道の主ミカエル

父と子と聖霊という三位一体の中、聖霊とは 草や木、花々や石などに宿る聖なる霊。

日本で言う八百万の神。

そして、天使や大天使、妖精は精霊。

この天使や大天使、妖精たちは神さまの使いとなるような御使い。

エドガー・ケイシーの遺した「神の探求」(たま出版)の中、第8課と第9課に突然ミカエルからのメッセージ…霊界通信が伝えられるところがあり私の大好きなところ。


日本のケイシー研究の第一人者である光田先生の講座の中、「神の探求」を解説してもらっている中、

静まれ、我が子らよ!頭を垂れよ。…と突然現れる大天使ミカエル。

水戸黄門もビックリ!!な登場ですが、エドガー・ケイシーが存命中、催眠状態のケイシーに突然告げられるミカエルからのメッセージ。

突然部屋に風が吹き  窓はガタガタと震え、速記者のグラディス・デイビスも感動で泣きながら書き留めたそうです。

「神の探求」第8課、「扉を開く」でのミカエルによるメッセージはこんな感じ☟

3つまとめて転記してみました。


静まれ、我が子らよ!頭を垂れよ。

かの《霊》をこの世に顕現させることがこれほど必要とされるこの時代にあって、奉仕のために召し出された汝らに、「道の主」が―《光》を求める人には道が示されるであろうことを―知らせよう。

父の栄光は、召し出されたところの目的に忠実なる汝らを通して現されるであろう!

主の御名を呼び続けてきた汝らは、日々の生き方を通じて人々に主の道を示すであろう。

自分自身の人生の一部としてきた教訓をささやかな行為に移す時、あるいは祈りや瞑想の中で人々と交わることで、人々に主の道が知らされるであろう。

なぜなら、主はすべての人のもとを訪れ―誰でも望む者のところに来たり―

そして、黄金の笏はイスラエルから離れることはないことを、主の道は虚しからざることを汝らが知るよう、汝らの良心の戸口に立ち給うからである。

汝らが聞きさえすれば、今日、道は汝らに開かれん。

われ、ミカエルが汝らに告げる!        (262-27)


汝ら人の子らよ、頭を垂たれよ。

汝らが主の道を知ることができるよう、「道の主」なる我ミカエルが汝らに戒めを与える。

汝らの兄弟の道を妨げてはならぬ。

嘲る者の座についてはならぬ。

むしろ、すべての人が恐れから解放されるよう、主の御名には愛と栄光と御力があることを知らせよ。

われ、ミカエルが語った!         (262-28)


おお汝ら、人の子らよ!頭を垂れよ。

汝ら一人一人に置かれた信頼に誠実であるなら、主の栄光は汝らのものである!

汝らが信じてきた方は誰なのか!

主は、すべてのものの主であり、日々忠実な者に対して主の言葉は虚しからず。

そのことを覚えよ。

主の御顔を尋ね求める者を、われ、ミカエルが守る!(262-29)


転記してても、ワクワクしてくる大天使ミカエルからのメッセージ。

講座の中、この部分を読んでもらった時は、そこにミカエルの霊が乗っかり 私の魂を震わせ涙が溢れ止まらず…。

第9課の「神とともに」の中では、


神の臨在を求めんとする汝らよ、頭を垂れよ。神の力の内に強くあれ。

汝自身の弱さに躓かぬようにせよ。

汝の救い主は生きておられ、汝らと共にあるのだから。

今日、汝らの心にそれが明らかにされるかも知れぬ。

主がお入りになることを妨げるあらゆるものを汝の肉体と意識から一掃せよ。

されば主は来りて汝と共に食せられん。

おお人間よ、汝はその決意を宣言するか?汝らは神と一つになることを求めるか?

