「四苦八苦」タグアーカイブ

「生」と「死」そして「病」と「老い」

この世に生まれること…。

老いていくこと…。

病にかかること…。

死ぬこと…。

生老病死。

お釈迦様も、この世で起こるこの四つのことを説くために瞑想。

天上の世界では、老いることも 病にかかることも無い世界。

聖書の中、智慧の実を食べたことから 神と共に過ごすことを許されず、地上に追放されたアダムとイブ。

追放と言っても、最大限の神さまの愛を受けながら、この混沌とした地上で修行するため。

そして最後は、エデンの園に戻るため。

人は、老いて行くとき 不安になり、病を持つと更に不安に…。

不安や心配事…この世を生きる時、この不安や心配事の心の隙間に忍び込んでくるのが悪魔。

天使がいるのであれば、きっと悪魔も存在する。

不安になったり心配事で暗い気持ちになった時に、スッと心の隙間に忍び込もうとする悪魔。

またこの不安や心配事から逃れたり救われようと、祈りや宗教がその人々の人生を変えることも…。

日本には、スゴい数の新興宗教もあり 信仰によって心が救われる人々も大勢いる反面、かつてのオウム真理教のように、宗教によっては逃れられないような、また依存の様な状況を招いてしまうことも…。

何を自分自身の中心に置くか…?

イエス様も、弘法大師様も、お釈迦様も、日蓮さんも…また各新興宗教の教祖様方も、大いなる天と繋がり天の御力によって不思議を見せたり、また見せられた者たちも、信じる心によって奇跡を体感してきたように思う。

今、多くの人々の魂のレベルは、何度もの輪廻転生を経験し、魂は大いに成長した魂たちが、この地球規模で混沌とした地上に送り出され、修行させてもらっている。

5月、多くの障害を持った子供や大人と出会う機会を頂きました。そして、病や老いを迎えた方々とも 日常の中で接することが多くあります。

この病や老いを「善」「悪」で、区切ることは出来ず、「病」や「老い」を経験することで、大いなる魂の成長をもたらすと 私自身感じます。

もちろん、出来ればずっと健康で、ずっと若々しく居たいという思いは誰もが持ってる希望でもあります。

しかし、敢えて神さまがその人々の肉体を通して「病」や「老い」を体験させてくれてるのであれば、またそれを乗り越えられるだけの魂のレベルに達したからこそ与えられた「病」や「老い」であれば、

ニッコリ微笑んで、見えないけれど確実に存在するであろう神さまに

「頑張ります…(*^^)v」と言いたいものです。

いつか訪れる「老い」

そして、自分自身だけでなく、大切な家族や友人、知人の中にも起こる「病」そして「死」

生まれて来たからこそ出会う人と人。

家族で会っても、友達であっても、今世の修行のなかで必要として出会う人々。

・愛する者と別れる 愛別離苦

・怨み憎んでいる者に会う 怨憎会苦

・求める物が得られない 求不得苦

・肉体と精神が思うようにならない 五蘊盛苦

生老病死と共に、この四つの苦を神さまやご先祖様を信じ、何より自分自身の見えない可能性を信じ、四苦八苦しながらも生きて行くこと…

隙間から忍び寄ろうとする、悪魔をも退散していくような、強い精神と肉体で また新しい一週間 迎えさせていただきます。

 

 

 

ナイチンゲール誓詞

「ナイチンゲール誓詞」

世の看護師さんたちの戴帽式で読まれるこの誓い。

われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー

わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。

われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、

悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。

われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。

わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、

わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。

われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

この言葉は、「ヒポクラテスの誓い」にならってつくられたものらしい。

ヒポクラテスの誓いはこんな感じ…。

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

1.この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。

2.その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

3.私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。

4.頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

5.純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

6.結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

7.いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。

8.医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

9.この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい

医は仁術…。愛の世界。

ナイチンゲールの名言集の中に、

「私はすべての病院がなくなることを願っています。」とあり、また

「天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために闘う者のことだ。」…とも。

生老病死…人の人生の中、一度も病の苦しみを味わうことなく過ごす人はいないし、医療が発達した今 どの病院を訪れ、どのお医者様に診てもらい、どんな治療を受けるか…。

ここに、ヒポクラテスの誓いがあり、ナイチンゲール誓詞を胸に、目には見えない大いなる力が働くことで、病に苦しむ中でもきっと一筋の光が射してくるんだと…。

エドガー・ケイシーのリーディングの中、

ホスピスとは、次の生まれ変わりへの準備の場所であり、次の生まれ変わりのことを理解する場所でもあり、苦しみながら死を迎えると次に生まれ変わる時、魂が躊躇してしまうことがあると…。

病も死もそして老いることも、避けることの出来ないもの。

その時、どう関わるか!その時、自分自身でもどう思うか…。

お釈迦さまも、人はなぜ生まれるのだろう?(生)

人はなぜ老いるのだろう?(老)

人はなぜ病になるのだろう?(病)

そして、なぜ人は死んで行くのだろう???(死)

と思い、瞑想…。

また、なぜ愛する人との別れがあるのだろう?(愛別離苦)

なぜ、嫌いな人と出会ってしまうのだろう?(怨憎会苦)

なぜ、お金や地位や名誉が手に入らないんだろう?(求不得苦)

なぜ自分の心や体をコントロールできないんだろう?(五蘊盛苦)

この四苦八苦しているときに、忍び込むのが悪魔。

聖書の初め、アダムとイヴが 神さまと共に暮らしたエデンの園を追放され過ごすこの地上で、如何に悪魔に支配されず…歓び生きていけるか?

この世は、混沌。私も療術家の一人として、凛として主の道を歩んでいきます。

今日は、光になった本田美奈子さんの歌う讃美歌「アメイジング グレース」