「大和魂」カテゴリーアーカイブ

憲法

今日、5月3日は1947年に日本国憲法が施行されたことを記念して定められた祝日。

明治開国以来、日露戦争に勝利し 大東亜戦争で敗戦。

戦争には負けたものの、その戦い方に恐れを抱いたのがアメリカ軍。

自分の命はどうなっても、国家の安泰を願い戦う姿。

ぺりりゅー島での持久戦やフィリピン・マバラカットで始まった特攻作戦。

アジアの東の端の小さな国の祖国への忠誠心。

十七条憲法、会津の江戸しぐさ、武士道、教育勅語…等々

日本人の基本となる教えの数々。

その脈々と続いてきた祖国への思い、同胞への愛。

イスラエル建国の父となったヨセフ・トルンベルドールが、日露戦争で戦った日本軍の「国の為に平然として命を投げ出す有り様」を見て

また捕虜となり収容所で「ユダヤ人ロシア兵も他のロシア兵と対等に扱う姿勢」や「我々に経緯さえも表してくれる日本軍の姿」から

シオンに帰ろう!祖国を再建しよう!!と立ち上がることが出来たのもそんな日本人の国や人を愛する姿に心動かされたから…。

そして、トルンベルドール自らもイスラエル再建に向けイスラエル軍を組織し自衛に当たりながらも、アラブからの攻撃を受けて戦死する際

「国の為に死ぬのは良いことだ…自分の命よりも、もっともっと大いなるものの為に死ぬのだから…」と言い残したことは有名でもある。

聖書の中でも、ヨハネによる福音書に

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら豊かに実を結ぶようになる

という一節の中にも命よりも大切なものを示す言葉。

今、ミサイルを容赦なく発射させようとする様な国や日本を侵略してきた悪い国と学校で教えられてきている国とも、近すぎる距離にある日本。

1947年に施行された憲法も、70年。

「日本は自分たちで身を守るか我々に金を払え」という大統領も…生まれた今。

そんな今だからこそ、しっかりと日本人が自分の国家を守ることの出来る憲法へと変えていく時なのかも知れません…ね。

 

 

 

 

昭和の日

本日、昭和の日。

昭和天皇御存命中、戦前は「天長節」と呼ばれ 戦後は「天皇誕生日」となり、そして御崩御された後は、「みどりの日」となり、

平成19年、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」…昭和の日。

伊予のお伊勢さんと呼ばれる西条の伊曾乃神社でも「昭和祭」が執り行われました。

朝10時からの御神事、そして同時に開催された「崇敬者大祭」

和太鼓集団の鼓動で世界中を回って来られた篠笛奏者の阿部一成氏。

静寂の中、篠笛の音と風の音、「やっぱり日本っていいな~」と感じるひととき。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上
ハルキフォート高橋さん撮影の写真

そして、伊曾乃神社の堀川宮司さまのお話の中、昭和天皇が昭和33年、現在の今上天皇と美智子皇后の御成婚が決まった際 詠まれた御製

「喜びは さもあらばあれ この先の からき思ひて いよよはげまな」

この世で天が定め 次に天皇となる皇太子さまの喜びの心と、諌めるようなこの御製に、天皇として また父としての大きな愛を感じさせて頂きました。

激動の昭和の時代。

昭和天皇の戦後の全国行脚、そしてマッカーサー元帥との謁見。

そして、今上天皇陛下もまた 有識者という方々の意見や国会を通し、平成30年を以て平成が終わり上皇となる今の時代。

125代脈々と繋がり陛下の祈りの中 守られているこの日本。

そして、愛媛の中でも 昭和天皇 皇后両陛下が愛媛を行幸啓の際、幣帛料を賜っているほどの 由緒正しい伊曾乃神社で昭和天皇に感謝し思いを共に出来ましたこと 天にいっぱい いっぱい…感謝いたします。

 

 

