「大和魂」カテゴリーアーカイブ

魔法のことば

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

7年ほど前に 知人から教えてもらった『ホ・オポノポノ』

「ありがとう」

「ごめんなさい」

「ゆるしてください」

「愛しています」

「今、目の前で起きている現実は100%すべてが自分の記憶(潜在意識)が現実化したもので」あり、自分の記憶をクリーニングするために使う四つの言葉。

一昨年の11月から 我が家のお風呂は「水素風呂」

そして、水素をたっぷり発生させて 頭や額まで浸かってしまいます。

そして、唱える
「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛してます」

一緒に住んでいる叔母にも お湯に浸かりながら言ってみて!!と言ったところ

「ありがとう」や「感謝します」は何度も浸かりながら言えるのに、
「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛してます」が言えません。

言えないというよりも、言いたくない!!といった感じでしょうか。

86年の人生を生きて来た叔母。

頑固なところは 私もそっくり…。

「ごめんなさい」「ゆるしてください」の言えない叔母をみながら、私自身「ごめんなさい」「ゆるしてください」が、出来てるのかな?

…と、ちょっと考えさせられました。

人は記憶の動物。

どうでも良いちょっとしたこと…いえ、自分自身では忘れてしまっている様なことも、潜在意識の中で記憶され…深く深く傷つき、「ゆるせない」「謝れない」状態を作り出してしまっているのでしょうか?

また 誰かの思いに変わって お風呂に浸かっている15分間

「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」

私が唱えることで、叔母の中の…また私自身の中の潜在意識に刻まれた傷や知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れ

クリーニングされていくのならば…しっかり唱えさせて頂きます。

以前、五日市 剛氏がイスラエルで出会ったおばあさんに、教えてもらった運命を変える魔法の言葉「ありがとう」「ついてる」「感謝します」

ホ・オポノポノにもイスラエルのおばあちゃんの魔法の言葉にも、確かに宿る 言霊のちから…ほんとうに素晴らしいです(*^^)v

言霊のちから

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

8月15日 終戦記念日の今日…72年前、荒れた大地と暑い夏の陽射しの中、日本中が涙した日。

今、生活が守られ 食べるモノに困ることなく 生きていられるのも、尊い命をかけて戦って下さった英霊の方々の贖いの後に頂いたもの…。

改めて感謝と哀悼の誠を捧げますと共に、未来永劫祖国日本が永遠に続きますよう祈り…伝えて参ります。

そんな、日本にとっては深い深い哀しみの日。

日本エドガー・ケイシーセンターから、毎朝7時1分に届けられる珠玉の言霊

今日は、朝届かず おかしいな~?と、思っていたところ 10時2分に8通もの珠玉の言霊が届けられました。

以下は、パソコンの方に届いた言霊たち…

他人に対する奉仕は、神への最高の奉仕です。
Service to others is the highest service to God. (257-10)

機会は、神からの感謝の表れです。機会を大切にしなさい–自分のためではなく、神の栄光のために。
Opportunities are expressions of appreciation from thy Maker.
Embrace them, – not for self but for the glory of thy Maker. (2051-5)

主を招き入れたいと思うなら、もっと祈りと瞑想を続けなさい。
Be constant in prayer, meditate oft, if ye would have Him enter.(540-18)

毎日、毎時、祝福の水路となれ。
Be that channel of BLESSINGS each day, each hour. (276-2)

汝の日々の努力のうちに主の栄光の現れていることを、忍耐をもって、静かに見続けよ。
Be ye patient; be ye quiet and SEE the glory of the Lord in that thou may do in thine efforts day by day. (518-2)

理想が正しければ–自分を奉仕に差し出すことを恐れてはならない。Do not be afraid of giving self in a service – if the IDEAL is correct.(1957-1)

自分の兄弟に対して、自分の隣人に対して、そして–なによりも–自分自身に対して、忍耐を失ってはなりません。
Be not impatient with thine brother, with thine neighbor, and – most of all – with thine self. (262-44)

あなたの人生を、他の人々への光のようにしなさい。
Let thy life, tho, be as a light to others. (835-1)

