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主の契約

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

旧約聖書…まだアブラハムもイサクもモーゼも出てくる前のお話。

新約聖書は、キリスト・イエスを身ごもった母マリアのお話から始まるから、今から2017年程前の出来事から書かれており…

そのもっともっともーーーーっと前、イエス様誕生より3000年程まえの「ノアの方舟」のお話。

旧約聖書、創世記6章5節に…


主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも、わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。

しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

神はノアに言われた、

「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。」

そして、主はノアに三階建の方舟を造らせ ノアの家族と地に住むすべての清い獣の中からオスとメスとを七つづつ…、清くない獣の中からオスとメスを二つづつ…また空を飛ぶ鳥の中からオスとメスを七つづつ…

その選ばれた獣や鳥が全地のおもてに生き残るように…と。

方舟が完成し、そして主の言われた通り 獣や鳥たちと共にノア一家も方舟の中に入り…

七日後雨は降りはじめ、そしてそして四十日四十夜地に雨が降り 主の造ったすべての生き物…人も家畜も、這うものも、空の鳥も…みな地からぬぐい去られた…。

ただノアと、彼と共に方舟に居た者だけが残ったそう…。

そして、天から雨が降らなくなり 水が地の上から引いて方舟が今のトルコのアララテの山にとどまったのが…今日の日付と同じ7月17日と書かれています。

そして、その後 主はノアと契約を立てたそう…

契約には、こう書かれてます!
「すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起こらないであろう…」と。

そして、契約のしるしとして  雲の中に、にじを置く…とも。


もう二度と洪水は起こさないと、約束した契約は今、崩れていってしまったのでしょうか?

旧約聖書とは、キリスト・イエスが生まれ出る前の神さまとの約束…契約が書かれた書。

そして、今 主イエス様が十字架にかかったことで 人類の罪を贖い、救いをもたらす…という新しい神さまとの約束。

しかし先週、襲った九州の大雨や土砂崩れ…。そして、2011年3月11日の東日本大震災。

各地で起こる目や耳を塞ぎたくなるような事件や災害。

「我が子…イエスを信じなさい」と母マリア様は、メジュゴリエの小さな村で35年以上も現れ メッセージを残しています。

神のひとり子が、神さまの生き方を多くの人々に示した…この地上で神と共に生きる生き方。

人は何度も生まれ変わり…未熟だった魂も少しづつでも成長し…

もしかすると2000年前、目の前でイエス様の十字架への歩みを見た人も…

復活を見た人も…

その後神さまの臨在をありありと感じたことのある人々も…

ただ、イエス様ひとりに贖ってもらうのではなく、あの東日本の大震災で天に還って逝った何万人もの方々は…救い主イエス様と同じ?

きっときっと今回の大雨によって天に還って逝かれた魂も…

あのノアの方舟の時、神さまがノアを救ったように…神さまが選び世の人々に、あのビアドロロッサ…十字架への道をイバラの冠を打ちつけられ十字架を背負い、血を流しながら歩いた罪なき贖いびとイエスさまを見せられるような…

ノアの時代とは違う、尊い魂を持つ人々の召天。

どうか、多くの人々が罪ない方々が 世の罪を背負うことのない世の中になりますように…

今日、ノアの方舟が5000年前トルコのアララテ山にたどり着いた日…旧約聖書の時代とは違う 今。

益々、この世での生き方が問われるように思わされた神さまの契約。

世界一のベストセラーである聖書を読む機会が少ない日本人。

日本人だからこそ、深い所で理解することが出来る聖書。

九州熊本は、私が2年半勉強させてもらった無教会の「キリストの幕屋」が開かれた場所。

幕屋の創始者手島郁郎氏は、阿蘇の山の中で、神さまの声を聴き聖書集会を子供も含む5人から始まったんだとか…。

イエス様が群衆に神の御言葉伝えていた場所は、教会ではなく野原や湖上…。

日々の生活の中に、神さまとの対話が生まれてくるのかも…。

今朝、私の携帯に届いたエドガー・ケイシーセンターからの珠玉の御言葉

内なる静かで小さな声こそが、人を動かす力に命をもたらし、その命が人間の奮闘努力の土台となるものを与えるのです。(239-1)

 

 

 

 

霊の果実

日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」

肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。

It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.

(3624-1)

私たちの身体の中の

ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)

よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。

この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。

思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。

しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。

そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。

そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」

人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。

過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。

そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。

数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。

そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。

宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…

キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。

自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。

「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」

と、いうキリスト・イエス。

また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも  一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。

人の心の奥底に潜む「神性」

「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス

しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。

「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。

肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス

…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。

触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。

良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…

どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。

そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。

食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。