えびすさま

20年以上「風の祭典」と題し公演されている東京の齋藤美惠子さん。

ひょんなことからお知り合いにならせて頂き、お話を伺い…なるほど深いな~と、興味深かったことをひとつ書いてみようと思います。

美惠子さんの娘、恵子さんはダウン症という障害を持って生まれて来られました。

そんな恵子さんに、普通の人と同じように舞踊を教え、大勢の前で舞い太鼓を叩くほどにまで指導して来られた、ご両親。

そして、昨日電話でお話しさせて頂いてた際、聴かせてもらった「蛭子」のお話。

古事記の中、天上界での最初の夫婦イザナギさま・イザナミさまによる「みとのまぐわい」によって初めて生まれた子がヒルコ。

この「ヒルコ」は、葦の船に乗せられ淡路島にあるオノコロ島から川に流されたそう…。

その後の「ヒルコ」の様子は古事記には書いてはいないけれど、

日本書紀では、ヒルコは淡路島を生んだ後に生まれ、3歳になっても脚が立たなかった為

アメノイワクス船という賢固な楠で作った船に乗せて流し…

流されたヒルコが流れ辿り着いたのが、摂津国西の浦(今の兵庫県西宮)

その土地の漁師たちがヒルコを拾い上げ、大事に養い育てたんだとか…。

無事に育った蛭子はその後、「エビス様」として航海・魚の神さまとして祀られるように…。

そして、その後エビスは市の神、商売の神さまとなり、福神・エビス様となり、その後七福神の恵比寿様となったのだとか…。

そして、宝船に乗っている七福神は障害者であったとも…。

昔の人は障害のある方を 尊敬し拝むという風習があったようで、私たちの罪を全部一人で引き受けて生まれて下さったという思いを持っていたようで…。

こんな古事記や日本書紀の話を知り、美惠子さん自身 わが子がダウン症を持って生まれて来たことは、神さまが福の神を届けてくれたように思われたそう…。

私の住む町にも川と海が交わるところに、「蛭子神社」があり 普段何氣なく通り過ぎていたけれど、今日は降りて参拝させて頂きました。

そういえば、淡路島には「七福神めぐり」があったな~。

そして、齋藤美惠子さんと恵子さんご家族とお弟子さん達の四国で初めての「風の祭典」愛媛公演は5/7(日)です。

福の神さまに、是非逢って下さい!

 

リーダー

今朝、松下幸之助氏をクローズアップさせたテレビ番組が放送されていました。

その番組をしっかりと観る時間はなかったけれど、「経営の神さま」と呼ばれ…また、世界の松下とまでも言われるほどの人間。

エピソードや語録は本屋さんやインターネットでも たくさん披露されていて…。

9歳で丁稚奉公に出て、94歳で逝去されるまで…。

「松下電器を大きくするか、小さくするかということは。社長の私が決めるものでもなければ、松下電器が決めるものでもありません。すべて社会が決定してくれるものだと思います」

…と、語ったという幸之助氏。

また、ある人が胸にたまっっていた うっぷんや不満を幸之助氏に対し、あらいざらいぶちまけた。

話しているうちにボロボロ泣けてきて、涙ながらに訴えたという。

その間ひと言も口をはさまずに じっと聞いていた幸之助氏が最後に ぽつんと言った言葉

「きみは幸せやなあ。それだけ面白うないことがあっても、こうやって愚痴をこぼす相手があるんやからな。僕には誰もそんな人おらへん。君は幸せやで」 と…。

リーダーは孤独。

この幸之助氏の思いや行動。

一緒にすることは不謹慎かも知れないけれど、キリスト・イエスや天皇陛下が抱く思いと同じかも…と思ってしまう。

「誰もわかってくれなくても、お天道様や神さまはちゃんと胸のうちまでわかってくれている!!」…と、いう確固たる思い。

一人じゃないよ!!

