインストラクター時代、四駆の軽四にひと冬過ごす荷物を積み込んで、志賀高原を目指して出発。

片道800キロ近く…。

初めて行った時、瀬戸大橋の料金を考えると、「私、手持ちのお金で払えるのかな?」と思うほど、岡山―姫路―神戸―大阪―京都ー滋賀ー名古屋ー岐阜ー長野といくつもの県境を越え長い長いドライブ。

お気に入りの曲をカセットテープに吹き込んで、岐阜の恵那山トンネルを超えると、真っ白な雪景色が現れて…。

初めて長野から山形の月山を目指したときは、道路マップが高いので日本地図を購入し、夜10時ころ出発。

新潟に向けてスタートしたのはいいけれど、高速に乗らず 日本地図に示された幹線道路で北へ向かって行こうとしたところ、真夜中対応車も全くないような山道に入ってしまい

ここで車が止まったり、何かあったらどうしよう…なんて不安ばかりが頭に浮かび、朝やっと明るくなりかけた時に居た所は磐梯山!!

どこをどう行ったのか?

なんと月山にたどり着いたのは、その日の夕方5時近く。

前の日の夜出発して、19時間もかかって到着(笑)

翌年、普通に高速に乗れば5~6時間で行ける所を20時間近く走り続け…到着したんだから、無知って恐ろしい…。

でも初めて行った月山、夕方だったからこそ月山の「ロッジ柏や」で居候をすることになったのかも知れないけれど…。

月山から一氣に、西条の家に戻った時は夕方5時頃月山を出発。

調べてみると1060キロ。

パーキングで休憩しながら、西へ西へ…。

翌日の夕方ちょうど24時間経過したころは大阪辺り。

そして、瀬戸大橋を越え香川に入ると故郷愛媛ももうすぐ。

冬中、ホームシックもなく自由に氣ままに過ごしておきながら、急に父母の顔が浮かび アクセル全開。

新婚旅行の時も、結婚式が終わりどこへ行こうか?って感じで、とりあえず愛媛八幡浜から九州臼杵に向けてフェリーに乗り…。

フェリーから降りて、じゃ長崎のハウステンボスにでも行ってみる?って感じで、長崎へ。

結婚式が4月30日だったので、翌日はゴールデンウィーク真っ只中。
お昼3時頃まで能天氣にハウステンボスで楽しみ、ホテルに問い合わせたらどこも満室。

長崎市内のホテルがやっと一軒、見つかり長崎市内まで。

出逢って、大阪と愛媛での遠距離だったから二人でなんだかんだおしゃべりしながらの、新婚旅行は最高に楽しいロングドライブ。

そして、新婚の頃は運氣も上昇しているためか、長崎から移動して行った宮崎のホテルでも満室のところ、ホテルの人の御好意で会員制のゴルフ場の一部屋を紹介してもらったりして…。

今日、ポカポカと暖かい冬の日、高松までひとり運転して行き あれこれ懐かしいあの頃をまた思いだし、車があることで普段着でどこへでも出かけることが出来る今…。

やっぱり私は、動き続けてることでエネルギーチャージ出来てるのかも知れません。

ユーミンの歌のように、あてどもない旅…いつかゆっくり旦那ちゃんとしたいな。

ユーミンの動画が見つからないので、昔よく聴いてた
稲垣 潤一「ドラマティック レイン」

この流れるサウンドが懐かしく心地いい

 

 

 

