「縁」カテゴリーアーカイブ

1/11…本日 屋号が変わります!!

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

と、ずっと書いて参りましたが…

本日1/11 天赦日&一粒万倍日  今日の良き日に屋号を

「千の恵み」 

に、変更させて頂きます。

改めて…

トータルサポート「千の恵み」の近藤 千恵子です(^-^ゞ

平成16年(2004年)1月、隣の新居浜にあった施術院を自宅のある西条に移す時、付けてもらった

「カイロ矯正太陽院」

この名前を付けてもらったとき、太陽と表されたことに 目頭が熱くなったほど…。

この大きな名前と共に18年。

平成8年(1996年)始めたカイロの施術は、身体が動く限り ずっとさせて頂きますが…

数年前から、「水素関連商品」や  「子育て支援事業」そして  「格安SIM取り扱い」等々…

カイロonlyで させてもらってた時とは大きく違って来ており、屋号にも 違和感が出て来てた数年間。

年末に、「カイロ矯正太陽院」と名付けて下さった 方に相談させてもらったところ、

暮らし方も考え方も 大きく変わって来た この時代、思ったことやっていけばいいですよ。

と、言って下さったことで  今年 一番良い日に屋号変えよう!と、決意。

本日、1/11(火)天赦日&一粒万倍日

朝一番に、「格安SIM」ののぼりを立て…

11時ちょっと前に 伊予のお伊勢言われる”伊曾乃神社で 還暦の御祈祷受け…

2周目の人生が佳き年月となるよう 祈願して頂き、

その後、市役所に行ったところ  整理番号が、なんと…「111」

「千の恵み」が天からの祝福を受けた感じ…です。

心機一転…またまた頑張って参ります。

同行二人…2

太陽院院長  近藤  千恵子です(^_^)v

3年ほど前、ひょんな事から知り合った 高知の晃子さん。

色々共通する出来事もあり、今年何度か会う機会がありました。

その時 四国88ヶ所遍路の先達の資格を取るっていうことを言われてましたが、この度  見事 「公認先達」を取得されたこと連絡頂きました。

よく見ると、納経帳の上に 「公認先達」の文字。

公認先達とは「(一社)四国八十八ヶ所霊場会」に公式に認められた先達の事

先達とは同行二人の教えを核とする弘法大師信仰を拠りどころとして、四国を巡拝し、一人でも多くの人をこの道に誘い、それらの人々の指導者として、あるいは模範として、信仰修行に勤める方です。

と、Googleで検索すると書いて有りました。

先達さんになっても 上には上が有るようで、まだまだ若い晃子さん…これからまた 弘法大師様と「同行二人」素晴らしい大先達さんになる日も今から 楽しみです。

お遍路さんといえば、隣の新居浜市で治療院を開いてた頃、近くに善根宿をされてた 「萩生庵」の高橋 芳子さんと、歩き遍路の「遍路幸月さん」を思い出します。

「萩生庵」の高橋芳子さんは、息子さんを病気で先に天に送り、御主人様と二人 お遍路もされたけれど、

高齢となり88ヶ所をお参りする事もままならず  昨年 芳子さんが天に還られるまで善根宿で歩き遍路さんを御接待し続けて来られてました。

私が西条に治療院を移してから、月に一度施術に伺うと いつも誰かお遍路さんが来られており

「萩生庵」でお洗濯させてもらったり、お風呂に入れてもらったり、お母さんの美味しい食事も頂いたり…と至れり尽くせり…

外国人のお遍路さんとも 言葉はわからないけれど 心通う御接待をされてた高橋芳子さん。

NHKのドラマ『歩く、歩く、歩く~四国・遍路道~』は、高橋芳子さんがモデルとなったドラマ。

1ヶ月近く 芳子さんに密着し 台本が書かれてました。

こんな風に年を重ねていきたいな…と思う本当に素敵な女性です。

そして、お遍路と言えば 「遍路幸月さん」

2017年に書いたブログに 幸月さんのお話も書かせて頂いてました。

同行二人

「みどり児に  子安大師の  恵みあり」と書かれた

幸月さんの俳句入りの写真。

幸月さんも NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられ、その後  若い頃の殺傷事件の容疑で逮捕され…