イエス様が十字架を背負い、鞭打たれ 罵声を浴びせられながらも ひとり歩く ゴルゴダの丘に至るまでの道 ヴィアドロローサ。

主の愛と慈しみを受けたものが辿る 栄光への道。

「逆境の中でこそ人は成長する」そうだけれど、優しい言葉や思いやり溢れる言葉で人は救われることも…。

キリスト・イエスの受難日からイースターと呼ばれる復活祭までのここ数日、そんなことを思う 風強い春の夜…。

 

 

 

花・花・花

今日15日、神社での月次祭。

博多から朝戻り、コロッと忘れてしまい お昼4時近くに参拝。

いつも参拝させて頂く、伊曾乃神社御本殿に入ったところで、赤ちゃん連れの御夫婦とすれ違い…

その向こう側では、結婚式を控えたカップルが白無垢と羽織袴で前撮り中。

しばらく雨の日や曇りの日が続いていたけれど、今日は晴天。

白無垢姿で幸せいっぱいの花嫁さんやまだ若いけれど家庭を背負う覚悟に満ちた花婿さん。

花婿さん、花嫁さんの「花」

調べてみると、比喩として美しいモノ、煌びやかなモノ、大切なモノ等々に「花~」と使うのだとか…。

人生の節目…結婚の時。

華やかに美しい姿にお互いがお互いを愛でてほっこりと優しい気持ちになれる時。

「いつまでもお幸せに~!」…とこちらまで顔が緩みます。

今日facebookでみた写真は「花筏(いかだ)」

桜の花びらが水面に落ちて、揺れる様。

あ~!!日本っていいな~と思える今の季節。

咲いても、散っても美しい桜。

東北の震災の後も、熊本の震災の後でも…凛として花を咲かせる桜。

そして、良寛さんの遺した

「散る桜 残る桜も 散る桜」

靖国神社の紋章は、皇室の十六菊花に桜。

ながい長い季節を超えて、やっと咲いた!!と思ったら、ぴゅーぴゅーと春風に一夜で散ってしまう時もある桜の花。

抵抗せずに流れの儘に散っていく桜は、美しくまた潔い。

樹齢80年から100年以上の桜の木も!!

毎年花を咲き続けている桜。

訪れるみんなの会話を、
桜たちは どんな風に聴いているのでしょうね。

 

 

 

 

未常識な世界

形に無いものが、形になり  そして当たり前になるまで…。

今日、博多で開催された「WCJ」という会社のフォーラムには  全国から1,500人もの人々が集まっていました。

なかでも、いつもは大阪や東京近郊で開催される フォーラムが   初めて九州で開催されると言うことで

九州の熱い血が動き  鹿児島や大分、長崎など各地から バスをチャーターして来てるほど…。

2014年に始まった水素風呂のレンタル事業

開始時には  形も無かったものが  形になり 、商品が出来て、商品への信用となり、確信へと変わっていくもの。

その まだ あまり世間では認知度も低いものが  社会から信用され  世の常識となる過程を 間近で関わらせて頂いていること…

あの昭和の荒れ野原から  経済大国へとなっていった  日本の底力。

創業者の思いやビジョンに触れ、胸に感じる熱い思い。

明日のことも  当然1年後のことも、わからない世の中。

ただ本当に確実にわかっていることは、生まれたら100% 死を迎えると言うこと。

「僕の人生は明日で終わる。生きたであろう残りの人生を未来の君たちに託す」

と書かれた  鹿児島知覧特効記念館に残る青年の遺書。

「WCJ」の片田社長はこの遺書に触れ、先人から受け継ぎ、託された思い…

また最高顧問である 友田代表は、世界中の不条理を無くしたい…そして、戦後この日本を作り上げてきた 方々が 「下流老人」と呼ばれる様な世の中の不条理もまた 無くしたいという熱い思い。