観音力

観音力とは、観音する力。

それは、
頭で考えて判断することとは対極なところにある
「心の目で観て・心の耳で音を聴く力」だそうです。

2012年4月、西条でイサム・ノグチの母を描いた映画「レオニー」の上映会を企画した時のこと。

西条市の総合文化会館の大ホールは1000人入れる会場。

「レオニー」を初めて松山で観た時、ストーリーと映像の美しさと音楽の素晴らしさ、そして松井久子監督の思いに共感。

もっともっと多くの方々に観て欲しい!!
しかも大画面で…!!
と思い、無鉄砲にも大ホールで2回上映を企画。

何のあても無く、ただ「大丈夫!きっと何とかなる!!」という、根拠のない自信だけが私の中にあり…。

そんな時、我が家を訪れた友達が持って来てくれた「観音力」のオラクルカード。

観音力カードセット

サイコロをコロッと転がし、出た目で1枚のカードからのメッセージを受け取るのですが、その時出たカードが「千手観音」

観音力カード:4.千手観音

メッセージの言葉はもちろん、千手…あの手この手でやりきる!!と思えたこと。

この日から、この千手観音の写真を待ち受け画面に、上映の日に向けて動いてた時が、昨日のことのように思い出されます。

人は、神と繋がりたいとき、

神社で「おみくじ」を引き、「様々な占い」でも神さまのメッセージや自分に与えられた使命を確認しようとします。

そして、示される神様からのメッセージ。

大自然の中でみる、太陽の光や月の光、彩雲や虹もまたそのひとつ。

求めよ…さらば、与えられん!
捜せよ…さらば、見つからん!
たたけよ…さらば、開かれん!

あのコロッと転がすサイコロから導き出される観音さまからのメッセージを受け取る観音力カード、実は欲しくて欲しくて4年程まえ購入。

今日、久しぶりに観音様のメッセージを聴いてみたくて、サイコロを転がしてみました。

33.「藤飛天」

観音力カード:33.藤飛天

「あなたの思いが光となって現れる日が必ず来ます!その日まで、静かに微笑んで…」と

書かれたメッセージのひとこと一言に一喜一憂。

草場一壽さんと優蘭.さんの
観音力カード体感してみたい方は、こちらから☟

http://manai.co.jp/shop/uranai.html

そして、聖書の中、モーゼが主なる神さまから受けた「十戒」

その十戒が、あれもこれもと増「613」もの戒律へと膨れ上がり、ユダヤ人たちが求めた救世主。

神の言葉を預る、預言者たち。

救世主は、来るよ!

こういう形で生まれ、こんな風に神の言葉を伝え、こんな風に死に、

そして、こんな風に復活するよ・・・と!!

そして、救世主は2017年前ベツレヘムに生まれ、30歳からたった3年間ユダヤ人達の元に現れ、預言の通り神の言葉を伝え、死に…そして復活。

預言者の預言通りに、現れた救世主を救世主と認められず自分たちの手で十字架へと送ってしまったユダヤの人たち。

そしてその後、2000年国を失い流浪の民となったユダヤ人。

イエスさまが言った「目を覚ましていなさい」と言う言葉。

目を覚ましていなければ、神様からのメッセージが届けられても、神さまが現れても氣付けず…。

ユーミンの歌
「どうしてなの?今日に限って安いサンダルを履いてた!」とあるこの歌。

いつ現れるかわからないチャンスに向けて常に目を覚ましていたいものです。

ユーミンとゆずで「DESTINY」

 

 

 

 

 

ナイチンゲール誓詞

「ナイチンゲール誓詞」

世の看護師さんたちの戴帽式で読まれるこの誓い。

われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー

わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。

われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、

悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。

われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。

わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、

わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。

われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

この言葉は、「ヒポクラテスの誓い」にならってつくられたものらしい。

ヒポクラテスの誓いはこんな感じ…。

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

1.この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。

2.その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

3.私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。

4.頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

5.純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

6.結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

7.いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。

8.医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

9.この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい

医は仁術…。愛の世界。

ナイチンゲールの名言集の中に、

「私はすべての病院がなくなることを願っています。」とあり、また

「天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために闘う者のことだ。」…とも。

生老病死…人の人生の中、一度も病の苦しみを味わうことなく過ごす人はいないし、医療が発達した今 どの病院を訪れ、どのお医者様に診てもらい、どんな治療を受けるか…。

ここに、ヒポクラテスの誓いがあり、ナイチンゲール誓詞を胸に、目には見えない大いなる力が働くことで、病に苦しむ中でもきっと一筋の光が射してくるんだと…。

エドガー・ケイシーのリーディングの中、

ホスピスとは、次の生まれ変わりへの準備の場所であり、次の生まれ変わりのことを理解する場所でもあり、苦しみながら死を迎えると次に生まれ変わる時、魂が躊躇してしまうことがあると…。

