我儘と我慢

今日も、水素吸引しながらブログ書いてます(^_^)v

無味無臭でヒューヒュー風が来るわけではないので、全く装着してても違和感ゼロ。

そんな状態で、身体に水素を取り入れ「美」と「健康」に効果あるというんだから有り難い!!

「美」と「健康」

美人薄命という言葉が、世の中から無くなってしまうかも…。

美人薄命とは関係ないけれど、数年前コンピューターを使った占いで出た私の結果が、

「普通の人が成功しにくいことで成功しやすいですね」と…言われたことがあり、嬉しくもありちょっと複雑な気持ちも…。

と、いうことは普通のことは成就しにくいっていうこと?

確かに、私自身ちょっと変わり者?

結婚が決まった時、カイロの仲間が主人に、
「近藤さん  大丈夫ですか?」と、何人かに言われたとか…。

私は、ずっと私しか知らず、誰かの身体の中に住んだことがないので、いたって普通だと思ってるけれど…。

周りから見ると、破天荒な私の行動は普通で考えられない様で…。

そんな私と結婚した主人もきっと変わり者。

そんな主人は明日4月1日誕生日。

55歳最後の夜、一緒に久々に焼肉食べに行って乾杯。

結婚以来、ジェットコースターの様な二人の人生。

破天荒な私の思いつきや行動をいつも傍でハラハラしながらも応援し助言してくれる旦那さま。

頑固な私は、自分自身が納得しないと「はい」とも言えず、喧嘩もしながらの二人の毎日。

似てるところもあり、全く違うところもあり…だからこそ神さまが出会わせ共に歩ませてくれる毎日。

私も主人も末っ子のわがまま同士。

「我儘」と「我儘」がぶつかり合いながら、お互いが少しづつ「我慢」…。

どちらも「我」がつく、「儘」と「慢」

「儘(まま)」を調べてみると、

①成り行きに任せること…「なすが儘」
②そうある通りの状態…「ありの儘」

そして、「慢(まん)」は  おこたる、あなどる

①他を軽んじて自らをよしとする。高ぶる「慢心・傲慢」
②進みがのろい。だらだらと長びく。「慢性・緩慢」

あらあら…調べてみると、

「我儘」は身体にも心にも良さそうで、「我慢」は身体にも心にも悪そう。

お互い我儘に、我慢せず、なすが儘に…

大人になると、どうしても我慢し我の儘に生きる生き方が出来ない状態が多いことが、身体や心への負担になってしまってるのかも知れません。

ちょっと前に流行った

「ありのままに~♪」

この言葉は、自分自身を失い、我慢している人々への神様からのメッセージなのでしょうか?

「私が正しい!私が正しい!!」という我儘ではなく

「私が正しい!あなたも正しい!!」と分かり合うことの大切さ。

多くの人と出会える日々、「和を以て尊しとなす」とした聖徳太子。

大和=大きな和

日本人の一番得意な和の精神…繋がりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に続く者たちの為に

昨日我が家に届いた水素吸引キット…カニューレを鼻に入れてブログ書いてます(笑)

1回30分まで…吸引と吸引の間は6時間あけてください!との注意書きに従い、朝30分そして夜30分…水素吸引。

近頃、私の身体を心配した神さまがめぐり合わせてくれるのか、

飲む水素
水素風呂
麹で作る甘酒
いきいき100歳体操
水素吸引

と、健康維持のための水素・酵素・体操そして以前からの酸素カプセルも入れると贅沢すぎる毎日。

厚生労働省先端医療Bの認可を受けた水素吸引は、

心肺停止した状態で病院に運ばれ、その後、復活したものの昏睡が続いている方に

集中治療室で18時間もの時間にわたり、2%の水素添加酸素を吸い続けるとのことです。

先進医療Bとして認められた医療の活用法は、どちらかというと九死に一生を得た方の回復に対して、期待を寄せるといった現状のよう…。

この水素吸引や水素風呂・水素飲用が当たり前になる近年には、病院もまた新しい局面を迎えるようになるはず・・・。

電磁波やストレス、添加物等々現代を生きる我々の身体はどんどん病氣の予備軍となっていき、

それを補うように水素や酵素が良いと発表されていく今、身体にも経済にも優しいかも・・・

20年ほど前、高知に施術に行ってた頃、おばあちゃんが言ってたひとこと

「今の人は、昔のお殿様以上の生活だね」…と。

水道管を川から引き、流れる水で 野菜を洗ったり 顔を洗ったり…。

洗濯も、料理も、お風呂だって本当に今はお姫様以上の生活させてもらってることに感謝。

後に続く子供たちに良いモノを伝えて行きたいな!!と改めて思う今日でした。

 

 

 

花冷え

桜の花が咲こうとする頃に、神さまのいたずらでしょうか?