生まれたことは当たり前では無くて、両親や神さまから与えてもらった 命ある今。

自分さておき他人から…

自分のことは、後回しにしても  まわりの人が歓んでくれることに  歓びを感じる大和の心。

利己主義の反対語である  利他の思い。

これから この「WCJ」という まだまだ若い若い会社。

44歳の代表と41歳の社長の思いが どれだけの方々を笑顔に導き

身体の健康、心の健康、そして経済の健康までも提供していくことになるのか  わくわくしながら  博多からの夜行バスの中、

また先進医療Bに認定され、このWCJから販売されている水素ボトル。

今日も鼻に水素吸引のカニューレを着けながら ブログ書いてみました。

世の中も人生も  あっという間に変わるもの。

どうか  いい風に導かれますように…。

高速バス

夜行バスに乗って、博多に向かってます♪

2年前、名古屋で赤塚高仁さんの聖書講座を受けるため、毎月1回夜行バスに乗って名鉄バスセンターまで通いました。

そして、昨年は長崎と神戸での聖書講座。

長崎は3ヶ月に1度。

博多バスセンターまで夜行バスで向かい 朝、特急かもめで長崎まで…。

そして、神戸の聖書講座は、朝一番6時35分に出発し、11時前に三ノ宮に到着の高速バス。

四国に高速道路が通り、瀬戸大橋、  鳴門・明石大橋、しまなみ海道と 昔  連絡船で渡った本州も地続き。

マイカーならば、時間を氣にせず   いつでも海を越えられるんですから…本当に有り難い。

就職試験で尼崎に行くときも、入社式や研修で行くときも  小さいときの家族の旅行もいつも高松駅で乗り換え  岡山まで…

帰って来る時は、宇高連絡船に乗ると

「戻ってきた~」と言う感じ。

あの 船の上で食べる おうどんも…。

修学旅行の写真には、デッキで食べてる写真が しっかり撮られてました。

九州に向かうバスも  今日は平日でガラガラ。

空いてる席で、シートを思いっきり倒して寝ることが出来そうです。

そして、朝起きると「博多~ーーーー」

有り難いものです。

鼻に水素吸引キッドを装着し、バスに揺られながら書くブログ♪

運転手さん   ありがとうございます。

便利な時代♪

先人が望み 叶えられた 数々の便利になった生活。

いつかこの世を跡にするとき  私が生まれてきた時よりも いい日本になって還って行けるように…張り切って参ります。

明日は、九州では初開催の水素事業のフォーラム。

5月からは、水素風呂のレンタルも 1ヶ月の無料期間がなくなり  最初に2ヶ月分先払いしてのレンタル開始。

今月25日のレンタル契約完了までが、お徳~。

レンタル品…今なら直ぐにお渡し出来ます。

水素まみれで  美と健康  そして 経済的なので  家族がもっと輝く笑顔に…。

 

 

寅年

私は昭和37年生まれ…寅年

今日、お世話させて頂いてる高齢者で構成された「おとひめ会」は、急遽お話会。

最高年齢103歳、平均80歳程の女性が 毎週木曜日「いきいき100歳体操」を継続している中、いつも使っている集会所がダブルブッキング。

それならば…と、家を提供してくれて 2時間ほど出来たばかりの「おとひめ会」…みんなで今後のミーティング。

そんな中、一人一人の人生を語ってもらう時間も作っていきたい…と思い、「戦争の頃のお話も聴かせてほしい」と、言ったところ 出てきた言葉にびっくり。

「戦争の頃、私寅年だったから、千人針たくさんしたよ。」と…。

「えっ?私も寅年!!」

「何で、寅年が良かったんですか?」と、問うたならば

「寅は千里を行って 千里を帰ってくるから、寅年の人は自分の年齢の分だけ結び目を作ることができる!!」と…。

「へぇーーーーーーーーーーーーーーーー」

寅年生まれの私は、その話聞いて感動(^^)

ウィキペディアによると

1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で千人の女性に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらう。

特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。

これはが「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵士の生還を祈るものである。

同様の理由から、ただ単に縫い目を並べるのではなく、虎の絵を刺繍で描いた例も多く見られる。

また、穴の開いていない五銭硬貨や十銭硬貨を縫いこむことも

同様の理由から、ただ単に縫い目は「五銭」は「死線(しせん=四銭)」を越え、「十銭」は「苦戦(くせん=九銭)」を越えるという事に由来している。

他に、神社などの護符を縫いこんだ例もある。

できあがった千人針を、兵士は銃弾よけのお守りとして腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりした。

…と、書かれた「千人針」のこと。

私の名前の中に、「千」という文字があるのも 寅年だからでしょうか?