そして、携帯の方にも同じように8通も…

先日、特攻一番戦闘機敷島隊の追悼奉賛会の副会長より
『ジュンちゃんへ「戦争に行った兄さんより」』という本を貸して頂きました。

その本には、愛媛県西条市出身の少年航空兵・松本勝正さんが家族に宛てた手紙の数々が載せられており

まだ中学校を出たばかりの 松本少年が昭和13年15歳で予科練に入隊し、昭和19年最後の手紙が届くまで…。

分刻みでの軍隊での生活の中、家族が手紙を送ってくれることを喜び、また 妹の順子さんへの手紙には色々近況を書いた後、こんなことも書かれてました。


トナリノセンユウハネ、イモンブクロヲモッテ、ジュンコノカイタヤウナ カキカタヤ ヅガ ヤ サクブンガハイッテヰタノデヨロコンデイタヨ。

マンシュウヤ支那ヘイッテヰル ヘイタイサンヘ 手ガミヲ出シテアゲナサイ。


その頃の小学生や学生から届く手紙や可愛い絵に 満州や支那の兵隊さん達の心が どんなにか癒されたことでしょう。

毎日届けられる ケイシーの珠玉の言霊も今日は 終戦…敗戦記念日ということで、たくさんの御言葉に 私自身 癒して頂くことが出来ました。

そして、8月15日と言えば、正午に流された昭和天皇の玉音放送。

この陛下の終戦の詔書の口語訳では、こんな風になるのだとか…


私は 深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り 非常の措置をもって時局を収拾しようと思い ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

私は 日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを 通告するよう下命した。

そもそも日本国民の平穏無事を図って 世界繁栄の喜びを共有することは 代々天皇が伝えてきた理念であり 私が常々大切にしてきたことである。

先に米英二国に対して宣戦した理由も 本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり 他国の主権を排除して領土を侵すようなことは もとから私の望むところではない。

ところが交戦はもう四年を経て 我が陸海将兵の勇敢な戦いも 我が多くの公職者の奮励努力も 我が一億国民の無私の尽力も それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず 戦局は必ずしも好転していないし 世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。

それどころか 敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して しきりに無実の人々までをも殺傷しており 惨澹たる被害がどこまで及ぶのか 全く予測できないまでに至った。

なのにまだ戦争を継続するならば ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。

このようなことでは 私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り 代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか…。

これこそが 私が日本国政府に対し 共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう 下命するに至った理由なのである。

私は 日本と共に終始東アジア諸国の 解放に協力してくれた同盟諸国に対しては 遺憾の意を表せざるを得ない。

日本国民であって前線で戦死した者 公務にて殉職した者 戦災に倒れた者 さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると 我が身を引き裂かれる思いである。

また戦傷を負ったり 災禍を被って家財職業を失った人々の再起については 私が深く心を痛めているところである。

考えれば 今後日本国の受けるべき苦難は きっと並大抵のことではなかろう。

あなたがた国民の本心も 私はよく理解している。

しかしながら 私は時の巡り合せに逆らわず 堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて 未来永劫のために 平和な世界を切り開こうと思うのである。

私は、ここに 国としての形を維持し得れば 善良なあなたがた国民の真心を拠所として 常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。

もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ 

そのために進むべき正しい道を誤って 世界の国々から信頼を失うようなことは 私が最も強く警戒するところである。

ぜひとも 国を挙げて 一家の子孫にまで語り伝え 誇るべき自国の不滅を確信し 責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し 

総力を将来の建設に傾け 正しい道を常に忘れず その心を堅持し 誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し 世界の流れに遅れを取らぬよう 決意しなければならない。

あなたがた国民は これら私の意をよく理解して行動せよ。


言葉のちからは素晴らしいものです。

そして、そこに発するモノの魂が乗っかって言霊となり…人を動かす原動力にも…。

戦争の中、軍人としてひとり横浜に行った 松本勝正氏もまた 届く手紙に力をもらい その兄からの手紙で 戦死された後も兄と繋がっていること。

終戦記念日の今日…日本エドガー・ケイシーセンターからの珠玉のメッセージが8通も届けてもらえたことで 感じた言葉の素晴らしさ…に感謝です。

 

 

山の日

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

今日、8月11日は「山の日」…国民の祝日

2014年「祝日改正法」成立によって8月11日が「山の日」となって、2016年施行されたそう…。

旗日に届けられる 愛国女性のつどい「花時計」さんからのメールに、山の日が制定された経緯などがこんな風に書いて届けられました。

祝日にした趣旨は「山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する」というものだとか。

ただ、なぜ8月11日なのでしょうか?