ぽかぽか春の陽氣から、また寒さが戻ってきて なかなか 花を咲かせません。

花冷えの今の季節。

家の中のストーブに入れる灯油も、もういらないかな?と思ってたら、また寒さが舞い戻り、また一缶購入。

そして、今年はまだツバメも飛んでこない。

3月中旬には来てたように思うのに、4月だったのかな?

家の中、2か所でツバメの2家族が春を過ごしてくれる。

卵から孵った雛鳥は、いつみてもかわいい。

でも、狭い巣の中 まだ飛べない雛鳥は、だんだん大きくなり はみ出した1羽が落ちてしまうことも…。

ずいぶん前、今の場所とは違うところに巣を作っていたツバメの巣が、カラスに突かれたのか…下に落下。

私が見たときは、雛鳥5羽ほどが下に落ちた状態で…死んでる。

見たときガックリして、土の中にでも埋めてあげよう…と思い 入れるものを探しに行って帰ったところ、落ちてた場所が移動してる。

?????

なんと なんと…私の前で、死んだふりをしていた雛鳥たち。

はじめの一歩をやってるように、私が居なくなるとチョロチョロ動くその様子は、生きるものの知恵そのもの。

自然の中 小さな羽を上下にいっぱい羽ばたかせ、飛ぶ姿。

お母さんか?お父さんか?…朝も夜も巣を守り、餌を取って運び、独り立ち出来るように、飛ぶ練習も…。

ツバメにはツバメの世界。

花には花の世界。

そして人間には人間の世界。

今、このとき 春の訪れの前の花冷えもまた感慨深い。

変わる季節の中で、変わらないモノもあり

変わらないという思いもまた 変わっていくモノ。

明日はどんな1日となるのか…また楽しみに(^.^)

大事なモノ

相田みつおさんの言葉

土の中の水道管 高いビルの下の下水
大事なものは 表に出ない

そして、「星の王子さま」に出てくる言葉は

心で見なくっちゃ  ものごとはよくみえないってことさ
かんじんなことは 目に見えないんだよ

2週間ほど前、お風呂のお湯を抜いたとき 「ゴボ…ゴボ…ゴボ…」という聞きなれない音がしてたけれど、「何だろう?」って思うくらいだったところ

その後、トイレのお水を流した時  流れが悪いような時があったり なかったり…を繰り返した先週。

そんな時に、ちょうど水道屋さんの奥さんがカイロに来られて 症状を伝えたところ、「1階のトイレも2階のトイレも両方排水が悪い様なら、外の下水管で詰まってるかも知れないね」…と。

そして、下水管の蓋を開けてみて…と教えてくれたので、先日の土曜日開けようと思っても もう何十年も開けてないマンホールは簡単に開いてくれず…。

週明けを待ち、今日火曜日隣の金物屋さんに相談に行ったところ、

「うちも2週間くらい前、トイレの排水が悪かったんよね」と…。

「へ~」我が家だけでなく ご近所さんもそうだったんだ!と、ちょっと安心。

で、下水のマンホールを開けてもらったところ 溢れそうなほど汚水が貯まってしまっており…。

でも、通常の状態を知らない私は、どうして良いかわからず、しばらく棒でつついてみたけれど、状況は全く変わらず…。

で、水道屋さんのY子さんにまたSOS。

しかしなかなか、LINEが既読にならず まっ今更あせることもないか…と思い色々用事を済ませ、車で出かけようとしたとき 水道屋さんのY子さんの車が我が家の前を通って行き