千里  千人針  千恵子

2年前、大阪のサムハラ神社に参らせて頂いた時 名古屋から来ていた80歳を超えた「八十爺」と名乗る方が

「千恵子という名前は、千人に恵を与えるんですよ」と、教えて下さり、

そうなんだ…。「千」恵まれると思ってた私には衝撃的な言葉であり、またそういう生き方をしたい!しよう!!と思ったほど…。

聖書マタイによる福音書の中

「疲れたもの 重荷を負うものは、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」というキリスト・イエスの示された神の愛。

寅年の御役目と千の恵を与えるという名のごとく、その足元に近づき 神さまの示される愛の世界を示していけますように…。

 

 

神さまからのメッセージ

今日も、水素吸引しながらブログ書いております(*^^)v

水素吸引キットが届いて1週間…朝、洗顔時の肌の感じが柔らかくなってるような氣が…してます。

今朝は、伊予のお伊勢さんと呼ばれる伊曾乃神社の開運春祭り。

そしてゆるきゃら「みきゃん」が境内で迎えてくれました。

伊曾乃神社は、12代景行天皇の皇子タケクニコリワケノ命の子孫が1880年前に開き、天照大御神様の荒御霊とタケクニコリワケノ命を御祀りし国幣中社でもあった 由緒正しいお社。

学生の頃は、遠足や写生で訪れ また初詣はほとんど市内に住む者は当然のように、伊曾乃神社にお参りに…。

10月に行われる秋の例大祭は「西条祭り」として市内の学校や地元のお店もお休みになり、都会に出た若者も戻ってくるような大盛り上がりの江戸時代から260年以上続く御祭り。

伊勢の神宮の分け御霊をお祀りしてることもあり、「伊勢音頭」を歌いながら練り歩く様子は本当に見応え十分。

そんな地域に密着したこのお宮。

古事記から続く神話や、皇室のことを知るまでは ただお正月や何かの時の神頼み…の様な感じで参拝させていただいてました。

一時、聖書をプロテスタントの教会で学んでた時などは、「偶像崇拝」になってしまうのではないか?と、行かない時もあったほど…。

しかし、古事記を知り 伊勢の神宮を参拝させて頂き、尊い皇室の存在を知った時、自然と天照大御神様をお祀りする この伊曾乃神社に足が向かい毎月参拝させて頂くことに…。

我が家から数分でたどり着ける場所にあること自体もったいないほど…。

1日の朔日祭と15日の月次祭、神職さんたちで執り行われる御神事にも数年前から御本殿で共に祈らせて頂き…。

そんな伊曾乃神社で毎月朔日引かせて頂く「御神籤」

何かが変わったのか…弥生3月に引き続き今月卯月4月も「一番大吉」

「一番大吉の御神籤」…そこにはこんなことが書かれてありました。

朝日かげ たゞさす庭の 松が枝に 千代よぶ鶴の こえののどけさ

天の御助けを受け諸々の災い去りて喜びあり
心を正直に行いを慎み貧者を慈しみ弱きを助け
信神怠りなければ思うままになります
色に溺れ酒に狂えば凶なり

そして[神の教]には

花の木陰にねる様な気持ち、感謝、感謝の礼ごころ

神様、御先祖様に、今日一日を無事に過ごさせて頂いた、有り難さのお礼を申して、明日の一日を、清く正しく生き貫く事を御契い申し、お祈り申して、安らかな眠りの床につきましょう。
こころの幸運は感謝の念から湧き出て、身の幸福は祈りによって倍増する。

