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10の言葉

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

毎月「生命の光」という キリスト聖書塾が発行している小冊子が我が家に届けられます。

冊子の中には、キリストの幕屋を開いた手島郁郎氏の聖書講話が記されており、今月届けられた小冊子の講話は、1973年7月1日に東京全国町民会館でお話しされたもの…。

時がたっても色褪せない真実への扉。

私自身、聖書に触れるようになったのは、エドガー・ケイシーと三重の赤塚さんの影響から…

地元のプロテスタントの教会に2年半毎週日曜日の礼拝にも通い、

そしてその後 赤塚さんの紹介で松山の「キリストの幕屋」で長年伝道されている竹下仁平先生からも毎月一度我が家で聖書の勉強会が始まり…

そして、2年前 赤塚さんが名古屋で聖書講座をされるということで、毎月名古屋まで通わせて頂き…その後長崎や神戸の聖書講座へ…

そして今は、どこに勉強に行くことも無い私の元に毎月届けられる「生命の光」は、届くのが楽しみでもあり…

そして、この今月届いた「生命の光」の中に 書かれてあったモーゼが受けた「十戒」のお話。

大阪に住んでおられる伊藤正明さんと言う方の随想のなかに、十戒のことが書かれてあり、聖書(口語訳)の中には

・あなたはわたしのほかに、なにものも神としてはならない。
・あなたは殺してはならない。
・あなたは姦淫してはならない

と十戒のすべてが「~してはならない」「~せよ」と、命令形で訳されているけれど、

原文では、未完了形の動詞が使われていて「あなたは 殺さないであろう」「あなたは姦淫しないであろう」とも訳せるのだとか…。

そして、なぜそう訳した方が良いと思ったかと言うと 十戒の前提となる前文に

「神はこのすべての言葉を語って言われた。『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導きだした者である』」…と、書かれてあり。

今から3千年以上の昔、イスラエルの民はエジプトで奴隷となっており、その苦しみから天に向かって祈った時、彼らを救い出し、乳と蜜の流れるよき地に導いたのは、主なる神だったと…。

そんな神の憐れみを受けた者なのだから、神さまは
「あなたは他の神を拝んだりしないよね。人を殺したり、姦淫したりはしないよね…」というのが、十戒の土台となる心ではないかと…伊藤氏は書いており

アーメン…アーメン…あ~ホントそうだな…と。

ちなみに十戒と言う言葉も、ヘブライ語では「アセレット ハディブロット」➟「10の言葉」と言うらしく戒律とは違った意味を使っているのだとか…。

どの家庭の親も「うちの子がそんなことをすることは無い」と思うのが親心」でもあり…その思いを受け育つのが子供。

聖書の神さまは、一人ひとりを生まれる前からずっと知っててくれていて、赤塚さんの聖書の勉強会で伝えてくれた神さまは、「~だから愛する」なんていう条件の付いたちっぽけな神さまではなく

「I LOVE YOU,BECAUSE YOU ARE YOU」
「私はあなたを愛する なぜなら あなたは あなただから…」と…。

今月届けられた「生命の光」のこの十戒の訳に神さまの温かさと深い愛を教えて頂きました。

①あなたには、わたしのほかに、他の神々があることはないよね。

②あなたは、自分のために、偶像を造ることはないよね。ましてやそれらを拝むことも、それらに仕えることもないよね。

③あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えることはないよね。

④安息日忘れることはないよね。また聖なる日であることもわかっているよね。

⑤あなたは父と母を敬い大事にするよね。

⑥殺したりなんてしないよね。

⑦姦淫したりもしないよね。

⑧人のモノ盗むなんてしないよね。

⑨あなたの隣人に、偽って証言なんてしないよね。

⑩あなたの隣人の家をほしがるなんてしないよね。

信仰とは、信じ仰ぎ見る何か…

私たちが信じるように、天の神さまもずっとずっと信じてくれてるんだな~と思うと、なんだかワクワクしてきます。

イエスさまが言われた
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という主の戒めでさえも…

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主はあなたを愛してるよ。」とも 受け取れるかも…。

そう思うと、もうひとつイエスさまが言われた戒め
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と…言う言葉でさえも

「あなたの隣人もあなたと同じくらい私は愛してるから嫉妬しないでね」とも取れるかも…。

聖書も誰から学ぶか? どんな風に感じるか?で大きく解釈が変わることもあり…

私自身、初め教会に行ったことも無駄ではなく、また幕屋の竹下先生、三重の赤塚さんの聖書講座 またエドガー・ケイシーや 「生命の光」を通して学ばせて頂けること…

本当に「神は愛なり…」と改めて感じさせて頂きました。

 

 

 

霊の果実

日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」

肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。

It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.

(3624-1)

私たちの身体の中の

ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)

よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。

この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。

思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。

しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。

そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。

そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」

人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。

過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。

そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。

数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。

そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。

宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…

キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。

自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。

「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」

と、いうキリスト・イエス。

また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも  一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。

人の心の奥底に潜む「神性」

「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス

しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。

「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。

肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス

…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。

触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。

良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…

どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。

そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。

食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。