「わっ!!見つけたー」と後を追って 水道屋さんに…。

下水の溢れそうな状態を伝えると、それはもう市の環境整備に電話した方がいいよ」と。

早速、電話番号も教えてもらい、電話。

2時間ほどたって、来てくれた男性2人。

状態を見た途端、二人で手際よく処理し始めてくれて みるみる解消。

「あーこれは、市の下水管が原因なので、奥さんもう大丈夫ですよ」と、言ってもらえて…ホッ。

相田みつおさんの
「大事なものは 表に出ない」

という言葉が、頭の中をぐるぐるグルグル回るほど、

本当に生活の中「下水処理」も「水道管」も何も言わず働いてくれており、また 来てくれた環境整備の男性の仕事っぷりにも、プロのチカラを見せて頂きました。

今日は、新月。

夜の闇の中、月の光は見えないけれど この闇の向こうに確実に存在するお月様。

私たちの身体の中の、血管や神経、骨格もそう…。

そして、会うことは出来ないけれど 私たちの身体は確実に存在していた、ご先祖様が繋げてくれたもの。

見えないけれど 確かに存在する大切なもの。

トイレの排水もスッキリ流れてくれて、そして絶妙のタイミングで排水のこと色々教えてくれた水道屋さんのY子さん。

氣持ちよく、我が家のマンホールを開けてくれたお隣のOさん。

そして、来てくれた環境整備の男性と、大変だろうと   すぐに手配してくれた電話を取ってくれた女性の方。

そして、そして…いつもギリギリのところで救ってくれる神さま♡

「私はおまえを見捨てはしない」という言葉を信じ、神さまに甘えっぱなしの私。

本当にたくさんの愛と感謝を、

下水管のトラブルを通して感じさせて頂きました。

大事なものは 表に出ない!!

見えないところで働く     目に見えないものに 心を寄せて…

 

麹(こうじ)ラブ

3月18日(土)完成した米麹

さっそく、作ってみた「塩麹」と「しょうゆ麹」、そして「甘酒」

麹を使って色々作ると、なんだか出来る主婦って感じで嬉しくなる(笑)

麹の甘酒は、ダイエットにもいいっていうので 飲んでたら、逆に太ってきたような…。

ついついの飲み過ぎですが…。

しかし、お砂糖入れてないのに お米で甘くなる甘酒。

今、連続3日作成中。

今晩は、混ぜるお米を玄米にしてみて、玄米甘酒を作ってます。

どんな味になるのか…楽しみです。

アマテラス大御神さまの孫、ニニギノミコトさまが、高天原から宮崎高千穂の峰に降臨するとき、持ってきた稲。

イネ…いのちの根っこ。

大東亜の戦争の後、荒れ果てた土地ではお米も取れず 「このままでは国民が飢えてしまう」と、危惧した昭和天皇がマッカーサ-元帥に国民への食料の供給をお願いに行ったほど…。

そして、日本の祝日や祭日は 稲作にかかわるものであること。

そして麹は、日本の食文化の中では最も大切に受け継がれて来ているものかも…。

お味噌作りもお酒つくりも、大根のおつけものも…麹が大活躍。

麹は食べられるカビ。そして国菌とされてるとか…。

国花は桜、国鳥はキジとされるなか、日本国の菌の王様とは…凄い!

日本の田畑で育つお米、麦、大豆とくっついて発酵する麹は日本にしかいない大和男児。

タンパク質を分解し「旨味」を出すプロテアーゼという酵素。
デンプン質を分解し「甘味」を出すアミラーゼという酵素。

そして、カビなのに毒を出さない麹菌。

日本食が、世界中で注目されるのも きっとこの旨味・甘味のちから。

麹…糀…そして私の旦那さまも浩二…赤塚高仁さんも「こうじ」…。

米麹を作らせて頂いたことで、本当に日本の食の奥深さ改めて感じさせて頂きました。

聖書の中では葡萄酒が主イエスの血、パンが主イエスの肉。

そして、古事記から繋がる我々日本人にとっては、お米が命の根っこ。

準備して八十八夜かけて育ち、細く風になびく稲穂は繊細で美しい

正に日本そのもの…。

これからもずっと感謝し…頂きます。

そして、この歌は素晴らしいのでシェア

 