1996年から「海の日」が施行されたことによって「山の祝日も作るべきだ」という声が上がり2009年から「日本山岳会」など5団体が運動を開始したそう…。

2010年「山の日制定協議会」が発足、2013年には超党派の国会議員によって「山の日制定議員連盟」が設立されたことで全国的な運動へと広がり…。

確かに日本は山の国であり名山も多く登山も盛ん。からといって祝日にする必要があるのでしょうか。

祝日は、国民が忘れてはいけない歴史的背景があり、国民がこぞってお祝いしたいという気持ちになるのが本来の在り方ではないでしょうか?

愛国女性のつどい…「花時計」さんからのメッセージを読ませてもらい なるほどな~と。

たしかに夏休み…お盆休みの前に この日があることで、大型連休で遠出出来たり、海外へ行けたりとか…経済効果も上がることも確かですが…。

山の日が出来るきっかけとなった海の日の制定された経緯を見てみると、確かに歴史的背景があっての制定。

1995年「国民の祝日に関する法律」が改正され、1996年から7月20日は「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う」趣旨で祝日となったとか…。

そして、この日が海の日として選ばれた歴史的背景は…

明治9年(1876年)6月2日、明治天皇が東北・北海道御巡幸にお出かけになられ、埼玉・茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の各県を御巡幸されたのち、7月16日青森から御召艦に御乗船され、函館を経由して20日横浜へ御帰着されたそうです。

「明治天皇紀」によれば、3日間荒波のため荒波のため動揺はなはだしく、遅れて夜の8時過ぎに入港したそうですが、明治天皇は終始“端然”としておられ、港で待ち受けていた人々を安心させたそうで…

これを記念して昭和16年(1941年)「海の記念日」が制定され、平成8年(1996年)から海の日として祝日に…。

またこの時に御乗船された御召艦は、灯台巡視船「明治丸」

「海の日」を通して海の恩恵に感謝する氣持ちと、明治天皇を中心に国民が一致協力して世界に雄飛した明治の時代を敬慕し、その精神を偲びながら新しい時代に向けて進んで行くための「海の日」なのだとか…。

今日、我が家でも国民の祝日と言うことで、国旗を掲揚させて頂きましたが、国旗さえも揚げることがなくなってしまった日本。

山には山の…海には海の神さまがおり、山の神さまも海の神さまも…天照さまやスサノオさま、月読さまが生まれるずっとずっと前から地球に存在するもの。

山の日…国民の祝日がこうして作られた今、その時の権力者によって制定されていくものが、どうか神の御心に沿った形でありますように…と祈らずにおれません。

憲法や皇室典範なども、どうかこの日本が永遠に神国として継続される様な形となりますように…。

五軍神奉賛会

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

今日夕方7時から、西条市楢本神社で 先日逝去された一昨年まで奉賛会会長であった寺田 幸男氏の自宅に置いてあった戦争や特攻に関する資料の数々を 整理させて頂きました。

数多くの資料や本の数々…。

1945年8月6日の広島。 8月9日の長崎。 そして8月15日敗戦。

1941年12月8日真珠湾攻撃による開戦から 1944年10月25日フィリピンでの神風特攻の始まり…。

そして残ったものは…

アジアで長い間他国の支配下にあった島々の独立宣言。

そして、日本人の自虐史観。

侵略するためでも…領土を奪うためでもなく…只々長い間米国により経済上・軍事上の度重なる理不尽な脅威に 長い間、忍耐し…また話し合いによる和解をと望む日本をあざ笑う様な米国の対応。

日本人は、忠誠心・愛国心に満ちた非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族…

そして、戦わずして国を失うことは考えられなかった…。

今日目にした、多くの戦争の資料や写真や本。

広島や長崎の原爆で尊い命を奪われた方々も、5年に満たない大東亜の戦争で散華していった方々も…

ひとりひとりに両親や兄弟姉妹、そしてお嫁さんや子供、そして、友もいて…。

役員の持っている資料の中に、敷島隊隊長の関さんの学生時代のテニス部の仲間と一緒に写った写真。

そして、記念館にある小学5年の関さんが、友と2人で写ってる写真には、私も知っている方の小学5年生の時の顔が…。

どんな思いで、遠く離れたフィリピンの地で身体ごと体当たりしていった同級生の死を知ったのか…。

私の知っているその方は、もう10年以上前に天に還られたけれど、カイロの施術をさせてもらってる間 色々なお話もさせてもらったけれど、一度も戦争の話や関さんのお話は聴かせてもらったことはなく…。