とても 殺傷事件を起こしたとは思えない 穏やかなお顔。

お遍路で巡礼する方、一人ひとりに 一つひとつの 人生のドラマ。

同行二人、南無大師遍照金剛…

御先達に成った晃子さんにも、四国遍路のお遍路さん達にも  素晴らしい光が降り注ぎますように…

善光寺参り

太陽院院長  近藤  千恵子です(^^)

11月24、25日と 大好きな長野へ仕事も兼ねて 行って参りました。

そして、25日  北陸新幹線で東京まで帰る前に  ゆっくり「善光寺さん」お参りさせて頂きました。

スキーインストラクターとして、志賀高原へ冬になると行かせて頂いてた頃は、1年に一度はお参りさせてもらってた「善光寺さん」

20年ほど前、主人と一緒にお参りさせてもらった時には、なんと本堂の中にある「戒壇めぐり」でお財布をスリに持って行かれた ツラい思い出もあったりしましたが…

今回も ご本尊様にご挨拶させて頂いたあと、戒壇めぐりもさせて頂き、極楽浄土の鍵触って参りました(^_^)v

御朱印帳を持って来てなかったですが、戻って貼れる御朱印頂いて参りました。

善光寺の御本尊は「一光三尊阿弥陀如来」さま。

百済から日本へ渡った最古の仏像だそうで、本田 善光卿によって 長野の今の地に祀られ日本仏教の草分け的な存在っていうことで

宗派を越えて全ての人々受け入れてくれる有難いお寺。

ちなみに本田 善光卿の名前 善光の寺と言うことで、善光寺となったのだと今回初めて知りました。

御朱印は、折角なので  特別御朱印を頂戴して来ました。

ひとつは、「牛に引かれて善光寺参り御朱印」

今年、丑年にお参り出来たのも  良いタイミング。

「牛に引かれて善光寺参り」…とは、

強欲で不信心なお婆さんが、観音様が化身した牛に 布を奪われ、取り戻そうと牛を追いかけて来たところ  善光寺さんにたどり着いた!とのことらしい。

御朱印のまん中には、梵字で

「阿弥陀如来」キリーク

「勢至菩薩」 サク                       「観音菩薩」サ

と、善光寺の御本尊

“一光三尊阿弥陀如来” を 表しているのだそう。

この”一光三尊阿弥陀如来”こそ 、もうひとつ頂いた御朱印

「悪疫退散特別御朱印」

お釈迦様がまだこの世にあり、人々に仏の道を教え導こうと心を砕かれていたころ

インドの毘舎離国に月蓋という一人の長者がいて、月蓋は 大変な財を持ちながらも欲深く、他人のことを全く顧みないような人。

なので、当然 仏様を敬う心もなく、自分中心に振る舞っては、まわりもそれを諭すことのない日々を過ごしていたころ…

ひどい悪疫が国中を襲い、多くの人々が苦しんで、果ては死に至るという有り様の中、

月蓋が掌中の珠よと慈しみ、愛情を注いでいた一人娘の如是姫も病気に罹ってしまったそう…

月蓋は、高価な薬を求め、国一番の名医を招き、あらゆる手を尽くしたけれど、いっこうに効果はなく、如是姫の命は風前の灯。

「どんなにお金があっても、どれほど考えても、どうすることも出来ない」

月蓋は、失意のなかで  やっとお釈迦様にすがることを受け入れ、

「お釈迦様、これまでの罪業をお赦しください。教えを守り、日々精進いたしますので、どうか娘 如是姫の命をお救いください」

お釈迦様は、月蓋の懺悔を真と認められ、

「救済は我が力の及ぶところではないが、西方極楽世界を創世された阿弥陀如来様におすがりしなさい   『南無阿弥陀仏』と一心に唱えれば、必ず如是姫の命も、国中の苦しみも救ってくださるだろう」