朔日にお参りしたあと、毎月御神籤の前で、住所と夫婦の名前を言わせて頂き、

「どうか神さま…我々夫婦に神さまからの御言葉をお知らせください」

と言って、伝えられる御神籤を通して神様からのメッセージ

心して受け取らせて頂きました。

そして、今日会った「みきゃん」ちゃんも近づいていくと

「近藤さん!こんにちわ」と、名前呼ばれてビックリ!!

聖書の中、イエス様は初めて会った取税人のザアカイに

「ザアカイよ!」と声をかけたと書かれてあり、

きっとザアカイも今日みきゃんに声をかけられびっくりした私以上に驚いただろうな…と。

みきゃんは愛媛の救世主?神様は全て御見通しっていうことですね。

今日もありがとうございました(^^)

 

 

 

 

 

 

 

我儘と我慢

今日も、水素吸引しながらブログ書いてます(^_^)v

無味無臭でヒューヒュー風が来るわけではないので、全く装着してても違和感ゼロ。

そんな状態で、身体に水素を取り入れ「美」と「健康」に効果あるというんだから有り難い!!

「美」と「健康」

美人薄命という言葉が、世の中から無くなってしまうかも…。

美人薄命とは関係ないけれど、数年前コンピューターを使った占いで出た私の結果が、

「普通の人が成功しにくいことで成功しやすいですね」と…言われたことがあり、嬉しくもありちょっと複雑な気持ちも…。

と、いうことは普通のことは成就しにくいっていうこと?

確かに、私自身ちょっと変わり者?

結婚が決まった時、カイロの仲間が主人に、
「近藤さん  大丈夫ですか?」と、何人かに言われたとか…。

私は、ずっと私しか知らず、誰かの身体の中に住んだことがないので、いたって普通だと思ってるけれど…。

周りから見ると、破天荒な私の行動は普通で考えられない様で…。

そんな私と結婚した主人もきっと変わり者。

そんな主人は明日4月1日誕生日。

55歳最後の夜、一緒に久々に焼肉食べに行って乾杯。

結婚以来、ジェットコースターの様な二人の人生。

破天荒な私の思いつきや行動をいつも傍でハラハラしながらも応援し助言してくれる旦那さま。

頑固な私は、自分自身が納得しないと「はい」とも言えず、喧嘩もしながらの二人の毎日。

似てるところもあり、全く違うところもあり…だからこそ神さまが出会わせ共に歩ませてくれる毎日。

私も主人も末っ子のわがまま同士。

「我儘」と「我儘」がぶつかり合いながら、お互いが少しづつ「我慢」…。

どちらも「我」がつく、「儘」と「慢」

「儘(まま)」を調べてみると、

①成り行きに任せること…「なすが儘」
②そうある通りの状態…「ありの儘」

そして、「慢(まん)」は  おこたる、あなどる

①他を軽んじて自らをよしとする。高ぶる「慢心・傲慢」
②進みがのろい。だらだらと長びく。「慢性・緩慢」

あらあら…調べてみると、

「我儘」は身体にも心にも良さそうで、「我慢」は身体にも心にも悪そう。

お互い我儘に、我慢せず、なすが儘に…

大人になると、どうしても我慢し我の儘に生きる生き方が出来ない状態が多いことが、身体や心への負担になってしまってるのかも知れません。

ちょっと前に流行った

「ありのままに~♪」

この言葉は、自分自身を失い、我慢している人々への神様からのメッセージなのでしょうか?

「私が正しい!私が正しい!!」という我儘ではなく

「私が正しい!あなたも正しい!!」と分かり合うことの大切さ。

多くの人と出会える日々、「和を以て尊しとなす」とした聖徳太子。

大和=大きな和

日本人の一番得意な和の精神…繋がりますように。