わが守護する道は、主の力にある栄光へと導くものである。

われ、ミカエルが汝を導かん。

道に背いてはならぬ。躓くな。

汝は道を知るのだから。         (262-33)


汝は道を知るのだから・・・という「道の主」といわれるミカエル。

天使というとふわりと優しいイメージがあるが、4つのミカエルから示されたメッセージで示されるように 力強く導く言葉の数々。

新約聖書の中、処女マリアに

「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」

と告げる大天使ガブリエル。

きっとその時も、ガタガタと窓を震わせ この世のものとは思えない光と威厳を放ってたに違いない。


私は大天使にまだ一度も出会ったことはないけれども、主の御使いとされる大天使や数々の聖霊は確実に存在し、導いてくれてることは信じて疑いません。

そして、明日は祈年祭。

五穀豊穣を祈る11月新嘗祭と対になるほどの大切なお祭り。

見えない世界を粛々と守り続けている日本の神道。

地元伊曾乃神社は西暦137年にお祀りされ、今年1880年。

世界で一番長く続く天皇の國、日本。

どうか、日本に天の祝福が慈雨のように降り注ぎ、永遠に続きますように…。

GREEEEN  道

 

エレガントに!

人生の内で何度 自己紹介をする場面ってあるでしょうか?

あらたまった場所だけでなく、人が人と出会う時自分のことを どう紹介するか?

自分のこと、一番知ってるようで 知らない自分。

そして、もしかすると 本当はこんな風になりたいけれど なれない自分。

よく自己紹介の場で、エレガントに自分を表現される人をみると 憧れる。

今年、ひょんなことから 西条市の産業情報支援センターが開催している「女性チャレンジスクール」に、第2講座から参加させて頂くことになり

今日は第4講座 3回目の出席。

女性の起業家を支援するために 数年前から開催されている人気のセミナー。

今回は「起業に必要なビジネスマナー」

講師の先生はキャリアライズKAMEOKA 亀岡 さちこ先生。

ビジネスにおけるマナー…出来てるつもり、しているつもりを見直すためにも年に1度くらいは見直しのために受けてみるのも良いそうで…。

お客様に満足して頂くための有形・無形のサービス。

目指すは、Customer   Delight (カスタマー ディライツ)

喜こんでもらえるサービス…感動のサービス。

その中で先ずは、自己紹介。

「こんばんわ!!初めまして!(30度のおじぎ)
近藤  千恵子と  申します。
私のチャームポイントは、健康な笑顔です。
近藤  千恵子と  申します。
よろしくお願い致します。(30度のおじぎ)」

これだけの 紹介の中でも 学ぶところはたくさん。

3時間の講座の中、背筋が何度伸びたことか…。

名前は2度言うと、覚えてもらえるし、近藤と千恵子の間は 一呼吸おくくらいの間を入れて…。

そして人の第一印象は、なんと6秒で決まるそう!!

視覚55%  聴覚38%  言語は7%  いかに身だしなみや笑顔、また目線も大切か…。まさしく「目は口ほどにモノを言う!」

挨拶の「挨」とは、心を開く!

「拶」は近づく!迫る!押し開く!!

そして挨拶も聞こえなければ独り言っていうことで滑舌も練習次第らしく

「アエイウエオアオ! カケキクケコカコ・・・」

「お綾や母親におあやまりなさい」  「隣の客はよく柿食う客だ」
「五郎が五両、十郎が十両、十五郎が十五両」…

あのアナウンサーのように、美しい声に近づいてみたいな!!…とも。

そして、魅力的な表情「笑顔」も4段階。

①にこやか ②微笑み ③にっこり ④思いっきりの笑顔

思いっきりの笑顔は「ウイスキー だいすきー」で作れるそうで、私のいちばん得意な表情かも知れない。

かの松下幸之助さんも「商は笑して勝なり」と言ったとか!!

ショウはショウしてショウなり!!

おまけのない時は、笑顔を付ける…なるほど なるほど。

誠に、「笑う門には福来る」

笑うと 人が寄って来て、その福の人はいい情報をも持ってくる。

チャレンジスクールもあと2講座。

改めて学ばせて頂く機会を与えて頂けたこと、主に感謝です。

そして、いつかエレガントでスマートな私になれますように…。

今日は、最高の笑顔の三波 春夫さんの「世界の国から こんにちは」

 

感謝

1979年1月21日 32歳の若さで亡くなった井村和清さんが、死の直前まで綴った手記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」に書かれた詩

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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)

 あたりまえ こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。

食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる

空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる
みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう

 あたりまえ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日はバレンタインデー♡

チョコレートを大好きな人に贈ることが出来るのも 受け取ることが出来るのも たくさんの奇跡の連続が重なって…。

本当にありがとう…有り難い有り難い奇跡の連続。

そして、何度読んでも 泣けてくる この詩。

変わらない日常が、幸せであること。
あたりまえのことが、あたりまえでないこと。

日本は、地震大国。そして、津波も起こるし、交通事故も毎日どこかで起こってしまっている。

「行ってきます」と出掛け、帰らなかったとしたら…いえ、いつも恐れて生きるのではなく、あたりまえに染まらないこと。

ついつい日常の中、トイレだって

紙があるのがあたりまえ。お水が流れるのがあたりまえ。
戸が閉まるのがあたりまえ。

外出の時も、車が動くのがあたりまえ。
道路があるのがあたりまえ…だと。

あー。

この日常のささやかな事柄の数々を 改めて思わせてくれるこの詩。

新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。

そして 被災地の未来のために祈り歌われた 讃美歌

.(賛美歌298 安かれわがこころよ)

1.安かれわがこころよ  主イェスはともにいます
  痛みもくるしみをも  おおしくしのびたえよ
  主イェスの共にませば 耐ええぬ悩みはなし

2.安かれわがこころよ  なみかぜたけるときも
  父なるあまつ神の   みむねにゆだねまつれ
  み手もて導きたもう  望みの岸はちかし

3.安かれわがこころよ  月日のうつろいなき
  み国はやがてきたらん うれいはとわに消えて
  かかやくみ顔あおぐ  命のさちをぞ受けん

 

 

 

 

サポート

数年前から、ファミリーサポートという 市の子育て支援のひとつで、子育て中の家庭のサポーターをさせてもらってます。

市報でみつけた「子育て中の家庭のサポート勉強会」

私のこの両手で何が出来るの?…とJupiterの歌詞ではないけれど

「サポート」…支えること、支援すること、応援すること…。

もう6年程前に初めて受講させて頂き、色々な形でさせてもらっているサポート。

今日、お母さんの仕事の都合で時々1時間程 預からせてもらう

「さなちゃん」

10月にサポートして以来 4か月ぶりに会った1歳1ヶ月のさなちゃんは、我が家に天使が訪れたようにパーッと光を灯してくれました。

笑って、食べて…もちろん泣いても かわいい~。

あっという間の1時間。

また来てね~と見送り、次に会う時には もう歩き始めてるのかな?

そして、今日は夕方もピアノ教室へ連れて行くサポート。

たまたま 太陽院に来てた患者さんの小学1年の長女ちゃん。

お母さんも知ってるから また楽しい。

なかなか子供に恵まれなかったお母さんのお腹に宿ったひとつの命。

お習字とピアノ教室へ送っていく間だけの サポートだけど色々おしゃべりしてくれるのが…楽しい。

お習字の教室に行く時には、洋服を車の中で汚してもいい服に着替えるんだけど、

移動中交通整備の男の人やすれ違う男性をみると「あっ!…見ないでよエッチ!!」・・・と身体を隠す小学1年生。

「お父さんとはお風呂に入る?」と聞くと、「うん!入るよ」

家族4人、お父さんとお母さん、妹も一緒に入るよ…と。

人は裸で生まれ、衣類を纏って生活する。

今朝のさなちゃんも、心成しか離乳食を食べる時、口の開け方が主人が食べさせる方が おちょぼ口になった氣がする(笑)

子供が、むかし銭湯で 女の子はお父さんと男湯へ、男の子は女湯へと入ることをためらい始めるのは、いつからなんだろう?

旧約聖書の中、エデンの園で神と共に暮らしていたアダムとイブ。

禁断の果実を食べたことで、裸でいることを「恥ずかしい…」と思い始め、そして 誰かのせいにし、神と共に暮らしていたエデンの園を追放された。

その時の神の愛は、アダムとイブに着せた皮の衣。

動物の皮で作られた衣を着ることで、護られるこの地上で生きる身体。

人がひとりでいるのは良くない!!とアダムのアバラの骨から作られたイブ。

これも神の愛。

マタイによる福音書6章25節には

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

子育てサポートをしてる私自身の命もからだも、神さまにサポートされ生かされている日常を歓んで…。

今日は双子のまなちゃんかなちゃんが歌った「いのちのうた」

 

栄光

栄光に向かって走る  あの列車に乗っていこう!!