月蓋は急ぎ家に戻ると、お釈迦様の教えどおり西方に香華灯明をお供えし、ひたむきに念仏を続けました。

すると、南無阿弥陀仏の声を包むように、一光が差し、その中に阿弥陀如来様が観世音菩薩様と大勢至菩薩様を伴って姿を現され

そして、三尊仏の全身から大光明が放たれると、一瞬にして悪疫は国中から消え去り、如是姫の病気もすっかり治ってしまったそう…。

月蓋と一族の者たちは喜びと驚きを持って この功徳に感謝し、この時に顕現した三尊仏像を尊し生涯側にあってお仕えしました。

という、一光三尊阿弥陀如来の有難い御朱印。

一昨年発生し、 昨年今年と  世界中を苦しめたコロナ。

「南無阿弥陀仏」

「南無妙法蓮華経」

「南無大師遍照金剛」…

先に書いていたように、宗派を越えて全ての人々を受け入れてくれるという 大いなる光に  どうか混沌としたこの世の中  照らして頂けますように…(祈)(祈)(祈)

そして参拝後、善光寺仲見世で出会った 「あんじょさん」のキューピー人形

 

東山天皇と清和天皇の家系図の中、鷹司家のお姫様となる栄子さまが出家され  善光寺121世となった「鷹司誓玉上人」

なんと、1929年(昭和4年)生まれで92歳の上人様

 

善光寺仲見世の中では、このお店でしか売ってないと奨められ、我が家に招かせて頂きました。

ケンタッキーのカーネルサンダースさんと 何だかお似合い…。

隣には 大阪のビリケンさん。

善光寺さん、来年は 7年に一度の御開帳の年。

どうか、コロナも治まり  本物の鷹司誓玉上人にも御目にかかりに、また善光寺さんお参りしたいと思います。

今日は母の誕生日

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)v

今日、11/15は  母の誕生日。

昭和8年生まれなので、生きていたら  88歳。

8年前の2013年12月19日、その日を選んで  天に還って逝きました。

末っ子で我が儘な私は、母の言うことは 素直に聞くこともなく、母の言うことを「はい」と聞く姉たちと比べて、何でこんな娘に育ったんだろう…と思うこともあったと思います。