靖国の桜

気象庁が東京の桜の開花宣言をするための木が、靖国神社にあるソメイヨシノの1本の木。

「標本木」と言われるその桜の木が、今年は21日開花。

昨年と同じ日だそう…。

私が、初めて靖国神社に参拝させて頂いたのが2013年3月19日。

「新しい歴史教科書を作る会」が、講義を開催…そしてその日が第1回目の日本史検定ということで、前日から上京。

学校で学んできた日本の歴史には、全く感動することもなく過ごしてきた私。

なので、東京に行っても靖国神社に行くこともなく、靖国神社事態普通の神社と変わらないとも思っていたほど…。

お盆になると 総理が参拝したとかしなかったとか…そんなことテレビや新聞で書かれても、特に氣にもならず過ごしていた7年前。

そして、導かれるように開かれていった靖国神社参拝への道。

初めて訪れた2013年3月19日は、日本史検定当日。

半蔵門の近くに泊り、朝歩いて靖国神社へ…。

その年は3月16日に東京では開花宣言も出され、靖国神社のその標本木にも1輪の花が咲いていました。

そして、引いた御神籤は「一番大吉」

あ~英霊の皆さんがきっと喜んで迎えてくれたんだろうな~と、思い嬉しくなったものです。

そして、日本史検定の後も受講生のみんなで靖国神社と遊就館へ。

御本殿では、正式参拝させて頂き、その際一番遠いところから来たということで、私と講師の高森昭勅先生と二人で玉串を奉納させて頂き…感動。

そして、遊就館では館長によって案内頂き、初めての靖国神社参拝は、朝も午後も最高にもったいない時間で今も脳裏に浮かんでくるほど…。

実際、検定はネットで自宅に居ながらでも受けることは出来たのだけど、検定後の「靖国神社正式参拝&遊就館」に惹かれて上京したのはホント正解でした。

あの日は、人氣ブログの「ねずさんのひとりごと」の小名木善行氏も検定後、一緒に靖国神社、遊就館そして懇親会とずっと一緒で 初めてお会いさせて頂き最高に幸せなひと時でした。

ねずさん人氣者だけに ホントご一緒させていただけたことは幸運でした。

その後、第2回 第3回と受講。

第3回の時は、ねずさんが試験の監督をされている中 私自身始めの頃と違って勉強もしておらずチンプンカンプンの受験。

しかし第3回も、受験後の聖徳記念絵画館から続く懇親会もしっかり楽しませて頂きましたが…。

その後、日本史検定は受講しておりませんが 今からの日本のためにも 学校で習う日本の歴史は、ただ年号を覚えたり 人物を覚えるという記憶力の授業ではなく、

ずっと繋がってきた 私たち祖先が生きてきた時代の出来事、思いの数々を伝えていくような授業になってもらわないと、この日本が本当に空洞のような国になってしまいそうな氣がしてなりません。

過去の歴史に学ぶ…

我が家に歴史があるように、この国も天皇皇后両陛下を父母とするように大きなひとつの家族の歴史。

ずっと続いていること…身近なものであることを 学校で教えてもらえる国になるようにと、願わずにいられません。

聖徳太子の時代にも、ずっとずっと昔の自身の御先祖さまが、遣唐使になって行ってたかも知れないですし…。

この靖国神社や武道館が九段下にあることにも、大きな歴史の意味のあることとして…。

 

お国訛り

大東亜戦争末期、軍機と共に突撃していった 神風特別攻撃隊。

その特攻作戦が始まった昭和19年10月、フィリピン マバラカットより飛び立ち、散って行った、西条市出身の関行男中佐。

関中佐を隊長に飛び立った 神風特攻一番敷島隊の5人。

軍神となった5人の御霊を弔うための追悼式典。

終戦後30年過ぎた40年程前から始まり、今も10月25日には 西条市の楢本神社で開催。

追悼式典を今後も継承していくために、今年新たに新体制でスタートした「神風特攻敷島隊五軍神・愛媛特攻戦没者奉賛会」

略して、「五軍神奉賛会」

昨日、その奉賛会の総会が開催され  その中で  聴かせてもらった深いい話。

今60歳は過ぎている、I さんが東京の飲食店で若いころ仲間と話していた中、隣に座っていたおじさんから 「どこの出身?」と聞かれ

「四国です」と答えると、四国のどこ?