はだしのままで飛び出して あの列車に乗っていこう!!

…と始まる ザ ブルーハーツの「TRAIN TRAIN」


スキー学校1年目の春、まだ1級が取れず 志賀高原の渋峠のリフト会社でアルバイトさせてもらってた時、

同じ部屋にいた 麻里ちゃんがずっとかけていた ザ ブルーハーツの曲の数々。

世の中に抵抗するような あの熱い歌の数々に共感し やりたいこと やるべきことを やっていた私の青春。

あれから28年たっても この歌を聴くとあの頃が甦ってくる。


今日、私の住む町の市議会議員選挙の公示日でした。

各候補がそれぞれの思いをもって、市制に携わっていくのでしょうが、政治で世の中は変わるのでしょうか?

今日から一週間、いえ その前から出馬する候補者の方々は 腰も低くよろしくお願いしますと頭を下げる。

たった1票を投じることしかできないのだから、悩まされる。

凄く穿った考えだけれど、本当にこの町を良くしたいという熱い思いを持っての立候補の方は何人いるのでしょうか?

戦後、何もなかった時代 この町のために!!と 私財を投じて支えてくれた方もあったのでしょう。

モノが溢れ、豊かになり、心だけがポカンと穴が空いてしまったような今。

その穴を埋めるように、知識を詰め込み、また人は、地位や名誉、財産をこの世の中で得ようとし、懸命に頑張る。


地位や名誉や財産を 得ることが悪いことではないのは、わかっている。

地位や名誉や財産は本当に示されたモノが その「時」にぴったりと合って初めて価値があるような…。

たまに議員さんの中でも当選してしまえば 先生…先生と呼ばれ偉そうな方も…いたりして…。

地位も名誉も、そして財産も結果論…かと。


名もない画家や作家、研究者や開発者…この世から去った後 地位や名誉を得る場合も多いようだけど、

世界中の人が知っている イエス・キリストも生きている頃は その時の権力あるモノたちに捕らえられ、張付けにさせられて…。


昔、吉田拓郎氏が歌った

人間なんてララーラララララーラ
人間なんてララーラララララーラ

人間なんてララーラララララーラ
人間なんてララーラララララーラ

と、本当に人間なんて ちっぽけで きっと天から見ると滑稽で…。

こんな風にララーラララララーラと歌いながら選挙カーに乗って
この世をさらりと変えていくような政治家って出てこないかな?

そして、吉田 拓郎さんの「にんげんなんて…」

 

 

 

 

 

 

日の本

今日2月11日は、建国記念の日。

日本國が誕生して2677年。

明治21年に作られた「紀元節唱歌」

紀元節

一、
くもにそびゆる たかちほの  たかねおろしに くさ
なびきふしけん 大御世おほみよを  あふけふきょうこそ たのしけれ
二、
うなばらなせる はにやすの  いけのおもより なほひろき
めぐみのなみに あみしを  あふけふきょうこそ たのしけれ
三、
あまつひつぎの たかみくら  千代ちよよろづうごきなき
もとゐさだめし そのかみを  あふ今日きょうこそ たのしけれ
四、
そらにかがやく もとの  よろずくにに たぐひなき
くにのみはしら たてしを  あふけふきょうこそ たのしけれ

