真実の扉

真実ってなんでしょうか?

もし、生まれてお母さんが「りんご」を「みかん」と呼び、子供にも「りんご」を「みかん」と呼ばせたとしたら・・・。

昔、オオカミに育てられた少女は、オオカミの毎日の習慣を真似て育ったので、四つ足で歩き ご飯も口でかぶりついていたとか・・・。

当然、服を着ることもなく排泄後始末することも、オオカミの真似をして、オオカミがお手本ですから…。

人は、出会う人 目の前の人の真似をして育ちます。

人だけではないかも知れません。

「みにくいあひるの子」は、あひるの中で育ったので あひるだと信じ、周りのみんなと比べ劣等感を持つことさえあり…。

そこにある「りんご」は確実に存在する物体。

それを、呼ぶ名称が「りんご」と名付けられ、「りんご」とみんなが呼び、当たり前に継承されていく。

だから、社会生活で混乱が起こらず 過ごせているのかも知れない。

でも聖書の中、「バベルの搭」のお話の中では、神さまは全ての言葉を変えて、混乱させ、世界中  それぞれの言語で意思が通じ合わなくされたとも…。

日本人同士であれば、固有名詞はちゃんと伝わり良いのだけれど、生活習慣や思想的なもの…そういったものに関しては、やはり真実はひとつとは限らないように思えます。

実際、今の日本には、新興宗教やキリスト教、また仏教の中にも、宗派が色々あり、真実を「これだ!!」と決めることのないのが日本人の良い所でもあり…。

また、色々あるから迷っている人もいて…。

昨年から、太陽院で扱っている「水素」や「健康寝具」に関してもそう…。

「水素」は何か薬剤を入れるわけでも無く、水が電氣分解され発生するだけのものなので、悪くても現状維持。

良ければ、体液の質が変化し、また皮膚疾患にも変化が出てくるし、しかも冬は湯冷めもしにくく、私自身がイイと思ったので取り扱わせてもらっており、

「健康寝具」に関しても、開院以来20年以上扱ってますが、モデルチェンジもなく、また私自身が使用しているマットや枕も、20年以上使えており、

素材自体も“東レ”が開発した冬面は体温をこもらせてくれる“東レぺフ”、夏面は通気性に優れ、しっかり就寝時に身体をサポートし筋肉を緩め、

自分自身の持ってる自然治癒力を引き出してくれて、なにしろ施術の回数を減らせてくれる。

まっ、何を自分自身が信じるか!

信じたものが、真実と呼べるものであるかどうかは ひとりにひとつづつなのかも知れないし、誰が言ったものを信じるかどうかなのかも。

そして、モノだけでなく   やはり見えない世界のことは、

特に誰に出逢うか?何を信じるか?っていうのは、人生を豊かにもつまらなくもしてくれる氣がします。

私は、2008年エドガー・ケイシーを伝えてくれる日本エドガー・ケイシーセンター会長光田秀氏に出逢い、伝えて下さる様々なことが真実であると直感し、それから色々学ばせて頂きました。

そして、光田先生を通して語られる見えない世界や古代史、ケイシー療法の数々も…。

見えない世界だからこそ、人はあれこれ迷うけれど、伝え続けてくれる光田先生自身がぶれずにケイシーを信じ伝えてくれてるので、私は素直にそこに真実をみることが出来てるように感じます。

その光田先生から紹介してもらったもらった三重県津市の建設会社社長赤塚高仁氏。

聖書や古事記、日本のことや、天皇陛下のことそして、真実のイスラエル…なかなか伝えることが難しいことの数々を、わかりやすく伝えてくれる赤塚さん。

赤塚さんから伝えられるひとつひとつのことが、伊勢に行き、イスラエルに行き、皇居の勤労奉仕で天皇皇后両陛下の御会釈を賜り、そしてペリリューにも行かせて頂き…。

私自身もこの目でこの足で、感じさせてもらい、そして確実に真実の扉がひとつひとつ開かれていったと感じます。

何か見えないエネルギーに寄って、出会わせて頂いたお二人が、「りんご」を「みかん」と読んでたら、私も「みかん」と呼び始めるかも知れません。

お二人を知らない方は、「えっ!!大丈夫???」って思うかもしれませんが、私はそれで良いと思ってます。

事実はひとつだけれども、真実はひとりにひとつ。

誰に出逢い、何を信じ、何を感じるか…。

自分が、自分自身はこういう人間なんだ!と思ってることでさえ、また真実の自分自身は違うかも…。

そして、それがもし間違いだとしても、真の光を求めて動くこと事態を、きっと神さまは「よし!!」としてくれるのだと…。

新約聖書「エペソ人への手紙」より

神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、

御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。 

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

20歳頃好きで聴いてた河島英五さんの「てんびんばかり」