「愛媛です」と…。

すると、愛媛のどこ?と…。

「西条です」と言ったところ、

「やっぱり」と…。

その隣り合わせた方、関中佐とフィリピンで一緒に居たらしく、飛び立つ敷島隊を見送ったとか…。

関行男さんが、きっとフィリピンでも西条弁で「ほじゃけん」とか「ほうよ」とか「あんのーえー」とか言っていたんでしょうか。

お国訛りというのは、その人の風貌と共に覚えているようで、おそらく関さんが飛び立った日から 30年以上は経っているその頃にも その西条弁を耳にし 関さんを一瞬で思い出したのかと思うと…胸が熱くなります。

そして、その若かった、I さんが東京で聴いた軍神関行男中佐のお話し。

終戦後、教育が変えられ 学校では戦争が無かったかのような授業の中、聴かせてもらった関さんのお話は強烈だったそう…。

高校の教員をされてたその方は、教員仲間の中では「あいつはちょっと右寄りだ」と言われながらも

追悼式典の開催される楢本神社傍の高校に赴任中などは、10月25日追悼飛行で飛ぶ自衛隊機を仰ぎ、生徒たちにも敷島隊や祖国の為に命を懸けた英霊の話をしてきたそうで…。

戦争を賛美するわけではなく、ただただこの日本が世界で一番長く続き、今こうして家があり、食べることが出来る生活の陰では、

命を懸け祖国の為に闘ってきた英霊の方々がいること。

そこを、ないがしろにするわけにはいけない。

命を懸け、行ってくるよ!と、ぐっと奥歯を噛み締め笑って飛び立って行ったからこそ、何十年経っても人の脳裏から離れることのない存在なのだと…感じます。

そして「カミカゼ」と読んでいた「神風」は実は「シンプウ」というらしく、正式には「シンプウ特攻敷島隊」だと…。

今年も、10月25日、西条楢本神社にて執り行われる追悼式典。

同じ石鎚の湧水を飲み、同じ小学校を卒業し、同じ言葉を話していた先人の思いもまた共に…継承させて頂きます。

十把一絡げ

人が一度、先入観を持ってしまうと なかなかそれを払拭するのは難しいようで…。

先入観とは、初めに知った事に基づいて作られた固定的な観念。

今日、ある方とお話しさせてもらったとき、カイロプラクティックや私の最近のおすすめ オステオパシーやアクセスバーズ®、そして水素の話にもなり、

私のしているカイロ以外の初めて耳にしたオステオパシーの場所やアクセスバーズ®は受けてみたいと場所や色々聞いてくるんだけど、カイロは受けてみたいっていう話が出て来ず…。

オステもバーズ®も本当にお薦めだけど、カイロも超お薦めなんだけど…と思い、

「カイロは受けてみたくないですか?」と、聞いてみると、

「カイロはね~」と、口ごもり。

自分自身は受けていないけれど、友達から聞いてカイロはあんまり…と。

カイロプラクティックは、日本では国家資格ではなく 茶道や華道の世界と同じように 民間の資格を持っての施術。

国家資格ではないことで、取得した所によって 技術にも差が生じていたり また 一人一人の施術に対する思いによっても 同じ技術でも差が生まれてしまうことも…。

同じ食材を使い、同じ過程で料理を作ったとしても、その作る人の思いで ひと味が変わっていくように…。

今、太陽院では 水素風呂のレンタル事業も展開中ですが

「水素」=「怪しい商材」 というイメージを持ってしまってる人にとっては、水素風呂イイよ~!と言っても 怪しいものという先入観しかないように…。

初めに出会った時の印象は とても大事だけど、払拭できるチカラを持ってるかどうか。

ピーマンやシイタケ、セロリや納豆…。

最初に食べた印象が悪い場合もあるけれど、料理方法によっては大丈夫になったり…

とにかく、食わず嫌いなような状態で、カイロプラクティックを知ろうとしてもらえなかったことに、残念だな~とも思い、

また、私が発する情報の初めて聞く「オステ」や「バーズ®」は受けてみたい…と言われたことに 人って不思議だな~と。

しっかり「一度わたしのカイロも受けてみてくださいね」と、宣伝もしておきましたが…。

カイロも水素も…全ての物事、ハートで捉え

十把一絡げで、好き嫌いを選択することなく…取捨選択していってもらいたいものです。

モノも人も御縁あっての出会いなので…。

いきいき100歳体操

高知県から始まった、「いきいき100歳体操」

地元の集会所で、昨年11月から毎週木曜日にやっている…ということで、今日参加してきました。

と、言っても実は平均年齢が85歳くらい。

昨年4月から、地域の民生委員となり 65歳以上の独り暮らしの方の調査にも行ったばかり。

玄関でピンポ~ンとベルを鳴らし、調査し挨拶を交わすだけの訪問だったところ、今回 市の方から DVDの操作などをサポートをしていただけないか…とのことで、行かせて頂き 数時間共に過ごさせて頂きました。