ただ、少し  奔放に育ってる我が儘な娘を  少しづつ理解してくれてたのも事実です。

30歳過ぎても、結婚もせず…スキーに没頭し、秋になれば  こっそり準備して 毎年ヨーロッパに1ヶ月スキーに行き、

戻ったと思ったら、志賀高原まで車で向かい春まで戻って来ず…

春に戻って来ると思ったら、春スキー場の山形月山まで足を伸ばし、勝手にアルバイト始めて今度は夏まで戻って来ず…

怪我して、スキーやめたと思ったら  カイロプラクティック勉強すると言って、結婚する気配もなく…

でも、そんな 母の言うことを全く聞かない私を、一番信頼し  陰ながら応援してくれてたのも 母。

母の青春時代には出来なかった数々のこと。

志賀高原で、スキーのインストラクターをやってた頃、届く母からの大きな段ボール。

ミカンやカップラーメン、お菓子がたくさん詰まった中に、入っていた母からの手紙。

53歳でパーキンソン病になった母の手紙は、昔と違い 文字が震え、書きづらい中で書いてくれた手紙。

まさに さだまさしの「案山子」という歌の様な 手紙。

縁あって、主人と結婚した後は、ホッとしたのか どんどん身体が衰えていき…

亡くなる前3年ほどは、会話も出きず…寝たきりの状態が続き…

一番の我が儘で甘えん坊だった私。

いつか触れなくなる母の身体を毎日毎日  マッサージオイルで全身マッサージし、

帰りには 「ごめんね!ありがとう!もうちょっと甘えさせてね!」と…おっぱい触って、ホッペにチューして…。

私が、12月伊勢の神宮にいき  4日ほど会いに行けず、その日も夜 会いに行こう…と思ってた12月19日夕方…危篤の知らせ。

きっと、私が行って甘えてたら、まだまだ限界越えても頑張ってくれてたかも知れない母。

「もう 行くね~」とその日 お風呂に入れてもらって、熱も何も出てなく 看護師さんもビックリするほど  その時が来て…

還って逝った母。

「おなごの子は、気が利く子じゃないといかんよ」

母の言うことは 全く聞かなかった私だけど、この言葉だけは、私の一番大切な教訓。

今もきっと遠い空の上から 自由奔放に生きる私を  はらはらドキドキしながら見守ってくれてる母の娘として恥ずかしくない人生過ごして参ります(^^)

生んでくれてありがとう!

育ててくれてありがとう!

見守ってくれてありがとう!

今日は母の地球に生まれた記念日…おめでとう!!

プレゼンテーション

太陽院院長   近藤 千恵子です(^-^ゞ

あるビジネストレーニングに参加しました。

① 努力と結果は比例するのか?

答えは…やはり ノー!!

競馬で  僅差で勝った 1等賞の馬と2等賞の馬

数センチの到着の差で、1等の賞金は、2等賞金の約5倍。

1等賞の馬も2等賞の馬も  実力はほぼ互角…だけど、結果は5倍もの差がつくらしいので、努力と結果は 比例しないそう。

② 行動したら  結果が出るのか?

こちらも答えは…ノー

行動が先よりも、結果のイメージが先。何をオーダーするか!

例えば、カレーをオーダーすると  カレーが出てくるように、

何もオーダーしないと何も出て来ない。

雑草の種を蒔いても、ヒマワリは咲かない。

ってことで 先ずは、結果のイメージが大切。

で、プレゼンテーションとは  プレゼントのこと。

私が持っている情報から得られる利益を、待ち望んでいる人、喜んでくれそうな人にプレゼントすること。

一般的に、セールスプレゼンテーションになると、買ってくれそうな人を見つけて  商品やサービスを売り込む事が多いけれど…

何だか似てるけれど、似ていない プレゼンテーションの極意。

人間の脳は、本当と嘘の区別が出来ないから、こうなる!!とイメージした自分を生きることでさらに 実現が早くなるそう…

相手の喜びや問題解決によって 頂く「ありがとう」の数が、収入や生きがいに 変わっていくので有れば  早速わくわくしながら  相手が喜ぶこと やっていきたいと…いいお勉強させてもらいました(^_^)v

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)v

2014年4月、アジアの西の端にあるイスラエルへ旅をしました。

その旅に誘って下さったのが、私が聖書を読むきっかけを作って下さった 三重県津市に住む赤塚  高仁さん。

今では、「人生を変える聖書漫談師」として  各地で引っ張りだこの赤塚さん。

9月に  赤塚さんの最新刊である、

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

送って頂き  あっという間に2ヶ月。

やっと今日、一気に読ませて頂きました。

著者である赤塚さんが書かれた  一文字一文字を通して、イスラエルの旅の景色  や  神の愛を感じ

細かく書かれた聖書の引用と赤塚さんの聖書の読み解き…

たった一度ですが、イスラエルを巡ったあの景色が ありありと蘇って参りました。

2014年、訪れた シオニズム運動の始まりとなったトルンベルドールの開拓地「テルハイ」

トルンベルドールが最期の時まで大切にした言葉は、日露戦争のあとロシア兵として捕虜となっていた時、日本人から聞いた「国のために命を使うことほど名誉なことはありませんから…」との言葉。