病も死もそして老いることも、避けることの出来ないもの。

その時、どう関わるか!その時、自分自身でもどう思うか…。

お釈迦さまも、人はなぜ生まれるのだろう?(生)

人はなぜ老いるのだろう?(老)

人はなぜ病になるのだろう?(病)

そして、なぜ人は死んで行くのだろう???(死)

と思い、瞑想…。

また、なぜ愛する人との別れがあるのだろう?(愛別離苦)

なぜ、嫌いな人と出会ってしまうのだろう?(怨憎会苦)

なぜ、お金や地位や名誉が手に入らないんだろう?(求不得苦)

なぜ自分の心や体をコントロールできないんだろう?(五蘊盛苦)

この四苦八苦しているときに、忍び込むのが悪魔。

聖書の初め、アダムとイヴが 神さまと共に暮らしたエデンの園を追放され過ごすこの地上で、如何に悪魔に支配されず…歓び生きていけるか?

この世は、混沌。私も療術家の一人として、凛として主の道を歩んでいきます。

今日は、光になった本田美奈子さんの歌う讃美歌「アメイジング グレース」

 

 

 

 

霊峰石鎚

霊峰石鎚山。

弘法大師様もこの山で修行されたと言われる、霊山。

フリーターの頃、7月1日~10日までのお山開きのお手伝いもさせてもらったことが有ります。

まだ、しまなみ海道が出来ていなかった頃、宿泊者も多く、ご来光を拝むために朝4時頃から出発する方もあり、夜は10時頃までお手伝いし、あのお山開きの10日間は平均睡眠時間3~4時間程。

それでも、一緒に手伝っていた岡山大学のラグビー部の男の子たちと わいわい言いながら働いてたのは本当にいい思い出です。

この石鎚山にはスキー場もあり、人工降雪機も備えているため 寒い夜は町から見ると、赤々とスキー場のところに電氣が灯り スキーしてた頃は、山を見上げて週末を待ち望んだものです。

石鎚国定公園内にスキー場が広がっており、毎年冬になると多くのスキーヤーが集まる。

そんな石鎚山。

実は、エドガー・ケイシーの講座をまだ西条で開催させてもらう前、広島で開かれたケイシー講座の中「アトランティスの秘密」という内容。

講師の日本エドガー・ケイシーセンター会長光田秀氏の話される、ケイシーの遺したアトランティスに関するリーディング。

アトランティス大陸は確かにあった!

そこに住むアトラスティス人は、重力を自由に操り 空も飛ぶことが出来た!

今よりも、もっともっと文明は進んでいたそう…。

そして、3回の地殻変動によって海底に沈んだと…。

重力を自由自在に操ることが出来たアトランティス人は、海底に沈む前に 飛び…エジプトやペルーに飛んで行き住んでいたと…。

あのクフ王が造ったとされるピラミッドも、アトランティス人の知能と技術で造られたものだと…。

実際、クフ王のあの時代に  あれだけ大きなピラミッドを造ることは、朝から夜まで働き続けても、工程的にかなり難しいらしく

ケイシーのいうこのアトランティス人が持つ知能と重力を自由に操れる技術で造られたということに納得。

ちなみに、ペルーにもアトランティス人は移動したとも言われており、ピラミッドと同じようにある ペルーの寸分狂わぬ石組み…。

そして、アトランティス人は、赤色人種だったと!!

この日この講座を聴いてる中、私の頭の中ではあの石鎚山が頭に浮かび…、

「きっと石鎚山にもアトランティス人は飛んで来てた!」…かも知れない!!