文献によると、天照大神の孫 ニニギノミコトが高天原に降りてきた後、神武天皇が奈良の橿原に向かうまでの時は179万2470年あまりになると書かれていました。

古事記の中、神武天皇はニニギノミコトの子供…山幸彦の孫。

ニニギノミコトが山の神さまの娘コノハナサクヤヒメと結婚し、

また山幸彦は海の神さまの娘トヨタマヒメと結婚。

そのトヨタマヒメと山幸彦の間に生まれたウガヤフキアエズノミコト。

このウガヤフキアエズノミコトの孫が神武天皇となるんですから、ニニギノミコトから6代。

初代神武天皇は、天照、山の神、海の神の全ての血縁を得ての建国。

179万2470年間で6代…それは1代約298,700年づつ生きていたことのようで、

また神武天皇から125代目の今の今上陛下までが2,677年を単純に計算すると、1代21,4年間。

聖書の中でもノアは950歳まで生き、アブラハムは175歳だったと…。

まっ深く探求はしませんが、「日の本」日本を治めていく天皇とは 身を犠牲にしながらも国民、国家の平安を祈り守っていく尊く有り難い存在。

そして、日本國の建国を宣言する前

スサノオノミコトの子孫が納めた179万2470年と

アマテラス子孫が繋いできた2677年を足してみると、

179万5147年。

ニニギノミコトが天孫降臨の時預かって来た詔

「天壌無窮の神勅」

豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、
これ吾が子孫の王たるべき地なり。

爾皇孫、就きて治らせ。
行矣。

寶祚の隆えまさむこと、
當に天壤と窮まりなかるべし
(日本書紀巻二)
~~~~~~~~~~~~~

現代語に訳すと次のようになるそうです。

~~~~~~~~~~~~~
豊かな葦原で、
秋になると稲穂がたくさん稲が稔る國は
私の子孫が統治する地です。

なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。
元気で行きなさい。

寶祚(天皇の御位)が栄えることは、
当然に天地と共に永遠で窮まりないことです。

~~~~~~~~~~~~~

奪うことなく、和をもって尊しとなすと読んだ聖徳太子

シラス國。

和の国。

紀元節第4章に「万の国にたぐひなき」と示されたように

世界に類を見ない唯一無二の日の本日本。

イザナギ、イザナミによって国生みされ179万5147年余り。

出雲の国譲りからアマテラスの世へと移り2677年。

人の寿命は、長く生きても今は100年。

多くの人が生まれては死に、死んでは生まれ…。

永い永い年月を山や海、大自然に包まれ、また地震や津波 厳しい天からの試練をも越えて存在する「今」

アトランティス大陸などは、3度の地殻変動で海底に沈まされたんですから、「在る」ということは奇跡の連続、神さまの計らい。

「今」を歓び、堪能し、何が私に出来るのだろうと天に問いつつ

世界が、日本が主の御恵に満ち満ちたものとなりますように…。

日本國 皇紀2677年 お誕生日 万歳…!!

そして、今日は吉元由美さん作詞 平原綾香さんの歌う「Jupiter」

 

 

 

 

 

約束

今朝、私のパソコンに届いた日本エドガー・ケイシーセンターからの珠玉のメッセージ。

誰かがときどきあなたを疑うからといって、それで動揺してはなりません。自分のバランスを保ち、あなたが主の愛、主の誡め、主の約束を他の人達に実践するならば、主が親しくあなたと共にいてくださることを覚えておきなさい。

Don’t be disturbed because others may at times question you.
Keep your own balance and know the Lord is with thee personally, as ye personally apply His love, His precepts, His promises toward others.

(1179-12)

主の愛、主の誡め、主の約束

主の姿を私はまだ見たことはないですが、主の愛、主の誡め、主の約束は、絶対です。

旧約聖書の中、第一章。

天と地、昼と夜、空の鳥、地に住むモノ、主に似せて造られた人。

主ってどんな方?

そんな我々のために、

「主とはこんな風に生まれ」

「こんな風に語り過ごしていくんだよ」

と、2017年前、天から使わされた主のひとり子キリスト・イエス。

明日は、2月11日この日本の國の誕生日。

7年前、イエス様の生涯を知り、初めて聞かせて頂いた陛下のお仕事。