天に戻って逝った時、同級生たちは関さんを囲み どんな話をしたのでしょうか。

命をかけて守ってくれた英霊の方々のこと…日本のこと…きちんと伝わって行くのでしょうか。

そして今日、ちらっと聞いた話

我が町西条市で毎年行われる8月17日のお観音さんの花火。

天正13年7月豊臣秀吉の四国攻めの合戦で禎祥寺(通称 お観音さん)の僧 林端和尚 外豪族がことごとく西条市の野々市ヶ原で戦死、その人々の霊を慰めるため 翌年の新盆7月17日に送り火として打ち上げた花火。

四百余年の伝統の花火大会。

その花火大会が戦没者慰霊のための花火大会だから…ということで、今まであった西条市からの助成が無くなったんだとか…。

西条…私は大好きです。

「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今」

と、言う言葉のように、過去にこの町に住んでいた人々がいて繋がっていること。

どんなことがあって、西条市の助成が無くなったのかわからないけれど、私自身しっかり経済手に入れて ドカ~ンと大きな花火を天の英霊の方々に届けられるようになりたいものです。

 

10の言葉

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

毎月「生命の光」という キリスト聖書塾が発行している小冊子が我が家に届けられます。

冊子の中には、キリストの幕屋を開いた手島郁郎氏の聖書講話が記されており、今月届けられた小冊子の講話は、1973年7月1日に東京全国町民会館でお話しされたもの…。

時がたっても色褪せない真実への扉。

私自身、聖書に触れるようになったのは、エドガー・ケイシーと三重の赤塚さんの影響から…

地元のプロテスタントの教会に2年半毎週日曜日の礼拝にも通い、

そしてその後 赤塚さんの紹介で松山の「キリストの幕屋」で長年伝道されている竹下仁平先生からも毎月一度我が家で聖書の勉強会が始まり…

そして、2年前 赤塚さんが名古屋で聖書講座をされるということで、毎月名古屋まで通わせて頂き…その後長崎や神戸の聖書講座へ…

そして今は、どこに勉強に行くことも無い私の元に毎月届けられる「生命の光」は、届くのが楽しみでもあり…

そして、この今月届いた「生命の光」の中に 書かれてあったモーゼが受けた「十戒」のお話。

大阪に住んでおられる伊藤正明さんと言う方の随想のなかに、十戒のことが書かれてあり、聖書(口語訳)の中には

・あなたはわたしのほかに、なにものも神としてはならない。
・あなたは殺してはならない。
・あなたは姦淫してはならない

と十戒のすべてが「~してはならない」「~せよ」と、命令形で訳されているけれど、

原文では、未完了形の動詞が使われていて「あなたは 殺さないであろう」「あなたは姦淫しないであろう」とも訳せるのだとか…。

そして、なぜそう訳した方が良いと思ったかと言うと 十戒の前提となる前文に

「神はこのすべての言葉を語って言われた。『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導きだした者である』」…と、書かれてあり。

今から3千年以上の昔、イスラエルの民はエジプトで奴隷となっており、その苦しみから天に向かって祈った時、彼らを救い出し、乳と蜜の流れるよき地に導いたのは、主なる神だったと…。

そんな神の憐れみを受けた者なのだから、神さまは
「あなたは他の神を拝んだりしないよね。人を殺したり、姦淫したりはしないよね…」というのが、十戒の土台となる心ではないかと…伊藤氏は書いており

アーメン…アーメン…あ~ホントそうだな…と。

ちなみに十戒と言う言葉も、ヘブライ語では「アセレット ハディブロット」➟「10の言葉」と言うらしく戒律とは違った意味を使っているのだとか…。

どの家庭の親も「うちの子がそんなことをすることは無い」と思うのが親心」でもあり…その思いを受け育つのが子供。

聖書の神さまは、一人ひとりを生まれる前からずっと知っててくれていて、赤塚さんの聖書の勉強会で伝えてくれた神さまは、「~だから愛する」なんていう条件の付いたちっぽけな神さまではなく