そして、アラブ人からの襲撃によって失くなったトルンベルドールのお墓には…

「祖国のために死ぬことは、良きことかな」と刻まれており

テルハイで トルンベルドールの偉業を誇らしく 語ってくれた女性モリヤさんのことも…昨日のことのように思い出します。

そして西暦70年、要塞マサダでのイスラエル滅亡と2048年初代ベングリオン首相によって再建されたイスラエルという国。

長い長い間、流浪の民族となり どこにいても手放すことなく守り続けてきた旧約聖書の世界。

そして、洗礼者ヨハネによって30歳のイエスが洗礼をうけたヨルダン川の洗礼所

イスラエル国再建の1年前 「死海文書」が発見されたクムランの遺跡

弟子ぺテロとの出会いと 再会のガリラヤ湖

イエス様が生まれたナザレの町

最後の晩餐がされたと言われる 部屋の柱

イエス様が十字架に架かる前  父に祈り…

祈ってる間、弟子ぺテロとヨハネとヤコブは眠っていたと言われるゲッセマネのオリーブ園

 

そして、イバラの冠を被らされ ムチ打たれ歩いたビアドロロッサ

ペテロがイエス様の預言通り 三度イエス様を知らない…と言い ニワトリが鳴いたとされる像

「聖墳墓教会」とは違う イエス様が葬られたとされる「園の墓」

この中で、著者である赤塚さんに聞こえたイエス様の言葉…

「I love you.Because you are you」

あなたがあなただから、愛するのです。

生まれる前から ずっと知っていてくださり  何も求めることのない神さまの無条件の愛の世界。

訪れた2014年から 7年経った今でも  ありありと瞼に浮かぶ聖地イスラエルで見たもの 感じたものが

今日また一冊のこの

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

を通して 昨日のことのように 感じさせて頂くことが出来ました。

聖書を知ることで  日本の古事記が分かり、キリスト・イエスを知ることで、神様の愛の世界を知り…

日本人の根底に流れている 思いやりやおもてなし 武士道や愛国の心も 改めて大切にしていきたいものです。

著者の赤塚さんと 洗礼者ヨハネの母エリサベツに受胎告知されたマリアさまが訪問した

「訪問教会」での一枚

最後に 新約聖書 ルカによる福音書1章46節~55節に書かれた

「マリア讃歌」

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ   心にかけてくださいました
今からのち代々の人々は   わたしをさいわいな女と
言うでしょう
力あるかたが、わたしに大きな事を
してくださったからです
そのみ名はきよく
そのあわれみは   代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます
主はみ腕をもって力をふるい
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし
権力ある者を王座から引きおろし
卑しい者を引き上げ
飢えている者を良いもので飽かせ
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます
主は、あわれみをお忘れにならず
その僕イスラエルを助けてくださいました
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに

今日は母の誕生日

近藤 千恵子です(*´-`)

今日、11/15は 7年前に天に還って逝った母の生まれた日。

昭和8年、4人姉妹の末っ子で生まれ  長女のハルヱさんは 看護婦となり満州で還らぬ人となり…

後に残った次女の叔母シメ子は、7歳の時 脊髄カリエスで大手術の末  当時は 障害を持ったことで 結婚もせず生涯独身。

その次女シメ子を 洋裁と介護の仕事で支えて来た参女トミ子も、独身のまま 両親の代わりに姉であるシメ子と共に暮らし…

四女であった 私の母だけが  結婚。

そして  娘3人の母となりました。

私の母のまわりには  自身の姉達や 父の姉…小姑達の思いや考えに従いながらの毎日。

小さい頃は、貴重な牛乳を末っ子でありながらも 5つ上の姉が 脊髄カリエスという重い病気だったため  飲むことも後回しで…

ただ 母がお見合いで結婚した私の父は 子煩悩で優しく、晩年は 共に病気に成りながらも 一緒にデイサービスに行き、父より 7年も早く 天に還って逝ったけれど…

今年5月、同じ所へ還って逝った父ときっと再会しふたり仲良く 私達のことを見守っていてくれる様で…

今日、生きていたら87歳の誕生日。

生まれた時から 常にそばに必ずいてくれた 父と母を天に見送り、思えば天からのエネルギーが半端ない毎日。

生きてる時も、天に還ってからも 変わらぬ父母の愛。

今日、母の生まれた日…改めて 母の子に生まれて来れたことを嬉しく思います。

 