「只々、日本国の安泰と国民の平安を祈ること」

きっとイエスさまと同じように、自分自身を犠牲にしても守りたいものとして、祈って下さっている陛下の思い。

2014年、勤労奉仕に参加させて頂き、ご会釈頂いた天皇皇后両陛下。

今の、皇后陛下は初めて民間から嫁がれた方。

嫁がれた日から、皇族として生きられる人生。

日本国の安泰と国民の平安を祈りとされる天皇陛下の一番近くで共に過ごし生きておられる美智子皇后。

この両陛下に勤労奉仕の際、団体の代表が捧げた「万歳三唱」

その後続いての万歳三唱。

お言葉を交わすことなく伝わってくる「ありがとう」の風。

明日、建国記念奉祝記念行事の中、天皇陛下への万歳三唱が行われます。

万歳とは、万の歳と書き 永遠の健康、長寿を祈るもの。

そして、日頃私たちの知らないところで  祈って下さっている陛下へのお礼。

この日本が初代天皇陛下である神武天皇によって建国を宣言された日から数えて2677年目の記念の日

わが町西条でも、由緒正しき石鎚神社にて行われる「建国記念奉祝行事」

明日、13:30~15:30まで行われます。

今回特別講演は葛城 奈海さん。

尖閣諸島に10回以上行かれ、また予備自衛官として活躍しておられる奈海さんは、とても素敵な女性。

きっと奈海さんも、今の時代を選び日本を守るために約束し生まれて来た魂。

主の愛、主の誡め、主の約束を他の人達に実践するならば、主が親しくあなたと共にいてくださることを信じ

明日、日本國の2677年目のお誕生日をお祝いさせて頂きます。

日の丸と共に…。

今日は、紀元節の歌と共に画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きること

今日、運転中前方に2羽のカラスが雀を追いかけ…そして1羽が雀を食べてしまいました。

大通りで突然繰り広げられた「弱肉強食」の生き物の食物連鎖。

目の前で、1羽の小さい雀が逃げ延びられず終わりを迎えるその様は、自然界では当然のことなのだけど、唖然としてしまいました。

初め、1羽のカラスが雀を捕らえ それを見つけたもう1羽のカラスが近づき 先のカラスは雀を落とし、雀は命からがら逃げようとするけれど、2羽のあの黒いカラスが追いかけると…もうアウト。

この間、1分もかからない時間。

逃げて!!逃げて!!と祈り叫んだけれど、これが自然の法則。

なんとも はかない命。

ノアの方舟が、大洪水の後 トルコのアララト山に漂着し、地に緑が芽吹いて来たかと 放った初めの鳥は「カラス」

そして、カラスは戻ってくることなく、次に放ったのが「鳩」

鳩は、オリーブの葉をくわえて戻ってきたところから オリーブや鳩は平和の象徴となっていった様ですが、では初めに放った「カラス」はどんな意味があるのでしょうか?

鳩とカラス

白と黒。

草食の鳩と雑食のカラス。

日本の神話の中では、3本足の「八咫烏(ヤタガラス)」が初代神武天皇を導きます。

私にはなぜカラスだったのかわからないですが、方舟に戻って来なかったカラスを 日本の神話では3本足になって、神の使いとなり 報われないカラスを救済したのでしょうか?

しかし、弱肉強食・・・食物連鎖に目の前で遭遇し、生きることの奇跡を改めて感じることとなりました。

私自身、生きて行くために お魚も食べるし、お肉も食べる。

「いただきます…とは命いただきます。」

いのちの儚さ、生きてる奇跡。

感謝して・・・。

いきものがかりの「ありがとう」

今日の雀に、そして命ある全てのモノに・・・

 

時の流れ

10年がひと昔ならば、もうみっつも昔に流行ったテレサテンが歌った「時の流れに身をまかせ」

時は、その時その時を鮮やかに駆けて行き、想い出に変わっていく。

今はひとり暮らしの学生さんも必ずもってる電子レンジも、出始めはかなり高級品で 使ってみると便利なので、電磁波がどうのこうのって言っても使ってしまう電氣製品。

電話だって、小学生の頃我が家に電話が着いたときは、凄くわくわくして 電話が鳴ると競って受話器に向かったような。

FAXが家庭用にも使えるようになったり、全自動洗濯機が主流になってきたり、一家に2台も3台も車があったり、道路がアスファルトになったり、木造住宅が鉄筋住宅になったり、窓がサッシに変わったり…。

世の中もどんどん移り変わって来たけれど、私自身もコーヒーにミルクやお砂糖を入れてたのが、ブラックになったり、ピーマンやシイタケが食べれるようになったり、

日本酒や焼酎を美味しいと感じたり…。

時が嗜好を変えてくれたり、思考も変えてくれたり…。