「I LOVE YOU,BECAUSE YOU ARE YOU」
「私はあなたを愛する なぜなら あなたは あなただから…」と…。

今月届けられた「生命の光」のこの十戒の訳に神さまの温かさと深い愛を教えて頂きました。

①あなたには、わたしのほかに、他の神々があることはないよね。

②あなたは、自分のために、偶像を造ることはないよね。ましてやそれらを拝むことも、それらに仕えることもないよね。

③あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えることはないよね。

④安息日忘れることはないよね。また聖なる日であることもわかっているよね。

⑤あなたは父と母を敬い大事にするよね。

⑥殺したりなんてしないよね。

⑦姦淫したりもしないよね。

⑧人のモノ盗むなんてしないよね。

⑨あなたの隣人に、偽って証言なんてしないよね。

⑩あなたの隣人の家をほしがるなんてしないよね。

信仰とは、信じ仰ぎ見る何か…

私たちが信じるように、天の神さまもずっとずっと信じてくれてるんだな~と思うと、なんだかワクワクしてきます。

イエスさまが言われた
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という主の戒めでさえも…

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主はあなたを愛してるよ。」とも 受け取れるかも…。

そう思うと、もうひとつイエスさまが言われた戒め
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と…言う言葉でさえも

「あなたの隣人もあなたと同じくらい私は愛してるから嫉妬しないでね」とも取れるかも…。

聖書も誰から学ぶか? どんな風に感じるか?で大きく解釈が変わることもあり…

私自身、初め教会に行ったことも無駄ではなく、また幕屋の竹下先生、三重の赤塚さんの聖書講座 またエドガー・ケイシーや 「生命の光」を通して学ばせて頂けること…

本当に「神は愛なり…」と改めて感じさせて頂きました。

 

 

 

やまと心の火…燃えるとき

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

戦後72年目の8月6日広島県呉市での赤塚さんの講演会主人と参加して参りました。

4ッつのお願いから始まって…糸川先生のお話…イスラエルの話…聖書の話…万穂ちゃんのお話…建国の話…9・11報道の裏側の話…戦艦ミズーリのお話…昭和天皇・今上天皇の玉音放送のお話…勤労奉仕のお話…上島先生からのペリリュウ島の話…巡視船あきつしまのお話…等々

もうこのお盆の月に、しかもあの卑劣な原爆投下で多くの市民が犠牲となった日に、広島で…天から赤塚さんにあれもこれも…と、オールキャストの方々のお願いに応えるようにお話される赤塚さん。

あっという間の2時間半!

何度も聴いたお話だけれど、その状況が目に浮かび…じわ~っと湧き出る涙。

テレビはもちろん、学校でも教えてくれない数々の本当のこと。

終戦の日まで祖国の為に戦い散っていった英霊の方々が…

暑い暑い中…壕の中に投げ込まれた火炎瓶によって奪われて逝った命が…

そして、原子爆弾によって一瞬で失った尊い命の数々が…

年間3万人以上もの自殺者を出すこの日本に今も警告を鳴らし…赤塚さんを通して熱い思いが伝えられていきます。

会場に集まった100名近い方々が、目頭を熱くし 知らなかったことを知り…やまと心に「ポッ」っと火が灯っていくのが伝わってきました。

帰り道、先月も通って帰った山陽道の尾道で 道を間違えたおかげで、 西に見える夕焼けと、南の空に赤く光る満月に近いお月様にも出会わせて頂きました。

72年前の朝、投下された爆弾の後の焼け野原に立ちつくし またその場を遠くから知った者達は、あの日どんな思いで夕焼けや夜空を見たのでしょうか?

そして、3日後に被災地となる長崎を…誰が想像したでしょうか?

平和が当たり前でないこと…。平和を祈り続けている広島は大きな犠牲を受けたからこそ 見つけた小さな平和へのともし火のかけら…

このともし火をずっとずっと繋げていく広島の人々の思い…また日本人が大切にしないといけないモノの数々を今日原爆の日に感じさせて頂き、

改めて…

「どうか安らかにお眠り下さい」…と祈ります。

 

 

 

 

 

ゲートキーパー

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

7月5日に続き2回目のゲートキーパー養成講座。

ゲートキーパーは、生きづらさに寄り添う人。

「一人じゃないよ」を届ける人。

「この町で良かった!」を作る人。

来るだけで、ホッとできる場所に…。

この世で生きていくことに不安を感じ、希望を失い…自ら死を選択しようとするサインに氣づき、声をかけ、傾聴し、関係機関へと繋いでいくことで、自殺者を減らしていこうとする講座。

なるほど、悩んでいる人への接し方にも 傷つき弱った心には ひと言ひと言が大切で、励ましたつもりが余計に心を閉ざしてしまうことになってしまったり…。

ゲートキーパー養成講座は、普段 人との接し方にも役に立つほどの凄くいい講座だったんですが…

何だか、もっともっと もっともっと もっともっと…

根っこの部分が変わっていけば 自殺なんて無くなるのに…と、思わされたりしてしまいました。

小さな小さな国…日本。

この国が建国されて2677年…自然災害や幾多の困難をも乗り越えてきた日本人。

世界に誇る…武士道にみる〝やまとの心”

どこかから狂い始めた〝やまとの心”

誰もわかってくれなくても 強く生きて行く力。

何度か行かせて頂いた伊勢の修養団で教えて頂いた、2年前天に還って逝かれた中山 靖雄先生の詩

生まれただけで凄いんだ
生きているだけで素晴らしい

昔々のその昔 ずっと続いて今がある
ずっと続いた命があるよ

生まれただけで凄いんだ
生きていることが素晴らしい

今の今のただ今を 
みんな仲良く手をとって

生まれただけで凄いんだ
生きているだけで素晴らしい
喜び勇んで生きましょう

ひとりひとり大きな使命を持って生まれて来た今回の人生。

死ぬことよりも 生きることの方が難しい肉体を持って過ごすこの世。

そして、死んで終わりになるモノではなく 魂磨きのための輪廻転生。

何度も何度も生まれ変わり、今の混沌としたこの時代に、生を受け 日本人として生きていること。

見せかけの自殺防止ではなく 根っこからイキイキ生きていける力を持つ教育の改善こそ 今の時代に大切なことだと、今日たった2回の講座…数時間受けただけで ゲートキーパーになった私が  ふと思わされたことでした。

葉月朔日…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

本日葉月朔日、朝九時より伊曾乃神社…朔日祭に参列させて頂きました。

夏真っ盛りの御神事。

御本殿の中では、蚊取り線香の香りと首を振り吹く扇風機の風…そして、蝉しぐれ。

土の中で長い年月過ごしたのち、やっと成虫となり過ごす地上での生活。

いのちの限りなく蝉の あの鳴き声が さらに夏を感じさせてくれるし、また8月は、この蝉しぐれと共に迎える敗戦記念日。

今年72年目の終戦記念日。

8月6日…9日と続けて投下された原子爆弾。

そして、暑い夏の日蝉しぐれの中 流れる昭和天皇の玉音放送。

生きたくても生きることを許されなかった者と、ツラい思いを噛み締めながらも生き抜いてきた戦後の先人たち。

今日朔日…引いた37番末吉御神籤の「神の教え」

何をするにも神様相手、人が知ろうが、しるまいが 神様が見ていらせられる。

神様は、言う事、なす事、思うこと、見ぬき見透しに、心の底の底までも、見て居らせられる。

人は知っても知らないでも、神様を御相手に、世のため、人のため、清い正しい心で尽しましょう。

神様は必ず正しい者に御味方下さる。

日本人の持つ 全てのモノに神が宿るという八百万の神さまの世界と、「天知る! 地知る! 我知る!!」とする世の教え。

蝉の一生も、人の一生も 全てのモノに神さまが宿り 儚く思う蝉の一生も 全ての生き物の中 それが与えられている使命。

8月葉月は、きっと多くの日本人にとって「命」の大切さを改めて感じることの出来る一か月。

まだまだ始まったばかりの暑い夏…心柔らかく過ごさせて頂きます。

 

 

楢本神社境内の二人の偉人

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

愛媛県西条市大町の氏神様…楢本(ならもと)神社

境内には神風特攻敷島隊 関 行男氏ら五軍神の追悼碑

追悼碑の裏にはこんな言葉が…

「大東亜戦争末期米軍の大機動部隊のレイテ侵攻を阻止し、大和民族の純血を守らんとして神風特攻第一号敷島隊は一機一艦轟沈を目指して、世界最初の公式の人間爆弾となり国家悠久の大義に殉ず。
嗚呼若き血潮の滾る五軍神命達よ、世界恒久平和の魁としてこれの聖所に安らかに齋かれまさんことを祈る。」

そして、毎年10月25日敷島隊五軍神の命日には、大町の有志で追悼式典を開催しており…

今年度から大きく役員も変わり、先日役員会で毎月末日に 境内の掃除をしていこうということが決まり、今朝9時 蝉の声を聞きながら清掃。

そんな境内にもうひとつ ある建物が、医聖と呼ばれた眞鍋嘉一郎氏の生誕の家。

眞鍋氏は、1878年(明治11)に現在の西条市大町に生まれ5歳で父を失い、貧しい 暮らしの中で育ったそう…。

西条から松山中学校、第一高等学校、東京帝国大学医科大学(現在の
東大)へと進み、どの学校でもトップの成績で卒業され、松山中学校時代は夏目漱石の生徒でもあったそう…。

