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勿体無いこと…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今日、昭和の日

朝、玄関に日の丸を掲げ…今年も伊曾乃神社で開催される

「昭和祭及び崇敬者大祭」に参列させて頂きました。

昭和天皇が崩御されて30年。

昭和元年から93年目の今年。

日本にとって最も大変な時代であった昭和天皇の時代。

御崩御の頃、天皇陛下の存在そのものの意味も全く知らず、その年から始まった志賀高原でのスキーインストラクターの生活。

「平成」へと元号が変わった事と夢のようなスキー三昧の生活だったことだけが私にとっての30年前の思い出。

そして、今日昭和祭御神事と崇敬会の方々との写真撮影後、平成27年伊勢の神宮から賜った 御正宮の革御靱、伊雑宮の梓御弓と御鉾、そして風日祈宮の御太刀をゆっくりと拝見し、堀川宮司さまより丁寧に説明を受けさせて頂きました。

  

明治時代までは、御遷宮の際全ての神宝は燃やせるものは燃やし、燃やせないものは土に返したのだそう…。

なぜ全てのモノを土に埋めたり、燃やしたりしたのかというと…

「勿体ないから…」なのだと…。

神さまのモノを人が気軽に見たり触れたりすることは恐れ多くてもったいない…と言う事だと聞き、なるほど…と。

「勿体無い」と聞くと、捨てるのが勿体無い…と思ってしまうけれど、そこには人間と神さまの間の礼儀がきちんとあったんだな~と改めて日本人の神々とのあり方を感じさせて頂きました。

また、神宮の摂社・末社全てのお社を建て替えるだけでなく、御太刀や御鉾…全ての神宝もまた20年に一度新しくし…技術の継承が続いて居るのだと…。

堀川宮司さまより、日本には法隆寺のようにずっと永く続く建物もあり、また20年に一度の遷宮によって建て替えることで継承されるものも・・・。

凄いことだな…と改めて感動いたしました。

目には見えないけれど、目の前の人間よりも神を畏れ仕えて来た神官さんや技術を継承し建立する匠の方々。

伊曾乃神社は昨年御創祀1880年。

平成27年の御遷宮後から、各県のひとつの神社に神宝を賜ることになったそうで、愛媛県では最初の神社。

今までも御神事の際 見させて頂いてましたが、今日初めてゆっくりお話しを伺い、伊雑宮も風日祈宮も…もちろん御正宮もお参りさせて頂いたことがあり、あのお社からこの西条…伊曾乃神社でお目にかかれたこと…

側にあればあるほど、尊さがわかりにくいけれど、本当にもったいない賜物を間近で拝ませて頂き…感謝いっぱいです。

 

 

 

 

 

 

昭和の日

本日、昭和の日。

昭和天皇御存命中、戦前は「天長節」と呼ばれ 戦後は「天皇誕生日」となり、そして御崩御された後は、「みどりの日」となり、

平成19年、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」…昭和の日。

伊予のお伊勢さんと呼ばれる西条の伊曾乃神社でも「昭和祭」が執り行われました。

朝10時からの御神事、そして同時に開催された「崇敬者大祭」

和太鼓集団の鼓動で世界中を回って来られた篠笛奏者の阿部一成氏。

静寂の中、篠笛の音と風の音、「やっぱり日本っていいな~」と感じるひととき。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上
ハルキフォート高橋さん撮影の写真

そして、伊曾乃神社の堀川宮司さまのお話の中、昭和天皇が昭和33年、現在の今上天皇と美智子皇后の御成婚が決まった際 詠まれた御製

「喜びは さもあらばあれ この先の からき思ひて いよよはげまな」

この世で天が定め 次に天皇となる皇太子さまの喜びの心と、諌めるようなこの御製に、天皇として また父としての大きな愛を感じさせて頂きました。

激動の昭和の時代。

昭和天皇の戦後の全国行脚、そしてマッカーサー元帥との謁見。

そして、今上天皇陛下もまた 有識者という方々の意見や国会を通し、平成30年を以て平成が終わり上皇となる今の時代。

125代脈々と繋がり陛下の祈りの中 守られているこの日本。

そして、愛媛の中でも 昭和天皇 皇后両陛下が愛媛を行幸啓の際、幣帛料を賜っているほどの 由緒正しい伊曾乃神社で昭和天皇に感謝し思いを共に出来ましたこと 天にいっぱい いっぱい…感謝いたします。