石鎚山…エジプトもペルーも石がポイントだし、石鎚山の名前の「石」はきっと同じようにアトランティス人が飛んできたに違いない!!と。

赤色人種というのも、石鎚山との共通点。

石鎚山には「天狗伝説」があり、天狗は赤い顏で ひょいひょいと飛んでいたと言うんだから…そこでもアトランティス人の話と共通点が…。

実際、ケイシーは愛媛西条の霊峰石鎚山のことなどは何も言ってないですが、私の妄想は止まらず…(笑)

ピラミッドもペルーも聖なる地。

そして、石鎚山も霊山…聖なる地。

しかも、石鎚山から流れるお水は西条市内で地下からの湧水ともなり…。

あの日、アトランティスの秘密を知ることで、自分の住むこの西条がさらに大好きになり、またこの聖地でエドガー・ケイシーの講座を開きたい!!と思ったのもこの時。

今、寒い冬…私のいちばん好きな白く輝く石鎚山。

あの山には、きっと凄いエネルギーが溢れていると思い今日も山を見上げ手を合わせています。

私自身、この地を選び生まれ…この地で暮らせる歓びに改めて感謝です。

今日の歌は「愛媛のうた」

 

百薬の長

お酒は「百薬の長」と言われますが、誠にその通りだと思います。

日本酒にビールにワイン…焼酎だって大好きです。

私の原動力になってるのかも知れません。

スキーインストラクター1年目、夜9時過ぎまでナイターで練習し、宿に戻ってお風呂に入り、帰りに自動販売機でビールを購入。

同じ部屋のみんなと、なんだかんだ話しながら飲むひとときが大好きでした。

シーズンも終わりに近づくと、どんどんビールの量も増えて行きます。

OL時代は、居酒屋やスナックなど 会社の行事で連れて行ってもらうくらいで、友達と行くといっても 何か特別な日に飲みに行くくらい。

最近、時代は変わったな~と思うくらい、若者が氣軽に行けるお店が増えて来たと思います。

そして、スキーでヨーロッパへ行ったことで、好きになった赤ワイン。

滞在中、スーパーで安いワインを買ってきて、毎晩コップに1杯の赤ワインを飲むのも楽しみでした。

ドイツ語で、赤が「ロートワイン」、白が「ヴァイスワイン」そして、赤ワインをいろんな香辛料を入れて甘く作った「グリューワイン」

スキー場でも、仲間と飲みに行っても、
「アイン  ロートワイン…ビッテ!!」
「アイン  ビアー…ビッテ!!」

で、1杯のビールや赤ワインがテーブルまで届けられるのですから、ドイツ語も英語も話せなくても、必要な単語だけはちゃんと…(笑)

アルコールは、百薬の長だけでなく、仲間との交流も楽しませてくれます。

オーストリアに居た時、「シュナップス」というアルコール度40度以上のお酒。

寒い季節に最高の蒸留酒。みんなでゲームしながら小さいカップで何杯飲んだことでしょう!!

シュナップスという呼び名は「命の水」という意味もあるそうです。

そして、カイロプラクティックを始めたことで、好きになったのが日本酒。

この日本酒という呼び名は、明治天皇の玄孫竹田恒泰氏によると、 日本酒ではなく、「国酒」。日本史ではなく「国史」と…。

なるほど、わざわざ日本と付けなくても祖国のお酒。祖国の歴史ですよね。

もともと日本は稲穂の国。
アマテラスの孫、ニニギノミコトが天孫降臨の際伝えられた
「天壌無窮の神勅」と「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」にも稲のことが示されており、

中でも「斎庭の稲穂の神勅」は …
『吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。』

とあり、天上界の田で育った稲を地上に植えて、この国を天上界のような稔り豊かで安定した国にしなさいと。

この稲から取れたお米で作る国酒。

日本の祭日には、稲に関わる祭日が多くお米は欠かせないもの。
陛下ご自身がお手植えの稲を神様に捧げるのですから、本当に日本は瑞穂の国。

聖書の国では、ぶどうから作られたワイン。

ヨハネによる福音書15章にはこうある

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

そして、最後の晩餐の中にも記されている。

マタイによる福音書26章より

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「取って食べよ、これはわたしのからだである」。

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、
「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」

古事記にも聖書にも示されている、神さまが用意してくれた命の水。

やはり、お米から作るお酒のほうが、田植えから稲刈り、またお酒になるまで手間・暇かけて作られ 本当に世界に誇れるアルコールなのではないかと思います。

色々と講座や講演会を開催させてもらう時にも、一番大切なのは、終わった後の「懇親会」

「乾杯」…乾いたさかずきとはひとり一人の魂のことでしょうか?