多くの便利なものが出て来てはいるけれど、そのどれもが人々の身体や生活にとって良いものかと言うと、???って言う感じのモノも多いかも知れません。

車社会になり、どんどん便利になる一方、空氣も汚れ事故も増え、テレビの番組で伝えるニュースは、悲惨な事故や悪質な犯罪。

まるで、昨日ブログで書いたソドムの町の様にも思えるような事件までも…。

夜も昼も開いているコンビニや、スーパーが私の住む田舎町でも当たり前にあり…。

日本人や田舎の人間は、同胞意識が高い為か、誰かと変わったことに凄く抵抗を感じる人も多いようです。

ツーと言えばカーと言うように、思っていること考えていることもまた凄く伝わりやすく…。

今、世の中で注目されている「水素商品」

我が家は、昨年から飲んだり水素風呂にしたりと、普通の家庭より少し早く水素のある生活を始めました。

そして、太陽院でも扱い始めました。

水を電気分解することで発生する水素。

きっと世の中の常識になっていくのもあと1~2年程かと思います。

3,780円で借りられる水素風呂は、経済にも健康にも、美容にも効果抜群!

使わないと始まらないし、使い始めるとやめられない…かっぱえびせんのような(?)水素風呂。

カセットテープがMDになり、すぐにCDに変わっていった様に、世の中はどこかで何かに仕掛けられ、また何かの力に抑圧されながら流れて行ってるような…。

宇宙にだって人が行く時代。

小学生の頃、21世紀の世界を想像してたけれど、今まさに21世紀。

便利になりすぎることで、大切なものを失ってしまってるのも今かも知れません。

アトランティス大陸が3回の地殻変動で海底に沈んだり、ノアの方舟が40日40夜洪水の中漂ったり、ソドムの町が滅ぼされた時のように、

人類のいちばんの罪は「神から離れてしまうこと」

三重県津市の赤塚さんが自身の会社でずっと提案し続けている「健康になるための住宅」の話を聞き

あー   世の中では人が住まう住宅も有害物質で簡単に張り付けられた味氣ない産業になり、

また神の宿る身体を治していく医までも算術になってしまおうとしているのかと…。

時は常に流れ、人も変わっていくけれど、変わらないものがあるとしたら、見えない世界から届けられている人々への希望と愛。

その時どう思い、どう動くか。

様々な試練にも立ち向かい、初めてのおつかいに行く幼子のように、迷いながらも自分自身が求めるモノに向かって…。

そして今宵は 懐かしい沢田 研二「時の過ぎゆくままに」

 

 

 

先日、「クリスマス島の塩」を購入しました。

その前は、友達にプレゼントしてもらった「地球の塩」

そして、他にも今我が家には、「フランス天日塩」や「ピンクソルト」が置いてあります。

私が生まれたその時、なかなか泣き止まない私に ゆで卵用に持って来ていたお塩を舐めさせたら泣き止んだ!!と母から聞いたことが有ります。

生まれたての赤ちゃんに塩・・・。

ちょっと 考えられない話ですが、おかげさまで私はお塩が大好きです。

ナトリウムではない 美味しいお塩。

大自然の中、手間暇かけて出来上がった海からの贈り物。

3年前、イスラエルに行った時 塩分濃度30%もある「死海」に行った時、ちょっと舐めてみるとお塩の味ではなく、にが味だけ。

濃度が違うだけで、小錦のような大きな身体までぽっかり浮かんでしまうんですから、不思議です。

聖書の中、神さまの目にはもう見ていられないほど 人々が神から離れ、堕落した者たちの住む場所となったソドムという町。

この町を滅ぼすために、ふたりの天使が町を訪れ…その天使をも犯そうとするソドムの町の者たち。

そんな中、ただ一人アブラハムの甥っ子ロトだけは、神さまから使わされたふたりの天使を心からおもてなし…。

天使たちによって告げられた、ソドムの町を神さまが滅ぼしたいという計画。

そして、ソドムの町を出る時に約束された「決して振り向いてはいけない!!」という言葉に反して、振り向いてしまったロトの奥さん。

そして、塩の柱とされてしまったロトの妻。

「後ろをみるな!!前に進め!そして神の言葉に従うように…」

その時の意志の弱さと過去への執着。

そして、ノアの方舟の大洪水と同じように、神さまから離れたモノへの見せしめ?

神さまの存在は100%

目には見えないけれど、必ず存在する聖なるモノ。

日本人には、木にも石にも山にも海にも全てのモノに宿る神の霊。

そして、この聖なるモノが穢れた時に、清めるための塩。

ロトの奥さんも塩となり、ソドムの町をずっと清めているのかも知れないですね。

そして今日は 加山 雄三さんの「海 その愛」