中には、102歳の女性もおり みんなと共に少しリズムは遅れながらも体操する姿は、天晴。

そして、現在15名程の方が 「いきいき100歳体操」を続けているということで、西条市に地域住民グループ支援事業として申請し、本格的に活動することに…。

そして、先ずは名前を付けようか…っていうことで、

弥生  さくら  なでしこ  ひまわり  等々 出てきて思案。

kさんが「とちおとめ」と、言ったところから 「乙女」にヒット。

乙女っていうのも恥ずかしいし…ということで「おとひめ」に!!

「おとひめ会」 「おとひめ倶楽部」 「おとひめ隊」…。

まだ、おとひめに続くものが決まってないけれど、私自身は「おとひめ隊」っていいな~と思い、数波で調べてみると

[おとひめ隊]

●笑顔美人
●海のように広く深い女性
●大きな声で挨拶と笑顔
●影響力が大きい波動
●癒し波動
●嬉しい楽しいありがとうの波動 等々

最高齢の方が大正3年生まれ…今年11月で103歳、
一番若い人は昭和24年生まれで今年68歳。

きっと 人生ツラいことも嬉しいことも…いろいろなことがあったんだろうな~と、身体や顔、言葉の中に現れるひとつひとつに感動。

戦後72年。あの戦争の時代を生き耐え抜き 今の日本を支え、家族を支えて来られた お一人おひとりのこれからの毎日の生活の中、共にいきいきと100歳目指して笑顔で関わっていきたいな~と感じます。

ビデオを見ながらの「いきいき100歳体操」のモデルのお兄さんが、NHKのみんなの体操に対抗してか、太った男性が手や肩や首をゆっくりと動かしていくので、本当に難しく感じず 氣負うことなく続けられるのかも…。

こちらは、口腔ケアのためのかみかみ100歳体操

 

 

 

ビジネスマナーを学んだ時、手を合わせるときビジネスの時は右の手が上と教えて頂きました。

神社や仏閣、神聖な場所では、左手を上に組んでおりましたので、どんな時も左手が上だと思ってた私にとっては 「へぇーーーーー」。

ビジネスでは、右利きの人が多い中

「いつでもすぐに私は対応出来ますよ!!」の意思表示で、右の手を上にするのだとか…。

なるほど…なるほど。


先日、米麹作りに参加させてもらったとき、初めて参加する私、密かに「いつでも何でもいたしますよ!」という思いを込めて、始まる前 右手を上に立っておりました(^^)v

もちろん神社、仏閣では、左の親指を右手で包んで左手を上に重ねる作法で…。


吉元 由美さんの作詞された「Jupiter」の歌詞の中

私のこの両手で何が出来るの?

いつも頭の中で繰り返されるこのフレーズ。

そして、7年ほど前に聞いたことがある

「W.W.J.D」

What Would Jesus Do ➟ 神さまなら どうする


手はギリシャ語で「カイロ」

太陽院はカイロプラクティックの施術院。

ちなみにプラクティックは「技法」っていうことでカイロプラクティックは「手技療法」

以前、チラシを作ってもらったとき「手技」を「手抜」と書かれて、ビックリしたことを覚えてます。

手抜きはしませんので、ご安心を…。


まだスキーのインストラクター時代、「手に職ほしいなー」とぼんやりと考えていた頃、出会ったカイロプラクティックの仕事。

神さまならどうする?と、問いながらの施術。

この私の身体が祝福の水路となり 私の手が動いていく。


そして、今ふとこの歌が…

「一人の手」

ひとりの小さな手 何も出来ないけど
それでも みんなの手と手を合わせれば
何か出来る 何か出来る

ひとりの小さな目 何も見えないけど
それでも みんなの瞳でみつめれば
何か見える 何か見える

ひとりの小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える

ひとりで歩く道 遠くてつらいけど
それでも みんなの足踏み響かせば
楽しくなる 長い道も

ひとりの人間は とても弱いけれど
それでも みんながみんなが集まれば
強くなれる 強くなれる

それでも みんながみんなが集まれば
強くなれる 強くなれる


そして、今日は 太陽院院長のブログ100稿目(*^^)v

この手…この手のぬくもりが 伝わりますように