 

祝福の虹

太陽院院長  近藤 千恵子です(^^)/\(^^)

暑い暑い日が続く毎日…夕方突然の雨。

そして  現れた 大きな虹。

玄関の前に、現れた大きな虹は 直ぐに消えることなく   長い間 コロナ禍で 少し曇りかけてた心に光をみせてくれました。

そして今日は、とある勉強会で「ハチドリの一滴」というお話を教えていただきました。

「ハチドリの一滴」とは、こんな短い物語。


森が燃えていました

森の生き物たちは われさきにと 逃げて いきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは 行ったり来たり

口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます

動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」と笑います

クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」


今の私に出来ること…

コツコツと積み重ねること…

小さなくちばしの一滴、行える私で有りたいです(о´∀`о)

 

 

父…帰る(^_^)v

太陽院院長  近藤 千恵子です(^.^)

今年、5月5日享年93歳で天に還って逝った父が 初めてのお盆にかえって来ました。

姿は見えないけれど、父がかえって来ました。

今日8月13日午後1時50分、ご住職さんの お経の中 ありありと浮かぶ父の顔。

父と母、義父、私よりも若い友も数人…この世から姿を消しました。

いきいき100歳体操に参加されてた方も 天寿を全うし、天に還っていきました。

今年58歳を迎える私…

せっかく出逢っても、いつの日か ほとけさんとなり  姿が見えなくなり、話すこともままならず…

でも、私の胸の中でいきいきと生きている方々が 戻って来る夏。

両親が亡くなったことで、いつもとは全く違う 今年のお盆。

コロナで、姪っ子も甥っ子も戻って来れないけれど  もう どこからでも どんなに離れていても 繋がってるね(^^)/\(^^)

 

ツガイノツバメ

太陽院院長 近藤 千恵子です(о´∀`о)

我が家の軒下には、今年もツバメがやって来て、南向きに2つ 東向きに2つ、北向にも1つ…

大勢のツバメが どんどん家族を増やして行きます。

で、そのツバメ達の中で、ここ3年ほど 1羽だけで巣も作らずに 夜を過ごしていたツバメが  今日ふと見上げると 小さな巣だけれど 巣を完成させてました。

そして、なんと夜になると2羽のツバメが仲良く並んで巣の中に…。

あ~

そんな寄り添うツバメを見ると 今月5日に天に還って逝った 父と 7年前に先に逝った母が やっとまた天上界で 寄り添っている姿を見せてくれたようで凄く嬉しくて 久しぶりのブログ更新となりました。

大好きな父は 昭和3年3月3日に生まれ、令和2年5月5日夜10時14分 天に還って逝きました。

女の子のお節句に生まれ、男の子のお節句に 寿命を迎えた父。

5月7日、葬儀を終え 肉体をまとった父とお別れし 見上げた空には 大きくまん丸の月。

後で、ウエサク満月だったことを知り 天の神様がこの日を選び 父を満月で照らし迎えてくれたんだな~と

ひとつの大きな節目を越え 新しい時の扉をまた開いてくれた様です。

思えば、平成15年…

父が脳出血で倒れてから 始まった両親への介護。

元々 パーキンソン病の母を 父が看てくれてたところへ 父の介護がプラスされ、

父母ふたり揃ってのデイサービス…

父母の新しい形での夫婦生活が始まった時でもありました。

今日、ツガイで寄り添うツバメを目にし 父母ふたり寄り添い過ごした晩年を見たようで…

母を見送り、まだまだ父とも共に過ごしたかったけれど

「死ぬに時があり…」

「生まれるに時があり…」

きっと全ては 神様の壮大な計画の中…

これからは もっともっと近くで 常に父母の大きな愛を感じながら しっかりと生きて行きて参ります(^_^)v