「レハイム」…ヘブライ語で「乾杯」は…命頂きますとのこと。

72年前、特攻隊員が出撃前に交わしたのは「別盃」と呼ばれるそうですが、どんな味がしたのでしょうか。

人生色々な場面で登場するお酒。
百薬の長として、嬉しい時も…哀しい時も…歓びの時も…別れの時も…!

今日は、梓みちよの「二人でお酒を」

 

 

 

神は愛なり

今日、新しいアメリカ大統領の就任演説の中、アメリカをどの国よりも愛することを宣言されました。

自分の生まれた祖国を愛することは、大切なこと。

この演説の通り、自国だけを愛することが今後どのようになっていくのかは、私には想像も出来ず神のみぞ知るところですが、

アメリカ国民によって選ばれたのですから、これも神さまの計画の中のひとつの出来事。

聖書マルコによる福音書12章の中でイエス様が、律法学者の質問に対して答えた言葉と今日の演説を聴き改めて読んでみました。

「すべてのいましめの中(で、どれが第(一のものですか」…との律法学者の問いに

イエスは答()えられた。

(一のいましめはこれである、『イスラエルよ、(け。(なるわたしたちの(は、ただひとりの(である。

(をつくし、精神(をつくし、(いをつくし、(をつくして、(なるあなたの(を愛()せよ』。

(二はこれである、『自分((するようにあなたの(((せよ』。これより大事(ないましめは、ほかにない」。

そこで、この律法学者()(はイエスに()った、
先生((せのとおりです、『()はひとりであって、そのほかに(はない』と(われたのは、ほんとうです。

また『(をつくし、知恵(をつくし、(をつくして((し、また自分((するように(((する』ということは、すべての燔祭(犠牲(よりも、はるかに大事(なことです」。

自分を愛するように隣人を愛すること…この言葉の通り、自分も他人も同じように愛することがどんなものよりも大切であると・・・。

両親を愛し、兄弟を愛し、
自分の住む地を愛し、その地に共に住む人々を愛し、
国を愛し、その国に住む人を愛し、
隣国を愛しその隣国に住む人を愛し、
地球を愛し、その地球に住む人々を愛し、
宇宙を愛し、その宇宙に住む全てを愛し…

そして、同じように自分自身も愛すること。

「如己愛人」

そして、全てを愛する者にも そうでない者にも常に変わらぬ愛を与え続けてくれている神さまという存在。

「私はお前を見捨てはしない!」という この詩。

*************************************************足跡(FOOTPRINTS) マーガレット パワーズ

ある日私は夢を見た。
私は、主と共に渚を歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出されていた。
どの光景にも砂の上に二人の足跡が残されていた。

一つは私の足跡、
もう一つは、主の足跡だった。

これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上の足跡に目を留めた
そこには一つの足跡しかなかった。

私の人生で一番つらく悲しい時だった。
このことがいつも私の心をみだしていたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ、私があなたに従おうと決心した時、あなたはすべての道で、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生でいちばんつらい時
一人の足跡しかなかったのです。

いちばんあなたを必要とした時に、
あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、
私にはわかりません。」

主はささやかれた。

「私の大切な子よ、
私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
足跡が一つだった時、
私はあなたを背負って歩いていた。」

*************************************************大好きなこの詩と共に
愛国心と利他の心…育んでいきたいです。

讃美歌 聖歌392番(新聖歌89番)

神はひとり子を たもうほどに
よびとを 愛したもう
神は愛なり
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり

罪をばおかして 神にそむき
てきとうわれさえ
なお愛したもう
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり
罪ゆるさんために われにかわり
イエスきみ十字架に
死にたまえり
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり
いざとく来りて 神の愛に
汝身をゆだねよ
すくわるべし
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり