チャンスの神さま♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

「チャンスの神さまは、前髪しかない」と、昔から言われている通りですが…

今日、日曜日はデイサービスがお休みなので、叔母と主人と3人で 香川県の方に向かって、お昼過ぎドライブに行って参りました。

ちょうど愛媛と香川の県境のところくらいで、主人が「昨日のOS-1また飲ませてたら…」と言うので、そこからドラッグストアーがあったら入ろうと思いながら運転。

反対車線側には出て来るけど、左側はなかなかドラッグストアーが出て来ず…。

普段 走りなれてる街ならば、「あの角を曲がればあそこにある!」とか、すぐ頭の中で場所を検索できるんだけど…

国道11号線を東へ東へと向かう中、急ぐわけではないけれど ドラッグストアーを探してると、なかなか出てこない。

で、OS-1を買おうと決める前は、左側に何軒かドラッグストアーも通り過ぎている…。

「人生って、ずっと前に進むしかないし あの時に戻りたい!!って思っても、戻ることは出来ないな~」と思うと、チャンスも同じかも…と。

そして、ドラッグストアーは絶対どこかにある!という確信があるから、不安もなく進み続けられるけど、もし気付いた時…あの最後に通り過ぎてしまったところが最後のドラッグストアーだったら…。

まだ 今回はOS-1で 今、飲まなくても大丈夫なものだけど、人生の中 「チャンス」と呼べるものがどこにあるかも、どんなものかもわからない時…

これをチャンスだと感じられるかどうか。

それは、本当に後からわかるもの…。

そして、半世紀以上生きて来た今、これまでの人生の中で自分自身が決断し行動してきたことから、「よかった!」の経験から自己肯定感というものが生まれて来るのかも…知れません。

もしも 自分が選択してきたことが失敗ばかりだった場合、大きなチャンスが目の前に来た時に これをチャンスと感じれるかどうか…。

そして、逆に人の言うとおりにしか行動したことのない場合…自身で決断を下すことが出来るかどうか…。

自分が「あっチャンスの神さま!!」と前髪を掴めるか…。

そして、人が「これ…チャンスの神さまだよ!!」と言った時、前髪を掴むか…どうか?

人から言ってもらえた時は、きっとチャンスの神さまの前に 言った人を信じるか信じないかにも かかってくるけど…。

どっちにしても、自分自身が何か求める時に、その内容によって様々なきっかけとなるようなものを、出会わせてくれるように感じます。

あの「わらしべ長者」」のように…

あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら~♪

人は、旅人。

そして人は、いつも選択しながら生かされ出会わされ…。

そして、チャンスの神さまも、人も、情報も、きっと明るい所にやってくる。

五日市 剛さんではないけれど…

ツイテル!ツイテル!ありがとう!感謝します!!でチャンスの神さまをゲット(^^♪

ちなみにOS-1…今日は私も飲んでみたけど、疲れてたのか美味しかったです(*^^)v

 

夏の疲れから…

太陽院院長 近藤 千恵子です(*´∀`)

今朝、起きて叔母をトイレに連れて行ってみたけれど  尿が出ない!

昨日も ちょっと残尿があるような感じで、トイレに行った後 すぐ「トイレに行きたい」…と。

えっ? また???

極々たまにそんな事は有ったけれど、朝 トイレで排尿されないのは初めて…。

そして、朝9時過ぎに   デイサービスの迎えが来たけれど  「明日は日曜日だし、やっぱり病院に行ってみとこ~」と、思い 病院に行ってからデイサービスに行くことに!

予約なしだったけれど すぐに近くの総合病院で診て頂くことができ、先ずは検尿へ…

朝、座っても出なかった 尿…病院のトイレで座ってみたけれど…んんん~やっぱり出ない!

朝、お水も豆乳と野菜のスムージーも飲んだし…尿はあるはずなのに…

で、泌尿器科の看護婦さんに  「やっぱり出ないんです」と…。

そして  身体の中の尿を 尿管から採取していただき、検査。

そして、先生にみてもらったところ…

「尿もきれいだし、検査結果も異常無しですね」と…。

膀胱炎とかも心配してたけど…何も異常なし…。

そして、デイサービスに連れて行ったところ  近ごろ 夏の疲れが出るとき…「OSー1」飲んだりしても良いかも…と。

で、夕方も迎えに行かせて頂き…帰りにジェルタイプの「OSー1」飲んで…夜は主人と叔母と3人で 今治のうなぎ屋さんへ。

土用でなく、土曜にうなぎ食べて、今日は早く休んで  私も夏の疲れ回復させます♪

と、叔母の排泄…お陰さまで一過性のモノだったらしく  ホッと安心vの土曜日でした。

マズローの欲求

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

アブラハム・マズローの欲求を知っていますか?

恥ずかしながら、私 今日初めて知りました。

世の中には、~の法則と呼ばれるものが多々あり、このマズローの法則も自己実現の為の法則として、多くの方々が共感し 実践されて来たもの…。

そして、ネットで調べてみると 5段階と言われているマズローの欲求段階は、マズローが晩年付け加えた「自己超越」という段階も含まれ6段階あるのだとか…。

自分自身の整理のためにも、マズローの欲求6段階を簡単に書いておこうと思います。


第1段階 「生理的欲求」
空気、水、食べ物、睡眠など人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求。
これが満たされないと、病気になったり、いらだったり、不快感を覚えます。


第2段階 「安全欲求」
安心で安全な暮らしがしたい…家で雨風をしのぎたい・健康などを保持したい…等々
生理的欲求と合わせて、安全の欲求は生きる上での基本的な欲求の一つ…生きることを脅かされないことの欲求。


第3段階 「社会的欲求」
集団に属したり、仲間が欲しくなったりする欲求…帰属欲求ともあらわされ、人は孤独感や社会的不安を感じるのを避けようとし、対外的に充たされたいという思いから出てくる欲求。
会社、家族、国家など…あるグループやコミュニティへ帰属していたいという欲求なので、生命の維持を脅かされない状態。


第4段階 「尊厳欲求」
他者から認められたい、賞賛されたい、尊敬されたいという欲求。
内的な心を充たしたいという内面の欲求であり、帰属の後に自我の欲求がくる感じ。
二つの段階に分かれ、一つ目は仕事の遂行や達成による達成感。そして、二つ目は、一つ目の結果で 他人から注目され賞賛されること。


第5段階 「自己実現欲求」
自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなどの欲求が生まれ、自分が掲げた目標を自分でクリアにできる喜びをモチベーションに出来ること。
自己実現の欲求に突き動かされている状態とは、あくまでも自己実現を求めている状態であり、無償性のものであり、
「あるべき自分になる」…ということは、あるべき自分を思い描いていないとだめで、結果論なっていた…と勘違いしている場合もあり、多くの人がその前の段階で立ち止まってしまうことが多いそうです。
あくまで、自己実現している、あるべき自分の姿をじっくりと考えて行く必要があるそうです。


そして、晩年付け加えられた
第6段階 「自己超越」
自分の為だけでなく、他の人々や他の者を豊かにしたいという欲求。
社会貢献的な意味合いやエゴを超越した、哲学的な領域。
マズローいわく、自己超越の領域に達することが出来るのは、全人類の2%程度なのだとか…。


この6つの段階について、マズローは
「我々の社会で正常な大部分の人々は、すべての基本的欲求にある程度満足しているが、同時にある程度満たされていないのである」と…。

どの段階にいても、100%の満足を得るのは難しく、また下部の欲求が満たされていなくても、上部の欲求は出てくることもあり、人によって充たされる基準値…充たされていない基準値も違っており 絶対的なモノはそもそもなく、曖昧なものでもあるようです。

物質的に豊かな国に「生」を受け、混沌とした精神性の時代。

モノへの執着でもなく、どう生きるべきか…が天から問われている今…。

思い描く自己実現の理想像は、愛を持って自らの命さえも差し出してきた聖書の中のイエスさまであったり、また命をかけて祈り守り続けて下さっている125代連なる天皇陛下であったり、祖国や愛する家族の為に戦ってきた英霊の方々の純粋な愛の思いであったり…。

全人類の2%と言われる、第6段階の「自己超越」の欲求

その理想とする生き方を家族の中の父であったり、母であったり…また歴史に残る数々の資料の中に見つけることが出来る精神的に強かった日本人。

思いは現実に近づき、達成することでまた喜びに繋がる今。

大きな夢と希望を持って自己実現の道…歩んで行きたいと、今日マズローの欲求法則を知りわくわくさせて頂きました。

 

迷惑をかけない生き方

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

お盆にお墓詣りに行かせて頂き、お寺の入り口に書かれていた言葉…

「迷惑をかけない生き方は できません
一番大切なことは 人に迷惑をかけている その自覚です」

誠にその通り…

生まれて来るまでも、母のおなかの中で大きくしてもらい…

生まれてから物心つき、自分で何か出来るようになるまでの数年間。

そして 日々の生活の中…誰かに迷惑をかけない生き方は…ホントできません。

自覚し…日々感謝。

しかし…しかし…認知症となると、その自覚は?どうなんでしょう???

実は今日、我が町西条の花火大会。

近くまで見に行くには、大変なので 8時までに夕食とお風呂を済ませ、8時ちょっと前から我が家の屋上に行くことに…。

行こうと思うと「トイレ!」

はいはい…出すモノ出してゆっくりみたいので、パンパン鳴りはじめた花火の音を聞きながら、トイレを済ませ…

そして、屋上に上がり…ドーンドーンと上がる花火をシート敷いて花火見ていると…

「ちょっとトイレ~行きたいんだけど…」

えっ? いつもは4時間くらい あいだ開くし そんな頻尿でもないのに…。

ってことで、トイレに降りてきて…その後は、音で花火を鑑賞するばかりでした(^_^;)))

昔、江原啓之さんが

「認知症は、魂が天に還り 肉体だけが残っている状態」だと言っていました。

そして、思ったことが 他の病気は 本人が超える試練だけど、認知症は まわりが超えていく試練。

迷惑…他人のことで、わずらわしく イヤな目にあうこと。

認知症や病で誰かに頼らないといけない時、にっこり笑ってお世話したいものです。

そして、すぐに忘れてしまうけど、一瞬一瞬が喜びに満ちた時間でありますように…。

魔法のことば

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

7年ほど前に 知人から教えてもらった『ホ・オポノポノ』

「ありがとう」

「ごめんなさい」

「ゆるしてください」

「愛しています」

「今、目の前で起きている現実は100%すべてが自分の記憶(潜在意識)が現実化したもので」あり、自分の記憶をクリーニングするために使う四つの言葉。

一昨年の11月から 我が家のお風呂は「水素風呂」

そして、水素をたっぷり発生させて 頭や額まで浸かってしまいます。

そして、唱える
「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛してます」

一緒に住んでいる叔母にも お湯に浸かりながら言ってみて!!と言ったところ

「ありがとう」や「感謝します」は何度も浸かりながら言えるのに、
「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛してます」が言えません。

言えないというよりも、言いたくない!!といった感じでしょうか。

86年の人生を生きて来た叔母。

頑固なところは 私もそっくり…。

「ごめんなさい」「ゆるしてください」の言えない叔母をみながら、私自身「ごめんなさい」「ゆるしてください」が、出来てるのかな?

…と、ちょっと考えさせられました。

人は記憶の動物。

どうでも良いちょっとしたこと…いえ、自分自身では忘れてしまっている様なことも、潜在意識の中で記憶され…深く深く傷つき、「ゆるせない」「謝れない」状態を作り出してしまっているのでしょうか?

また 誰かの思いに変わって お風呂に浸かっている15分間

「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」

私が唱えることで、叔母の中の…また私自身の中の潜在意識に刻まれた傷や知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れ

クリーニングされていくのならば…しっかり唱えさせて頂きます。

以前、五日市 剛氏がイスラエルで出会ったおばあさんに、教えてもらった運命を変える魔法の言葉「ありがとう」「ついてる」「感謝します」

ホ・オポノポノにもイスラエルのおばあちゃんの魔法の言葉にも、確かに宿る 言霊のちから…ほんとうに素晴らしいです(*^^)v

言霊のちから

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

8月15日 終戦記念日の今日…72年前、荒れた大地と暑い夏の陽射しの中、日本中が涙した日。

今、生活が守られ 食べるモノに困ることなく 生きていられるのも、尊い命をかけて戦って下さった英霊の方々の贖いの後に頂いたもの…。

改めて感謝と哀悼の誠を捧げますと共に、未来永劫祖国日本が永遠に続きますよう祈り…伝えて参ります。

そんな、日本にとっては深い深い哀しみの日。

日本エドガー・ケイシーセンターから、毎朝7時1分に届けられる珠玉の言霊

今日は、朝届かず おかしいな~?と、思っていたところ 10時2分に8通もの珠玉の言霊が届けられました。

以下は、パソコンの方に届いた言霊たち…

他人に対する奉仕は、神への最高の奉仕です。
Service to others is the highest service to God. (257-10)

機会は、神からの感謝の表れです。機会を大切にしなさい–自分のためではなく、神の栄光のために。
Opportunities are expressions of appreciation from thy Maker.
Embrace them, – not for self but for the glory of thy Maker. (2051-5)

主を招き入れたいと思うなら、もっと祈りと瞑想を続けなさい。
Be constant in prayer, meditate oft, if ye would have Him enter.(540-18)

毎日、毎時、祝福の水路となれ。
Be that channel of BLESSINGS each day, each hour. (276-2)

汝の日々の努力のうちに主の栄光の現れていることを、忍耐をもって、静かに見続けよ。
Be ye patient; be ye quiet and SEE the glory of the Lord in that thou may do in thine efforts day by day. (518-2)

理想が正しければ–自分を奉仕に差し出すことを恐れてはならない。Do not be afraid of giving self in a service – if the IDEAL is correct.(1957-1)

自分の兄弟に対して、自分の隣人に対して、そして–なによりも–自分自身に対して、忍耐を失ってはなりません。
Be not impatient with thine brother, with thine neighbor, and – most of all – with thine self. (262-44)

あなたの人生を、他の人々への光のようにしなさい。
Let thy life, tho, be as a light to others. (835-1)

そして、携帯の方にも同じように8通も…

先日、特攻一番戦闘機敷島隊の追悼奉賛会の副会長より
『ジュンちゃんへ「戦争に行った兄さんより」』という本を貸して頂きました。

その本には、愛媛県西条市出身の少年航空兵・松本勝正さんが家族に宛てた手紙の数々が載せられており

まだ中学校を出たばかりの 松本少年が昭和13年15歳で予科練に入隊し、昭和19年最後の手紙が届くまで…。

分刻みでの軍隊での生活の中、家族が手紙を送ってくれることを喜び、また 妹の順子さんへの手紙には色々近況を書いた後、こんなことも書かれてました。


トナリノセンユウハネ、イモンブクロヲモッテ、ジュンコノカイタヤウナ カキカタヤ ヅガ ヤ サクブンガハイッテヰタノデヨロコンデイタヨ。

マンシュウヤ支那ヘイッテヰル ヘイタイサンヘ 手ガミヲ出シテアゲナサイ。


その頃の小学生や学生から届く手紙や可愛い絵に 満州や支那の兵隊さん達の心が どんなにか癒されたことでしょう。

毎日届けられる ケイシーの珠玉の言霊も今日は 終戦…敗戦記念日ということで、たくさんの御言葉に 私自身 癒して頂くことが出来ました。

そして、8月15日と言えば、正午に流された昭和天皇の玉音放送。

この陛下の終戦の詔書の口語訳では、こんな風になるのだとか…


私は 深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り 非常の措置をもって時局を収拾しようと思い ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

私は 日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを 通告するよう下命した。

そもそも日本国民の平穏無事を図って 世界繁栄の喜びを共有することは 代々天皇が伝えてきた理念であり 私が常々大切にしてきたことである。

先に米英二国に対して宣戦した理由も 本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり 他国の主権を排除して領土を侵すようなことは もとから私の望むところではない。

ところが交戦はもう四年を経て 我が陸海将兵の勇敢な戦いも 我が多くの公職者の奮励努力も 我が一億国民の無私の尽力も それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず 戦局は必ずしも好転していないし 世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。

それどころか 敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して しきりに無実の人々までをも殺傷しており 惨澹たる被害がどこまで及ぶのか 全く予測できないまでに至った。

なのにまだ戦争を継続するならば ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。

このようなことでは 私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り 代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか…。

これこそが 私が日本国政府に対し 共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう 下命するに至った理由なのである。

私は 日本と共に終始東アジア諸国の 解放に協力してくれた同盟諸国に対しては 遺憾の意を表せざるを得ない。

日本国民であって前線で戦死した者 公務にて殉職した者 戦災に倒れた者 さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると 我が身を引き裂かれる思いである。

また戦傷を負ったり 災禍を被って家財職業を失った人々の再起については 私が深く心を痛めているところである。

考えれば 今後日本国の受けるべき苦難は きっと並大抵のことではなかろう。

あなたがた国民の本心も 私はよく理解している。

しかしながら 私は時の巡り合せに逆らわず 堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて 未来永劫のために 平和な世界を切り開こうと思うのである。

私は、ここに 国としての形を維持し得れば 善良なあなたがた国民の真心を拠所として 常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。

もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ 

そのために進むべき正しい道を誤って 世界の国々から信頼を失うようなことは 私が最も強く警戒するところである。

ぜひとも 国を挙げて 一家の子孫にまで語り伝え 誇るべき自国の不滅を確信し 責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し 

総力を将来の建設に傾け 正しい道を常に忘れず その心を堅持し 誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し 世界の流れに遅れを取らぬよう 決意しなければならない。

あなたがた国民は これら私の意をよく理解して行動せよ。


言葉のちからは素晴らしいものです。

そして、そこに発するモノの魂が乗っかって言霊となり…人を動かす原動力にも…。

戦争の中、軍人としてひとり横浜に行った 松本勝正氏もまた 届く手紙に力をもらい その兄からの手紙で 戦死された後も兄と繋がっていること。

終戦記念日の今日…日本エドガー・ケイシーセンターからの珠玉のメッセージが8通も届けてもらえたことで 感じた言葉の素晴らしさ…に感謝です。

 

 

喫茶MORINOKO

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

もう2年程まえにOPENしていた喫茶店「MORINOKO」と言うところへ初めて行ってみました。

前は通るけれど、あんまり車も止まっておらず…ちょっと氣になっていたお店。

モリノコ - かわいい外観。

今の「MORINOKO」になる前の前のお店「ピース」があった時は、毎週1度は行ってたくらいお気に入りのお店でしたが、オーナーが海外青年協力隊のひとりとして、南米のコスタリカに行くことになり閉店。

それから、次に出来たお店は一度行ってみたけれど その一度だけで1~2年でお店が閉まってしまい…。

その後で出来た「MORINOKO」

どんな人がやってるのか?

どんなメニューがあるのか?

誰も噂する人もなく、私の耳に入ってくることもなく…。

今朝、モーニングに行ってみた先が満席で 待たないと入れず…

主人とふたり「あそこ…行ってみる?」

「ガッカリでもいいよね!」と言うことで、行ってみると…

外観と違って、中に入ってみると 落ち着くイイ雰囲氣。

  

間取りが変わっていない為か…ずっと昔「ピース」だったころの 香りまでしたようで 何だか懐かしく…

お店のマスターも女性も無口だけど、すごく感じよくて…

主人と二人で「マルだね!!」と…。

新しいお店やどこか旅先で入るお店…思ったよりちょっとでもイイと嬉しくなってしまう。

お調子者の私は「運氣上昇中」だな!と…ニンマリ(^^)

当然ガッカリの時は、その日1日なにか選択することに…慎重になってしまったり…

人の情報や意見は、お店探しや何か購入する時、凄く参考になったりもする。

私自身、太陽院の看板を背に仕事させてもらってる限り、いい加減なものは取扱い出来ないし…したくない。

昨年2月、私が敬愛する三重県津市の赤塚さんから、「水素のお風呂」のレンタルを事業として薦めてもらった時も、自身で納得できないと扱うこと事態凄く抵抗もあり

赤塚さんにも「赤塚さんは影響力のある人なんですから、ちゃんとしたものを扱かった方がいいんじゃないですか?」なんて生意気にも電話かけたほど…。

もちろん 電話かける時は 好きな人に電話をするように…

ダイヤル回して 手を止めた~♪

っていう「恋に落ちて」のフレーズがぴったりの様な状況で、電話をかけさせてらったほど緊張して…。

で、現在太陽院が水素風呂のレンタルやってる!と、言う事は…

正直、「良かったから…」

全てにおいて マル!!