卒業後は、東大に勤め、1911(明治44)年から3年間ドイツに留学し、野口英世氏にも出合い彼が亡 くなるまで交流は続き…

帰国後、内科の治療にレントゲン線、ラジウム鉱泉などを利用する物理療法を取り入れ…1926(大正15)年には東大の教授となり、内科物理療法学の講座を開いたそう…。

眞鍋氏は、夏目漱石や野口英世…そしてあの226事件の浜口雄幸首相等 有名人との交流があり、特に、浜口首相最後の脈を 取ったことなどで知られているのだとか…。

その眞鍋嘉一郎先生の生誕の家が楢本神社境内にあり 今朝掃除が終わった後 眞鍋先生のお話を聴かせて頂きました。

軍神関行男さんや医聖眞鍋嘉一郎先生と同じ西条市大町に生を受けた者のひとりとして、お二人の偉業が後世に伝えられていく様…先ずは毎月のお掃除からお手伝いさせて頂きます。

 

未来へつむぐ!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

靖国神社で会おう!!を合言葉に、72年前散っていった多くの尊い命。

今日、香川県坂出市民ホールで開催された舞台「未来へつむぐ」を 6月から一緒に住んでいる認知症の叔母とふたりで観て参りました。

舞台は、72年前の鹿児島県知覧特攻基地にタイムトリップしてしまった高校生の話。

そして、特攻を志願しその日を迎える特攻兵達と過ごす なでしこ隊の一員となりその場に身を置き感じる様々な思い。

実際に知覧から飛び立ち、奇しくもエンジントラブルによって徳之島に不時着し、その後2回出陣命令が出るけれども 雨で飛べず…

そして終戦を迎えてしまった愛知県に住む板津 忠正さんの体験を基に演じられる特攻兵の思いやわずか15~16歳のなでしこ隊の思い…。

板津さんは、陸軍特攻第二一三振武隊 特別攻撃隊員。

そして、終戦後 特攻で亡くなった多くの仲間の遺族へ特攻慰霊と共に当時の状況を説明され…

昭和54年には勤めておられた名古屋市役所を退職 本格的に特攻慰霊・資料収集に専念…全国行脚されておられたと…

昭和59年からは 知覧特攻平和会館の事務局長にもなり、平成7年には、陸軍全戦没者1,036名分の遺影が集まったと…。

そして、一昨年平成27年 4月6日 逝去され戦友の元へと旅立って逝かれたそうです。

「靖国で会おう!」を合言葉に、知覧陸軍での特攻作戦は昭和20年4月1日~3ヶ月…多くの隊員が突撃し散華していかれたそうで…。

舞台が始まる前、知覧観光大使と言われ延べ5000人の方々を知覧へ連れて行かれている山近 義幸氏も また舞台の中最後の映像の中でも伝えられたこの言葉…

「特攻は美化してはならない、しかし風化させてはならない」

今日の舞台の中、なでしこ隊が作ってくれたお人形を胸に飛び立つ特攻兵の遺書にも涙…。

過去と現在そして未来の日本を見つめ、日本人が忘れかけてしまっている大切なことに氣付くきっかけとなれば…と今回の舞台の

「TSUMUGI JAPAN」代表の野田さんの言葉。

靖国神社…知覧…そして沖縄…もっともっと各地に残ってはいるけれど、顔をそむけてしまっている現在の風潮。

いまも知覧特攻平和会館近くの富や旅館では、当時特攻で飛び立つ前に食べたメニューの卵かけごはんやすいとん汁などを出してくれ…

またトミさんは亡くなられましたが、後世に伝えていくために、ずっとずっとお話も伝えて下さっているそうで…

私自身はまだ残念ながら 知覧特攻平和会館は訪れたことがなく…

今日、第二一三振武隊…皆さんの遺書や思いを伝えて頂き 第二一三振武隊員6名にも逢いに行かせて頂きたいと思いました。

「特攻は美化してはならない しかし風化させてはならない」

まさに国家や愛する家族の為に、命をかけて突撃していった英霊の方々の思いに寄り添い 実現したかった平和な国日本を作っていきたいものです。