先ずは、私のように なんだかんだ考えず、使ってもらうと きっと満足してもらえると…思ってます。

リタライフレンタル申し込み

今日、初めて入ってみた喫茶店「MORINOKO」のように、誰も何も言ってないお店が実は案外良かったりするように…。

私自身、自分で言うのも変だけど、かなり強運なので…是非(*^^)v

 

 

 

 

 

 

夏を満喫

太陽院院長 近藤  千恵子です(^-^)v

今日13日 お昼から 民生委員の皆さんと大島の潮流体験からの村上水軍 能島城跡散策と伯方島の花火大会に 参りました。

しまなみ海道が完成し、島を自転車で渡る人や歩いて渡る人もいて …そして 海に上がる花火の美しさに年々見物客も増加しているそうで…

お昼から バスに乗り込み来ております。

バスの中、昼間っからビールも頂き…総勢13名のなんとも幸せなツアー。

織田信長も豊臣秀吉もたじたじにさせたと言われる海の難所を守ってきた村上水軍。

通過するために、お金を治めさせ そして、言う事を聴かないモノたちは、海に沈められたというから…スゴい。

そして、海に沈められないように 村上水軍の捕虜となったモノは、額に㊤の刻印を押されていたのだとか…。

そして、能島城の3の丸跡から本丸跡まで小さな島一周を回り、大島から花火大会のある伯方島へ…。

4時前に到着し、海上から上がる花火の見える真ん前の砂浜にブルーシートを敷き、暗くなるまでおしゃべり…。

夕方6時過ぎ、夕陽の沈みかけた頃 シートの敷いてあるところに戻ってみると、なんと地元今治出身のタレント「みかん」さんが、特設ステージで物まねを始めたところ…。

さすが、人氣者!!っていう感じで 楽しませて頂きました。

そして、待ちに待った海から上がる伯方島の花火…。

浜辺に集まったかなりの人でカウントダウンから始められた花火!!

もう何年も、腰を下ろしてゆっくり花火を見ることもなかった為、目の前でドカ~ンと打ち上げられる数々の美しい花火に感動…。

途中、花火に負けないように、スーっと流れ星まで流れ…とっさに出た言葉は「ありがとうございます…」だけ…。

6000発と言われてる打ち上げ花火。

伯方島の島をあげての毎年8月13日の花火大会。
御先祖様に感謝し迎え火の様な花火。

今日は、穏やかな瀬戸内の海と夜空一杯に繰り広げられる花火に、
夏満喫!!

帰りは思っていたほどの渋滞もなく 今日の内に戻って来ることが出来ました。

夏…蝉の音…海…花火…慰霊。

夕方からは、秋の風が吹き 夏もあと少し…。

しっかりと乗り切って行きたいものです。

 

 

 

 

お盆を前に…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今日夕方、叔母がデイサービスから戻るのを待って 一緒にお墓の掃除に行って参りました。

叔母の…そして母の…お父さん、お母さん、お姉さん達が眠るお墓。

7月にもう一人の叔母の命日に一緒にお墓の掃除とお参りをしてたので、草も生えておらず…あっという間に終わることが出来ました。

叔母が認知症になる前、ひとりで住んでた頃…

叔母が守ってきたお墓は、雑草など生えることなく お盆やお彼岸にお参りに行くと 香の花が枯れることもなく いつもお水やお米が置いてあり、線香立は柔らかく苦労なくお線香を立ててお参りすることが出来てました。

7年前グループホームに入ってからは、私や姉がお盆とお彼岸に行くくらいで、そこまで手入れも出来ておらず…。

そして、何もかも忘れてしまう叔母にとっては 今、まだ両親は生きており 姉妹もまた生きている状態でもあったり…。

忘れてしまうことは、倖せなのでしょうか?

きっと、覚えている頃は 寂しさもあり、両親や姉たちにいつも逢いにお墓に行っていたのかも知れません。

今日、ふたりで 叔母のお墓と 私の母が眠るお墓の掃除を済ませた叔母と私。

子供のいない叔母と 母を亡くし また子供のいない私。

目を離すことの出来ない叔母は、私の子供の様なものでもあり また 母の姉だけに ふとみると母が側にいるようで… 親孝行のやり直しの様なものでしょうか。

そして、子供のいなかった叔母にとっては、娘を持ったような感覚なのか…朝 目が覚めると 私に愛おしく微笑んでくれる毎日。

叔母を子供のように思える時や 母のように思える時…。

神様が、ひとり残った叔母にプレゼントするように我が家にやって来ての生活。

86歳の叔母の残りの人生が この先どう展開していくのかも 神のみぞ知るところ。

ただ、私の母が健在だったならば 母がみたであろう叔母の介護…私が変わりにしていること。

母への親孝行でもあると思い、そして認知症の叔母と一緒に暮らすことで私自身が知らない自分自身が見えてくるものもたくさんあり…この貴重な毎日に今は感謝いっぱい…。

頑張らない介護…主人とふたりで、あーだ こーだと言いながら 楽しんでやらせて頂きます(^^ゞ

 

 

山の日

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

今日、8月11日は「山の日」…国民の祝日

2014年「祝日改正法」成立によって8月11日が「山の日」となって、2016年施行されたそう…。

旗日に届けられる 愛国女性のつどい「花時計」さんからのメールに、山の日が制定された経緯などがこんな風に書いて届けられました。

祝日にした趣旨は「山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する」というものだとか。

ただ、なぜ8月11日なのでしょうか?

1996年から「海の日」が施行されたことによって「山の祝日も作るべきだ」という声が上がり2009年から「日本山岳会」など5団体が運動を開始したそう…。

2010年「山の日制定協議会」が発足、2013年には超党派の国会議員によって「山の日制定議員連盟」が設立されたことで全国的な運動へと広がり…。

確かに日本は山の国であり名山も多く登山も盛ん。からといって祝日にする必要があるのでしょうか。

祝日は、国民が忘れてはいけない歴史的背景があり、国民がこぞってお祝いしたいという気持ちになるのが本来の在り方ではないでしょうか?

愛国女性のつどい…「花時計」さんからのメッセージを読ませてもらい なるほどな~と。

たしかに夏休み…お盆休みの前に この日があることで、大型連休で遠出出来たり、海外へ行けたりとか…経済効果も上がることも確かですが…。

山の日が出来るきっかけとなった海の日の制定された経緯を見てみると、確かに歴史的背景があっての制定。

1995年「国民の祝日に関する法律」が改正され、1996年から7月20日は「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う」趣旨で祝日となったとか…。

そして、この日が海の日として選ばれた歴史的背景は…

明治9年(1876年)6月2日、明治天皇が東北・北海道御巡幸にお出かけになられ、埼玉・茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の各県を御巡幸されたのち、7月16日青森から御召艦に御乗船され、函館を経由して20日横浜へ御帰着されたそうです。

「明治天皇紀」によれば、3日間荒波のため荒波のため動揺はなはだしく、遅れて夜の8時過ぎに入港したそうですが、明治天皇は終始“端然”としておられ、港で待ち受けていた人々を安心させたそうで…

これを記念して昭和16年(1941年)「海の記念日」が制定され、平成8年(1996年)から海の日として祝日に…。

またこの時に御乗船された御召艦は、灯台巡視船「明治丸」

「海の日」を通して海の恩恵に感謝する氣持ちと、明治天皇を中心に国民が一致協力して世界に雄飛した明治の時代を敬慕し、その精神を偲びながら新しい時代に向けて進んで行くための「海の日」なのだとか…。

今日、我が家でも国民の祝日と言うことで、国旗を掲揚させて頂きましたが、国旗さえも揚げることがなくなってしまった日本。

山には山の…海には海の神さまがおり、山の神さまも海の神さまも…天照さまやスサノオさま、月読さまが生まれるずっとずっと前から地球に存在するもの。

山の日…国民の祝日がこうして作られた今、その時の権力者によって制定されていくものが、どうか神の御心に沿った形でありますように…と祈らずにおれません。

憲法や皇室典範なども、どうかこの日本が永遠に神国として継続される様な形となりますように…。